109 - 白狼の報せと王の詔書

「ジズナクィンに着くまでの護衛としてっつー話だったが、協力してもらえるのはありがたいぜ」

部屋を出たところで、赤銅色の髪の男は悪戯猫のように笑った。

「……あいつらが留まるなら、オレだけここを離れるわけにいかない。わかってただろう、ジェイ」

彼は不満気な声で応える。前を行く大柄な男は頭を掻きながら

「そら、まぁ、な。脅迫紛いのことして、巻き込んじまって、悪ぃな」

言葉とは裏腹な表情で詫びる。

 剥き出しの岩壁を確かめるように辿りながら、彼らは階段を下り始めた。

「最初から、詮索はナシだとか言いながら明らかに機密事項だろう話をベラベラと喋って聞かせてくれやがったやつが、よく言う」

「はははー」

溜息と共に向けられた言葉に、「一応、人は見たつもりだぜ~」と、緊張感のない笑い声をあげる青灰色の髪の男。先頭を行くトリスタンもまた、くつくつと笑っている。

「……まぁいい。けどな、やり方に関する指図は受けないぜ?」

鼻から口元までを隠した布を、くいと下ろして素顔を晒し、彼もまた不適に笑む。

薄闇に細めた翡翠の瞳がキラリと光った。

その時、

「あ、居た! トリスタン! ジェイ!……と、シンも!」

丁度下から上がってきた、青い髪の少年が彼らの姿を認めて駆けてきた。その向こうには少し離れて、赤い髪の少女の姿。

シンはそっと覆面を戻した。

「アレス、どした?」

「何かあったか?」

長身の二人が見下ろす形になりながら問う。

「大変なんだ! えーと、どうする?」

少年は背後の少女を振り返る。

「とりあえず、来てもら……いえ、イオルズにも、聞いてもらわなきゃじゃない?」

「そうだな。部屋に居るか?」

追いついた少女の言葉にアレスは頷き、三人を見た。

「あぁ、いるぜ」

「じゃ、行こう」

「なんだよ、どうしたんだ?」

「定時連絡が、来てるかどうかなんだけど、とりあえず、税制を戻す事と、海賊討伐の王命が、下ったらしいの」

下から駆け上がって来たからだろう、やや息を切らしながら少女は言った。

「へ!?」

「おま、それ、どこ情報……!?」

「いいからっ!」

驚いた声を上げる二人の間を抜けて引き返すように促すアレス。アーシャもそれに続き、

「ほら、早く!」

三人もまたそれに従った。



扉を数度叩き、返事を待たずに中に入ると

「すぐに、出航準備をしてくれ!」

アレスはとにかく一番伝えなければならないことを言葉にした。

「なんだアレス。どうかしたか?」

突然のことにイオルズは驚きつつもすぐに話を聞く姿勢を取る。

「税制を3年前の水準まで戻すことが決まったらしいの。それと、海賊討伐の王命が下ったって」

「なんだって?」

「だからお前ら、それどこから聞いたんだ?」

「定時連絡はまだ来ていないが」

アーシャの言葉に、トリスタンとイオルズは不審を露わにする。

無理もない話だ。だが、どう説明すべきかと瞬時思い巡らせ、アーシャはアレスを見た。

「それは……。ね、アレス。レシファに直接話してもらった方がいいかな?」

「あ、あぁ。そうだな。レシファ、いいか?」

顔を見合わせた後で誰にともなく呼びかける少年。

「? 誰だ?」

「驚かないか?」

「そんなこと言ってられないわ。お願い、レシファ、ここに出てきて!」

何を言っているのかと首をひねる男たちを余所にアーシャがそう声をかけると、白い獣が現れた。

「!?」

部屋の奥、茂る蔦の隙間から射す光と影の中に佇むのは通常の大きさの倍はありそうな狼だ。

 決して広いとは言えない、どこかに隠れていることなどできはしないその場所に突然現れた存在に、彼らは驚き、そして

「魔物!?」

それが魔に属する生き物だと気付くと思わず後ずさった。

「大丈夫。人を襲ったりしないわ。レシファはセフィの使役獣で仲間なの」

「言葉話せるし、頭もいいんだ。こいつが仲間からの言伝を持ってきてくれた」

アーシャとアレスは白狼の傍に駆け寄り、その両側に立って彼らに訴える。

「仲間……」

 その、揺るぎない澄んだ瞳で見つめられた彼らは、ひとまずその魔物に害意がないことを認め肩の力を抜いた。

 彼らの動揺が収まると、白狼の橙の瞳が海賊たちを見据え、その大きな咢が開かれる。

『無駄話をしている暇はない。お前たちの本願は達せられた。税制を3年前の水準に戻し、民に対する支援策も講じるそうだ。加えて、海賊の討伐命令が下った。王命により、ヘンルィク=ブロムダールがその任に当たる』

