第11話 少女に恋して――
「失礼します」
芳野が声をかけるも、返事はない。
「……いない、みたいだぞ?
中を除いてみると、保健室は無人だった。
「どうでもいい時はいるくせして、なんで肝心な時にいないかな~ 」
芳野が身勝手な台詞を吐く。
「……とりあえず寝かせるか」
しばらくしていると、放送が鳴り響いた。
『全校朝礼を始めます。生徒の皆さんは体育館に集合してください』
しかし、俺も芳野も動こうとしなかった。
「いいのか?」
一応訊ねてみるも、予想通り。
「面倒くさいしね。それにジジも心配だし」
負い目もなにも感じさせない、すがすがしい口ぶりだ。
「真っ先に、オレを理由にあげろよ……」
芳野は間にいる友人の呻きすら華麗に無視して、
「そういうアキバ君は?」
当然の返し。
俺は予想できていたくせして、
「……興味ない」
僅かに、詰まってしまった。
「てめーこそオレを理由に……」
ベッドからの呪詛にも引っ張られる。
まだ、諦めがついていないのだろうか?
役目は果たしたというのに、足が動かない。
「でも、なにをしてたの? あんまり穏やかな状況じゃなかったけど」
しまいには、会話が始まる。
「……見てたのかよ?」
咄嗟に漏れたのは、終わらせる言葉じゃなくて……続ける質問。
「そりゃ、目だってたし」
久しぶりに、キャッチボールが成立する。
「だったら止めてくれよ……」
一言二言では終われない、コミュニケーション。
「声をかけるのも尻込みするほど、緊迫してたからさ」
あまり、スムーズにいかないでほしい。
「そうかい」
また、勘違いしてしまうから。
案外、うまくやっていけるんじゃないかって、調子に乗ってしまうから……
「けど、なんでああなったの?」
だから、無視をする。
冷たい言葉で突き放す。
生じる沈黙が怖いから、先に生み出す。
この状況を、自発的に起こしたものにするために――
「昨日の件を……初名ちゃんのことをからかったら、いきなりキレやがってよ」
終わらせるつもりでいたのに、ジジとやらが勝手に繋げやがった。
「……それ以前に、お前がウザかっただけだ」
だとしても、放っておけばいい。
そのはず……なのに、俺は許容できない。
他人の評価を気にする。好き勝手言われるのを耐え切れない。
そう思われるのは嫌だって、意地を張ってしまう。
仲間外れ、疎外、のけ者、一人ぼっち、孤独……否――孤高なんだって訴えようと、我慢や無理をする。
「それは仕様だよ」
「ガーン……、オレってウザかったのか?」
こっちの気持ちも理解も置き去りに、こいつらは運んでいきやがる。
「ところで、気になったんだけどさ。アキバ君と初名ちゃんってどんな関係なの?」
相互理解は成立していないのに、会話だけが進んでいく。
「ちっ……普通に知り合いの娘だ」
考え、出た答えは適切ではないだろう。
だって俺は和佳子さんよりも先につなに会っているんだから。
でも、他に思い浮かんだのは……あまりに滑稽で言えやしない。
「うう~ん、この年で知り合いの娘って言葉が出てくるなんてすごいね」
芳野が目敏く、俺の嘘に感づく。
「なにが言いたい?」
追求を避けようと威圧的に吐き出すも、受け流される。
まるで、言葉以外は届いていない錯覚を覚える。
「いやいや、アキバ君があんな風に笑うなんて知らなかったからさ。いつも、不機嫌な顔してるじゃんか」
それは互いの立ち位置――世界が違うんだと思い知らされているようで、辛い。
「だから……なんで知ってるんだよ?」
もう勘弁してくれと、許しを媚びるように声が震える。
「だって有名だよ?」
それなのに、こいつは気づかない。しれっと口にする。
「……は? なんで……?」
だから、続けないといけない。
俺の言葉で静寂を勝ち取るまでは……!
