148 - 暗雲

 落ちた時の緩やかさとは対照的に、目覚めは唐突だった。

ビクリ、と身体が震える感触がして闇に亀裂が入り、不鮮明な視界に覗き込む人影があった。

「……?」

「ドゥエイン様、目を覚ましたようです」

目を凝らし見定めようとすると、人影が退き男の声がした。

 声の主に、心当たりはない。そしてその男の発した名も、初めて聞くものだった。

「おお! そうか、そうか」

鼻腔がツンと痛むのは、気付け薬の類を嗅がされたからだろうか。

支える様に背中に回されていた腕によって半ば無理矢理起き上がらされると、そこが見知らぬ広い部屋であり、寝台の上であることが分かった。いそいそと歩み寄るもう一つの人影は、恰幅のいい中年の男。

最初の人物――こちらはすらりとした体躯をしている――は、セフィが自身の力できちんと身体を支え座していられることを確認して横に避け、恭しく頭を下げた。

 意識が途切れてから戻るまでにどれほどの時間が経ったのか、何があったのかは勿論分からない。ただ好ましい状況でないのは明らかで、セフィはあらゆる神経を尖らせて現状を把握しようとする。

先ほどから、レシファートの気配がないのが気がかりだ。

 大仰に身を揺すりながら傍まで来た男は、セフィを見下ろしニチャリと笑った。

「これはこれは。確かに、見事な淡紫の瞳だな」

ぬっと伸びて来た手に顎を掴まれ、男の顔が正面に迫る。濃い眉の下の小さな瞳は、ごく淡い青の色をしていた。

「こ、こは……? あなた、は……?」

連れて行かれる先は、城か牢獄だと思っていた。だが、ここは一体どこなのだろうか。

強い力で顔を固定されたまま、喉に絡まり掠れた声でセフィは問うた。

「まるで黄金の炎が躍っているかの様ではないか……。それにしても、ぞっとするほど美しいとはこのこと……。面の皮一枚のこととは言えこれ程の美貌の者が化け物どもの餌にされるとは、無粋な……いや、惜しい。惜しまずにおれるか? えぇ?」

濃い金の髪をしたその男はセフィの問いには答えず、鼻息荒く唇を歪め、粘ついた目を逸らさぬまま傍らの男に同意を求めた。

「仰る通りでございます」

「そうだろう! ふん、どうせあの男は、味わいもせずに殺せと命じるのだろうな。なんとも無粋。奴らの望みを叶えれば安泰だと本気で考えているとすれば、愚かとしか言いようが無い」

顎から首に、這降りようとした指が酷く不快で、セフィはその手から逃れようと後ずさる。

首と、手足が重いのは填められた枷のせいだ。それらを繋ぐ鎖がじゃらりと不快な音を立てた。

だが男は楽しむ様に身を乗り出し、

「一晩泊めおくくらいなら、申し訳が立つのでは?」

「うむ」

傍らの男の返事を聞きその小さく細い瞳を更に細めて笑う。

背筋をぞわりと悪寒が駆け上がるのを感じ、セフィは更に距離を取った。

余りにも体勢が悪い。せめて寝台の逆側から降りて、地に足をつけたかった。

「怖がる必要はない。わしは優しい男だ。このままここで匿ってやってもいいぞ。この屋敷のどこかに隠して、知らぬ存ぜぬを通してやろう。魔物の餌になどなる必要はない。わしを満足させられたなら、一晩と言わずずっとここにおいてやっても構わぬわ」

