106 - 宿屋にて

 漁船以外の船の入港があまりに久々だったのだろう。

レグアラの港に着いてから下船して街に入るまで、常にない程長時間足止めされることとなった。それでも、ローズやヴォイチェクらの機転や立ち回りのおかげで、彼らより一足先に開放されたわけだが、『海賊に襲われなかったか?』の問い掛けを筆頭に、レグアラを脱出したい者達の群れを潜り抜けるのは大変な労を要した。

 街は、目に見えて荒廃していた。本来は美しく整えられていたであろう街路には塵が散らばり、破れた窓、板を打ち付けられた扉、其処此処に座り込む者も居た。

 だが全てが放棄されているわけではない。商店や食堂、宿屋等細々と営業を続けている店も在り、暗い顔をした人々の中にも決して絶望に打ちひしがれている様子ではない者も見受けられた。厳しい自然環境の国の人々は、心に燠を秘めながら耐え忍ぶことを知っているようであった。

 彼らは街の様子を見ながら、ローズに聞いていた辺りで宿を確保して身支度を整え、ブロムダール家を訪ねた。

 他の多くの街では見かける、所謂富裕層の住まう屋敷に付き物の広い外庭はなく、数段の階と短い橋の向こうに片開きの扉。下にやや掘り下げて地下にも広げた居住空間に陽光を取り入れる工夫と、上へ高く築かれた石造りの建物は土地の少ないこの街の特徴的な建物と言えるだろう。

 質素に整えられた屋敷に主人であるヘンルィクは不在だった。曰くメルドギリスからの使者が来ており、議会が長引いているとのことであったが、彼の妻ナタリエがレグアラの現状をよく把握理解しており、騒動の経緯や現在の状況を詳細に聞くことができた。

 そこで出てきたのが、トリスタンとイオルズという二人の人物の名。

ナタリエによると、突如どこからか現れた海賊に襲われ、船と共に沈んだ事になっている彼らこそが、今回の海賊騒動を引き起こしているのであろう、ということだった。

 ハンスとダリオは首領の名を明かさなかった。それだけはどうしても話せないのだと言う彼らの意向を尊重して、ローズもそれ以上追求しなかった。だがナタリエは彼らの事情や信念、思い全てを語って聞かせてくれた。

「彼らの元に居るのなら、ヘルガやご友人らの身の安全に心配はないと思います。本当に心優しい、正義感溢れる者達なのです。……彼らに罪を犯させて、私達は一体何をしているのでしょうね――」

そう、金の髪の貴婦人は心痛露な表情で言った。

自分達のことばかりを考えている今の議会員ではなく、本来なら、彼らのような者達が正当な手段で街の政に携わっていくべきなのに、と。

「イズも、スタンも生きているはずなの。そして彼らは戦っている……それは分かっているわ。でも私はただ、彼らに無事に帰ってきて欲しい……」

それまで言葉数少なだった娘エミリアは、そう言って瑠璃色の瞳から涙をこぼした。

 彼らの目的が、現状を打開しレグアラの街を元の様に戻したいということであるのは知っていた。だがその為に、多くの人々に損害を与えた、罪を犯したことは許される事ではないだろうし、国を追われる身となった彼らを案じ彼女達は悲痛の表情を見せたのだった。

 海賊の正体と目的、街の現状は把握できたものの、潜伏場所や接触手段は不明のまま。主人であるヘンルィクにも会うことが叶わないまま彼らは屋敷を辞し、宿へと戻った。

 ナタリエは屋敷への滞在を提案してくれたのだが、海賊に襲われながらもその被害を免れた船に乗っていた者が居ると知れれば何かと不都合があるだろうと、万が一にでも、自分達の存在を通して海賊とのつながりを疑われては申し訳ないからと彼らはその申し出を断ったのだった。

 トリスタンとイオルズが自ら船を沈め自分たちの存在を消そうとしたのは恐らく、大恩ある彼らブロムダールの人々に迷惑をかけないためであろうことは容易に想像できたからだ。



「今頃どうしてるだろうね、あの三人」

ヘルガ達の身の安全は、ナタリエが保証してくれたものの、どこに居るかは分からない。救出手段も何も見通しがつかないことに、すっかり落ち込んでしまったヨハンナとギュンターにロルは話を向けた。

