149 - 離宮にて

 約束の時間に遅れたのは、リュシアンと話していたせいではない。向かう途中で邪魔が入ったからだ。

救貧院に、馬車の用意はできていた。そして待ち兼ねた知らせを受け急ぎ向かったその道を、横転した荷馬車が塞いでいたのだ。

それらを退かし、なんとかそこに辿り着いた時既に、捕えるべき者達の姿はなかった。

否、自分達と偽って先に着いた者達が連れ去ってしまっていたのだ。

遅れて到着した彼の姿を見、酷く狼狽した司祭に訊けば、『カーティスはセヴェリ司教より別の任を受け、其方に当たる為自分が遣わされたのだ』と、その者達は言ったのだという。

 自分自身を責めていたレオニード司祭に落ち度があったわけでは勿論無い。

そもそも聖職者とは信じるのが仕事のようなものであるし、偽物が同じ様な衣装を身に纏っていれば、司祭が信じたのも無理はなかった。

 策戦が、どこからか漏れていた。問題点はそこであり、そして念のためにと道を塞いでいた荷馬車の傍に残した兵が、その答えを彼にもたらした。

「門を開け!」

騎馬のまま、彼は堅牢な門を守るように立つ門衛に命じた。

だが、彼の言葉が聞き入れられる様子はなく、それどころか門柱に詰めていた兵らまでがわらわらと姿を現し、威嚇するように次々と身構え行く手を塞ぐ。

「どなたの命による要請と知っての振る舞いか! ならばよい。押し通るまでだ!」

自分達が何者で、何のために来たのかは明らかであろうはずにも関わらず、抵抗の姿勢を見せる兵達に、彼は迷いなく剣を抜き放ち掲げた。




 仲間のことを言われ狼狽え伸し掛かられそうになったが、セフィは咄嗟に抵抗した。

不自由な両手と、一方の足でもって重い身体を押し返してその下からすり抜ける。

四人の安否状況が分からないのは気がかりだが、少なくとも彼らは自分程間抜けではないはずだとセフィは思っていた。

それに、すぐ傍の部屋に居るとは思えない。自分が抗ったことを、伝えに行く者は居ないはずだ。

彼らの姿が見えない今、言葉だけの脅しに屈する必要はない。

「まだ抗うか。生きのいいのは嫌いではないがな」

不意の抵抗に、思わず緩んだ手元から、鎖が零れ落ちたのを目の端に捉えながら這う様にして距離を取り、広すぎる寝台の縁に辿りつこうとした時、

「今は付き合ってやる時間はないのだ」

今度は足を引かれ、セフィは体勢を崩した。

あ、と思う間もなく直接両腕を掴まれ引き倒されて、仰向けの腿の辺りにずしりとしたものを感じた。

「!」

 腰から脇腹にかけてを明らかな意図を持って撫で回す分厚い掌の感触に肌が粟立つ。

反射的に身を捩ろうとするが、伸し掛かる肉付きの良い男の身体は重く、頭上で一纏めにされた腕は――抑え込んでいる執事と思しき男は細身に見えたが――強く寝台に縫い留められてびくともしない。

「私は、女性では、ありませんよ」

柔らかな胸の膨らみなどない、触れて甘やかな身体ではないと、あまりの嫌悪感に震えそうな声で、だが視線だけは逸らすまいとセフィは訴える。

「その様なこと、見れば分かるわ」

だが男は一瞬の瞠目の後ふんと鼻を鳴らし、さも愉快だと言わんばかりの顔で笑んだ。

「わしは美しいものが好きなのだ。美しきものを、跪かせ、従わせ、思うままに嬲るのが好きなのだ。抵抗を挫かれ、恥辱と絶望に打ち震える様が、心を裏切る肉体の快楽に惑い零す涙が、わしは見たいのだ」