「保健室とか、職員室でよく会うしね」
ぬかしやがる。
こうして対面しているというのに、俺は気まぐれで見下ろしていた神様と、たまたま目が合った気分だ。
「それは……そうだな」
気圧される。
言葉こそ通じるものの、込められている感情は無意味。
その証拠に、こいつは顔色一つ変えやしない。
乱暴だろうが、素っ気なかろうが、泣きそうだろうが――。
「でさ、初名ちゃんのこと好きなの?」
そして芳野は、普通なら絶対に辿り着かない答えに踏み込んできた。
「なんで……そうなる?」
そんなわけ、ないだろ?
俺が惹かれているのは……〝歪さ〟だ。
あの目に見える歪み。あからさまに覗かれる闇。
まるで、物語に登場するような少女だから――
「だって、そうだったら面白いじゃんか」
その、あっけらかんとした響きが刺さった。
頭の中で、必死に行われていた自己弁護が死んだ。
「――はぁ?」
出血している。
頭にどんどん溜まっていく。熱い、熱い、熱いっ!
「確かに燃える展開だな」
もう一人の声がとどめを刺した。
止まらない。大きくて、とても塞ぎきれない。
「なんだよ、それは……!」
ふつふつと、なにかが湧いてくる。面白い……?
なにが? 俺が初名のことを好きだったら面白いって? ってかこれは怒り? 俺は怒ってんのか?
なんで?
俺が抱いている感情は非難されるべきものだろ? だったら、責められて当然じゃないか?
いや、責め……面白い?
それは責められてるのか? 違う、違うだろ? なにが違う? 怒っているのが? 怒る事態が? わからない……ただ熱い。顔が、頭が……熱いっ!
「うん、もしそうならリアルも捨てたもんじゃないって思うよね」
ノイズが入り込んでくる。
思考の邪魔。そんな異物を処理する余裕なんてないのに……
「違いない」
目の前の二人は笑っていた。
なにが楽しいんだ?
涙が溢れ出てくる時と同じ熱さが、込みあげてくる。
なんだ、これは? ってか……なにが、可笑しいんだ?
俺が――
――好きだったら
――そんなに楽しいか?
「――ざけんなっッ!!」
決壊した。
抑え込むのを放棄する。
ただ、ただ、吐き出す。
なにも触れず、あるがまま解き放つ――破壊衝動。目の前のベッドを蹴りつけ、飛ばす。隣のベッドとぶつかり、軋む音。そこに混じった声は耳に入らない。
視界に……まだ、いやがる!
「危ない危ない。あと少し、跳ぶのが遅かったら挟まれてたよ」
流暢な響き。苛立つ。
だけど、言葉を構成する余白がない。ごちゃ混ぜになったものから、一つを取り出せはしない。一度、全て捨てるしかない!
「―――――――――――――――――ッ!」
叫びとも吼えとも呼べない、音でしかない波。
俺の体から、喉を通って、口から、言葉でも、声でもない轟が解放される。
「はぁ……はぁ……っ!」
虚脱。立眩むも、意地で床を噛む。
けど、それが限界。
言葉どころか、声すら見当たらない。呼吸。荒く、獣に近づける。全力で吐き、吸い込む。
「はぁーっ! はぁーっ!」
どうにか、視界が整う。酸欠が解消され、ぼやけた世界が現実味を取り戻す。
そこに――芳野がいた。
目が合った。別世界じゃなく、同じ世界にいる。
――偶然。
そう思ったら、堪らなかった!
「――んなにッ!」
擦れた声。胃液が喉を焼く。危険信号。喋るなと脳が命令を飛ばすも、振り切る。力を込める。壊れるくらい……命令。脳が止めろと、四肢に命令を飛ばす。
その隙に――叫ぶ。
「そんなに可笑しいかよっ! 俺が! あの子のことを好きだったら! 変か? えぇ? てめーらには関係ないだろ!」
断末魔に、なにを訴えているのだろうか。
こいつには二度と届かないかもしれないのに、なにを口走っているんだ……。
「はっ、はははは……」
なんだかんだ理由をつけているが、好きなんじゃないのか?
きっかけは最低だけど、俺は、あの子が――
「はっ! はははははっ!」
認めて、冷静になって気付く。それは可笑しいだろって。笑われて当然だって思い始める。
――だから、笑う。
笑われる前に……笑うしかない!
じゃないと、自分を保てない。強くないと……強がっていないと……独りじゃ、やっていけない!
