110 - モイールの村

 モイールの村人達にとって、何ら変わりのない日となるはずだった。

 いつものように早朝からの漁に出かけた者達が帰って来た頃、だがそれは唐突に訪れた。

驢馬しか通れない様な、人の手でやっと段に築いた幅の狭い急な階段を、武装した騎馬隊が駆け下りてきたのだった。

 三方を絶壁に囲まれたその村は、狭い土地にささやかな家々がひしめき合い、海に突き出すように設けられた簡素な木製の桟橋にはどれも小さな漁船が舫われている。決して特別なものはなく、メルドギリス第二の都市レグアラと、目と鼻の先にあるにも関わらず何の変哲もない漁村だ。

 何事かと戸惑い怯える村人達を余所に、素朴な路の敷石を無残に踏み砕きながら兵士たちは村の中の目的地に向かって駆け、たどり着くとすぐさま一所に集合した。

 そこは、村の南東の端。東の絶壁に穿たれた洞窟の前。広場と呼べるほどの広さはなく、40人ほどの部隊は収まりきらずにやや手前で馬を下りる者もいた。

 長身の男が身を屈めずとも入れる十分な高さ、幅は両手を広げて届くか届かないかの広さのある入口の前に、部隊の長は連行してきた男を立たせた。その身を縛る縄の端を持つのは、副長であるカーティス。

「この奥だな?」

「……」

随分と痛めつけられた様子の男は無言のまま視線を反らす。

「……ふん、まぁいい。入れ」

縦にも横にも並外れた体躯の部隊長は、分厚い唇を歪めて命じた。


 洞窟の中はひやりと湿った空気が満ち、磯の匂いというよりも、冷たい水の香りがしていた。

床面は平らに均されているが、剥き出しになった黒く硬い岩壁の表面は水を伝わせているのか、掲げた灯が映っている。

 先頭を行くのは部隊長と捕虜の男。そのすぐ後ろに縄を持つカーティス、更に部隊の半数が続いた。隧道のような洞窟はゆるやかに曲がりながら、やがて入口の光が見えなくなり、少し広まった場所に出た。天井がやや高くなっている、一段と水の濃い香りの満ちているそこは、洞窟の最奥部。

「なんだ、ここは?」

掲げた松明の光が、隅々まで照らすが先へ続く道はない。

一部彫り込まれた壁面には何かを祀る様な壇が設けられ、水盤から清らかな水が湧き出している。

一筋の流れが水盤から地面に落ち小さな池を作り、水溜りのようなそれは、溢れ広がる様子がないことから、地表に出た泉がまた地中へと流れて行っていることが窺えた。

「……聖なる水の祠、と村人は呼んでいる」

男は静かに言った。

「そんなところへ連れて来いなどとは言っていない! 謀ったな!?」

部隊長は男の胸倉をつかんだ。荒げた声が響く。

「誰が本当のところに連れてくるかよ」

怒りに燃える漆黒の瞳を恐れることなくじっと睨み返して男は薄らと笑う

「きさま、゛恩赦゛が欲しくないのか。仲間を助けたくないのか!」

「お待ちを、オブライエン隊長。――大地の魔法を使う者、この壁を調べろ」

男の首を締め上げそうな勢いの部隊長を制し、カーティスは兵に声をかける。

数名が前に出、祭壇付近の壁に手をついて調べ始めた。

「――大地の魔法を使う者ならば、穴を塞ぐことなど造作もない。違うか?」

急に手を離され尻餅をついた男を、カーティスは冷厳な瞳で見下ろす。

「……」

男は一度ちらと見上げた後で、視線を反らした。

少しして、

「確かに穴があった様ですが、とても強い魔力で封じられています」

と、一人の兵が進み出て言った。

「解呪は? できるのだろうな?」

「少し、時間を要しそうですが……」

「皆でとりかかれ。急ぐんだ」

カーティスが兵らに命じると、オブライエンは再度捕虜の男を見下ろし低い声で問う。

「おい。お前たちは、どうやって出入りしていた? どうにかできるんじゃないのか」

「知らねぇよ、そんなこと」

吐き捨てる様に言う男。

だがそれが虚勢だと知るかの様に、オブライエンは黒い髭に見え隠れする口元を歪ませて嘲笑した。

「見捨てられたのか。可哀想なやつめ。悔しいだろう、恨めしいだろう、お前を見捨てたやつらが!」

「っ……!」

反射的に男は口を開きかけ、止めて押し黙る。ただじっと、睨むようにオブライエンを見上げた。

 その瞳に灯る光はあまりに鋭く反抗的で、オブライエンは不快気に唸りその太い腕を振り上げた。




 正午の鐘を待たずに、船は滑るように港を出た。

そのまま海岸線を左手に見ながら、まずは東へ。その後は北へと向かう。

灰色から黒、そして所々に緑の張り付いた切り立った岸壁は垂直どころか海に向かってややせり出した部分もあり、また波間に岩礁や海中から鋭く突き出した巨岩が姿を見せている。