寛げられた首元から、太く短い指の湿った掌が素肌に触れる。

「男としての矜持を、自尊心や誇りを踏みにじるのも一興。美しき身体を、気高きその心を、肉欲に溺れさせ屈服させる……あぁ、最高に興奮する瞬間だ」

悦に入った声で男は言い、

「っ……」

そのまさぐる様な手つきに、思わず漏れそうになった声をセフィは噛み締めた。

「ふふ、言うておろう、わしは優しい男だ。すぐに悦くしてやるからな……」

粘つく息がかかるほどの距離に男が迫る。

 力では敵いそうにない。それでも、怯え屈するわけではないのだとセフィは男を睨んだ。

だがその態度は、嗜虐趣味のある者を煽り悦ばせるだけで、

「その強情が、いつまでもつかのう……」

男は舌なめずりしながら華奢な身体を這わせていた手を下へと下ろして行き、そして行く手を阻む衣服の留め具に手を掛けた。




 門衛を蹴散らし、入口の大扉も難なく突破して彼は、足早にこの屋敷の主の居室へと向かった。

絢爛豪華という程ではないが、それでもこの好立地に一目見てそうと分かる贅を凝らした造りは流石王家の離宮。住まう主は現国王デリク4世の弟、ドゥエイン卿。

王位継承権者の一人として、本来なら様々な手続き段階を踏んで拝謁賜るべき相手ではあるのだが、今は非常の事態。司教の命を速やかに遂行することが何よりも優先されるべきだと彼は判断した。

それ以前にかの男は、政に関心を持たず日々酒色にふける毒にも薬にもならぬ、だがその悪趣味は彼にとって侮蔑の対象でしかない存在だった。

 そこで繰り広げられているであろう光景の、想像はついている。

国に危機をもたらす存在への憐れみなど持ち合わせていないし、その者がどのような仕打ちを受けようと、彼にとって心に留めることではなかった。

だが、可能な限り傷付けずに捕え連れてくるようにとの慈悲深い司教の言葉に応えられないことには遺憾というより、怒りにも似た憤りを感じた。

 主がそこに居ることを示す近衛達が彼らの姿を見つけ慌て身構えたのを、部下等に任せ彼は無言のまま扉を開け放った。

 遮光性の高いカーテンを引いた室内は仄暗く、灯された燭台の光と相俟って淫靡な雰囲気が漂っていた。

「なんじゃ、きさま!?」

寝台の上の、恰幅の良い男が素早く彼を向いて声を上げた。

 組み敷かれたままの目的の人物が、そしてそれを抑え込むドゥエンの忠実な執事が彼を見る。

三対の視線を感じながら、だが、その内の一つにどうしようもなく瞳を奪われた。

 少女かと見紛う可憐な美貌。戸惑い縋るような大粒の瞳、はだけた薄い胸元の肌は白く、大の男が二人掛かりで抑え込み狼藉を働こうとしている様は、目の当たりにするとやはり気分の良いものではない。

腹の底から嫌悪感が込み上げてくるのは、生理的なものだろう。

反射的に剣を抜き放ち打ち据えてやりたい衝動に駆られたのを抑え、思わず彼は顔を顰めた。

「おぉ、知っておるぞ。セヴェリの飼犬めが。どういうつもりじゃ。わしを誰と心得る」

だが男の口にした司教の名に、知らぬうちに頭に上った血がすっと冷めるのを感じ、

「えぇ、存じております。ドゥエイン王弟陛下」

平静を取り戻した声で彼は応えた。

「ならば突然の来訪に加えて、このような行為、無礼だとは思わんのか」

そう、本来ならば膝を折り跪いて礼を尽くすべき相手だ。

「私が仕えているのはこの国。貴方様ではございません」

だがそれをしたくないという臣下としてあるまじき感情を抱く自分を誤魔化す為に、尤もらしい言葉で濁す。

王家への忠誠を誓う彼だが、その中で唯一、この男だけは生理的心情的に受け入れられないでいた。普段ならそれでも、その感情を隠し接することが出来ていたのだが、何故かざわめく心に今はそれが酷く難しい。

「何がこの国か。お前の主はあの司教であろう。掃き溜めから拾い上げ、飼い慣らし手懐けて、懐に入れて可愛がれば、声を聞くだけで尾を振る忠犬の出来上がり。ほんによう躾けたものだ」

高圧的な声の男が、侮蔑を込めて言った。

「私のことをどのように思われようと構いませんが。――その者を、渡して下さいますか。貴方様とてこの国を、亡ぼしたいわけでは無いのでしょう」

執事が何か事を起こさないか、其方も油断なく睨みながら彼は1歩、2歩と寝台へと歩み寄る。

「この者を差し出したところで、国が救われると本気で思っておるのか? やつらがそれで引き下がるとでも? 全くめでたい頭をしておるの」

脅そうとしているのか、絆そうとしているのか。それともただ侮りたいだけなのか男の表情は判然としない。

「――それよりも、分かってらっしゃいますか。この者を捕え献上せよとは王命ですよ。それを蔑ろにして、どう申し開きをなさるおつもりか」

「ふん、ほんの少し早く生まれただけで、器でも無い癖に何が王か。そのようなことだから、お前の飼い主のような人間に付け込まれ、良い様に操られるのだ。全く我が兄ながら愚かしいことこの上ないわ」