 日は落ち、街は夜に包まれている。街灯の乏しい街を出歩く者は少ないが、人々は暖かな灯火を求めて酒場や食堂へと集っていた。

 夕方にザッと強く降った雨が止んで、冷たい風が吹き付ける中、宿に戻った彼らは地階にある食堂で同じ卓を囲んでいた。

「……きっと、首領に会って、話を聞いて……」

卓の木目を数えているのだろうかと思えるほどに深く俯いていた顔を上げ、

「自分も手伝う! なんてことを、言ってそうですよね。ヘルガ様」

ヨハンナはくすりと笑った。

彼女らが無事なら、自分達が絶望していても仕方がないのだ。

「だよね~アレスとアーシャもきっと、同じようなこと言ってるよね」

ロルもまたくすくすと笑う。その横で、既に運ばれてきているカップを握りこみながら黒紅の髪の男は眉間に皺を寄せていた。

「今来ているという使者の通達によっては、彼らが何がしかの行動を起こすのではないかと懸念しておられたが……」

街の状況を見る限り、これ以上の増税には耐えられそうにない。人々の不満や苛立ちは、ピリピリとした空気として感じられた。

「そうそう。無茶しなきゃいいんだけど。とりあえずどうにかして、彼らと接触なり連絡なり取りたいよねぇ」

ロルは頷き薄い葡萄酒を喉に流し込む。

陸が見えた頃からクァルに偵察に行かせているが、空からでは分からない場所に潜んでいる可能性が高いと彼はみていた。

「あの二人に訊くしかないですかね、もう一度」

ユーディットに居る海賊達。彼らならば、潜伏場所を知っているはずだ。ギュンターはカップを煽った。

「そうですね。話して下さればいいのですが……」

セフィもまた沈んだ表情のまま呟くように言った。

 これから、どうすべきか。自分達には何もできないと嘆くブロムダールの者達に同じく、どうすればいいのかが分からない。もし万が一、海賊達が強行手段に出れば――武力でもって今の議会を排除し、さらにメルドギリスからの独立を目指して動くならば――内乱に発展しかねない。彼らは既に、単なる海賊ではなく現議会にとって反乱分子となっているのだ。

「話してもらわないと、困りますよ!」

ヨハンナはカップを握り締めて訴える。

 随分と話が大きくなってしまっているが、自分達の目的は海賊船に乗っていってしまった三人の救出のはずだ。ただその救出しようとする相手が渦中に居て、寧ろ積極的に関わろうとしているのではないかというだけで。

「あぁ、そこにいたね、あんたたち」

丁度その時、店に入ってきた女が彼らを探し当て歩み寄ってきた。

「姐さん!」

「ローズ船長」

名を呼ぶと頷き、大股で彼らの卓へと辿り着く。船上よりも布の多い服をその身に纏い、下ろした髪はどこか人目を避ける風情があった。女は卓に手をついて身を乗り出し、

「ハンスとダリオが逃げた」

潜めた声で低く言った。

「……え?」

そして隠しからくしゃくしゃの紙切れを取り出す。

『助けてくれて、ありがとう。申し訳ない』

決して綺麗とは言いがたい文字で、ただそう書いてあった。

「逃げた? って、いなくなったってこと?」

「すまない、油断していた。まさかこんな馬鹿な真似をするとは」

状況が飲み込めていないヨハンナやギュンターを代弁するようにロルが確認すると、ローズは自責の念を口にした。

「いやいや、姐さん達は悪くないと思うよ。俺達だって、そんな、まさか、ねぇ?」

「えぇ。事態が収束するまでユーディットに身を寄せておくと、そう仰ってました」

ローズに椅子を勧めながら言ったロルにセフィも同意を示す。

 ハンスとダリオは――あのユーディットに取り残された海賊達は確かに、ローズの部下らとも打ち解けていたようであったし、迷惑がかかるような真似はしないと、協力すると言っていたのだ。

