第2話「若かりし俺達」

 懐かしの先生方に挨拶を済ませると、千賀せが先生に連れられて、3年生の学年団の先生のミーティングに参加することになった。


「よろしくね久賀くが先生」


 一番に声を掛けてくれたのは、国語科の紀田きだ先生だった。四十代後半のベテラン先生でありながら、生徒の事をよく理解してるお母さんの様な先生だ。ただ、授業の進みが遅くて、俺はよくノートの隅っこに落書きをしていたのを覚えている。


「よろしくお願いします」


 一礼をし、挨拶をする。やはり、紀田先生も俺の事を覚えていないようだ。


 朝のミーティングは、学年主任である松井先生中心で進められた。1日の確認や、委員会や職員同士の連絡事項などがやり取りされる。実習初日の今日は、特に連絡する事が無かった為か、松井先生は他の先生方にこう連絡していた。


「あ、今日から実習生の久賀先生が来てます。久賀先生が授業を見学しに来た際は、久賀先生に自己紹介をさせてあげてください。その方が、子どもたちも早く覚えられると思うので」


 そう連絡すると、朝のミーティングは終了した。


 ここであの疑念が浮かぶ。今、目の前にいる先生方は当時と全く変わらない、言ってしまえば7年前の先生方である。そこは認めよう。なら、生徒はどうなる。もし、生徒も7年前の生徒達なら、俺の同級生が中学生としてここにいることになる。だがここには1つ大きな矛盾が生じる。それは、7年前の「俺」はどうなるのかという事だ。


 一般的に、タイムスリップで過去に戻った時、過去に戻った本人は過去の自分に遭遇する事が禁忌タブーとされている。何故なら、同じ時間軸に同一人物が二人も存在していることになるからだ。只、某国民的アニメではやたらめったら過去に行き、過去の自分と遭遇するなどしているが、あれはアニメの話である。


 では、俺の場合はどうなるのか。先生と同じく、生徒も当時のままなのか。そして「俺」は存在するのか。俺はこの時初めて、この実習が楽しくなってきた。


「そうだ、久賀先生。これからクラスで朝の会なんだけど、その前に久賀先生は校長先生に挨拶をしてきなよ。まだ会ってないでしょ?」


 千賀先生に言われて気が付いたが、そういえば、実習において誰よりも先に挨拶をしなければならない校長先生に挨拶をしていなかった。


「簡単でいいと思うから、校長室行って挨拶してきな。場所は分かるんでしょ?」


「はい。大丈夫です」


 そう告げると、俺は職員室を出て、すぐ隣りの校長室の扉をノックした。すると、中からか細い返事が聞こえるのを確認すると、ゆっくりとうち開きの扉を開ける。するとそこには予想通り、当時の校長である夏目校長がいた。


 俺はそれまで、本当にタイムスリップしているのか、半信半疑だった。しかし、夏目校長を見た瞬間に、ここが本当に7年前の新西中で、俺がタイムスリップしているのだと認めた。何故なら、夏目校長は俺が新西中の3年生だった年が教員最後の年で、俺達の卒業と共に定年退職をしたからだ。そうなれば、7年経った現在において、夏目校長が先生をやっているとは考えられない。再任用なども考えられなくないが、当時夏目校長は心臓に病気があるとかで、退職したら妻と一緒に静かに過ごすと言っていたのを未だに覚えている。


 つまり、俺が今いるここは、7年前俺が通っていた当時の新本西中学校ということになる。


「失礼します。今日から3週間、新本西中学校でお世話になります、久賀雄介です。よろしくお願いします」


 他とは異なり、カーペットが敷かれた校長室に一歩入り、深々とお辞儀をする。


「ああ、君が久賀くんだね。うん、その様子なら大丈夫そうだね。私が新西中の校長の夏目です。こちらこそ、3週間よろしくお願いします」


 その柔らかい口調が、当時の記憶を呼び起こす。全校集会で夏目校長が話を始める度に、眠りに落ちる生徒が続出するという、そんな事をふと思い出した。


「私も何十年も前に実習に行ったけどね、今でも良く覚えてるよ。それくらい、印象に残る事なんだよね。そうそう、あの時はまだ二十はたちだったから───」


 そして、もう一つ重要な事を思い出した。夏目校長は、一度話し始めるとなかなか話が途切れないのだ。だから全校集会で寝る生徒が続出していたのだ。優しい声色に、長い話。中学生の時に子守唄同然だったのだ、今では催眠術に等しい。


 千賀先生はこう言っていた。「簡単でいいから──挨拶してきな」と。それはつまり、話すと長くなるから、簡単に済ませて戻ってきな、という意味だったのだ。夏目校長の性格をすっかり忘れていたのが、痛恨のミスだった。


 そんな事を考えている最中も、夏目校長は長々と自分の教育実習について喋り続けている。俺はさり気なく、左手の腕時計で時刻を確認する。時刻は8時になろうとしていた。そろそろ朝の会が始まる時間である。しかし、俺が聞いていなくてもお構いなく喋り続けている夏目校長。俺は、堪らずその話を遮る様にわざと腕時計で時間を確認し、校長の注意を引き付けると、チャンスとばかりに逃げ出した。