ドゥエインの言葉に、カーティスの瞳に険しいものが過る。

「少し、お言葉が過ぎるのでは」

平静が僅かに崩れ険を含んだ彼の声に、男はニヤリと笑みを浮かべる。それは嘲笑と呼べる類のものだった。

「何が国の為だ。聖者など、居るものか。皆等しく欲にまみれたただの人間ではないか。自らが優位に立ち他者を跪かせ、思う様弄ってやりたいと思うのが雄の本能。人間とはそういうものであろう?」

「……御自身がそうだからと、全ての者がそうだと思われぬ方がよろしかろうと存じますが」

カーティスが冷やかに返せば、ドゥエインはだが動じる風なく持論語りを続ける。

「あぁ、そうだな。確かにおぬしの様に他者に追従し、命じられ管理されることに慣れ、その立場に甘んじている者も居るようだ。だがな、あの男はそうではない。わしと同じニオイがする。同類はな、分かるんだよ」

確信を込め断言するドゥエイン。その淡青の瞳は決して狂気一色に染まっている様には見えないにも関わらず、カーティスには男の言っている意味が分からなかった。

清廉にして高潔なるセヴェリ司教と、今目の前に居る醜悪な男が同じなどということが、あるわけがない。

「……」

 だがそれらは、今気に留めるべきことではないと、彼は剣を抜き男に向けた。

「これ以上詮無い問答は結構。その者をこちらへ」

彼が鋭く言うと、彼に真実その気がないことを知っているのだろう、男は笑み、だが思いの他容易くその者の上から身を引いた。

そして執事の男が手を放すと、青年は身を起こし安堵した瞳で彼を見る。

「あの――」

「礼など言わぬことだ。助けに来たわけではないのだからな」

その唇がそう動く前に、彼はぴしゃりと言い放った。

青年は驚いた様に瞳を数度瞬かせ、

「――ありがとうございます」

それからふわり、と表情を緩める。

自分の言ったことが聞こえていなかったのか、理解できていないのかと思わず眉間に皺を寄せた彼に

「それでも、今、貴方が窮地から救って下さったことに変わりはありませんから」

青年は綺麗に微笑んだ。

その瞳は淡い紫をしていて――思わず見入ってしまいそうになる程美しい。

――そうか。こうして悪魔は、人の心に入り込むのだな

「一緒に来てもらおう。抵抗はしない方がいい。仲間は我らの手の内にある」

一瞬胸を過った温かな何かを思考外へと追いやって彼は厳しく言い渡す。

「彼らは無事ですか」

青年は肌蹴た胸元を掻き合わせ寝台を下りると大人しく彼の傍まで来て問うた。

「今部下らに奪還に行かせている。傷付けぬようにとは言い聞かせてあるが保証はできん。我々の正義を妨げる行いをするのなら、力を持って御する他ないのでな」

応えたカーティスの言葉に、青年は祈るように手を組み、守るべきものを持つ毅然とした瞳で彼を見詰める。

「お願いします。彼らには、私が望んで貴方方に従うのだと伝えて下さい。どうか……無用な抵抗をしないようにと」

「……」

彼は思わずふいと視線を逸らした。あまりにも美しく澄んだその瞳に、全てを見透かされそうな気がして無意識がそれを逃れたがったのだ。

「――伝えるだけならば」

動揺を悟られまいと、更に顔を背け剣を収めると鎖を握り締める。

「それでは失礼致します。ドゥエイン様」

そして寝台の上胡坐をかきじっとりと自分達を見ていたドゥエインに形だけの礼をして、青年を伴いカーティスは部屋を後にした。




 ロルが、彼女の為に身を挺そうとしているのは明らかだった。

やめて、とアーシャは叫んだが、身が竦んで動けなかった。

何故この様なことになっているのか理解が追いつかないまま、目の前で狂瀾が繰り広げられようとしている。

アレスとリーが、痛みを伴う不毛な足掻きを繰り返している。

「え……?」

一体どうすれば、と思わず呟いた時、すぐ傍に人の気配を感じてアーシャは其方に目を遣った。

「な、に?」

潰れた蛙の様な顔の男が、這う様にしてにじり寄り少女の足首を掴んだ。

「や、ちょっと、何!? 触らないでよ!」

男はニタつきながら少女の膝の辺りに跨り押さえつけ、無防備な腿に触れる。

