あの日の青春をあの日の自分と共に

さち

第1話「懐かしの学舎」

「──それでは、忘れずに実習先の学校に事前連絡を取って下さい──」


 長かった事前ガイダンスが終わり、スーツの人達が縮まった体を伸ばしながら教室を後にしていく。そんな中、俺はゆっくりと配布された書類を鞄に仕舞っていた。


「しっかし、こんな俺らも半月後には先生って呼ばれるんだな。どうだ?久賀くがはやれそうか?」


 最後の書類を仕舞い、鞄を手に立ち上がったところで同じ専修の森谷もりやに声を掛けられた。


「やれるも何も、やるしかないだろ。これが終わんなきゃ単位貰えないし、最悪卒業できないんだぜ?ったく、就活も終わってねぇのによ」


 つい本音を零す。とは言っても、先程俺よりも先に教室を出て行ったスーツの集団の大半が同じ事を考えているだろう。勿論、全員ではないはずだ。




 俺の名前は久賀雄介くがゆうすけ。中堅私立大学─城北大学じょうほくだいがく─の理学部の四年生だ。モラトリアム最後の年に、大学始まって以来のビッグイベントが訪れた。それが、3週間後に始まる「教育実習」だ。


 理学部でありながら、「教員免許があった方が将来何かと便利だから」と親に散々言われ続けた俺は、渋々教職の単位を取り、4年間真面目に授業に出た結果、遂に教育実習という最終課題に直面したのである。


 周りの友人がリクルートスーツに身を包みながら面接に向かっている中、俺は未だに学校という教育の場に従事している。


「でも、久賀はいいよな。お前の実習先母校だろ?俺なんか何も知らない学校だぜ?心配で死にそうだわ」


「そんなんで死ぬ様な奴じゃねぇだろお前は」


「まぁな」


 同じ理学部数学科から教育実習に行くのは、この森谷という友人一人だけである。


 そもそも、教育学部でもない人間が教職を取るのはかなり大変で、人の2倍とも思える授業を取り、その単位を確実に習得しないと教育実習には行けないのだ。スーツを来て尚チャラさを隠せない森谷の様な男でも、それなりに努力をしてきたということなのだ。


「まぁ、とりあえずお互い頑張ろうぜ」


「そうだな、死なない程度にな」


 地方から来た森谷と違い、通い慣れた母校に実習に行けるのは恵まれたことなのかもしれない。青春を謳歌したあの校舎で、今度は教師という立場で通う事になるのだ。楽しい思い出もあれば、忘れる事もできない辛い思い出もあった。只、それも最早昔の思い出話である。と、この時の俺は、そう考えていた。



 **********



 理学部棟を出て直ぐのベンチに座ると、ガイダンスで配布された書類を鞄から取り出し、何をすればいいのかを確認する。とは言うのは、ガイダンスではろくに話を聞いていなかったのだ。当たり前の様な話を何度もされ、最初の10分で聞くのを辞めた。ただ、事前連絡をする様に言われていたのは覚えている。


 数枚の書類を取り出し、1枚1枚目を通していく。すると、右上に「久賀雄介さん用」と書かれたA4片面刷りの書類が出てきた。


「俺用?」


 不思議に思い読んでみると、そこには俺の都合のいい事ばかり書かれていた。


【先の教育実習について、実習校から久賀さん宛てに連絡事項が来ましたので、連絡します。


 ・事前連絡はとる必要はなく、実習開始日に時間通り出勤してください。


 ・実習期間は、6月5日(月) からの3週間です。


 ・勤務時間は7:30〜16:30となっています。出勤する際は時間に余裕を持って出勤してください。


 ・自転車は職員指定の駐輪場に停めてください。


 ・担当学年は3年生です。


 ・教科書はこちらで用意します。】


 との事だった。他にも細かい連絡事項が書かれていたが、読めば読む程俺を歓迎しているのかと思れる程、高待遇がなされると記されている。


「やっぱ、母校って歓迎ムードで実習できるんだな」


 事前連絡の必要も無いことが分かり、実習への懸念が無くなり、一気に身体が楽になるのが分かった。


 しかし、書類の最後に気になる文章が書かれているのに気が付いた。


【この実習が、久賀さんの人生に大きな影響を与える事になる事を望んでいます。】


 実に不思議な一文である。俺は、教員になるつもりはない。もし、この文章が「今回の実習が、久賀さんに教員になる意欲を与えてくれるものになる事を望んでいます」という意味なら、残念だがそうはならないだろう。


