108 - ブロムダール父娘の依頼
状況が動いたのは、翌日。
朝早くに路地を騎馬兵が駆け、正午より市庁舎前広場にて議会による国王の詔書公示が行われる、と触れて回ったのだ。
セフィ、ロル、そしてヨハンナとギュンターはそれを宿の食堂で聞いた。
「なんだか、大仰というか勿体ぶって公表するんですね」
「そうだな。さっきの、お触れの兵士が要点かいつまんで話して回ればいいだろうに」
ここへきてやっと緊張感なく親しげに話すようになったヨハンナとギュンターが口々に言う。
「まぁ、王様ってのは形式とか権威を示したりとか、そういうのが大事なんじゃない?」
ロルは苦笑しながら手にしていたカップを置いた。質素な食事は既に済み、前にあるのは空の皿とやや冷めたティーポット。
「早目に広場に行って、その辺の兵士だかお役人だかに内容聞けたりしませんかね?」
乗り出すようにしてヨハンナが言うと、
「兵士の中に内容を既に把握している人々がいれば、不可能ではないかも」
ギュンターも期待の籠った声で応える。
「どうかな。でも早く知りたいよね」
食事をしているものは他におらず、カウンターにも今人はいない。それでも自然と声を潜めるように彼らは話していた。
その時、唐突に彼らを訪れた者がいた。
「あぁ、よかった。まだこちらにいらして下さって!」
駆け寄るのは、外套に身を包んだ見知らぬ少年。だがその声は明らかに品のある女性のものだった。
「エミリア嬢?」
「どうかなさったのですか?」
頭巾を下すと、器用に編み込んで短く見せた桔梗色の髪が露わになる。
乱れた呼吸に上気した頬、瑠璃色の瞳は心なしか濡れているようにも見えた。
「お願いします! 父を……イズ達を助けて下さい……!」
絞り出すように言って胸の前で手を組むエミリア。
「!?」
「え、えぇっと? どういう……?」
その、余りに唐突で切羽詰まった様子に面喰って問うと、
「父が、連れていかれてしまったの。海賊討伐の命を受けて……!!」
なんとか涙を飲みこんで、努めて冷静な声で娘は言った。
「!」
ロルがちらとセフィに視線を移す。
「――取り敢えず、部屋に戻りませんか。そちらでお話を伺いましょう?」
彼は静かに優しくそう促した。
部屋に戻ると、外套を脱ぐ間も惜しいとばかりにエミリアは話し始めた。
「父が帰ってきたのは、昨夜遅くでした。その、国からの指示により、税制を緩和するようにと。3年前の水準まで戻すように、ということが決まったというんです」
「それは!」
よかった、とヨハンナは思わず声を上げそうになって自ら口を手で押さえた。
エミリアは頷き話を続ける。
「貧しい人々への支援策も講じられるというこで、あぁ良かったねって話していて。本当は皆さんにもすぐにお知らせしたかったのですが、深夜も近くご迷惑になるだろうと、翌日、つまり今日の朝一番に伝えに来ようって。悪い知らせでもないですし」
一旦言葉を切ったエミリアに、
「そうだったんだね。ありがとう」
ロルはにこりと微笑んで感謝を述べた。
知らせてくれと頼んだわけでも無いにも関わらず、ただ昨日少し会って話しをしただけでそこまで気を回してくれていたことがありがたかった。
「いえ……」
頬を染めるエミリア。四人は無言で話の続きを促す。
「……今朝早くに、議会からの使いが来ました。王命をもって、海賊討伐の指揮を執るようにって、父を連れて行ったんです。『あなたが援助していた青年が、海賊の襲撃により命を落としたと知った国王陛下が、その意趣を晴らす機会を与えて下さったのだ』って、言ってたんですけど」
「そんな……!」
ヨハンナは青ざめて息を飲んだ。
「……それが本意なのか、それとも海賊とブロムダール卿との関係に何かしらの疑いを持ってのことか……」
