124 - 「おめでとう!」

 窓からは、湖が見えた。そろそろ日が沈もうという色の空とそれを映す水面、なだらかな丘の稜線、どこからともなく風に乗って舞う淡紫の花弁。そして、甲高い楽しげな声に視線を手前に移すと、建物と湖の間にある宿の裏庭に数人の子供達。

 カンッカンッと響く乾いた音は、手作りだろう木製の模造剣を打ち合わせる音だ。麦藁色の髪の子供が振るうそれの相手をしてやってるのは、濃紺の髪の少年。それから数名の子供達と赤髪の少女、黒髪の青年が何やら声を掛けながら見守っている姿がそこにあった。

 祭に行って夜が遅くなるかもしれないから、部屋で少し休憩をしてから出かけようということになっていたはずだが、少しも休むつもりなどないようだ。

それでも彼らはとても楽しそうで、高いところにある窓から見下ろし彼は思わず笑みを漏らした。

「セフィーいるー? 入るよー?」

扉を叩く音に続いて、声と同時に開く。金髪タレ目の青年がひょこりと顔を覗かせた。

「ロル」

「そろそろ出かけるー? ってあれ? リーは?」

窓辺の椅子に腰かける一人以外に人影が見当たらず、そう問うたロルにセフィは微笑み窓の方を示した。

「外?」

「えぇ」

促されるままに、傍に立ち窓から外を見下ろす。

黄昏に染まる湖と、はしゃぐ子供達。それから仲間三人の姿。

「元気だねぇ子供たちは」

「そうですね」

周りには村人たちの住まいが多いせいか、大きな通りの賑わいはどこか遠く、喧噪の外側にある和やかな風景が広がっている。

「アレス、アーシャとリーも、すっかり打ち解けて仲良しみたいだし」

「えぇ。本当に。波長が合ったんでしょうね」

そう言うセフィもまたどこか嬉しそうだ。

「だろうね~……」

一瞬ロルは、『寂しくない?』と口にしかけて、直後にその言葉を飲み込んだ。

 嫉妬心や独占欲といった感情が、欠如しているのではないかと思われるほどに薄いらしいことは、これまでの様子からも、リーの言葉からも、そして今嬉しそうにしている表情からも明らかだったからだ。

 例えば、自分が築き上げた良好な人間関係の中に、後から来た人物が我が物顔で踏み込んでくる不快感や、自分が心を許した人物の関心を奪われる様な疎外感。そういった感情をひとは抱くことがある。幼馴染という大変深い関わりのあるリーと、そして共に旅して来たアレスやアーシャ、どちらに対しても抱きうる感情だろう。言うなれば嫌な気持ちになる、ということが人間にとっては往々にしてあるのだと彼は思っていた。

だが、今傍にいる人物にはそういった感情の揺らぎの片鱗すら、見つけることができない。

――不思議、というか、やっぱりちょっと、危ういよなぁ……

嫉妬や執着や独占したい気持ちは、確かに過ぎれば醜いと言われるものかもしれない。それによって、時に他者を傷つけることすらある強烈なものだ。だがそれらは、人間らしくあるために必要な感情とも言えるのではないか。他者への執着は、自己愛の顕れでもあるのだ。

 聖職者だからといってその様な感情を捨てられるものではないし、制御する術を身に付けていたとしても、時に暴れ出すような衝動というものが、人間にはあるのだと彼は思っていた。

 決して淡白な訳ではない。彼の愛情深さはこれまでも見て来た通りだ。

――幼いとか老成してるとか、そんな感じじゃないんだよなぁ……

幼い故の純粋や、老いたるものの達観とは違う。機微に疎いわけでも無い。

――無い訳はないって考えると、最初から完全に、無意識の内に制御してしまってるってことなのかな……

興味深いなぁ、と微笑みながら彼は取りとめなくなりそうな思考を中断して別の話題を持ち出す。

「そう言えばさ。アレスの誕生日プレゼントなんだけど」

「あぁ、そうですね。どうしましょうか。ここなら、色々お店もありそうですが」

レグアラを発って間もなく、彼は誕生日を迎えた。前もって祝う風習はないため、言葉を掛けただけでまだ何もできていない。

「さっきちょっと出かけて見て来たんだよね」

「何か良いもの、ありました?」

「うん。実はもう買ってきちゃった」

いつもの悪戯っぽい瞳でそう言いながらロルは取り出した包みを開いた。

「どうかな?」

促されるままに手に取り、眺めた後でロルを見上げる。

「素敵ですね。きっと、喜ぶと思いますよ」

少年の嬉しそうな姿を想像して、セフィもまた幸せな表情を浮かべた。

「よかった。リーとアーシャにもこっそり伝えとくね」

その綺麗な微笑みにつられる様に、ロルもまたにこりと笑って包みを仕舞うと、そろそろ出かけようかと声を掛けるべくもう一度窓の外に目を遣った。




 午後になって一旦落ち着いていた人の出は、日が暮れる頃には昼食時以上のものとなっていた。

 其処此処に吊るされたランプに光が灯り、穏やかにそよぐ風に乗って食欲をそそるいい匂いが漂ってくる。特に教会前の広場には様々な露店が軒を連ねて賑わい、買ったものをその場で食べられるよう設けられた卓には、村人も旅人も、家族や友人、恋人連れもひとり者も、皆同じように盛り上がっている。

 広場の周りに植えられたアルア・ティーユは、今を盛りと咲き乱れ、飲食を楽しむ者、買い物をする者、商売をする者、ただ眺める者、祭りを楽しむ全ての者に優しく微笑みかけているかのよう。

