150 - 玉座の間

 王城の中でも最も高い一角、広く突き出した露台には草花や僅かな果樹がそよぎ、広い空と眼下に広がる街並みが、そこを空中庭園と呼ぶにふさわしい場所にしている。

 ほんの淡い光が降るそこに、淡緑の髪をした子供が二人、肩を並べて遠い山を、広いノルヌ平原を、そして箱庭の様な城下町を見下ろし、何かを囁き合ってはくすくすと楽しげな声を上げている。

「二人とも、健やかな様子ね」

美しく整えられた爪の細い指先でカップの縁をなぞりながら彼女はそう微笑んだ。

70の齢を超えても尚矍鑠とし、それどころかその気品と華やかさは損なわれることなく彼女を彩っている。

「えぇ、本当に。母君に似て聡明な御子達です」

眩しい瞳で子供達を見詰めたまま、彼は応えた。

「それに、父親の血筋を受けて美しい子供達だわ。本当に、妬ましいくらいいつまでも美しいんだから、貴方ときたら」

「そんな、私など――美しいのは貴方様です、王太后陛下」

わざとらしく棘を含ませて言えば、彼は硝子の向こうの深い紫紺の瞳を柔らかにする。

「こんなおばあさんを捕まえて、そんな風に言ってくれるのね。ありがとう、ラフク」

世辞や追従の類は聞きなれていても、普段他人にそういったことを言わない人物からの言葉は彼女を素直に喜ばせた。

微笑んでから、香りの良い紅茶を一口。カップを卓に戻してほんの少し沈黙した後、再び彼女は口を開いた。

「――やはり国主としての王に最もふさわしいのは、本当はあの娘だったのだと思うわ」

「……オーレリア様、ですか」

ラフクは、鐵色の髪を耳に掛け視線を落として応える。

「えぇ、そう。あの娘の他に長く子供が生まれなかったから、その様に躾けられたからというのもあるけれど、父親にも勝る器を持っていたのだと思うわ」

伴侶にと望んだ――愛した相手も申し分なかった、と彼女は付け加え彼を見詰め微笑んだ。

「……申し訳ございません」

「あら、何故貴方が謝るの?」

「それは……」

買い被っていると謙遜するつもりではないが、その思いに、応えることが出来なかったから、というのは自惚れが過ぎるだろうか。

「あなたがその様であるというのは、神がそのように定められたからよ。貴方のせいじゃないわ」

女は慈悲深く理解ある笑みで彼を見詰めた。

「神がそのように、ですか」

そして彼は曖昧な微笑みで返し、表情を隠すようについと指の腹で眼鏡を押し上げる。

 彼女の言い分は、教会の定める神の御心を最も好意的に解釈した場合の話だ。

全てがその様に在るべくして在るとするのならば、何故、罪なき幼子が殺されるのか。善良なる人々が搾取され、悪辣な者達がはびこるのか。虐げるものと虐げられるものが居るのか。

全ては神の御心のままにと言いながら、禁忌とされる存在や行為がある矛盾をどのように説明するのか。

この世には確かに、不条理や理不尽が溢れている。

 それを良く理解している彼が、その上で自分自身を忌まわしく思うのは教義として禁じられているからではなく、生物として許されざる存在であるという揺るぎようのない真理を知るからだ。

「仕方のないことだわ。それでもあの娘は、貴方に似た、あの娘を最も愛してくれる者と結ばれたのだもの。政略でなく、望み望まれ結ばれたのよ。幸せなことだったと思うわ」

そう、幸せだったと思うことで、彼女が自らの心を慰めようとしていることを、彼は知っていた。

彼の短い沈黙をどう受け取ったのか、彼女は続ける。

「それにね、女は王位を継げない。私が政に関わることが出来たのは、先王が病の床に在り政務を担えなかったからよ。代理だったから。その時に何か変えることが出来ていれば違ったのかもしれないけれど、何もできなかった。女に課せられた世継ぎを産むという役目は命の危険が伴うからと言われれば反論のしようが無いもの」