「全く何の関係もないとすれば、恨みに思いこそすれ、庇い立てする理由がない、ということですね」
娘の言葉に驚きつつも、ロルとセフィは冷静に分析する。
エミリアは苦しげに頷いた。
「そして、父は……自分は自分のすべきことがあるからって。最優先事項は分かってるって言って……」
「最優先事項……」
それは、レグアラのために何かを犠牲にする覚悟の言葉の様に聞こえた。
「……前にイズが言ってたんです。父は、この街に必要なんだって。……私は物を知らない娘だから、確かに父のことは好きだし大切だし元気にいて欲しいって思うのですけど、必要だとか、そういうことは正直分からないんです。……ただ、イズ達も、レグアラのことを大切に思っているというのは知っています。それなのに、どうして……」
同じものを同じ様に大切に思う者達が、何故追う追われるの関係にならなければならないのか。争いの場で対峙しなければならないのか。その不条理に娘は言葉を詰まらせた。
「エミリア嬢……」
堪えていた涙が思わず零れた娘を労わる様にセフィはその背を擦ってやる。
コンコンッ――
「……ん?」
扉を叩く音がした。
「ウォルシュさん、いらっしゃいますか?」
その問いに軽く返事をしながらロルが扉を僅かに開く。
「なに?」
「突然すみません、お客様がいらしてます」
緊張した面持ちでそう告げた宿の娘は身をずらして背後を示した。
「ヴォイチェク!」
既に隠れきれていなかった巨躯の男は頭巾を取って軽く頭を下げる。
「ありがとう。どうぞ、入って」
ロルがそう促し、彼が従うのを見届けて娘はぺこりと礼をして去って行った。
「来客中だったか。すまない」
扉の前に立ち塞がるようにしたままの男は、室内を一瞥し、見知らぬ娘を見つけて詫びた。
「問題ないよ。どうした? 何かあった?」
「ヘンルィク=ブロムダールという男が出航要請に来た。あんたらが言ってた、嬢さんの親戚じゃないのか」
「ブロムダール卿?!」
「父が!?」
促すロルに答えた、ヴォイチェクの言葉に皆は驚きの声を上げた。
「父? あんた、あの男の娘か? まぁ、いい。それで、海賊討伐の王命を受けたから船を出せというのだ。それから、あんたら二人にも同行して欲しいと」
ヴォイチェクは無表情のままセフィとロルに視線を向ける。
「俺たちに?」
「そうだ。嬢さんのことを知っている様なことを船長に耳打ちしてたが、どういう事情かいまいちわからん。とりあえず今、出航準備をしてるんで、あんたらにも来てほしい」
ヴォイチェクの言葉に二人は一度顔を見合わせ、そして
「わかった。行こう」
不安げなエミリアを見て頷いた。
なんとかして彼らの退路を、逃げ道を拓く手助けができればと思ったのだ。
いつでも出航できるよう準備を整えておくとローズが引き受けてくれていたが、それからたったの一晩だ。港の一角、ユーディットの周辺では、慌ただしく準備をする船員たちが忙しく動き回っていた。
詔書公示を聞くために多くの者が広場に集い始めているせいか、それとも何かしらの警告がなされたのか、昨日の着港直後とは打って変わって幸い無関係な街の人々の姿はなかった。
ユーディットの傍まで行くと、丁度桟橋のところに葡萄赤の髪の女と、見知らぬ男が立って話をしていた。
「ロル、セフィ、来たね」
此方を向いていたローズが手を挙げると、それに気付いた手前の男――精悍な顔つきの壮年の男――が振り返った。
「姐さん」
駆け寄ると、ローズはやや神妙な面持ちで彼らを迎えた。
「悪いね、急に」
「いいえ」
「姐さんがお呼びなら、何をおいてもすぐに駆けつけるよ」
ロルの言葉に女は腰に手をあて、「はいはい、わかったわかった」と言うように表情を緩める。
「この方が、ブロムダール卿?」
「あぁ」
「ヘンルィク=ブロムダールという」
