129 - 魔女と小さな冒険者達(後編)
スプル村から湖を挟んでほぼ対岸にある森への道は、小さな荷馬車が通れる程度の幅があり、起伏はほとんどなく平坦だ。
街道に比べ人通りが少なく手入れもあまりされていないため、時折藪や茂みが視界を遮るほどになるが、概ね右手に水面を見ていれば迷うことはない。それでも、徒歩で往復するとなると一日仕事となることを知っていた彼らは、朝早くに家を出、途中各家から持ち出してきたパンやら果物やらで空腹を慰めながら歩き続けていた。
何度か、魔物にも遭遇した。とはいえ元来あまり好戦的ではない角の生えたウサギや、寝ぼけた蝙蝠、群れからはぐれたらしい縞模様の大きな蟻の化け物は、彼らの姿を見るなり逃げ出したり、素早い動きで振るった剣に叩き落とされたりして、使命感に燃える子供達の大した足止めにはならなかった。
そして、これまで親や大人としか行ったことのない道を自分たちだけで難なく辿れていることに意気揚々と歩みを進め、鬱蒼とした森がもうすぐ傍に迫った辺りまで来た時、彼らは思いもよらないものを見つけた。
それは、横倒しになった馬車の荷台と、散らばり一部壊れてしまったいくつものランプ。
驚き慌て駆け寄ってみたが、操り手の姿も牽いていた筈の小馬の姿もなく、争った様な跡だけが残されており、どうしようかとしばし考え話し合った結果、一先ず持てるだけ持って帰ろうということになった。
自分達の村に届けられるはずだった沢山のランプ達を、一つ一つ拾い上げて無事なもの、比較的破損の少ないものを集めていた彼らだったが、唐突に響き渡った振り絞る様なジョーイの叫び声でそれに気づいた。
いつの間にか、多数の化け物に囲まれてしまっていた。夢中になっていたため周囲への警戒が疎かになっていたのだ。
音もなく忍び寄った巨大な
咄嗟に武器を抜こうとして両手がふさがっていることに気付き、どうしよう、と思った時、
「走って! メレディスさんのところまで、もう少しだわ!」
クリスティンの声が響いた。そして彼女は怯えるテッサの手を掴むと森へ向かって駆け出したのだ。
「走れ、ジョーイ!」
どうにかして片手を空けて剣を握りしめ、森から一番遠いところに居たジョーイに駆け寄ると魔物と彼の間に割って入って背中をぐいと押す。
「来い!」
同じく武器を手にしたディックが、道を塞ごうとする蛞蝓を威嚇しながら招き、
「ユイン! 早く!」
駆け出しかけて振り返り、不安な表情のフィオナが呼ぶ。
「ジョーイ!」
「あぁ、だめだよぉ、みんな、捕まって、食べられちゃ……」
「だれも捕まらないし食べられない! 大丈夫だから、走れ!」
立ち竦んで動けないジョーイに焦れたユインは、もう一方の手を塞いだ物をどうにかその場に置いて彼の腕を強く引いた。
「あっ!」
やっと動いてよたつくジョーイを無理矢理立ち直らせて駆け出す。
「早く! 早く!」
フィオナに追いついたところで、ユインは
じわじわと追ってくる蛞蝓の群れは決して素早くはないが数が多く、地面全体が迫っているかの様に感じる。
背筋がぞわり、としたのを誤魔化すように少年は剣を握りなおした。
森の魔女、などと呼ばれてはいるが、実際彼女にあるのは野草や薬草の豊富な知識と手先の器用さ、精霊魔法と分類される力。それからちょっとした
更に特徴を付け加えるなら、小柄な体躯と、身体に対して大きな顔。ひとより少し寿命が長く老いが緩やかなことだろうか。
そんな人間たちとの差異を気味悪がられたり蔑まれたりする煩わしさから逃れるために、こんな場所に居を構えたのだ。
全くの自給自足生活は難しく、必要な時は近くの村に行って適当なものを売り、必要なものを手に入れる。そんなつかず離れずな、それでいて決して交わることのない距離を保ちながら、長らく過ごしていた。
だがいつの頃か、手慰みに作っていた燈火具(ランプ)を花祭りで使いたいと村人が訪ねて来た。以前気まぐれで人にやったか売ったかしたものがいくつかあり、評判がいいのだという。