「すいません!もうすぐ朝の会が始まるので、失礼します!」



 **********



 二階のフロアの一番東の教室が、俺が担当することになった3年2組だ。俺は急いで教室の前まで行くと、丁度千賀先生が手招きをしていたので前のドアから教室に入った。


 すると、そこには当時と全く同じ光景が広がっていた。そして、俺の予想通り、生徒も7年前のままだったのだ。


 あいつも、あいつも、本当なら同い年の同級生達がワイシャツがさまになっている中学生として、俺の前で椅子に座っている。その中、教室の真ん中に“そいつ”はいた。“そいつ”とは、中学生の「俺」だ。嫌というほど見てきた顔が、俺の目の前に別の個体として存在している。しかも、中学生だった頃の姿形をしているのだ。気味が悪くて仕方が無い。


「えーっと、先週も言ったように今日から教育実習生がうちのクラスに来ます。では、久賀先生、自己紹介お願いします」


 そう言われ教壇に立つと、クラスの一人ひとりの顔が見渡せた。そして、興味津々という目で見つめてくる。その無邪気な視線が恥ずかしくも思えたが、ここは先生らしくビシッと挨拶をしようと思った時、窓側の一番後ろの席に座る子を見つけた瞬間に、言葉を失った。



「久賀先生?自己紹介、お願いします」


 俺の様子がおかしい事に気が付いたのか、千賀先生が声を掛けてくれた。


「あ・・・、大丈夫です。はい、今日から3週間このクラスでお世話になります、久賀雄介です。皆さんと仲良くなりたいと思っているので、是非声を掛けてください!3週間よろしくお願いします!」


 にっこり笑って一礼する。表面では好青年を演じているものの、内側では激しい動揺が思考を混乱させていた。


 俺が見つけた生徒とは、篠崎俊也しのざきしゅんやという子で、当時クラスで“空気”扱いされていた子だった。そして、そのいじめが原因で自殺をした子なのだ。


 二度と会えないと思っていた同級生と、この様な形で再開することになり、言葉では上手く表せられない、ぐちゃぐちゃした感情が心に渦巻いていた。そして、あの日の後悔が酷く心を締め付ける。


「久賀先生には、このクラスの数学を担当してもらう事もあるので、その時はみんなよろしくね」


 千賀先生がそう言うと、クラスのみんなは元気に返事をした。教育実習生という、先生とも先輩とも違う、特殊な人間が面白いのだろう。篠崎くんを除いて、みんなが楽しそうに俺を見ている。勿論、過去の俺も俺の事を見ている。


 つまり、ここでは過去の俺と現在の俺自身は、完全に別の人間として扱われる様だ。俺が自己紹介をした時に、クラスのみんなが同じ名前であることに反応しなかったことから、同一の名前が存在している事に不思議に思わない様になっているのだろう。実に不思議な感覚だ。そして、過去に戻ったことにより、篠崎くんが存在している。


 そこで俺はある事に気がついた。それは、俺がこの教育実習の3週間で過去を変えることが出来たら、篠崎くんは死なずに済むのではないかという事だ。これからこのクラスで起きる事を全て知っている俺が過去に介入する事で、7年前に俺達が辿った人生ルートを変えることが出来るのではないか。そうすれば、篠崎くんは死ななくて済むし、俺は今とは違った人生が送れるのではないか。


 そして、俺はこの時やっと俺がここに来た意味を知った気がした。そう、俺は過去を変えるために7年前の新西中に来たのだ。誰がどういう理屈でそうさせているのかは知らないが、詰まるところはそういう事だろう。


「では、久賀先生も生徒の名前を早く覚えられるように頑張ってくださいね」


 千賀先生にそう言われたが、その心配は必要ない。何故なら、このクラスの生徒の名前なら7年前から知っている。好きな物や、好きな人、苦手なものから癖まで、当時の日々を思い出せれば、俺はもう一度あの日の青春をあの日のみんなと、あの日の自分と共に過ごす事が出来る。そして、あの時は出来なかったことを、当時の自分にさせることだって出来る。




 これは、俺の人生をやり直せるチャンスだ。3週間と限られた期間だが、俺は俺の過去を自由に変えることが出来る。


「それじゃ朝の会を終わりにします。号令を、日直さんお願いします」


 千賀先生に言われて、真ん中の列の二番目に座っていた浩哉と中野さんが目を合わせた。今では連絡も取っていない二人が中学生の姿をしている。何故か、とても可愛らしく思えた。


 そして、浩哉が中野さんに小さく「あんたがやりなさいよ」と、言われていたのを俺は聞き逃さなかった。


「起立、気を付け、礼」


「ありがとうございました」




 中学3年生のままのみんなと、21歳になった俺との、再びの6月5日が始まる。

 

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