過去:勇者誕生秘話(主に純文学的シリアス)

第6話 少女との出会い

 ――子供がいた。

 だからなんだって話なのだが、今回はそうもいかない。

 なんせ、そいつはウチの店の前にいたのだから。


「まいったな……」

 

 俺は臨時休業の紙を手に零す。

 父さんに頼まれてこれを張りに来たのだが、気まずい。


 基本的に人と話すのは苦手だ。

 年上にしろ年下にしろ、つい乱暴な言葉遣いになり、反感を買ったり、怖がらせてしまうから。


 子供は幼い割にお行儀よく座っていた。

 扉の前にある丸椅子。地面まで届いていない足を揺らさないだけでなく、きちんと閉じている。

 ウチの妹とは大違いだ。


「はぁー、はぁー……ぅ」

 

 子供から、規則正しく白が溢れ出す。

 口元を両手で覆ったまま、絶えず息を吹きかけているのだろう。

 

 コートのフードまで被った姿は、さながら赤頭巾。

 となると、俺は狼か? 

「はっ……」

 自分で考えて、一人笑う。


「なぁ」

 

 非常に不本意だが、話しかける。

 近くに保護者の姿はなく、すぐに立ち去る気配がないんだから、しょうがない。


「っ……はい?」

 

 子供は一瞬怯えたように唇を噛んだが、きちんとした返事をした。

 律儀にも、見下ろす俺に目まで合わせてくれる。

 

 大きな瞳、真っ直ぐ切り揃えられた前髪、赤いほっぺた……子供らしい顔のパーツが、フードの中から覗かれる。


「……悪いけど、今日ここ休みなんだ」

 

 少しだけ悩むも、いつも通りの口調。

 どう考えたって、赤ちゃん言葉みたいなのは俺には無理だった。


「……おやすみ?」

 舌ったらず。

 要領を得ておらず、会話は繋がらない。

 

 当然といえば当然の反応なんだが、苛立ってしまう。

 それをぶつけないよう溜息に全部込めて吐き出すと、

「……はぁっ」

 予想以上に大きな音になってしまった。


「っ!? ごめんなさい……」

 結果的に子供は怯える。

 

 また、やってしまったと……俺は頭をかく。

 このまま泣かれないかと心配が過ぎり、腰を下ろして高さを合わせてみると、意外にも子供は笑顔を見せてくれた。

 

 左右非対称の歪な笑みだったが、

「で、あんたはなにしてんだ?」

 俺の都合で進める。


「……」 

 子供相手にあんたはどうかと思うも、他に思い浮かばなかったので仕方ない。


「えっと、おかあさんに言われて待ってます」

「その、おかあさんは何処にいるんだ?」

「あたたかい飲み物を買ってくるって、いきました」

「へ~……」

 

 見た限り、嘘を付いている様子はない。

 だとすれば、気になるのは一緒に行かないで、ここに子供を待たせたということ。

 つまりはここが目的地。

 となると、ただのお客さんじゃないだろう。


「どのくらい待っているんだ?」


「えっと……おかあさんと一緒に三〇分くらい……一人で……一〇分っ!」

 子供はピンクの腕時計としばらく睨めっこしてから、教えてくれた。


「まじかよ……」

 

 どおりで手が赤いはずだ。

 この寒空の中、三〇分以上じっとしていたのか。


「まぁ、いいか」

 

 俺は立ち上がり、ポケットから携帯を取り出そうとして止めた。

 代わりに、握った鍵で扉を開ける。


「あれっ? さっきおやすみって……」

「お休みだよ。だから、金はいらない」

 

 子供は大きな目を何度も見開いて、

「う?」

 疑問符らしい声を零した。


「寒いだろ? 入れ」


「えと……えと……いい……んです、か?」

 子供は見た目に似合わない、丁寧な言葉と共に見上げてきた。


「どうせ、おかあさんもここに用があるんだろ?」 

 俺はぶっきらぼうに説明し、頭に手を置いた。

「風邪をひかれたらかなわない」

 そのまま乱暴に撫でると、予想以上に冷たい感触。


「わわわっ」

 

