第1部 喜劇の始まり

第1章 生い立ち

 さて、私の喜劇を語る前に私の生い立ちについて語らねばなるまい。私の名は三田誠。名字の読みは「みた」ではなく「さんだ」である。余談だが大阪の方にそういった読みの地名があるのだが特に先祖代々その地名とは縁遠い家系で関係はないらしく、名字の由来はわからない。

 話を戻そう。私は海沿いの町に生まれた。海沿いといっても海岸があるわけでなく工場地帯の町であった。幼少のころから鉄道が好きで、多くの子供が喜ぶ戦隊モノアニメそっちのけで機関車のアニメばかり穴のあくほど見続け、玩具売り場に行けば毎回親にそのアニメのおもちゃをねだりぐずっていた覚えがある。小学校・中学校はともに地元の学校で、そこまで目立たず軽く不良にいたずらをされる程度の地味な少年であった。ただそのような不良の巣窟にどこか嫌気がさしていた反動か、それなりに勉強はしていた。そのためそれなりには学業の成績は良い方ではあった。最もそれは不良の巣窟の中で比較的良かった部類であっただけのことではあったが。

 そんな地元への不満も手伝ってか、高校は地元の町より内陸部にある県下でそれなりの実力のある高校に入学した。だが不良の巣窟から抜け出せたという安心感なども手伝い、ケータイゲームにはまり堕落した日々を過ごした。当然ながら学業の成績も振るわなくなる。因果応報である。とはいえ当時の私はそういったことを気にも留めずただだらだらと高校に通い、それなりに部活をこなし、ケータイゲームに興じ、ひたすらに堕落していた。将来に至っては大学には興味を示さず、いっそ根無し草になり全国を放浪していたいと漫然と思う程度であった。

 だが、そのような道も堕落も許されなくなる。高校3年になり、あまりの堕落ぶりにしびれを切らした親に塾に入れられた。また、介護士や作業療法士などの様々な道を勧められるものの、それら興味を向けることはなかった。むしろ拒んですらいた。今にして思うのは、そのような反朴が、私の心に

「世界を変えるものを創る」

という偽りの夢を騙らせるきっかけとなったのかもしれない。かくして自身にはそのような夢があると信じた私は、親の反対を押し切り工手学園大学機械工学科の指定校推薦を受験し合格した。


 そのことがこのような喜劇の始まりであると知るものは誰もいなかった。かくして喜劇はだれにもその存在を気づかれることなく幕が上がったのだった。

  

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