わらってやる! 哂う、嗤う、笑う……!
「いや、そんなことはない」
予想に反して、誰も笑っていなかった。
響いていたのは、俺の壊れた想いだけ。
芳野は真剣な眼差しで俺を射竦める。
俺は呑まれ……黙り込んでしまう。
相手の言葉に耳を傾けて、
「恥ずかしいことなんてない。むしろ誇るべきだ」
嘘だ! 全身全霊で否定する。そんなわけあるかと、騙すつもりなのかと拒絶する。
「そうだぜ」
別の声、介入者。ベッドの下から。芳野が差し出す手を振り払い、惨めに這いつくばりながら……来る。
「お前に、いい言葉を、教えてやるよ」
表情は張り詰めている。痛みに耐えているのが、丸わかりな息遣い。限界まで引いた弓のような危うさに、声は元より思考すら停止する。
「たまたま、だ。好きになった子が、たまたま幼かっただけだ」
「僕たちにはその台詞を言う資格はないけど、君になら言えるよ」
ふざけたことをぬかしやがる。
「年の差は一〇やそこらだろ? そんなの今時、珍しくもない。だけど、お前はそうやって開き直らないで本気で向き合っている」
「ペドとかロリコンを、恥ずかしげもなく豪語している人たちとは全然違うよ」
真剣な顔と声で、戯言を謳う。
嘘をつきやがる。騙そうとしてくる。
「他人なんて関係ねぇ。常識がなんだ? そんなのは、多数決の勝者でしかない。その敗者だって、多数に認められれば勝者になる。そんないい加減な世界に否定されたって気にするな」
「そうだよ。まっ、精神医学的にも一人は除外されるんだけど」
理論まで持ち出して……俺を肯定しようとする。助けようとしやがる。
「自分だけの世界とルールに基づいて、決めろ――」
「あらゆること全て、自分で分析して、構成すればいい――」
「「なんで、少女に恋したら駄目なんだ?」」
俺は――
普通でも、変わってもいない。
だから、はっきりさせたかった。
自分はどっちなのかと。どっちつかずは一人ぼっちだから。
――憧れた。
普通に近づこうとしたけど、無理だった。
共有できなくて、居心地が悪くて、それでも突き放すこともできなくて……傷つけた。
異質に近づこうとしたけど、無理だった。
踏ん切りがつかなくて、背中を押してくれる誰かを探していて、そんな自分が堪らなく嫌になってしまった。
だから、一人。
もう傷つきたくないから、独りでいた。
そんな、ちっぽけな世界。
「そうかい……」
俺は顔を背けた。
ただ、間違いなく嬉しさがあった。
こいつらは認めてくれた。笑わなかった。自分ですら、笑って当然だと思っていたことを否定してくれた。
「しかし、一度は言ってみたいよな。好きになった子がたまたま少女だっただけだって」
「う~ん、僕たちの場合は少女だから好きって感じだから無理じゃないかな?」
二人は言いたいことを言い尽くしたのか、もう好き勝手に雑談してやがる。
「確かに。将来の夢は一〇代の幼な妻だしな」
「結婚願望なんてあったんだ?」
「お前はないのか?」
「そうだね、子供は欲しいからなぁ」
「相手は?」
「勿論、一〇才以上年下の女の子」
まったく、こいつらの世界はどうなっているんだろうか?
「なぁ、どう思う?」
そして、極自然に話を振られた。
「あぁ、そうだな」
だから、俺は極自然に答えた。
「最低最悪死ねばいいのに」
二人の反応は早かった。
「ファンタスティック! ちょっと待てこら!」
「話の流れ的にそれはないよ~」
不満たらたらなのは口だけで、楽しんでやがる。
「普通に考えて――未熟、判断基準が乏しい、道徳に反するから、いいわけねぇだろ?」
「それは手を出したら駄目な理由だよ」
「そうそう、プラトニックなら問題ない!」
やけに流暢な発音。
巻き舌で言われ、頑なに拒んでいた頬が綻ぶ。
「馬鹿野郎が……」
腰が落ちる。
もう、立っていられない――
「それ以前に普通じゃねぇだろ……俺たちは」
――ついさっきまで、自分がいた世界には。
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