 子供は言葉だけで驚いていた。

 幼いくせして、瞳は俺の真意を確かめようとしているようで、生意気。

 

 けど、その〝歪さ〟は嫌いじゃない。


「ちなみに、ロリコンさんじゃないですよね?」

 幼い声には似合わない単語。


 そもそも、さん付けかよとツッコミが浮かんでくるも、相手は子供――

「ちげーよ。ってか、妙な言葉知ってんな」

 声音は気をつけたものの、選んだ台詞は適切とはいえないだろう。

 

 それでも子供は嬉しそうに顔を綻ばせ、

「おかあさんに教えてもらいました」

 褒められたと勘違いしたのか、訊いてもいないことまで喋りはじめた。

「男の人は、そういうのが多いから気をつけなさいって」


「あっそ……」

 

 俺は軽くあしらい、店内に入る。

 後ろから、とことこっと子供がついてくる。

 俺はカウンターの電気だけつけて、暖房を入れ、お湯を沸かし始める。


「紅茶は飲めるか?」

「みるくてぃー?」

「了解」

 

 俺は手早く紅茶の準備に取り掛かる。

 ポットに水を入れて、電子レンジにかける。冷蔵庫から牛乳と残っていたケーキを取り出す。


「わー、すごい!」

 

 丁度、子供の目の高さ。

 冷蔵庫の中身にはしゃぎだした。


「うちは少ないほうだぞ?」

「そうなの? わぁー、これで少ないんだぁ!」

 

 素直に聞き、驚いたり、表情をころころ変える仕草に自然と俺の頬も緩んでくる。


「座って待ってな」

 

 俺はカウンターの向こう――椅子を指さして、気づく。

 この子一人で、座れる高さじゃなかった。

 仕方ない。俺は子供の脇に手をやって持ち上げる。


「わっ!」

 

 あまりの軽さに、予想以上に高く上がった。

 これなら、カウンター越しでも運べると俺は腕を伸ばして、椅子に着地させる。


「落ちるなよ……って、そいや名前はなんてんだ?」

 

 今更な質問だが大事だ。

 あんたよりは、まともな呼び方ができるようになる。


「え~と、はつなです。しのみやはつな」

 

 子供は名乗ると、フードを外した。

 予想以上に長い髪。子供とはいえ女だな。


「はつな……ね」

 

 背は俺の腰にすら届いていない幼児。

 とはいえ、受け答えを聞く限り小学校には上がっていそうだ。幼児にしては大人しいし、しっかりと喋れている。


「おかあさんは、つなって呼びます」

「つな……ねぇ」

 

 俺の微妙な相槌を名前に対する不満と思ったのか、つなは「うー」と呻っていた。


「かわいくないですか?」

「いや、いいんじゃない」

 

 お世辞でもなんでもない。

 けど、俺の口から可愛いという単語はありえなかったので、そんな風に褒めるしかなかった。


「おにーさんは?」

 

 当然の返しにどうしようかと悩んでいると、ふつふつとお湯が沸く音が聞こえてきた。

 保留だな。

 俺は不慣れな笑顔を作り、電子レンジからポットを取り出し、湯を捨てる。そこに茶葉を入れ、湧いたお湯を注ぐ。


「それで、おにーさんは?」

 俺の手が止まると、はつなは同じ質問をしてきた。

 

 しかし、俺は自分の名前が嫌いだった。

 古風で今時あり得ない。

 しかも、融通の効かない先生のせいで、小さい頃は『クンクン』というふざけたあだ名を付けられる始末。

 

 だから言いたくなくて、

「おにーさんだ」

 逃げの一手。


「……そういう趣味?」

 

 そんな俺に非難の声ではなくて、意味不明な問い掛け。


「あん? どういう意味だ?」

「男の人はおにいちゃんって呼ばれたい人も多いっておかあさんが……」

「ちげーよ。そもそも、俺はおにいちゃんって呼べって言ってねぇだろ?」

 

 馬鹿みたいに、いつも通りの酷い口調。


「ごめんなさい……」

 

 はつなの表情がわかりやすく恐怖に染まり、俯く。

 子供相手に、俺はなにをやっているんだ? 

