130 - 魔女の家にて
無遠慮に踏み荒らされた道の草と、そこに残されていたいくつもの小さな足跡に更なる確信を得て彼らは急ぎ馬を走らせた。
途中驚いたことに魔物を屠った跡まであったのだが、早駆けしたためか彼らが魔物による襲撃を受けることはなかった。
ひたすら馬を走らせ、もうほんのすぐそこが森への入口だという辺りで、横倒しになった荷台と子供達の足跡、異形の痕跡を見つけた。
そしてその場所には、ランプが壊れ散らばったものもあるが、無事ないくつかが荷台の傍に集められていた。
「ユインたちがやったのかな?」
その内の一つをアーシャは拾い上げた。見ると、やや傷ついているものの使用には耐えられそうであることが窺える。
「だろうね」
「やっぱり、最初にそのメレディスって人に何かがあったっぽいね」
「届けようとして小屋を出たはいいけど、ここで何者かに……魔物にでも襲われたってことか」
新しい轍は森から続いていて、村へ向かう道の方には薄らとしかない。
「……無事なのかな。子供たちは?」
「ここに、足跡が続いてます。何かに襲われて――」
跪いて足跡や痕跡を検分していたセフィが、視線をその先へと向ける。
その視線の先に、リーもまた顔を向けた。
「森へ逃げたか」
右手には湖、左手はごつごつした岩の丘。前には薄暗い森。
木々と湖の境目を通れば辿って来た道はそのまますぐに森を抜けるのだそうだが、途中の分かれ道を折れれば更に奥へと続いているのだという。その分岐点の傍にひっそりと、魔女の家があるのだとか。
危機に直面した子供たちが、咄嗟にそこへ向かったことは想像に難くなかった。
血痕や食い散らかされたような何かではなく、人数分の足跡が森へと向かっていることに安堵し、彼らは再び馬に跨った。
ユインは見た。
窓の外で繰り広げられた光景を。
魔女の家の周辺に施されたまじないの為それ以上近付けずに、だが獲物を逃がすまいと此方を窺いながら、うろうろと周りを取り囲んでいた巨大
薄暗い森の木々の向こうに、僅かに見えていた水面に照り返す光が彼らの姿を影に変えていたが、その勇姿を、鮮やかな戦いぶりを、閃く剣の輝きを、舞い踊る炎と風、水と岩の炸裂する様を。
怖ろしいと、全く思わなかったといえば嘘になる。だがそれでも、自分達には到底立ち向かうことなどできない恐ろしい化け物を易々と屠る彼らの姿に、どうしようもない憧れと羨望の想いを抱いた。
あんな風に戦えたら。自分自身の手で憎い魔物を打ち倒し、大切なものを守ることが出来ればと、心の底から思った。
それは、瞬く間の出来事だった。
戦闘を終えるか終えないかの内に、一人が馬を下りて扉を叩いた。
「メレディスさん、いらっしゃいますか!? 子供たちが、ここに――」
「セフィ!」
声の主をそうと知るユインは、すぐさま駆け寄り扉を開けた。
教会の祭壇画の天使様よりも、絵本の中の妖精よりも、もっとずっと優美な姿をした旅人が、そこに立っていた。
「あぁ、ユイン、よかった……!」
そして彼の姿を見つけ安堵しふわりと微笑む。
少年がこれまで出会ったどんな人物よりも綺麗だと思ったその人は、小屋の中に視線を巡らせ、皆の姿を確かめると、
「怪我は、ありませんか? どなたも、無事で――」
「ジョーイとクリスティンが、どこかで擦っちゃったみたいで、ちょっと怪我してる。あと、ディックも。でも、一番大変なのは、メレディスさんみたいなんだ」
声を掛けられたのに、ユインはすぐさま答えた。
「そうですか。わかりました」
頷きながらついと眼鏡を押し上げて、セフィは一度背後を振り返る。
