128 - 魔女と小さな冒険者達(前編)
困ったことになった。
一年をかけて作ってきたものが、いくつも駄目になってしまった。
だがそれよりも今、彼女の胸を塞いでいるのは、すぐに届けてやると言った約束を果たせないかもしれない、ということだ。
駄目になってしまったもの自体に関しては、予備があるからどうにかなるだろうと思っていた。しかし、
「あいたたた……」
まさか自分が、動けなくなってしまうとは思いもしていなかった。
予測のつかない波の様に襲い来る、腰の痛み。
気遣ってくれる者も、世話を焼いてくれる者も傍には居ない。偶然訪ねてくる者も、居ないだろう。
それは長年、自分の良い様に整え暮らしてきたこの小屋に、何者も安易に近付いてくれるなと彼女自身がそう望んできたことなのだから仕方がなかった。
だから彼女は、陽がある時分でも薄暗い森の中の小屋に一人、横たわっているしかなかった。
「あぁ、それにしても困ったねぇ……」
前日準備に間に合う様に届けて戻り、足りない分を祭りの初日にもう一度持って行った。
レグアラが封鎖されていたから今年は訪れる者が少ないだろうし、それで足りるだろうと目算をつけていたが初日の時点で例年並みかそれ以上の人出があったと言われ、それならばと取りに帰って来たのだが。
「祭りが終わっちまうよ……」
白々と明るくなり始めた窓の外。今日は丁度、祭りの中日のはずだ。
届けることを、村の人々に頼まれたわけではない。自分の都合で動きたいから、あまり訪ねてきてほしくないからと自分が勝手に請け負って引き受けた。そしてそれを何年も続けて来た。期待されているとは思わないが、自分自身に課した役目を果たせないのは、やはり辛いのだ。
「どうしたもんか……あたた……」
自分の身体すら思う様に動かせず、癒す術も持たないことが情けなくて、彼女は何度目か分からない溜息を吐いた。それすらも腰に響く。
自分では、どうすることもできない。人々の崇める神に祈り助けを請うつもりはないが、誰でもいいからどうにかしてくれないだろうかと、こんなにも漠然と何かに縋りたくなったのは初めてだった。
「ね、ねぇ、やっぱり、危ないんじゃない?」
村を出て少しした頃にそう言いだしたのは、やっぱりジョーイだった。
「なんだよ、まだそんなに来てないのに、もう怖くなったのか?」
「行きたくないなら戻ればいいじゃない。一人で」
そしてそう答えたのは、案の定赤毛のディックと勝気な瞳のクリスティンだった。
「そ、そんなぁ」と情けない声を出す気弱な少年に、
「大丈夫よ。行ったことない場所ってわけじゃないでしょ?」
フィオナは黒い瞳を瞬いて首を傾げる。
「で、でも、その時は大人と一緒だったし……」
「来たくないなら来なくていいって、ルテやグレタと村で待ってろって言っただろ。ついて来たんなら今更ウダウダ言うなよ」
六人の中で一番体の大きなディックは、自慢の銅の剣でもって道端の草を刈りながら大股で先頭を歩いている。
「怖くても、怖くないふりをしてるのがいいのよ。そんなおどおどしてちゃだめよ」
「それはわかってるけど……」
二人に言われ、ジョーイは浅葱色の瞳を揺らしながら口ごもる。
そんな彼の手を握り、
「ジョーイ、大丈夫。ユインとディックが守ってくれるわ」
ふわふわとした桃色巻き毛のテッサがふんわりと微笑んだ。
「あら、あたしだって戦えるわよ。ねぇ、フィオナ」
「う、うんっ」
クリスティンが、長い丈夫な麺棒を前に掲げて青い瞳を煌めかせたのに、フィオナは若草色の三つ編みを揺らして頷いた。そして隣を歩くユインにちらと目を遣る。
「大丈夫だよ、フィオナ。みんなのこと、おれがちゃんと守るから」
その視線に気づいたユインもまた頷いて、自信の笑みを浮かべた。
毎日訓練して鍛えているし、昨日なんかは、旅の戦士に筋がいいと言われたのだ。
大丈夫、怖がる必要なんてない。自分は戦える、という思いを込めて。
「そうよね」
つられるように、フィオナも笑顔になった。
「そうさ。さぁ、早く行こう!」
目的地まで、距離はまだまだある。
ユインはそう声を上げて、足取り軽く歩みを進める。
雲間から差す光が遠くの丘に模様を描き、湖を渡って来た風が、彼らの背を押すように吹き抜けて行った。
時折吹く風に小船は多少揺れたりもしたが、湖面から見る村とアルア・ティーユ並木の眺めはまた素晴らしいものだった。
村の岸の近くでは家族連れや恋人同士と思しき者達が、思い思いに舟遊びを楽しんでいる。
一行は、島での出来事をあまり話せぬまま――皆何かを考え込む様子で、自然と誰も口にしない雰囲気だった――代わりに、船頭に島はどうだったかと問われたのに応え、遺跡や島自体のことを問い、それから祭りの屋台でのオススメやなんかを聞きながら、朝乗り込んだのと同じ船着き場へと戻った。