「やだっ!」

余りにもおぞましい感触に、鳥肌立てながらアーシャは身を捩った。

だが、思いの他男の力は強く、

「おいおい、モーリスよぉ、その娘にゃ手出しすんなってことになっただろ」

「さ、触るだけだ。触るだけ、それ以上はしない。それなら構わんだろう? な? な?」

気付いた他の男がおざなりに制するのに、興奮した様子で早口に言い、肉厚な手が忙しく這い回る。

「あぁ、そうか。確かに、それなら問題ないよなぁ」

「なんなら、ひん剥いてやってもいいんじゃないか?」

見るだけならいいだろうと男達が下卑た笑い声をあげる。

「……」

「約束が違うじゃないかとは、言わないのか」

無言のまま瞳を鋭くしたロルに、男の一人が居丈高に問うと、

「最初から何も約束なんてしてないから」

彼は静かな怒りを顕わにそう返した。

「本当に物分かりがいいな。――いいねぇ、そういう顔の方が燃えるぜ」

「やめろ!!」

男の手が、少女の胸元に延び、そしてもう一方の手がその細い顎を捕えて覗き込むのを目の当たりにした瞬間、少年の中で感情が沸騰した。

肩や腕の痛みなど吹き飛ぶ程のそれは、他のあらゆる感覚を凌駕する、強い怒り。

とにかく今、目の前で少女に襲い掛かる男をどうにかしてブッ飛ばしてやりたいと。

ただその思いだけでアレスは勢いよく身を乗り出した。

すると、バキンッ! という弾ける音と共にどこかが外れ、

「!!」

突如それまでの可動域を超えた少年の身体がまろぶように蛙顔の男に衝突する。

「なっ……!」

驚愕のあまり誰もが動きを止めた。

アレスはすぐさま身を起こし、そして隙が生じたと見るとすかさずロルが、目の前の男の股間を蹴り上げる。

「ぐぁっ!!」

「アレス、鍵!」

「あぁ!」

苦悶の表情と声と共に自分の上に倒れ込んで来る男を何とか避け、更に追い打ちをかけて昏倒させたロルが言うと、アレスはもう一人を殴り倒しながら答えた。

「ひぃっ!」

入口近くに居た残りの二人が情けない声を上げ慌て馬車を転がり出て行くのを横目に、倒した者達を探るが見つからず、

「くそ、どこだ!?」

アレスは舌打ちし、二人を追って馬車を飛び出した。

 そこは石造りの壮麗な屋敷の、恐らく裏庭の一角。

封じられていることなど、既に頭になかった。

逃げる二人に向かって、咄嗟に手を翳し――その手は枷で擦れ傷つき血に染まっている――短い詠唱。

男たちの行く手に、破裂音と共にごく小さく火花が弾け同時に一瞬、胸が詰まる様な鋭い痛みが走る。

 それは不発としか言いようの無いものだったが、驚いた男達は腰を抜かしたのかその場に尻餅をついた。

「鍵、寄越っ……!」

封じられた状態で無理に発動させた魔法は瞬時にして彼を酷く消耗させ、胸を抑えながらよろり、と足を踏み出した時、

「アレス後ろっ!!」

「危ないっ!」

「っ!!」

普段の彼ならば察知できていたであろう、背後から近づいていた新手が、アレスの首の後ろに容赦のない打撃を与えた。

「アレス!!」

少年の身体が力を失い大きく傾ぐ。

それを受け止めたのは、彼を打った――武装した屈強な兵士――正にその人物。

そしてぞろぞろと現れたのは、先ほどの者達とはやや異なる衣装を身に纏った兵士達だった。

「馬を繋げ! すぐに運び出すぞ!」

兵士らは、ぐったりと動かない青髪の少年を担ぎ上げ、三人の乗る馬車に放り込んだ。

「今度はなによ!?」

倒れた少年に駆け寄ろうとして叶わず、それでもどうにか近付こうと身を乗り出して少女は涙声を上げる。

「一緒にきてもらおう――もう一人の、お前たちの仲間は我らが手中に収めている。逃げようとなどせぬことだ」

兵士の一人が目庇の向こうの瞳で鋭く彼らを睨みつけながら籠った低い声で言い、再度少年の両腕の枷を鎖と繋ぐ。

「セフィが!? ちょ、待っ!」

最後まで口にする前に扉は容赦なく閉ざされ、そしてアレスは次に扉が開くまで意識を取り戻すことは無かった。

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