悔やむ様に苦く微笑む彼女に、静かに頷いて彼は先の言葉を待つ。

「神は男と女を対等の存在として作られたけれど、果たすべき役割は夫々に違うよう定められた。それは分かり切ったこと。それでも、あの子が女王として、人々の上に立つのを見てみたかったと、思ってしまうのよ。もう決して叶うことはないのだけれど――」

 クルール家に降嫁したオーレリア皇女は、出産の際に亡くなった。

もう10年も前のことだ。それでも彼女は、この国の行く末を案じるにつけて亡き孫娘を惜しむのだった。

「おかしいわよね。どちらにしても現国王の治世の後にしか、あり得ない、私が見られるはずも無かったことなのに。息子たちがあまりに不甲斐ないから、こんな風に思ってしまうのね、きっと。困ったものだわ」

そう言って頬に手を当て外を見遣る。子供達は変わらず城下街を見下ろしている様だ。

「――居を、移されはしないのですか」

少しの間を置いて、今度はラフクが声を発した。

女は視線を戻し首を傾げる。

「ここ以外に、どこに居ろと言うの?」

「国王陛下が、安全な場所を用意していると。……御母君の為に」

王都背後の山脈に穿たれた鉱山は長年に渡る採掘で広大な規模となり、そして今その採掘跡の空洞の一部は、ひとが居住できる様整備されている。

 奥深くに進むにつれて地上を恋しく思った坑夫らが、最初に掘り上げ築いたのは聖堂だった。

坑夫らの厚い信仰に創意と工夫が加わって壮麗に仕上げられたその空間を目にした時、最初視察を渋っていた国王は今度は王の為の居城を築くよう命じた。

 硬い岩盤からは魔物の嫌う鉱物を産出すると聞き、臆病な王は外敵の脅威から逃れるための場所を欲しがったのだ。

それが神鐵を含む鉱石の産出量を上げたい思惑と重なり――先の様な事態が起きた。

『人が足りぬなら、税を上げて払えぬ者に労役を課せば良い』そう発案し決定したのは他ならぬ国王だった。

 それらの経緯を思い出しラフクはそっと眉間に皺を寄せる。そんな彼の思いを知ってか知らずか

「嫌よ、あんな穴倉に籠るなんて。何より民がどこへも行き場が無いのに、自分達だけ逃れようなんて。貴方は私が、そんなことを望むと思って?」

彼女は少し機嫌を損ねた様な声と瞳でラフクを見た。

「いいえ。その様なことは決して望まれないのだろうと」

憤りを真っ直ぐに受け止めて返すラフクの真摯な瞳に、

「ふふ、私の身を案じてくれているのね」

彼女はすぐに頬を緩める。すると、

「お話中失礼致します。マリアベラ様。――動きが」

見計らったように扉傍に控えていた侍女が何やら報告を受け彼女に耳打ちをした。

「そう。思ったより遅かったわね。ありがとう、ネーナ」

怪訝そうな顔をした彼に、彼女は立ち上がりながら言う。

「襲撃の元凶となった悪魔が捕えられ連行されてきたそうよ」

「……!?」

そうと疑われる人物が実在したことに、それを捕えたということにラフクは驚きを隠せない。

先日セヴェリが言っていた司祭が何か知っていたということだろうか。

「どんな人物なのか、見てみたくて。貴方もご一緒に、如何?」

「いえ、私は――」

襲撃の元凶となった悪魔とはつまり、"黄昏と暁の瞳持つ者"のことだ。

 人々が異端、異形と呼び、神の思惑を外れた忌むべき存在であると言うその人物に――自身も許されざる存在であると知るラフクは同情の様な共感の念を抱いていた。

 会ってみたい気はする。だが、その場に集っているであろう者達の顔ぶれを思うと、ラフクは咄嗟に首を振った。すると彼女は

「大丈夫よ、こっそり覗き見るだけだから」

そう言って少女の様に悪戯っぽく笑った。




 城内でも恐らく眺望の良い場所に設けられているであろう玉座の間において、日暮れ前にも関わらず全ての窓に幕が張られているというのは異常ともいえる光景であった。

