第19話 料理部の魔物

 文化祭当日。

 約束どおり、俺は朝の六時に登校した。


  ――が、いない。


 そもそも、具体的な待ち合わせ場所は聞かされていなかった。

 連絡先も知らない。

 いったい俺は、どうやって会うつもりだったのだろうか? 

 誰かと待ち合わせをするなんて久しぶり過ぎて、肝心なことを忘れていた。


「ぶらついていたら見つかるか」

 

 なんとなく予感はある。

 あいつらのいる周りは騒がしい。

 しかし、今日はどこもかしこも賑やかだった。

 早くも、喧騒が馴染む。怒鳴り声すら、気にもならない。

 

 ぶらぶらぶらぶら……校舎内を隈なく歩く。

 

 やはり、音楽室か? 時計を見て、足を進める。この時間帯なら、大丈夫なはず。仕込みに忙しく、鉢合わせる可能性は低い。


「……大丈夫だよな?」

 

 ジジの所為でつい、気になってしまう。

 ――文化祭には魔物が棲んでいる。

 確かに出くわしたことはあるものの、ここ二年耳にした記憶はない。


「……少し、覗いてみるか」


 どういう風の吹き回しかは自分でもわからない。

 ただ、あいつらの所為なのは間違いないだろう。


「……つか、この臭い?」


 調理室に近づくなり、既視感を覚える。

 胸騒ぎ――足が、勝手に動きだす。

 

 思い描いた光景を必死で否定するも、導かれていく。

 覚えのある匂いに、歩幅が変わる。

 

 あの時とは違って、別々に動いていた。

 感情がブレーキをかける。けど、体は止まらない。頭が正論を述べる。掌を返したように、感情が打ち消す。

 

 偶然に出会うことすら恐れていたのに――誰よりも遅く、早く、決して集まらず。なんのために、俺は今まであんな真似をしていたんだ?

 

 ……会いたく、なかったからだろう?

 合わす顔が……なかったからじゃないのか?

 

 それなのに……どうして? 

 

 扉の前で、俺は立ち竦む。

 焦げた匂いは、間違いなくここだ。

 調理室。プレートだけは、中等部の校舎と同じ。


「……馬鹿が。行けよ。あの時と違って、わかってんだろ――」


 中一の時にできていたことが、高一になってできなくなるなんて……。

 俺は成長しないどころか、退化してしまったのだろうか?

 あの時は何も考えず、衝動のままこの扉を開けることができたのに――

 誰かの輪の中に割って入ることができたのに――


「……何が勇者だ」


 あの時は知らなかったから、勇敢でいられた。

 でも、知ってしまった今ではこのていたらくだ。

 文化祭に棲む魔物に立ち向かうことすらできず、こうして立ち竦んでいる。


「……あいつらは戦っているのか?」


 下心満載だったようだが、困っている誰かがいたらきっと手を差し伸べるに違いない。

 ただ、楽しそう、面白そうという理由だけであいつらは平気で首を突っ込む。


 そんな真似、俺には無理だった。

 誰かの輪の中に割って入るなんて、気づけばできなくなっていた。


 それでも……

 それでも――!


「誰だ! ケーキ焦がしてる奴は!」

 

 俺は扉を開け放ち、三年前とまったく同じ台詞を吐き出した。


「……秋葉君?」

 

 けど、返ってきた呼びかけは違う。誰? じゃない。瞳にも表情にも……困惑以外を宿している。

 なんて、皮肉だ。

 月日は流れ、また一年と三年として出会うなんて。

 

 それも、あの時と似たような状況で。

 沢山の泣きそうな女子たち。彼女が一人、気丈に振舞っている。料理部の部長。年上を感じさせる、凛とした雰囲気で俺の目の前までやってくる。

 けど、これ以上のリプレイは必要ない。


「状況は?」


 過去を振り払うよう、俺は事務的に問いただす。

 思い出と同じように彼女の張り詰めた瞳が緩みかけるも、踏み止まった。

 成長を誇示するみたいに、冷静に被害を報告する。


「スポンジ生地が一〇台……全滅。オーブンの不調による焦げが二台に、ふくらみが不充分なのが八台」

 