 只、その意味でないとしたなら一体どんな意味を持つのだろうか。その意味が分からないまま、あっという間に実習開始日になってしまった。



 **********



 7年前は学ランで通った通学路を、スーツに自転車という新鮮な格好で駆け抜ける。学校の横を流れる川も、校門の横の垣根も当時のままである。


「懐かしいな」


 所々錆びて塗装が剥げた白い校門を通り、生徒用の駐輪場を素通りし、教員用の駐輪場に自転車を停める。学生時代に、自転車で来ていた教員がいたので、場所は当時から知っている。


 テニスコートの横を通り、職員玄関から校舎に入る。週の始まりだからなのか、校舎内はやけに静かだ。思い返せば、ここに来るまで1人として生徒とすれ違わなかった。始業までは1時間程時間がある。生徒が登校していないのも不思議ではない。


「まだ7時か、早く来すぎたかな」


 書類には、時間に余裕を持てと書いてあったのだから問題はないだろう。そう思いながらも、静けさが気味悪い。




【実習初日、学校に着きましたら応接室に来てください。】


 書類に書かれている通りに、応接室の扉の前まで来た。曇りガラスの扉の為、中の様子は伺えない。耳を近付けても中からは物音一つ聞こえない。


「いいんだよな・・・?間違ってないよな・・・ 」


 俺の記憶が確かなら、ここが応接室で、応接室はここだけのはずだ。この7年で増設されている可能性もあるが、わざわざ応接室を増やすとは考えにくい。


 暫く考えた後、ノックして扉を開けようと覚悟を決めると、右手の拳を扉に近付けたその瞬間、外開きの扉が開いた。突然の事で避けることも出来ず、扉が手の甲を叩いた。


 すると、応接室の中から人が現れた。


「大丈夫ですか?!そろそろ来てると思って開けたんですが、まさかそこにいるとは」


 赤く腫れた甲を擦りながら目を向けると、そこに立っていたのは有名メーカーのジャージを着こなした、50代の男性教員で、当時の学年主任であった松井先生だった。


 まさか、当時の先生に再会できると思っていなかった俺は、思わず声を上げてはしゃいでしまった。


「松井先生!まだこの学校にいたんですね!」


 手の痛みなどすっかり忘れ、懐かしの先生との再会に心浮かれていると、松井先生からは思いもよらない言葉が返ってきた。


「あれ?何処かでお会いしましたか?城北大学からの実習生ですよね?」


 その言葉はあまりにも冷たく、本当に知らない人に向けられる視線と声色が俺に向けられた。


 確かに、担任の先生と違い、学年主任だった松井先生とは、技術の授業や学年集会でしか顔を合わせていない。俺の様な生徒を覚えている方がおかしいのか。そう考えようとも、心の奥の寂しさは消すことができない。


「すいません、人違いでした。えっと──今日から3週間実習でお世話になります、城北大学理学部4年の久賀雄介です。よろしくお願いします」


 気持ちを切り替えて、予め考えていた自己紹介を淡々と述べる。自分のことを知っていてもおかしくない人に改めて自己紹介をするというのは、なかなか哀しい気持ちになる。


「あ、やっぱそうだよね。今回実習生は久賀先生しかいないから、そうだと思ったんだよね。あ、俺も自己紹介しなきゃか!」


 話の出だしに、「あ」と喋る癖も当時のままだ。7年という月日が俺という存在の記憶を薄れさせてしまったのかもしれない。そう考える様にした。


「あー、3年生の学年主任兼、今回の実習全般を担当します実習担当の松井です。よろしくお願いします。あ、立ち話もあれだから、座って話そうか」


 見た目も、喋り方も、仕草も変わらない。やはり、目の前にいる人は紛れもない松井先生だ。只、それにしても、当時の記憶から何一つ変わっていないようにも思えて仕方ない。


「早速ですが、久賀先生には──今日から3週間でしたっけ?本校で今日実習という事で、先生という立場で勤務をしてもらいます。あ、ここでは久賀先生は、他の先生からも「先生」と呼ばれますし、生徒からも「先生」と呼ばれますからね。先生という自覚を持って生活してくださいね。それで、注意事項なのですが──」