 灯された無数の灯により明るさに不足はない。だが、まるで陽の光を厭うかの様に窓は隠され、眼下に広がるはずの景色や外の様子を全く窺うことが出来ない様になっている。

 玉座に向かって、窓があるのは右手側。こちらは露台に出ることが出来る様になっており、扉も兼ねた大きな窓がある。左手側には、高い位置に光採りの窓と様々な紋章を描いた旗、壁面には巨大なタペストリーが幾枚も掛けられ、長く積み重なった歴史と伝統を物語っていた。

 鎧兜に身を包んだ近衛兵達が一切の隙も見せぬかのように多数配され、恐らく突然招集がかかったのだろう、何事かと訝る瞳で居並ぶお偉方の顔は皆厳めしい。

 馬車を下ろされた彼らは、まるで罪人の様に引っ立てられ、抵抗は愚か問いかけすら許されないままその場に跪かされていた。

『あの者は望んで我らに従うと言っている。お前たちも無用に抗わず、大人しくしていろ。……分かるだろう、それがあの者の望みだ』

そう言ったのは、金茶の髪に飴色の瞳をした長身の男。

他の者がカーティス士官と呼んだその男は、馬車の扉を開いてそれだけ言うとどこへともなく去って行った。

 レグアラを訪れていた王使に随行していた兵の中に、同じ名の者が居たことを彼らが思い出すのにいくらも掛からなかった。実際対面したわけでは無かったが、無表情ながら眼光鋭い男が――任務遂行の為には情け容赦しないようだとヘンルィクが言っていたその人物であろうと思い至るのは容易いことだったからだ。

 だが強要され、言わされているわけでは無い。

セフィが、彼らを傷つけまいとして――守ろうとして、そう言うことは根拠無くとも確信できたからだ。

『本当に、もし、どうしようもない事態になったら。その時は――』

自分のことなど見捨てろと、セフィは言っている。それが彼らには、やるせなくて堪らなかった。

助けを求められた方が――例えそれを成すことがとてつもなく困難であったとしても――どれほどよかっただろうか。

奪われてしまったという悔恨、状況を全く打開できない焦燥、そしてセフィが自身を惜しんでくれないことがどうしようもなく切なかった。

だが彼らは、本人が望もうが望まなかろうが、セフィを取り返すことを諦めてはいなかった。

突如強いられた理不尽に屈して、大切なものを手放すことなどできない。

 セフィがどこに居るのか、どのような状況なのかを、その言葉を伝えに来たあの男ならばきっと知っているのだろう。だが今、毛足の長い絨毯の上に跪く彼らに痛い程の視線を注ぐ官吏や兵の中にその姿は無く、最も心を占める懸念事項を問えそうにはない。

 背後には、それぞれに鎖を握る者と刃を突きつける者が立ち、彼らはただ、今座する者の居ない玉座をじっと睨みながら黙していた。

 しばらくして、手足が痺れを訴え出そうという頃、背後の扉が前触れなく開かれた。

否、扉傍に控えた兵士に対して何やら合図があった様だが、其方を向くことを許されていない彼らはそれに気付くことが出来なかった。

「セフィ!」

聖職者――恐らく司教であろう、男の後に入って来た姿を目にし、彼らは思わず声を上げた。

「!……」

捕らわれ跪く彼らの姿に気付いたセフィは、傷ついたような瞳で――隔てるもののない、露わな淡紫の瞳で――詫びる様に頭を下げると視線を逸らし、司教に続いた。

 重い枷と鎖の音がやけに響く。だが、見た目に酷く痛めつけられている様子がないことに、彼らはほんの少し安堵した。

 鎖を握るのは先ほどの金茶の髪の男――カーティス。その隣にはレオニード司祭が並び、彼らに気付いたのかちらとだけ視線を寄越した。

「あいつ……」

そしてその表情に、善良でありながらどこか勝ち誇ったような気配――自らの行いの正しさが証明されて嬉しいような――を感じてリーは思わず唸るように呟いた。

 ただその瞳の色が淡紫だと言うだけで、セフィを「異形」だと、「魔性の存在」だと断じ、そして「邪悪を滅するために用いられる手段は如何様でも許諾されて然るべきである」と司祭は主張していた。