 自問するも、答えは出てこない。

 結局、蒸らす時間を全て沈黙に使ってしまった。


「ほらよ」

 

 気まずさがでないよう、俺は優しい声音で置く。

 元々、悪気はないんだ。

 口に出さずに思うだけの、自己満足と自己弁護。


「わぁー」

 

 店と同じケーキセット。

 紅茶の甘さは割増しだが、はつなは目を輝かせていた。さっきの件を引きずっていないようで安心する。


「えっと、食べていい?」

 

 それとは裏腹な遠慮の言葉に、俺はつい吹き出してしまった。


「あぁ、構わないぞ」

「いただきます」

 

 はつなは笑いだした俺を不思議そうに見上げていたが、長くは続かない。

 甘い香りに導かれ、目の前のケーキに口を付け始めた。


 俺はその様子に満足して、外に出る。

 あの子の言っていたことが確かなら、そろそろ母親が戻ってくる頃合だろう。


「ふぅ……」

 

 息を吐き出す。白い煙の行方を見届ける。

 そういえば、久しぶりに家族以外と喋ったなと気付く。

 だから、なんだって話なんだけど。


 あまりの寒さに戻ろうと扉に手をかけると、


「秋葉先生?」


 呼び止められた。

 聞き慣れてはいるものの、俺自身にはかけられる機会のない呼称。


「あん?」

 

 振り返ると女性がいた。

 明らかに俺よりも年上。


 短髪とズボンが似合う女性もいるんだなと思っていると、

「あ……」

 手には二つの缶。 

 

 しかし、その前にもう一つの心当たりを訊ねる。


「もしかして、父さんの知り合いですか?」

 

 俺の質問に女性は納得したのか、

「そうか……」

 と指さして言った。


「きみが、しーくんか」

 

 その呼び名にムッとしてしまう。

 けど、そのお陰で父さんだけでなく、母さんとも顔見知りだと確信する。


「母とも、知り合いのようですね」

「えぇ、高校の後輩」

「ぁー……、とりあえず入りますか? 娘さんもいますし」

 

 さすがに、母親の後輩に滅多な口は叩けない。

 つまり、満足な会話が俺にはできない。


「あら? 見当たらないと思ったらそうなんだ」

「不用心っすね」

「そうね……」

 

 口を吐いた軽口に、やたら重たい言葉が返ってきた。

 しまったと思うも、弁解する能力は俺にはない。


「……どうぞ」

 

 気付かなかったふりをして、扉を開ける。

 ドアの開く音、入り込んできた寒気のせいか、はつなはすぐに気付いて、口につけていたカップを置いた。


「あ、おかあさん」

「やっほー、つな」

 

 随分気さくな母親のようだ。

 と思っていたら、

「隣、いい?」

 わざわざ確認して座った。

 

 ポットにはまだ紅茶が残っていたので、差し出す。


「砂糖入ってますけど、よければどうぞ」

「あら、ありがとう」

「それでお名前は?」

「四宮和佳子よ」

 

 和佳子さんは座り、紅茶をすする。


「さすが先輩の息子さんね」

「はぃ?」

「同じ味がする」

 

 ぶっちゃけ、甘過ぎると父さんや妹からは不満の出る味。

 母さんから教わったというか、さずかった甘党というべきか……。

 ただ、和佳子さんは微笑んでいる。視線は既に俺を捉えておらず、遠い。思い出に浸っているみたいだったので、そっとしておく。

 

 その間に距離を取って、携帯で家に連絡。


「ぁ、母さん?」

『しーくん? 遅いじゃない。どうしたの?』

「今店にいんだけど……、母さんの後輩って人が来ている」

『後輩?』

「四宮和佳子さんって人」

 

 それを告げた母親の慌てようは、尋常ではなかった。

 なんせ、二の句も言えずに電話が切られた。

 そして、ものの一〇分でここまできて……、


「和佳子!」


 いきなり怒鳴り声。


「すいません! 先輩!」

 

 目の前で見慣れぬ、体育会系的な構図ができ上がった。

 俺とはつなは口をあんぐりとあけて、その光景を眺めていた。

 それが中学三年の冬――俺と初名の出会いだった。

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