 応接室と言うだけあって、ちょっと豪華な椅子に腰掛け、実習の注意事項を述べられた。それは決して難しいものではなく、社会人なら出来て当然という、当たり前の事が求められた。


 そして、話の最後にはこう言われた。


「あ、最後に。生徒とはどんどん関わっていってください。生徒から久賀先生が学ぶ事も沢山ありますから」


 そう言って微笑む表情も、何も変わっていない。


「是非、ここ新西中学生との関わりを大切にしてください」


 本当に教師をやるんだなと、松井先生の言葉で初めて体感した。


「では、久賀先生の担当教員を紹介しますね。ちょっと待ってて下さい、今職員室から呼んできますから」


 そう言って松井先生は応接室を出て行ってしまった。職員室に呼びに行くと言っていたが、俺がさっき職員の前を通った時は誰もいないように見えたのだが、それは見間違いだったのだろうか。


 暫くして、ノックと共に松井先生が戻ってきた。その松井先生の後ろから応接室に入ってきたのは、忘れもしない、3年の時の担任であった千賀せが先生だ。


「千賀先生!!」


 俺は思わず、椅子から立ち上がり千賀先生に駆け寄った。しかし、そんな俺とは対照的に千賀先生は困惑した様子で俺を見ている。


「えっ・・・と・・・、何処かで会いました・・・?」


 さっきの松井先生と同じ反応を示す。


「え?先生、俺ですよ!7年前!先生のクラスだった久賀です!久賀雄介ですよ!」


 胸騒ぎがする。それもそうだ、当時の担任にまで忘れられているのだから。もしかしたら、俺が劇的に変わって、当時の面影がないのかもしれない。しかし、そうだつたら良かった。千賀先生の動揺ぶりから見るに、本当に俺の事を覚えていないようだ。


 それまで何かを考えていた様子の千賀先生

 だったが、思いもよらない言葉を口にした。


「7年前?それはないよ。俺が教員になったのが5年前だから、7年前に担任を持ってるなんて有り得ないよ」


 千賀先生のその一言で、俺は訳が分からなくなった。


 俺は確かに7年前、千賀先生が担任の3年2組の生徒だった。それなのに、千賀先生は7年前は俺の担任でなかったという以前に、教員でなかったというのだ。これでは、俺と千賀先生の時間軸が合わない。


 俺はまさかと思い、応接室に手掛かりがないかと部屋中を探し始めた。突如部屋中を動き回り、怪しげに探索する俺の姿を松井先生と千賀先生は、不気味そうに眺めていた。


 そして、俺はさっきまで自分が座っていた椅子の裏の壁に、学校だよりが掲示されているのを発見した。そして、それを注意深く見ると、驚く事が書かれていた。


「すいません・・・、あの・・・、この学校通信って、最新のやつ・・・ですか?」


 疑いたくもなる事実に、堪らず先生方に尋ねる。すると、松井先生から返ってきた答えに全身の鳥肌が立った。


「そうだよ?最新とは言っても、先月号だけどね」


 【学校だより5月号】


 A3用紙を横向きにした上部の中央に掲げられたタイトルの右隣、そこにはこのように書かれていた。


 【H22, 5/2発行】


 松井先生は、これが最新号だと言っていた。だとすると、このことからいくつかの可能性が考えられる。


 一つは、これが夢であること。


 もう一つは、俺以外が全員仕掛け人のドッキリか。


 そして最後は、俺が7年前の新本西中学校にタイムスリップしているということ。


 この3つが考えられる。一番有力なのが、一つ目であるが、応接室に入る時手の甲をぶつけ痛みを感じた。つまり、これは夢ではないらしい。


 では、二つ目はどうだろうか。俺を驚かせる為に、昔の先生二人がわざわざ集まってくれたのかもしれない。だとしたら、何故学校だよりの発行年数が現在の年数と一致しないのだろうか。そこでわざわざ嘘をつく必要がない。それに、現職の教員が6月の月曜日に俺にサプライズをできる程暇とは考えにくい。