「!!」

驚きに微動した彼らを意に介さず、白狼は続ける。

『潜伏していた海賊数名は捕えられ尋問を受けた様だ。彼らは連絡を寄越せない可能性が高く、この場所も既に知られているだろう』

口は動いているがその声は、音としてではなく頭の中に直接響くものだった。

『戦う理由も必要もない。一刻も早く逃げろ、とセフィが伝えてくれと言っていた。今頃ヘンルィク=ブロムダールの乗った船ユーディットと、その他の船がここへ向かって出航しているはずだ』

「その話は、本当なのか……?」

抑揚少なく語る白い狼。俄かには信じがたいという表情でイオルズは呟いた。

『本当だ。我には偽りを伝える理由などない』

「それはつまり、議会の発表があったってことか?」

『まだだ。エミリアという娘がセフィとロルに話していた。正午に詔書の公表が行われるそうだが、逃げ込んでくるお前たちの仲間もいるのではないのか? その者たちが、要らぬ者まで引き連れてこなければよいが』

トリスタンの問いに対する答えも冷静で理知に富んで見える。

「それが誤報である可能性は?」

『無い』

「では、真実である証拠は?」

『無いな。信じろとしか言いようが無い』

「……」

イオルズは刹那思考した。そして白狼と、少年少女を見た。

信じてくれと、必死に訴え掛けてくる瞳はあまりに真っ直ぐで、疑いを持つことの方が恥ずかしくさえ思わせる。

「……わかった。信じよう」

ここでそれ以上の問答をすべきでないとイオルズは理解した。

「いいのか?」

「あぁ。すぐに出航準備を始めよう。スタン、ジェイ、シン。手伝ってくれ。皆に伝える」

そして言うが早いか三人を部屋の外へ促し、自らも扉をくぐったイオルズは立ち止まり振り返った。

「アレス、アーシャ。それから、レシファと言ったか。知らせに来てくれて、感謝する」

そう言い残して男は階段を下りて行った。



「……協力する、とは言ったけど……。おれたちは、どうする?」

ほっとするあまりその場に取り残される形となったアレスとアーシャは顔を見合わせた。

税制を戻すという目的は達成された。そして、彼らは言っていた通りにこの地を離れることになったのだが、既に追手がかかっており思いの外急な出立となりそうなのだ。

「一緒に行くわけにいかないわよね。あたしたちの目的地はレグアラというか、メルドギリスなんだし」

「てかさ、おれたちって海賊の仲間ってことになるんかな。だとしたら、ここに残ると捕まってマズいことになるってことか?」

「……確かに、イオルズたちとブロムダール卿の関係とか、色々聞いちゃったもんね。その為に、ここに居ることになったんだし。……でも、ここから逃げるって言っても、出口、海にしかないよね……」

自分たちには、彼らと一緒に行く理由はない。だが、この地に留まる事も難しく思える。

戦う覚悟はしていたが、まさか何もしないうちにただ追われる身となるとは思っていなかった二人はやや焦った。

『1か所だけ、漁村へと出る道がある』

「そうなの!?」

『だが、やめておいた方がいい。道はひどく入り組んでいる。無事村に出られたとしても、何者にも気付かれず、レグアラまでたどり着けるとは思えない。何より、地上からの海賊討伐部隊が押し寄せてくる危険性がある』

「そ、そっか……鉢合わせしても困るし、出口で待ち伏せされてるかもしれないもんね」

「そうだな」

思わず飛びつきかけたが、冷静なレシファートの言葉に二人は押し黙った。

そんなアレスとアーシャを交互に見、

『……あの男は、何者だ?』

「あの男?」

『覆面をしていた、あの男だ』

「シンのこと?」

白狼は頷く。

『昨日、お前達の居場所を探してこの地を訪れた時、そのシンという男が声をかけてきた。お前達のことは自分がどうにかするから心配いらないと、主に伝えろと言ったのだ』

陰伏した使役に気付き、声を掛け、更にその向こうの存在とアレス達の関係を知っていた。

『何者なのだ?』

並大抵の人間ではあり得ない。そんな者をいつの間に味方につけたのだと、白狼は怪訝そうな顔をする。

「分からない……」

アーシャとアレスは思わず黙り込んだ。

 ここに滞在している間、ジェイをはじめに何人もの海賊と話し、共に時間を過ごしたが、彼とはほとんど言葉を交わす機会がなかった。それどころか、自分たちは彼の素顔すら知らない。