優しさと良心に付け込んで脅迫し、セフィを、彼らを捕えたことは許諾どころか称賛される行いだと確信している司祭の態度は、リーを酷く苛立たせた。

 司教とセフィ、カーティスとレオニードは歩みを進め、玉座を正面に少し高くなった壇の下で跪いた。彼ら四人はそのやや斜め右後方、幕に閉ざされた窓側に並んでいる。

 嫌悪と侮蔑を込めた視線を投げかける者達は憚るように何かを囁き合い、重苦しい空気がそれを反響させて増幅させる。

鮮明に聞き取れるわけでは無いが、言わんとしていることの想像はつく、まるで呪詛のようだと彼らは思った。

 程無くして、

「国王陛下のお出ましです」

その言葉と共に辺りが静まり返り、背後の兵が彼らの頭を押さえつけた。平伏せよ、とのことなのだろう。思わず反発しそうになったのをぐっと堪え、彼らは王の登場を待った。

 衣擦れの音と、気配。ややしてから抑える力が緩んだ。

そろり、と顔を上げ其方に視線を投げると、豪奢な衣装を身に纏った恰幅の良い男が、ゆっくりと玉座に腰を下ろすところだった。

 最も高い所にある重厚な椅子に深く座し、薄い金の髪をした中年の男――国王デリク4世は小さな瞳を細め彼らを見下ろす。

「見つけて参ったか、セヴェリ司教。此度こそは、間違いないのであろうな」

「――先の者達はそうではないと、申し上げたかと存じますが。国王陛下」

仕草で促され、立ち上がった司教は王の言葉にそう返した。

「おぉ、そうだ。そうであったな。そなたでない、誰ぞが間違いないと言いおったのだ。どれ、見せてみよ。許す。近こうに連れてまいれ」

王は言いぞんざいに招く。

セヴェリ司教は軽く頷き、カーティスを促した。

三人が檀上に上り、カーティスはもう一度セフィの膝を折らせると、

「顔を上げて、陛下に瞳を見せなさい」

「っ!」

司教の言葉に従い、セフィの後ろ髪を掴み無理矢理顔を上げさせた。

痛みに眉根を寄せながらも、閉ざし隠すことは許されず露わな瞳が晒される。

「!!」

王は、まるで恐ろしいものでも見たかのように咄嗟に立ち上がりかけてなんとか留まった。

強く握りしめた拳が、逃げ出したいという思いを物語る。

「――確かに、先日の者達とはまるで違っておるの。"人ならぬ瞳"……邪眼とは正にこの事。人心を惑わし恐怖を与える、汚らわしい化け物め。よもやきさまのような者が実在し、しかも我が国に紛れ込んでおったとは……よくも余の国に魔物を呼び込みおって!」

そして忌々し気に顔を歪め、

「だが、幸いと言うべきであろうな。中核部への襲撃を受ける前にこうやって捕えることができたのは。――もう、よい。要らぬわ、このような化け物、余の国には要らぬ。疾く魔物どもの元に放り出すのだ」

追い払う仕草と共に吐き捨てる様に王は言った。

 王にとって真実その者が、邪悪であるかや意図して魔物を呼んだかどうかは、恐らく関心事ではない。その存在故に、魔物の襲撃があった。街に紛れ込んだ人ならぬ瞳持つ者の所為で魔物の襲撃を受けたのだという確信は揺るぎようが無く、それを一刻も早く排除したいという強迫観念すら抱いているのではないか。