それほど長居をした気はしていなかったが、その頃には既に昼を過ぎていた。
広場へ行こうか、一旦宿へ戻ろうかと話しながら、船頭に礼を言って船を下りた時、待ち構えていたかのように駆け寄って来る者が居た。
「すみませんっ!」
短く刈った茶色い髪の男、ウォルターだ。
「子供たちと、一緒では、ないですか!?」
息せき切って男は問う。
「子供って、ユインとルテ?」
「一緒じゃないけど、どうかしたの?」
戸惑いながら彼らは何のことかと問い返した。
「いや。ルテは家に居て、ユインと親しい友人らなんだが、姿が見えないんだ」
「え!? いなくなっちゃったの? いつから?」
アーシャは驚き思わず声を上げる。
「おれ達も忙しくしてたもんで、正確には分からないんだが、恐らく、今朝から……。いつも遊んでる辺りは、粗方探したが、どこにも居ないんだ」
「並木道の方とかじゃねーの?」
焦りからか早口になっているウォルターを
「別の者が探しに行ってるが、多分違うと思う。そっち方面に行くなら、ルテやグレタ、いつも一緒に居る他の小さな子たちを置いていくことはないと思うし」
「小さい子達は家に居るのですね?」
「あぁ。居ないのはユイン、フィオナ、クリスティン、テッサ、ジョーイ、ディック、同じ年頃の六人なんだ」
人数から考えて、どこかの誰かにまとめて連れて行かれたとは考えにくい。人目はどこにでもあるし、無理矢理ならば抵抗もするはずだ、とウォルターは希望も込めてそう主張する。
「他に心当たりは? 例えば、村で変わったことが起きた、とか」
「何でもいい、いつもと違うことがなかったか、あったら話してくれ」
取り敢えず、一旦宿の方へ戻りましょうと促しながら問うと、ウォルターは少し考えた後で
「そういえば、今年はランプの数が足りてないんだ」
そう言って話し始めた。
村の祭りを彩る、たくさんのランプ。それは湖の対岸に住む”森の魔女”と呼ばれる人物の手によるもので、毎年祭り前に届けてくれるということ。今年も来たのだが数が足りず、取りに戻ってまだ来ていないということ。
村人は皆忙しく、また彼女自身が人を寄せ付けない人柄の為、誰も様子を見に行けておらず、仕方なく各家が持つランプを出して飾っているのだということ――
「その話を、子供たちの前でした?」
「……したかもしれない。何かがあったのかもしれないから、誰かが見に行かないとなって――」
それを聞き、彼らは目配せし合って頷いた。
「えぇ!?」
その思惑に気付いてウォルターは思わず声を上げる。
「で、でも、子供のお使いの距離じゃ……」
「親や村人達が困っているのを見て、どうにかしたいって思う様な子供たちなんじゃないの?」
ほんの少しふれ合っただけだが、村に、祭りに誇りを持っている、親思いの子供達であることは容易に感じられた。困っている人達をどうにかして助けたいと思うのは、当然のことだろう。
加えて、”子供達だけで行くことを禁じられている”のだとすればそれは、彼らの冒険心を更に煽るだけだ。
「そこに行ったことのある子はいますか? 道の分かる子が……」
セフィの問いに、ウォルターはやや青ざめながら頷く。
「村を出れば、湖を右手にほぼ一本道だから、迷うことはないし行けるんだろうけど、でも、小物とはいえ魔物が出る危険も――」
「『毎日訓練してるから、結構強いんだっ! 魔物とだって、戦える!』って昨日、言ってたけど」
「!!」
そんなはずはない、あってほしくないと願って否定しかけたが、自身にも思い当たる節があったのだろう、ウォルターは言葉を失った。
「他のどこにも居ないって言うんだったら、可能性としてかなり高そうだね」
ロルがそう結論付ける頃、彼らは宿の傍まで来ていた。
人通りの決して多いとは言えないその路地には、子供たちの母親と思しき女たちが数名集い、そして彼らの姿を認め、手を挙げ招く。
「どうだった?」
「居たかい?」
駆け寄ると口々に問われ、ウォルターは首を振る。そして、妻に抱かれながらしゃくりあげる小さな息子の手に玩具の剣が握られているのを見つけ表情を険しくした。
「彼らに、ついていったわけではないようだ。ただ森に……メレディスさんのところに行ったんじゃないかって」
「なんだって!?」
ウォルターの言葉に、女たちは半ば悲鳴の様な声を上げた。
「話を聞いての推測なんだけどね。俺達としてはそうじゃないかと。――それぞれの家で、無くなってるものはなかった? 例えば、武器にできそうなもので」
「おれ、ちょっと物置見てくる!」
そう言って駆けて行ったウォルターが、ユイン愛用の剣が無くなっているのを見つけて戻って来たのを受けて確信を得た一行は、子供たちの捜索を引き受け森へ向かうこととなった。
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