長身の男は、綺麗に一礼した後で彼らをひたと見つめた。
本来優しげに見えるのだろう、やや目じりの下がった灰色の瞳には誠実さと意志の強さが宿り、前から全て後ろの撫で付けて整えた藍鼠色の髪には少しだが白いものが混じり始めている。整えられた鬚と相俟って年相応、否それ以上の紳士的な貫禄が窺えた。
「初めまして、で申し訳ないのだが力を貸してほしい」
「えぇ、分かっています」
「そのつもりで来たから」
低い冷静な声で話す彼の瞳の奥に鋭い光を感じ、二人は頷いた。
「昨日我家を訪ねてくれたそうで。留守にして申し訳ない」
「いいえ、突然お邪魔したにも関わらず、歓待して頂きました。事情も、奥様がとても委細丁寧に話して下さったので、概ね理解しています」
「そうか。それならよかったが……。急な要請に応えてくれて感謝する」
妻の話題が出たからだろうか、セフィの言葉にヘンルィクは薄らと微笑んだ。
「海賊の討伐、ですね?」
「……そうだ」
ヘンルィクは表情を厳しいものへと戻し頷く。
「この船に私と、レグアラ武装兵団の数名を乗せてもらいたいとローズ船長にお伝えした。皆見知った顔だが数が少ない。海戦経験が無い者居るため、貴方方と、船員の方々に頼りきりになると思う。……船をぶつけ合う様な派手な戦闘をしようというわけではないのだが――」
「あぁ。聞いたよ。それより……」
ローズは軽く辺りを一瞥した後で声を潜めた。
「監視っぽいやつが乗ってくるのかと思ったが、そうでもないんだね?」
その言葉に、少し驚いたような表情を見せたヘンルィクだったが、この場の者が皆状況を理解していると察したのか、
「恐らく、他の船が全てメルドギリス兵とあちら側の議員主導だから、それでよいということなのだろう。もしこの船が不審な動きを見せたら、沈めてしまえばいい。事故にでも不運にでも見せかけてな。そう思われているということだ」
自分の立たされている立場を憚ることなく語った。
「! そいつぁ、物騒な話だね。上手くやんなよ、あんたたち。――さあ、出航準備が整い次第出るからね。さっさと乗っとくれよ」
「あれ? ヴォイチェクが事情が分からんって言ってたけど、説明しなくてもいい感じ?」
取り敢えず話は終わりだと促すローズにロルは尋ねた。すると女は苦笑して一度溜息をついてから、
「まぁ、なんとなくは分かってるつもりだけどね。あんたらが理解して納得してるならそれでいいさ」
その懐の深さを窺わせる言葉を発したのだった。
セフィ、ロル、そしてヴォイチェクを宿の前で見送って三人は立ち尽くしていた。
掛けられた、共に行くかとの言葉に、足手まといでしかないからと彼らは応じることができなかった。
「よかったのですか? 彼らに、何か頼み事があったのでは?」
その姿が見えなくなったにも関わらず、その場に留まる娘にギュンターが声をかけた。
エミリアは、遠くを見つめる視線を何とか引きはがし、傍の二人に苦笑を向ける。
「うぅん、いいの。彼らが父と共に行ってくれるなら、その方がいいはずよ。私の我儘に付き合わせるなんてできないわ」
「エミリア様……」
切なげなその表情に、ヨハンナもつられ眉尻が下がる。
「その方がきっと、良い結果につながる可能性が上がるもの。――それより、ねぇ、貴方達。馬には乗れる?」
「?」
くるりと表情を変えたエミリアに、二人は何事かと戸惑いながら頷いた。
「そう、よかった。一緒に来てもらえるかしら。どうしても行きたい場所があるの」
瑠璃色の瞳がにっこりと微笑む。その様は彼らの主ヘルガとあまりにも似ていて、しかも何か良からぬことを思いついた時のものに見えて、二人は思わず頬に緊張を走らせた――。
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