 そうなると、3つ目になるのだが、これが何かと話が噛み合う。7年という月日が流れたにも関わらず、松井先生も千賀先生も当時と全くといって変化がない。7年前の学校だよりと、7年前の教師達。もし、これが本当にタイムスリップだとしたなら、とんでもない矛盾が生じる。


「大丈夫ですか、久賀先生?」


 俺の様子が余程心配だったのか、堪らず新松井先生が声を掛けてくれた。俺はそれを大丈夫ですと、簡単に返すと、当時の記憶を頼りに千賀先生にある質問をしてみた。


「あの・・・、千賀先生。今回、千賀先生が自分の担当ということですけど、先生の担当学級もいうのは・・・3年2組ですか?」


 声の震えが分かられてしまわないか、不安になりながらも平静を装い言葉を口にする。


 すると、千賀先生は驚いた様子でこう言った。


「そうだよ。しかし凄いな、よく分かったね」


 分かるも何も、7年前千賀先生が担当していたクラスは3年2組で、俺はそこの生徒だったのだ。


 なのに、何故俺の事を覚えていない。


「では、千賀先生。久賀先生に連絡する事もあると思いますので、私はこれで失礼しますね。後はよろしくお願いします。あ、久賀先生、最初は緊張すると思うけど、生徒はその頑張りをちゃんと見てるから頑張れよ!」


 最後に俺に向かってガッツポーズを取ると、松井先生は応接室を出て行った。


「後は任せたって、別に特に言うこともないんだけどな。どう?大丈夫?緊張してる?さっき凄い慌ててたけど 」


「あ・・・、だ、大丈夫です・・・」


「まあ、そんな気張らなくて大丈夫だから。でもあれか、どこのクラスか分かってるなら、大丈夫そうだけどね。うちの学校一学年4クラスしかないから、確率的には4分の1で当たるけど、それでも凄いよな。まあ、俺から言う手間が省けたから良かったけどね」


 二十代の若さが感じられる、お兄さんの様な先生。そんな当時の千賀先生が目の前にいる。当時は先生と生徒という関係だった俺らが、今では先生と実習生と近い存在になれたはずなのに、当の先生はあの時の「先生」というのが少し寂しくも思う。



 **********



 千賀先生から1日の流れや、授業についてのことが一通り言われると、俺は千賀先生共に職員室に向かった。


「これから朝のミーティングがあるから、久賀先生はそこで他の先生に自己紹介しちゃおうか。そうだ、後で学校の案内もしないとね」


「あ、それは大丈夫です。自分、ここの卒業生なので 」


 応接室から職員室まで廊下を真っ直ぐに歩けば着く。途中、左手に中庭があるが、中庭という名前が付いているだけで、この学校の校舎が「ロ」の形をしている為できたスペースだ。そんな名前だけの中庭も相変わらず、雑草がポツポツと生えた寂しい空間になっている。7年前の学校に来ているとしたら、昔と変わらないも不思議ではないのかと、自分で気が付き少し笑えた。


「そっか、久賀先生は新西中の卒業生なのか。だったら、知ってる先生がいるかもしれないね。そうしたら、心強いよな」


 目の前にいます。


 何て言える訳もなく、適当に相槌を打つしかなかった。


「ここが職員室って、それくらい卒業生なら覚えてるか。まあ、入っちゃって」


 千賀先生の後に続いて入室すると、その光景に俺は言葉を失った。




 そこには、俺が新本西中学校3年生だった頃の先生方があの人を含め、全員いたのだ。


「すいませーん!今日から実習生が来ているので、ミーティング中かと思いますが、自己紹介宜しいでしょうか?」


 千賀先生の一言で、職員室中の先生が俺の方を向く。それでもやはり、俺を知っている様子の先生は見当たらない。


 俺は遂に覚悟を決めて、職員室に声を響かせるように自己紹介をした。


「城北大学理学部から来ました、久賀雄介です!今日から3週間よろしくお願いします!」  

 

 こうして、俺の母校での実習が始まった。

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