確かにあれは、ひとには作れないものかもしれない。自分達の様なひととは少し違った種族の持つ技を使って作ったものだ。
作り方を教えろと言われていたら、断っていただろうが、作って、売ってくれと村人達は言って来た。
年に一度のことだ。買い出しをそれに合わせればいい話で、特に断る理由もなく。人の貨幣に興味はなかったが、生きていく上で、人と関わって行く限り必要であると知っていたから、あまり多くは要らない、出来れば必要な品物と替えてくれればいいと言って引き受けた。
それから、村人達との距離感がほんの少し変わった。
そして確かに闇夜に浮かぶ花と、それらを照らす淡い光の作り出す光景は幻想的で美しく、年に一度の祭りを彼女自身も楽しみにするようになった。
少しずつ普通のランプと入れ替えて、そろそろ全部が彼女作成のものとなった頃、村を訪ねる者でも欲しいという者が現れたがどうしたらいいか、売ってもいいのかと相談された。
村にやったものだから、好きにすればいい。
必要ならまた作ればいいから、と。彼女は答えた。
それを村人達は大層喜んだ。
村に住めばいいのに、と言ってくれるものも居た。だが、いわば本能のようなものがそれを受け入れなかった。
昔より少し距離が近付いてはいたがそれでも、それ以上の馴合いは不要だと、ある意味危険だと心の奥が頑なに拒絶する。嫌いなわけでも憎んでいるわけでも無い。ただ、長い間かけて凝り固まった臆病な気持ちは、そう簡単に解けるものではなかった。
必要な時は、自分が村を訪ねる。もしくはほんのたまに、村長や雑貨店の者が訪ねてくる。森を抜ける者、森に用事のある者が通りすがって行く。ただ遠く対岸に、暖かく穏やかで美しい村の明かりを眺めているだけでいいと思っていた。その程度の距離感が適度で心地よいと、思っていた。
だから、村の子供達が何の前触れもなく突然飛び込んできたことには当然驚いたし戸惑いもした。
何故、という思いと、ほんの少しの恐れる気持ち。
だが、まだ幼くあどけない子供達の心底から安堵したような表情を見れば、無碍に扱うことなどできなかった。
「それじゃあ、あんたたち、子供だけできたってのかい?」
魔物達に追われ恐ろしかったのだろう、怯えた子供達をなだめ、ここに居れば大丈夫だと落ち着かせた後で彼女は問うた。
その無謀を怒られるとでも思ったのか、身を竦ませた子供達だったが、
「そりゃあ、大変だったね。歩いてじゃあ、随分距離があるから、時間もかかったろう」
という彼女の言葉に、拍子抜けしたような、それから「前に近くまで来たことあったからさ」と少し得意げな表情をする。
「……怒らないの?」
「怒る? どうしてだい」
「だ、だって、おれ達、危ないことをしたから……」
見るからにしゅんとした子供達が彼女の様子を窺うように言うので、メレディスは苦笑して吐息をついた。
「確かに、無謀なことをしたんだろうね。でも、あんたたちを怒るのは、アタシの役目じゃないさ。帰って親達にしっかり絞られるがいいよ」
そう言いながら、ひとと少し違う彼女の容姿を気に掛ける風のない子供達の態度に、安堵したのはむしろ彼女の方だった。最初一目見た時は確かに、吃驚した様子だった。だが次の瞬間にはそんな表情はどこかへ消え去っていた。
驚きと、戸惑いと、ほんの少しの嬉しい気持ちを上手く隠して、仕方ないねぇと言うように彼女は笑んだ。
「……ぼくたち、ちゃんと、帰れるのかなぁ?」
薄蒼の髪の少年ジョーイが、その瞳を不安げに揺らして呟く。
「何言ってんだい。帰れるに決まってるだろう」
「きっと誰かが、わたし達がいないことに気付いて助けに来てくれるわよ」
そう言ったのは黒い瞳の少女フィオナ。
「そうだな。暗くなっても戻らなかったら、さすがにおかしいって、思うよな」