戦いを終えた戦士たちが、武器を収めながら此方へと歩み寄る、その勇ましい姿を、その厳しく鋭い瞳が穏やかなものになる、その瞬間を目にしてユインはドキドキと胸が高鳴るのを感じていた。
「ここはいいから、セフィ、先に子供たちの無事を確認してくれる?」
そう仲間に言われ、彼はいち早く戦闘を離脱し小屋の扉を叩いた。
待ちかねたように開かれたそこにユインと五人の子供たちの姿を確認し、セフィはほっと胸を撫で下ろして怪我はないかと問うた。
ユインが答えたのに頷きながらついと眼鏡を押し上げて、一度背後を振り返ると、すぐに視線を戻しその場からもう一つの小さな人影――入口からも見える居間の長椅子に蹲る女――に声を掛けた。
「突然お邪魔してすみません、メレディスさん。彼らを迎えに参りました、旅の者です。入らせて頂いて、構いませんか?」
いくら慌てているとはいえ、この家の主がそこに居る限り無断でズカズカと踏み込むことは憚られたからだ。
「あぁ、構やしないよ。好きに入っておいで」
「ありがとうございます。失礼いたしますね」
そこは、全体的に小作りな家だった。入口は辛うじてやや身を屈めて通ることが出来るが、天井は低く、窓の高さも椅子も机も奥に見えている寝台も子供用の様な大きさだ。
それらを見渡しているうちにいつの間にか周りに集まってきていた子供たちに、もう大丈夫だと声を掛け、手早く治癒魔法を施してやると、
「わたしたちより、メレディスさんの方が、大変みたいなの」
そう、青い瞳のクリスティンが訴える。
セフィは子供たちを仲間に任せ、彼女の元に歩み寄った。
小さな長椅子に身を横たえるこの家の主は近付く気配に身を起そうとしたが、痛みに唸りながらあえなくそこに沈みこんだ。
「大丈夫ですか、メレディスさん。どこが、痛みますか?」
彼女が"森の魔女"だと聞いてはいたが、まさかノーグと呼ばれる種族――小柄な体躯に手先の器用さを備えた、精霊や妖精にも通ずる種族的特徴を備えていることに、セフィは少なからず驚いた。
首の後ろで一つ、毛先でもう一つ縛ってはいるが、濃い色の縮れ毛は鬣の様に豊かで、身体に対してやや大きな顔を更に誇張している。ぎょろりとした目、大きく胡坐をかいた鼻の下には分厚い唇。歳の頃は四十~五十代と思しいが、彼女が実際ノーグならば人間基準の見た目年齢よりも長く生きているはずだ。
「あぁ、腰をね、やっちまったみたいで……」
俯せになったまま、顔だけ此方を向けて弱弱しく訴える彼女に、セフィはすぐさま治癒魔法を施した。
「――如何ですか? 少しは楽になりましたか?」
「あ? あ、あぁ! スゴイよ、痛みがなくなったよ!」
彼女は顔を上げて身を起こし、傍に跪くセフィを見てどこか驚いたように目を見開いた後、恥じらい顔を伏せる。
それはよかったですと微笑む美貌の人物を目の当たりにして刺激されたのが、劣等感ではなくあまりにも純粋な感動であったことに、彼女自身酷く驚いたのだ。
誰でもいいから助けに来てくれと請うていた自分の前に現れた人物が、詠唱もなしに治癒魔法を操るばかりか、まさに人々の云う天の御使いのような姿をしていて、たったそれだけのことで神の存在すら認め実感してしまいそうな自分に呆れながら、彼女は年甲斐もなく頬を染めた。
「……ありがとうよ」
照れたように礼を言う彼女に、そして優しく微笑み立ちあがったセフィに、傍に歩み寄ったリーが声を掛けた。
「事情は聞いた。荷台を取りに行ってくるから、再度積み直して、さっさと村に届けようぜ」
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