 そして花と酒と共に人々を酔わせているのは、どこからともなく聞こえてくる音楽だ。笛や太鼓や弦楽器、それから歌い手の歌声が、時に軽快に、時にしっとりと異国の恋物語や英雄譚、人生の楽しみを語って聞かせる。


 彼ら五人は人々の波に乗って路地を漫ろ歩き、露店をぐるりと見て回ってから、広場に面した食事処の店前に据えられた卓に席を見つけた。仕事を終えた村人らしき人々も、麦酒やら果実酒を傍らに食事を楽しんでいる。

相席が当然の造りの、長く連なった卓も椅子もやや手狭ではあったが、その分隣り合った者同士はすぐに親しくなれるようだ。

 席に着き品書きからいくつか注文すると、驚く様な素早さでまず飲み物が運ばれてきた。村の娘や青年らが、祭期間限定、臨時で手伝っている店が多いと聞くが確かに、手慣れた様子の給仕とそうでない者が入り混じって忙しく動き回っている。

「えーと、とりあえず、カンパイ?」

「そうね。でも、何に?」

素朴な焼き物のカップを軽く持ち上げるロルに、アーシャがクスクスと笑いながら問うと、

「アレスの誕生日に、ですね」

セフィもロルに倣いながらアレスに微笑みかける。

「えっ!?」

「あ、そっか! ちゃんとお祝いしてなかったもんね!」

「そうだな」

「そうそう、だから改めて、ね」

「いや、おれ、そんな、別に……」

突然のことに吃驚し、それから皆に注目されていることに、アレスは赤くなって口ごもる。

「せっかくなんだし遠慮すんなって」

「そうですよ」

「そうそう」

「そんなわけで、アレス、誕生日おめでとう!」

「おめでとうございます」

「おめでとー!」

彼らは口々に言いながらカップをカチンと触れ合わせる。

すると、それに気付いた周りの者達までもが、

「なんだなんだ、祝い事か?」

「誕生日? そりゃーめでてぇなぁ!」

「おめでとうよ」

「おめでとう!」

杯を掲げ祝いの言葉を贈ってくれる。

「あ、ありがとうっ」

アレスは驚き戸惑いそして照れ笑いを浮かべ彼らに応えた。

 そうしてしばらくもみくちゃにされた後で、カップの中身を呷って落ち着いた彼に、ロルは包みを取り出して差し出した。

「俺たちからのプレゼントだよ」

「へっ!?」

またもアレスは驚いた。

間の抜けた声を上げて目を瞬かせる彼に、

「ほら、早く受け取れって!」

「中、見せてよ!」

リーとアーシャがそう催促する。

「あ、あぁ」

アレスは差し出された物を両手で受け取った。細い見た目よりもズシリと重く、長さは手首から肘ほどまでといったところか。思いもよらなかったことに、ついて行けていない表情のまま包みを開く。

「!」 

それは、一見すると地味な、だがよく見ると精緻な細工の施された短剣だった。

「わぁ、綺麗!」

感嘆の声を上げたのはアーシャ。

「ロルが選んで下さったんですよ」

そしてセフィの言葉にアレスはロルを見た。

「何がいいかなーと思って、結局実用的なものになっちゃんたんだけど。こういう感じの持ってないよね?」

彼はいつもの表情で言って目配せをする。

「うん……」

アレスは頷き鞘から刃を滑らせて見た。

短く幅の狭い両刃の直剣で、腰や腿、ブーツに鞘を取り付けて身に付けておくことが出来る。

確かに、アレスは暗器と呼ばれる類の隠し武器を持っていない。

 事前に何を贈るかを聞いたリーが、『あんま似合わないっつーか持ってなさそうな感じだもんな』と感想を述べた通りだったのだが、背に負う長剣や作業用ナイフに加えて実際的に戦闘に使える第二、第三の武器も持っておいた方が良いだろうとも話していた。

「綺麗な剣だな」

向いに座ったリーが覗き込むように見て呟く。

「あぁ」

 柄の傍に草の絡んだ様な模様の刻まれた刀身を見詰め指でなぞったアレスは、ふと、初めて剣を持たせてもらった時のことを思い出した。

 重くてぐらついて、まっすぐに支えることすらままならなかったけれど、その柄を握りしめ刃の向こうに敵の姿を想像すると、それだけで強くなれた気がしたものだ。

小振りではあるが、使いこなすことが出来ればそれは自分にとって新たな牙となるのだろう。

守りたいと思うものが増え、より強く成りたいと思った彼にとってそれは、必要なものであり欲するものだった。

「ありがとう!……でも、おれ……」

だが、そう、使いこなすことが出来れば、の話だ。使えないことはない。しかし彼は、自分が器用な性質ではないことを自覚していた。

嬉しそうな表情を僅かに曇らせたことに気付いたロルは

「扱い方に不安があるなら教えるよ」

にっこりと笑んだ。

アレスがそれに大きく頷き、アーシャが「え、いいな、あたしも!」と訴えた時、

「お待たせいたしましたぁ!」

「おぉっ!」

「わぁ!」

見計らったように、料理が次々と運ばれてきた。

 淡水魚の塩バター焼き、鶏手羽元の唐揚げ、根菜と豆の煮込み、塩漬け肉とチーズの燻製、黄金色の卵料理に酵母が香るパン等々。

 手の込んだものから素朴なものまで、どれもこれも出来立て熱々で食欲をそそるいい香りがする。

アレスはもう一度皆にありがとう、と言って貰ったものを鞘に納めいそいそと仕舞い込み、地味あふれるそれら料理に手を伸ばしたのだった。

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