声音はあくまで優しげだ。だが、男はまるで獲物を捕え嬲ってやろうとする獣の様に凶暴な、それでいて欲に塗れ愉悦に酔い痴れた支配者の顔でセフィに迫った。

「……」

セフィとてこれ程あからさまな視線を向けられて、男の言わんとしていることが分からない様な子供ではない。拒絶したところで聞き入れられるとも思えず、無言で後退る。

恐い訳ではない。脅威であると感じている訳でも無い。ただ、ひどく気味が悪い嫌な感じがする。

「これ、どこへ行く気だ」

「あっ……!」

男がにやつきながら手にしたものをぐいと引き、セフィは体勢を崩した。

両手の枷と、男が持つ鎖が繋がっていたのだ。

咄嗟に身を起こそうとするが、枷が、酷く重い。更に力が吸い取られているかの様に抜けていく。

頭上が陰り、ぎしり、という音と共に寝台が沈み込む。

「あぁ、とりあえずは明日の朝まで、楽しませてもらおう。処遇はそれからだな」

「……!?」

咄嗟に使おうとした魔法が発動しないことに気付いて狼狽えながらも、セフィは鎖を握り込み身を起こして引かれる衝動をやり過ごした。掌に、熱い痛みが走る。

「抵抗しない方がいい。仲間が、いるんだろう?」

男は、身を乗り出し含みのある厭らしい笑みを浮かべた。





 どこか分からぬ場所に到着して馬車が停まり、しばらく辺りがざわついた後彼らはそのまま放置されていた。そしてアレスは、相変わらず鎖を外そうともがいていた。

「どう? 外れそう?」

「ん……どう、かな……」

問うアーシャにアレスは答えた。

そう簡単に千切れるわけはないだろうが、継ぎ目や接続部、弱い部分はあるはずだと自らに言い聞かせながら、不自由な後ろ手のまま、強く引いたり捻ったりを繰り返している。

その音を聞き咎めて何者かが扉を開くなら、それもまた好機を得ると言えるのだろう。

「……あんま無茶すんなよ。今、傷めたら、治してやれない……」

「え? あぁ、分かってる、けど……」

アレスは思わずリーを見た。ぐったりとした彼が身じろぎをすると、じゃらり、と鎖が音を立てる。

「なんだ?」

「いや、なんかあまり焦ってないっつか、落ち着いてるなと思って」

本当はセフィのことが、心配で堪らないはずだ。

我を忘れ取り乱すだろうとは思わないが、リーの声は至って冷静な様に聞こえた。

「全然、落ち着いてるわけじゃない。スゲー必死。けど本当にこれ、物理的にも嫌な構造してて全く外れそうにない」

「嫌な構造?」

「あぁ」

リーは身を起こし、胡坐をかいて座る。その瞳は先程よりもやや光を取り戻していた。

「針金一本で簡単に外せるようなんじゃないよね、やっぱり。さすが技術大国だけあるというか」

ロルがリーに同意して代わりに応え、

「……こうなってくると、枷を外そうとするよりアレスがやってる様に鎖をどうにかした方が――」

そう言いかけた時、ガチャりと重い金属音がしてロルの傍、後方の扉が開いた。

「ちっ、なんだ、ヤローばっかじゃねぇか」

男の落胆した声と共に差し込んだ光は決して鮮烈では無かったが、眩しさを感じ思わず眇めた彼らの瞳に数人の人影が映る。

「いや、よく見ろって。奥に居るだろ」

「奥?」

「おぉ、こいつぁ、なかなか」

彼らが万が一にも拘束を解いている可能性など想定していないのだろう、更に大きく扉を開き身を乗り出して覗き込む。そしてアーシャの姿を見つけると、にやりと笑った。

「な、なに……?」

「なんだ、お前ら」

その舌なめずりする様な表情と声音があまりに不快で、アーシャは鳥肌立てて僅かに後ずさり、アレスは威嚇するように五人の男たちを睨み付けた。

だが男達は、

「へへへ、よく見りゃこっちの兄ちゃんもお綺麗な顔してるじゃねーか。高く売れるぜぇこりゃあよ」

などと勝手なことを言いながら、やや身を屈め次々と馬車に乗り込んで来る。

「おい、待てよ。何をするつもりだ!?」

「何って、分かんだろ。ちょーっとばかし楽しませてもらおうってな」

最奥の少女に男たちはギラついた目を向け、咄嗟に行く手を阻もうとしたアレスを鼻息荒く押し退ける。

「――つもりはわかったけどさ。何らかの目的あって、俺達捕まってるんじゃないの? 勝手に手出ししていい訳?」

自分達が捕らわれたのは、恐らくセフィを奪還されることを危惧してのこと、それからセフィを従わせるための人質だろうと思っていた。

それにあの司祭は、自分達に対しても『あの方がお待ちだ』と言ったのだ。

「はん! 屋敷にさえ連れ込めりゃあ、それで仕舞いさ。逃げようなんて気はそもそも起きなくなるはずだぜ」

「一晩かけてたーっぷりとご主人に嬲られりゃあ、逃げたくても足腰立たねぇだろうしよ」

「あぁ、可哀想に、あの細腰じゃあなぁ」

「!!」

にやにや、ひひひ、と下卑た笑みを浮かべる男達。

その言葉に込められた意味を瞬時に理解し、込み上げた激しい嫌悪感と強い怒りに彼らは目を見開いた。

「――つまり、ここの主人がセフィを攫ったのは、瞳の色のせいじゃないってことか」

そしてこの男たちは、そのおこぼれにあずかろうという魂胆なのだろう。

 低く、感情を抑えた声で確かめる様にリーが呟く。

間違いなく、セフィもまた同じ場所に連れてこられている。だが、あの司祭が言っていたことと、今目の前に迫る厭らしい男たちの言い分が――どちらもがリー達にとって唾棄すべきものではあるが――あまりにも違いすぎるのは何故か。