 俺は惨状を目にして、その一つをつまむ。まだ温かいにもかかわらず、硬い。シロップでどうこうできる程度を超えている。


「……もしかして、一〇台分の生地をまとめて作ったのか?」

 

 素人レベルの失敗。

 考えられる原因は、どうやら正解だったようだ。


「量が増えるとリスクも増える。材料の温度、状態、混ぜ方、スピード……ミスの許容範囲が一台とは別物になるんだ」

 

 理論はこれくらい。この状況で責めても泣かれるだけだ。

 言ってやりたいことはまだまだあるが、我慢する。


「……涼子先輩。俺に、手伝わせて貰えませんか?」


 俺にはもう、誰かの輪の中に割って入る真似はできやしない。

 だから、お願いする。

 その中に入れて欲しい、と。


「もちろん! 秋葉君が手伝ってくれるなら、私も心強いもん 」


 たった一言。

 簡単なことだったかもしれないけど、俺の心臓は早鐘のように鳴っていた。

 歓迎されてなお、そう易々と収まりそうにない。


「……残りの材料は? とありあえず卵と砂糖と粉とバター」


 そのことを悟られぬよう、一息で質問する。


「えーと……ちょっと待ってね」

 

 その間、俺は深呼吸をして、落ち着かせる。

 感情を整理。

 冷静に、冷静に……言葉を選ぶ。

 

 ――同じ轍は踏むもんか!


「秋葉君! 粉と砂糖は余裕がある。それでバターが四五〇……卵が一〇個」

「それを使ったとして、他のお菓子に影響は?」

「あと仕込むのが……カスタードクリームにムース。……焼き菓子は終わってる? えーとなら……」

「圧倒的に卵が足りないか」

 

 目に入るシュー生地。卵はアレのクリームで一杯一杯だ。

 余った卵白もムースに回すとなると……ビスキュイ生地に変えたとしても、まかなえはしないだろう。


「どうしよう……秋葉君」

 

 部長が……涼子先輩が不安げに漏らす。嫌な記憶を触発する。

 文化祭じゃなくて、卒業式……俺は答えることができなかった。

 

 ――任せます、と投げ捨てた。

 最低だ。受け入れたくせして……!

 

 俺は携帯を握る。あの時とは、決定的に違う関係。

 彼女はただの先輩じゃなくて、大事な先輩だ。

 

 だから――できる限りのことはやってやる! 

 

 工房にかけると、

「もしもし?」

 母さんの声。


「悪い、母さん。父さんに代われる?」

「ん。了解」

 

 声色から察してくれたのか、理由も訊かずに応えてくれた。


「どうした?」

「悪いけど、卵借りれる? 文化祭のケーキでしくった」

「卵って……何個だ?」

「三〇は欲しい!」

 

 店は大きくないため、材料の発注も纏めて行ったりはしていない。

 特に鮮度が重要な卵なんて、一日に必要分くらいしか用意していないはず……


「きりが悪いな……」

「え?」

「一箱持っていけ。ちなみに、あとでちゃんと請求するからな」

「了解。すぐ取りに行く」

 

 俺の踊る声に、部長が不安と期待が入り混じった視線で見上げる。


「とりあえず、五〇は確保できた」

 

 俺の答えに、教室が希望に満ちたように沸いた。


「だから、その分の計量は終わらせといて。それとシナモンスティックとかある?」

「うん、あるよ」

「だったらそれでアンフュゼ……あー、牛乳に入れて、一回沸かせといて。沸いたら火から下ろして、ラップでいいから蓋しといて」

「量は?」

「とりあえず一リットル。シナモンは二~三本でいいや。あとは焦げ防止に砂糖を一〇〇グラムくらい入れて……」

 

 俺の意見を聞き入れ、部長が素早く指示を飛ばす。どうやらトラブル防止班は最低限で、継続作業に人数を割いていくようだ。


「んじゃ、ちょっと行ってくる」

 

 俺は動き出した教室を見て、走りだした。

 全員が本気だった。

 それを手伝おうっていうんだ。俺も本気になるしかなかった。


「はっ……」


 走っていると、ジジに追いかけられた日を思い出して俺は笑う。

 けど、振り返っても誰もいない。

 今日は一人きり。


 それでも――


 俺はあの時よりも早く、走っていた。

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