 最初にジェイがザクファンスで雇った護衛だと話していたが、新しい仲間だとは言わなかった。だとすると彼も部外者のはずであり――

「ねぇ、なんだか急に慌ただしくなったけど、何事なの!?」

恐らく同じところに思い至ったアレスとアーシャが顔を見合わせた時、開け放たれたままになっていた扉の向こうから声が響いた。

「え!? なに、それ、犬!? どこから入り込んできたの!? 大きすぎない!?」

 息を切らして部屋に飛び込んできた橙の髪の娘は、アレス、アーシャと共にそこに居た白い獣の姿を見つけ更に声を上げた。

 そして二人は、これからのことやシンの正体をそれ以上深く話し合えないままヘルガによる質問攻めに遭うこととなったのである。




 余分な土地の少ないレグアラにおいて、そこだけは例外的に多くの人々が集える場所であった。

街のやや海寄りの地域に位置し、すぐ傍には堅牢な石造りの鐘楼持つ大聖堂が建つ、市庁舎前広場は触れを聞いた民により埋め尽くされんばかりとなっていた。

人々の表情には、不安と焦燥、失望と憤りが満ち、期待や望みを見出す者はほとんどいなかった。

 やがて正午の鐘が鳴り終わると、広場に突き出した露台に壮年の男が姿を現した。

レグアラ市長ダリミルだ。その両側に鎧兜で身を固めた兵を左右二人ずつ従えた物々しい雰囲気の中、時候の挨拶もそこそこに市長は国王からの詔書を読み上げ始めた。


「先ずは皆に詫びたい。

海賊などという不逞の輩によって、甚大な被害を受けていたこと、そして敷かれた税制により苦しみを強いられていたことに気付かぬまま、これまで何一つ救いの手を差し伸べることができていなかった。

 これまでの政策は全て国の為、民を守りたいが為に行ってきたもの。

だがその過程で、苦痛を強いられた者が多数存在することも事実。

それは反省されるべきことであり、見直されるべきことだ。

 余分に課された税制は全て撤廃し、労役に当たっている者の帰還を早急に促す。

加えて、貧困対策の為に国庫を開き、また都市機能回復の為国を挙げて海賊を討伐する」


 人々は静かに聞き入り、市長の声は朗朗とよく響いた。


「皆の協力により、鉱山からは多くの富を取り出すことが出来、また兵力も整えられつつある。

 更なる備えとして、外国との取引が必要となった。そして、レグアラの民が直面している困難を知ったのだ。

遠く離れて居る故、対策が遅れてしまったことを本当にすまなく思う。そして苦境にありながらも変わらぬ忠誠を尽くしてくれた皆に感謝の意を述べると共に、心は常にレグアラを含む全メルドギリス王国の民と共にあることを改めてここに誓おう」


読み終えて、市長はその詔書を民の方へと向けた。

「知っている者も居ろう、既に海賊の討伐隊は港を出、また間もなくメルドギリスよりの帰還者と支援物資が届くと、早駆の兵が伝えてきた。これが、国王陛下の示して下さった御厚情である!」

例え最前列であったとしても、そこに書かれたことが読めるような距離ではない。だが、市長は高々と詔書を掲げ、人々の視線をそこへと誘う。

 たった一人の咳払いの声すら響き渡りそうな静寂が落ちた。

「――国王陛下万歳!」

どこからともなく声が上がった。

それは、穏やかな水面に投げ込まれた小石の様に、次々と波紋を広げ伝えてゆく。

「国王陛下万歳!」

「メルドギリスに栄光あれ! レグアラに栄光あれ!」

やがてそれは大きく膨れ上がり、空に地に響く歓声となって広場を埋め尽くした民衆を取り巻いた。

 人々には、目の前に示されたものが目の眩むような救いに、希望の光に見えたのだ。

だが。

「……何が、気付かなかった、だ」

王は、王として民の現状を知らなければならなかった。否、知っていた筈だと感じる者も居た。

「何が、全ては民の為、だ」

彼らは、喜色を浮かべ露台の市長に手を振り騒ぎ立てる人々をどこか恐ろしいものでも見るような目で見詰めながら、拳を握りしめて固く口を閉ざした。

 その欺瞞に気付きながら、声を上げることが出来る者は一人として居なかった。

それこそが、レグアラの不幸の根底にあると、彼らは知りもしなかったのである――。

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