レグアラという街がいかに稀有な場所に築かれたのかを感じずにはいられない景色が広がっていた。

「で、ブロムダール卿としては、逃がしたいんだよね?」

船橋室に彼らは集っていた。出航前に話し合えてなかった本当のところを確認するためだ。

「その通りだ」

「それは、彼らが貴方の友人、トリスタンとイオルズだから? そう確信しているからですか?」

「そういうわけではない。確証もない。だが、海賊の正体がどのような者であっても、沈めたいなどとは思わん。悪くても捕縛に留めたい」

ヘンルィクはセフィの問いかけに、真っ直ぐに答えた。

「彼らは彼らなりのやり方で、レグアラを解放しようとしていた。確かに、海賊被害は大変なものだ。だが、人々は損害を受けると同時に守られ助けられていたのも事実なのだ。……彼らは時に、他国からの略奪品を街に流通させていた……」

「そうだったのですか……」

彼の言葉に、セフィはほっとすると同時に、問うてしまったことを後悔した。

「先ほど言ったように、確証はない。が、私自身がそうだと感じ信じていること、彼らであってほしいと強く願っていることは確かだ。そしてそれを前提に動くことになる。嫌な気持ちにさせてしまったようで申し訳ない」

「いえ、こちらこそ……!」

表情からくみ取り、大人の気遣いを見せるヘンルィクにセフィは慌てて首を振った。

「――聞いたところによると、それぞれの船に数名ずつ魔法の使い手が乗っていて、射程距離に入ったら一斉に攻撃するってことだけど、どうやって回避させる?」

会話が途切れたところでロルが、広げたレグアラ近海の地図に落としていた視線をローズに、そしてヘンルィクに移した。

男は頷き、

「私が使うのは炎だ。船の手前目がけて術を発動させ、爆炎と水蒸気、水飛沫で術者の目くらましをし、そのまま追いつかないようにする、という算段でどうだろうかと思っている」

そう提案した。

「私たちが此方側の船をなるべく押し留め、その間に少しでも早く、遠くへ行ってもらうということですね」

「君たちも風を使うと聞いたから、それを頼みたいと思っていた。可能だろうか?」

ヘンルィクが窺う瞳で見れば、ロルはうーん、と軽く唸った後で

「かなり強引つか、力技? な感じもするけど……バレないようにやらなきゃだね」

言葉とは裏腹な、少しの不安もないかの様な余裕の笑みを漏らした。

「あたしらは思ったように船が進まなくても、気付かないふりしときゃいいってことだね」

そしてローズは腕組みをして首を傾げ悪戯っぽく笑う。その反応にヘンルィクもまた安堵の表情を見せた。

「二人が乗っているなら、スタンは風や霧を操るのが得意だから、此方に気付けば同じように目くらましの為の霧を生じさせるであろうし、船足を速めるための風を呼ぶはずだ。イズは一時的にだが船に鋼鉄の強固さをを纏わせることができる。多少の攻撃には耐えるだろう」

「そっか。まぁ、彼ら自身が全力で逃げてくれるなら、その援護をすればいいわけだし」

足を組み替えて背凭れに身を任せるロル。

「そうですね。……ところで、アレス達のことなのですが」

セフィは振り返るようにして後ろになった彼を見た。

「そだねーどーやって回収するかなぁ……」

何かを考え込むように天井を見つめてから、視線を戻す。

「とりあえず、その何者かわからない誰かが任せておけって言ったんだよね?」

「……」

セフィは無言で頷いた。

今朝戻って来たレシファートは、アレス達の所在を確認したということと、その場に居た何者かからの言伝を預かってきていた。

 曰く、部外者三人と自分は別の船で脱出するので心配しなくていい、と。回収してくれれば助かるが、と言っていたと言うのだ。

「誰なのかな?」

心当たりは? とロルは身体を戻して辺りに視線を巡らせた。誰もが首を横に振る。

「どちらにしても、ヘルガたちだけを救出する良い手立ては思いつかない。その何者かを信じるしかないのだろうな」

「だねー。とにかく、どこから脱出してくるつもりかわからないけど、他の船に捕まる前に回収しないと」

 ヘンルィクから、地上部隊の副長を務めるカーティスという男の容赦の無さは聞いていた。その為三人が海賊に置いて行かれ、囚われていた身として救出されるにしても、仲間とみなされて捕縛されるにしてもその処遇に懸念を感じずには居られなかったから、少なくとも自分たちの居る海側に脱出してきてくれるなら、その方が良いに決まっている。

 加えて、自分たちの目の前にその姿を現すならやはり、真っ先に救出したいと思ったのだ。

「念のため、レシファには伝えに行った後、そのまま彼らの援護をお願いしておきましたが」

「何が起きるか分からないもんね。取り敢えず俺も、あっちの船が見えたらすぐにクァルに偵察に行かせるよ」

そこまで聞いて、そろそろ話しも終わりだとばかりに、ローズは立ち上がった。

「ま。アレスやアーシャのことだ。案外自分たちで何とかしちまうんじゃないかい? その誰かを信じるのもいいけどさ、仲間を信じてやんなよ」

そう言って笑った彼女につられ、ロルもまた笑みを漏らす。

「うん、信じてはいるんだけどね。俺達ってば心配性だからさ~」

「へぇぇそうだったのかい。セフィはともかく、あんたはそんなに心配してるようにゃ見えないけどねぇ?」

ひょいと片眉を上げて意地悪く言うローズ。

「えぇっ! これでも全力で心配してるのに!」

心外だなぁと憤って見せるロル。

 不確かなものへの不安を和らげるような二人のやり取りに、セフィとヘンルィクは思わず相好を崩したのだった――。

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