107 - 地下牢
警邏署に設けられた地下牢へと向かって降りていく。
「実は、海賊の手下を捕えましてね」
薄暗い中、先を行く男が振り返らずに言った。
その表情は窺えず、重い足音が辺りに響いている。
今朝、屋敷を訪れたこの男は、カーティスという名のメルドギリス兵だ。馴染みのない顔だと所属を問えば、王使に随行してきたのだという。
「……随分と動くのが早いのだな」
彼自身が、この任を与えられたのを知ったのはつい数刻前のことだ。
それは決定事項として伝えられ、まるで連行される様に伝達に来た兵に同行することとなった。
未だ戸惑いがある中、何と言ったらよいかと考えながら口にした言葉に、
「以前より調査の指示は受けていたとのことですのでね」
金茶色の髪の男はさらりと答えた。
「……そうか」
王使の一行が街に入ってから、市長との面会が設けられるまで時間があったのはその為かと彼は、内心腑に落ちた思いだった。
鉄格子の扉を潜り降り切ったそこは空気が淀み、夜の暗さを壁の灯が照らしていた。
「此方です」
示されたのは、並んだ牢の内の一房。小部屋ほどの空間があり、太い鉄格子の此方に一人、向こうには二人の看守が立っていた。
「卿の手を煩わせることもなからろうと、既に尋問を始めています」
二人の看守が左右に避けると、襤褸を纏った男が、壁にだらりと吊るされていた。
「!!」
両腕を戒められ、壁から伸びた鎖がぐったりとした彼の身体を倒れさせまいと無理矢理に立たせている。
力なく折った膝は地面に着かず、役目を果たさない爪先とその両手首の枷だけが彼を支えていた。
濡れた髪が容貌を隠し、滴る水。その足元の水溜りには赤いものが混じっている。
「こんな……!」
尋問などではなく拷問ではないか。
「お待ちを」
反射的に駆け寄りかけた彼を、カーティスが制する。
「ブロムダール卿がおいでだ。起こせ」
そう命じられた看守と思しき男が、吊るされた男に歩み寄りぐいと髪をつかんで頬を叩った。
「! おいっ!」
くぐもった呻きが聞こえる。
彼の制止が届かぬ間にもう1発鋭い音が響く。
「やめないか!」
「何故? 起こさないと、話を聞けないではないですか」
怒気を孕んだ彼の声に、男は動じる風なく問い返した。
「こんなもの、尋問とは言わない!」
彼はそう強く言い、カーティスを押し退け囚われた男に駆け寄る。
「頑なに口を割らないのですから、仕方がないではありませんか」
「だからといって、こんなことまでする必要はない……!」
すぐさま看守に命じて鎖を緩めさせる。
「庇うのですか? この男は海賊の一味ですよ?」
「庇うも何も、目の前で無抵抗な人間が暴力を振るわれていて黙っていられるわけがないだろう! ――おい、大丈夫か。しっかりしろ」
その手が汚れることも厭わずに、濡れ乱れた黒髪をそっと避けてやった。思いの外若い容貌が露わになる。
辛うじて意識を取り戻した男の、定まらなかった視点が僅かの後に彼に注がれた。
「あん……たは……」
「私はヘンルィク=ブロムダールだ。すまない、こんな……」
「ブロム、ダール……へ、へへ……聞いたこと、ある名だなぁ……」
男は赤いものの滲んだ唇に薄らと歪んだ笑みを浮かべた。
「レグアラが……ひでぇ目に、遭ってる……てのに、なんもできねぇ、能無しの……議会員だろ……」
精一杯の虚勢、嘲りの言葉に、だが彼は胸を打たれた思いだった。
「その通りだ。本当にすまない」
「……!」
思わぬ反応だったのだろう、男は言葉を失った。
「だからせめて、君を助けたい」
「……」
真摯な瞳を向けるヘンルィクを、男は黙って見つめ返した。
そんなものは要らないと言うかの様にも、必死に救いを求め縋るかの様にも見える鳶色の瞳。
「君たちの首領と話をさせてくれ。その正義の在処を知りたいのだ。潜伏場所を教えてくれないか」
「……へっ……何を、言い出すのかと、思えば……。話す、だって? 誰が、そんな……甘っちょろい……」
「協力してくれるなら、゛恩赦゛を行使できる。……わかるか? 事件の解決に協力する代わりに、その罪の一部または全てを許すというものだ。自分は罪に当たるようなことはしていないという思いもあるかもしれないが、どうか、協力してほしい。――助かる命を、無駄にするな」
「……」
彼自身、揺れ動く自分の気持ちが分からないのだろう。なかなか言葉が出てこない。
ヘンルィクは、どうか信じてくれと祈るような気持ちで続けた。
「君たちの首領は、君をこんな目に遭わせたいなどとは思っていないはずだろう。君たちもまた、守られるべきレグアラの民なのだから……!」
「っ!」
その言葉に男は目を見開き、そして顎を引いて表情を隠した。
「……じゃない」
「なんだ?」
「……」
男は、掠れた声で何かを話そうとしている。
ヘンルィクは跪いたままカーティス他看守らを振り返り、
「――すまない、外してくれるか」
静かに、だが否と言わせない瞳でそう言った――。
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