主人とは何者か。今、自分達が居るのは一体どこなのか。

憤怒のあまり眩暈すら覚えそうになりながらリーは思考を巡らせる。

「ちょっ、やだっ! こっちこないでよ!」

その手に捕まるまいと後ずさる少女の拒絶を楽しむ様に男達がにじり寄り、アレスはやめろと怒声を上げた。

「くそっ!」

 どれほど力を込めても、枷も鎖も外れそうにない。戒められているのは腕だけにも関わらず何一つ自由にならない焦燥に駆られ、少年は闇雲にもがいた。

「――俺達がこの後どうなるかは知らないけどさ。そんなことして、主人はそれを許してくれるような寛容な人なのかな?」

途端に辺りを染めた喧噪に紛れぬ声がして、男達は反射的に其方に目を遣る。

薄い外の光を背に、激しさを廃した穏やかにすら思わせる声音と瞳で、ロルは無法者たちを見据えていた。

「なんだと……?」

「あんたらの主人の玩具にされるにしろ、どこかへ売り払われるにしろ、あんたらのせいでその娘の商品価値を下げていいのかって聞いてんの」

「!!」

彼の言葉を、男達はすぐに理解した。

その手の商売に於いて、たった一度きりの最初の行いを高値で取引することすらあることを、男たちはよく知っていた。

「そうでないなら、下手に手出しをしないほうがいいんじゃない?」

「……つまりてめーは、このまま何もせず引き下がれって言ってんのか」

ただ、自分達の欲望を満たすということで頭に血が上っていた男達だったが、ロルの言葉はそれを冷ますのに十分だった。

はっとなって僅かに身を引き、

「そうしてくれるとありがたいんだけど」

にこり、とロルが微笑むと、しかし男たちはそうはいくかと騒ぎ立てる。そして内の一人がロルの傍まで来てその顔を覗き込み、凶暴な笑みを浮かべた。

「確かに後でお叱りを受けるのは馬鹿らしい。けどな、既に俺達は今、勝手なことをしてるんだ。ここまできておいて何もせずに引き下がれると思うか?」

「主の獲物に手出しをした、だけでなく主が楽しむはずだった初物を無断で摘み取ったと罰せられる覚悟が?」

ごく静かな語調だった。

多くの男達の中に処女に対する信仰にも似た憧憬があることを、ロルは知っていた。

 どこにも与さない場末のゴロツキにならば、寧ろ決して告げてはならないことだろう。だが、男たちの纏う揃いの衣装が、何らかの組織に帰属し、そして何処の誰かは分からないが"主人"に対する服従を表しているから、彼はそこに訴えかける。

 ロルの言葉に、男は痛いところを突かれたとばかりに顔を強張らせ刹那押し黙った。だが、見据える澄んだ青い瞳のその容貌がとても美しいことに気付いて再び好色な笑みを浮かべる。

「だったら何か? てめぇが代わりに楽しませてくれるってのかよ。まさかそのなりでヤッたことないってわけはないだろう。なぁ?」

舐めるような視線を向けられ、だがロルは無言のまま嫣然と笑みを浮かべる。

その美貌に、仄かに香る媚態に、妖しく誘うような蠱惑的な眼差しに、誰かがごくりと喉を鳴らした。

「な、なんだぁ、お前、そっちの趣味あったのかよ」

一人が落ち着かな気に焦った声を上げれば、

「いや、そりゃ女の方がいいに決まってるけどな。このお綺麗な面を歪ませるのは、それはそれで気分がいいと思うぜ。なぁ、お前もそのつもりで"誘った"んだろう。その娘に手出ししない代わりに自分にしとけって」

最初の男がふんと鼻を鳴らす。

 雄は、競い合う本能を持っている。自らの優位性を見せ付けて、相手を征服し服従させることを好み快感を見出す男も多く居るのだ。

「そう言えば、さっき宗旨替えしてもいいとか言ってたやつもいただろう。どうだ」

「そ、それは、あの別嬪をヤれるならって話で……」

人間は容貌や美しい見た目に欲情するわけでは無い。

だがそれでもセフィという存在は、手に入れ支配し、例えば思う様弄ってやりたいと、或は悦楽に乱れる姿を、苦痛に涙し赦しを乞う表情を見てみたいと思わせる――人間の本能的欲望を酷く刺激し、そしてどうしようもなく沸き上がった劣情は向かう先を求めて男達を駆り立てた。

「こいつもなかなかの美形だろうがよ」

「あぁ、悪かねぇな」

「そんなにイイのかよ。男だぞ?」

尚も理性が抗う。

 体つきは完全に男性だ。それどころか妬ましい程に四肢が長く、程よく鍛えられ均整の取れた体躯に加えて、類稀なる美しい顔と声をしている。明らかに優れていると分かる雄を、組み敷き屈服させることへの興味と支配欲求、同性であるという嫌悪感が鬩ぎ合い、

「――試してみれば?」

その声は甘く、頭の芯を痺れさせる媚薬。

 そして掻き立てられた肉欲と魅惑的な背徳の予感が加担して、一方に軍配が上がる。

男達は自らの唇を舐め、互いに目配せし合った。

 やめて、と言う悲鳴にも似た怒声はどこにも届くことなくただ空しく宙を舞った――。

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