「御意に」

国王に向かって恭しく綺麗な一礼をしたセヴェリに、立ちなさいと言われセフィはそれに従う。

「待てよ! どこへ、セフィを、どうする気なんだよ!?」

「魔物の群れに放り出すって、どういうことよ!?」

反論も抵抗もしないセフィに代わって、アレスとアーシャが声を上げた。

ただその瞳の色だけでセフィを魔物だと決めつけ、大罪人の様に扱うなど看過できるわけがない。

「何を勝手に発言しておる。余はお許しておらぬぞ」

不快と侮蔑を込めた瞳で見下し言う、威厳あるというよりも横柄な国王の物言いに、リーは苛立ちと怒りを顕わに、

「許す? ふざけんな! こっちの言い分を何一つ聞かずに、なんで、っ!」

立ち上がりかけて後ろの兵士に抑え込まれる。その言葉を継ぐように、ロルが口を開いた。

「ラフカディオって人がいると思うんだけど、話をさせてもらえませんか」

この様な状況で――明らかに国王に、この国にとって害悪と見做されている自分達が、その名を出すことが果たして正しいのかどうかは分からない。

 寧ろヘンルィクの大切な友人であるというその人物を渦中に引きずり込んでいい気はしない。要らぬ迷惑をかけることは明らかであるし、本来ならば憚るべきなのだろう。

だが今、頼れるものが他にない。

自らの力で事態を全く好転させられない不甲斐無さを悔やみながらの発言だったが、

「ラフカディオ? 知らぬな」

王は然も興味が無いという態度で、顎をしゃくった。セヴェリ司教、そしてカーティスもまた、緩く首を振り、その様な者は居ないと示す。

「そんな、いるはずよ!」

そう、確かにヘンルィクは、ラフカディオという名の友人が文官として王城に居ると言っていた。

少女はもがきながら訴える。

「居ったところで余の裁定は変わらぬわ。魔性の瞳持つ者を差し出さねば、更なる災禍を降り注ぐと奴らは言ったのだ。わからぬか? この者が居るせいで魔物どもが現れ、それどころかすぐ傍に大群が留まりこの国は恐怖に怯え続けねばならぬこととなっておるのだ」

「更なる災禍? すぐ傍って、どういう――」

どういうことだと、問うても答えは得られないだろうと言葉を彷徨わせたロルに、

「先の襲撃以来ノルヌ平原に闇の靄が蟠り、時折そこから魔物が現れては街道を行く人々を襲うのです。その闇の靄は、この場所の窓からだけ見えるのですが、徐々に膨張し近づいています。まるで求めに応じよと催促するかの様に――」

意外にもセヴェリ司教が答えた。

 だから窓は、幕で目隠しがされているのだ。今にも王都を襲撃せんとする、魔物の軍勢そのものかの如き闇の靄――その様な光景を、この王が目にしたいはずがないからだと彼らは理解した。

そして国がセフィを捜索していたのは、先の襲撃の際にその様な要求があったからだと知った。

 国を救いたくば"淡紫の瞳持つ者"を差し出せという脅迫――。

それにしては街の様子はあまりにも普通ではなかったか。確かに、危惧や不安は其処此処で耳にした。だが実際の防備や避難が成されていた様子がなかったのは何故か。

 まるでセフィが、淡紫の瞳持つ者がこの地を訪れることを、そして彼を捕え贄とすることで、真実救われると知っているかの様ではないか。

 リーは窓の方を一瞥し、

「本当にセフィ一人差し出したところで、そいつらが引き下がると思ってるのかよ!?」

戒められて不自由な身体を乗り出して声を上げた。

 魔物達の意図など、勿論分かるはずがない。だがそれでも、たった一人の人間――しかも、この国にとって恐らく利もなく害もない旅人を差し出させる為に、それほど大仰な脅迫をする必要があるとは思えなかった。

大群を率い国そのものを取引材料にしなければならない程、手に入れにくい物ではないはずだ。この地にさえ訪れているのならば差し出させるのは寧ろ容易いはず。

王が望みに応えることが無いと見越してならば、1週間もの猶予を与える必要はないのだから、確かに要求は要求なのだろう。だが、それに応えたからと容易く引き下がるだろうか。