「えぇっ! そんなぁ……! じゃあ、暗くなるまで、ここにいなきゃいけないの? 用事が済んだら、すぐに帰るって……」
「そんなこと言ったって、仕方ないでしょう!? こんなことになっちゃったんだもの、出られないんだし!」
情けない声を出したジョーイに濃茶色の髪のクリスティンが、強く言い返す。
「……こんなことになるなら、来なきゃよかった……」
「なんだとっ! 嫌なら来なくていいって言ったのに、ついてきたのは自分だろ! 今更そんなこと言うな!」
身体の大きな赤毛のディックが掴みかからん勢いで恫喝するが、
「だって、だって! こんなことになるなんて、思わないじゃないか!」
「そんなの、誰だって思わないわよ!」
「ぼくは、最初から、危ないからよそうって、言ってたのに、大丈夫だって、みんな、言ったじゃないか!」
ジョーイは泣きそうな声で叫んだ。
「やめなさいよ! 今更よ、そんなこと!」
「でも、でも……!」
「大丈夫よ、ジョーイ」
ぽろぽろと涙をこぼし、それでもまだ不満を漏らす少年をなだめる様に言いながら、内気な緑の瞳のテッサは柔らかく微笑んだ。
「喧嘩も、反省も、帰ってからにしよう、ね、ジョーイ。大丈夫、みんなが一緒に居るから」
「……」
自分よりも小さくて、弱弱しい印象の少女の微笑みに、ジョーイは言葉を失い、しゃくりあげながらも何とか涙を拭った。
「ほんのちょっとの辛抱さね。手狭な小屋で悪いけど、まぁ、楽にしておきなよ」
やっと静かになったのを見計らって、彼女は子供達にそう声を掛けた。
自分が口出しすべきではないだろうと知りながら、だが争われては困ると、どうしたもんかと思わず焦ったが、彼ら自身で解決させた様子に感心しながら彼女は言葉を続ける。
「それにしても、せっかく苦労してきてくれたのに、こんな状態で悪いねぇ」
杖を頼りに何とか起き上がり茶を入れるための湯を沸かすところまではしたのだが、やはり緩慢にしか動けず、いいから無理をしないでと言う子供たちに彼女はよろよろと元の場所――居間の長椅子に設えた寝床に戻った。
「一体何があったの?」
勝気な瞳の少女クリスティンが自身とそう変わらない背丈の女に手を貸しながら問う。
「あぁ、まぁ、大したことじゃあ、ないんだけどね」
ディックとフィオナが茶を入れて手分けして皆に手渡していく。
最初所在無げにしていた子供達だったが、自然と家主の傍に集まり座り込んで話を聞く体勢を取った。
最後尾を務めていた麦藁色の髪の子供だけは、耳を此方に傾けつつも窓から外をじっと見張っている。
「足りないランプを取りに帰ってきて、すぐに持って行こうとしたんだけど、いくらも行かないところで魔物に遭遇しちまってさ。急に飛び出してきたもんに小馬が驚いて、ちょっとばかし暴れて……恥ずかしい話、荷台から転げ落ちて、慌てて飛び起きたら腰を痛めちまったのさ」
「魔物……」
怯えた瞳を向けて呟いた、気の弱そうな少年ジョーイに彼女は頷き、
「小物だったから、追い払うのは簡単だったんだが、もたもたしているうちに荷台も倒されちまって、見たかい? あの
「そうだったのね……」
「じゃ、じゃあ、これから、どうするの? ぼくたち、どうなっちゃうの?」
窓の外には、追いかけて来た蛞蝓の群れだけでなく、騒ぎを聞きつけた森の魔物達が、小さな人間の柔らかい肉を喰らってやろうと待ち構えているのだろう、先ほどから奇声や妙な音が聞こえてきている。
「取り敢えず、ここに居れば襲われることはないよ」
――アタシのまじないが通じない様な化け物でも出ない限り、という言葉を、彼女は飲み込んだ。
これ以上子供たちを怯えさせることなど無いだろうと、対人関係に疎くとも判断できたからだ。
――あぁ、本当に。困ったことになったねぇ。早いとこ誰か来てくれないもんか……。
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