ただ脅迫するためだけにそれだけの軍勢を動かす必要があるだろうか。

王が応じようと応じなかろうと、結末は決まっているのではないか。

「ならばどうせよと言うのだ?」

彼らの意見を聞きたいなどとは欠片も思っていない、何も期待していない声で王は問うた。

「戦うんだ!」

そして真っ先に応えたのはアレス。続けてロルが、

「民に避難を呼びかけて防備を固め、それから」

「馬鹿馬鹿しい。それこそどうともなるわけがなかろう――連れて行け。その者達は牢に繋いでおくのだ。余計なことをされてはかなわんからな」

言いたいことがあるなら言ってもよいぞと促しならが、王は彼らの言葉を遮りそう言い渡した。

司教は会釈をし、カーティスを、そしてセフィを促す。

「そんな!」

「余計なことってなんだよ!? 放せ! オレたちも一緒に行く!」

連れて行かれるセフィに駆け寄ろうと四人が立ち上がり、

「それが余計なことだというのだ。目的を果たせば奴らは引き下がる。此方から戦いをしかけて、下手に刺激してくれるなと言うておるのだ」

王が留めよと命じ、途端に辺りは騒然とした。

「目的を果たせば!? 本当に!? なんでそんなこと、信じられるんだよ!? 相手は――!」

何故、セフィを差し出すだけで救われると信じることが出来るのか。

否、何故裏切りを危惧しない。

「それくらいにしておきなさい。この者に惑わされているとはいえ、王の御前ですよ」

暴れながら声を張り上げる少年を諌める様に言った司教の表情はあくまで憐憫のそれ。だが、瞳の酷薄さに背筋に寒いものを感じたアレスは思わず言葉を詰まらせる。

「惑わされてなんかないわ! 待って、だめよ、セフィ!」

「セフィ!」

どうにか逃れようとする彼らを、更に近衛らも加わって引き倒して抑え込む。

「放せ! 放せよ、この野郎!! 駄目だ、行くな、セフィ! っ!」

ガッ! と鈍い音がして、黒髪の青年の身体が傾ぐ。近衛の一人が、彼を強く打ち据えたのだ。

「リー!」

「――っ」

少女の悲鳴が響く。

同時にセフィが身を乗り出してリーの名を呼んだ――かのように見えた。

悲痛な表情で、やめてと言ったように、確かにそう、彼らの目には映った。

「!? 声が……!?」

だがその声は誰の耳にも届かず、セフィは苦しげに自らの喉を押さえている。

「何を、した……? お前ら、セフィに何をした!!」

リーは咆哮した。

激しく込み上げた感情に、酷い眩暈がした。

 セフィは、何も反論しなかったのではない。例えしたくとも、出来なかったのだ。

拘束され、仲間を盾に取られ、声まで奪われて、ただ従順であるしかなかった。

 全身の血が沸騰した気がした。その余りの熱さに全力でもがいた。だが、兵士は更に数を増やし、背中にずしりと重い足の感触がする。深い色の絨毯に沈みこませようというほどに力強く抑えつけられながら、リーはそれでもセフィを見詰めた。

ごめんなさい、と唇が動く。やはり声は耳に届かなかった。

 セフィが、謝る必要などないはずだ。

近衛兵が携えた槍の柄を返し、目の前に刃が光る。

「さっさと行け」

兵士は4人に刃を向け突きつけた。仲間の命が惜しくはないのかと言われていると悟り、セフィはもう一度ごめんなさい、と言って振り切るように彼らに背を向け歩き出した。

「セフィ!」

少年が呼ぶ。だが彼は振り返らなかった。

 静かな後ろ姿はすぐに長身の男、カーティスの向こうに隠されてそのまま遠ざかり、彼らの退出と共に扉が閉ざされた。

 その無情な響きは、扉一枚の隔たりを永遠の物にするかのように、残酷な余韻で彼らを打ちのめしたのだった。

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