「いや、任されたのはあたしだ。本当にすまない。捜索しようにも、周りの目があるから大々的にもできず……どこへ行ったかの手がかりもないんだ」

それはつまり、海賊達のアジトに――ヘルガ、アレス、アーシャが居るであろう場所に繋がるものが全く無くなってしまったということだ。

「……」

彼女達を責める言葉など出てこない。ヨハンナとギュンターは無言のまますっかり消沈してしまった。

宿の食堂の一角、そこだけに暫しの沈黙が流れる。

「――わかった。でも、仕方ない」

ロルはふっと息を吐いて笑んだ。

「とりあえず、食べよう」

「え!?」

「ロルさん!?」

「ま、ローズ姐さん来てくれたことだし、俺たちが聞いてきたこととか、情報整理しつつ、食べて休んで、それから考えよう。ね?」

驚いて彼を見た者達に、ロルは再度にこやかに言う。自分達にできることと、すべき事を再度見直してみよう、と。

「あ、でも、できるだけコッソリね」

それを見たセフィもまた、表情から緊張を解いて頷いた。

「そうですね。そうしましょう?」

まだ戸惑いの表情を見せる三人にそう言って微笑んだ。

 ブロムダールの者達が話したこと、そして街中から感じる緊張感――嵐の前の様なザワザワとした落ち着かない気配を痛いほど感じる。だが、今ここで、深刻に最悪の事態を考えすぎても意味が無い。そう自分にも言い聞かせるように。


 


 食事を終え、セフィとロルは部屋に戻った。話し合いでは、ひとまず明日か遅くとも明後日には、議会から何らかの発表があるだろうということで、それを待つことになった。

 公式の発表よりも早く、その内容を知る術があれば――それは、その場の誰もが考えた事だった。

だが地の利もなく、ナタリエから議会の内情までは聞くことができなかったため、政情に関する情報も乏しい中で、無謀はすべきでないというのが彼らの出した結論だった。

 取り敢えずローズは、ユーディットをいつでも出港できるよう準備しておくと引き受け、途中で合流した数人の部下と共に船へ帰って行った。

「レグアラに着くまでの船の護衛、だけじゃ済まないんじゃないかなーって気はしてたけど、こんなにややこしいことになるとは思わなかったよねぇ」

寝台に身を投げ出し、気持ちよくなった様な口調でロルは言った。

「そうですね」

街は、落ち着いて見える。海賊達も、武力衝突は望んでいないはずだ。ナタリエの話によると、彼らはなによりレグアラの平穏を願っているということなのだから。

 だがそこには確かに内乱の種が眠っている。

「一番いいのは税制が元に戻って、海賊っつか、反乱勢力が解散する事だよね」

「……そのはず、ですが……」

反対の壁側に据えられた寝台に座るセフィの声は他所を向いている。

ロルは横臥の姿勢に変えて、其方を見た。

乏しい明かりの中、彼は衣の首元をくつろげ、ブーツの紐を解いている様だ。

「うーん、でも、聞いた感じでは議会はすっかり国の傀儡っぽいし、その上無茶な事言ってこられるんだったら、これを機にって流れも理解できなくはないよなぁ」

圧制を強いるメルドギリスから別離し、レグアラ自由市国となるための革命――そんな構図が、浮かばない事はない。ハンスとダリオが話していた"目的"よりも更にずっと大きなものが、あるような気がしてくる。

だが、そうなれば多くの民が傷付くこととなるだろう。ましてや、成し遂げられるとも限らないのだ。

「でもなーなんかなー……ブロムダール卿みたいな人が、例えば罪をでっち上げられて軟禁されたり追放されたりせず、議会員で居続けられてるとか、そういうトコ見ると、そこまでかって感じがしないでもないというかー……」

広場に処刑された亡骸が晒されているわけではなく、道端に飢えて横たわったまま動かない人々を見かけることも無い。教会の救貧院の働きや、一部貴族の施与、街の備蓄食料の放出などによるのだそうだが、人口が減少しているからとはいえそれらが機能しているだけでもまだ救いはある気がした。

「現に私達のような旅人も食事を取ることができて、こうやって清潔な寝床を確保できているのですものね」

セフィは綺麗に整えられた寝台に掌を滑らせた。

 どこまでの弾圧を受け苦難に遭えば、蜂起していいなどという線引きはない。

だが立ち上がっては制圧され、燻りまた爆発しては鎮圧されるを繰り返し、不安定な状況が長引けば人々は疲弊し犠牲者ばかりが増えることになる。

「まぁ、たった半日見て回っただけじゃ、街の人々が真実何を望んでいるかなんて分かるわけないし、彼らの覚悟や備え、人々の支持や協力がどの程度かなんて知らないんだけどさー」

 それでも話に聞く現状の過酷さと、それでいて一見静かな街の様子は違和感を通り越して不気味としか言いようがない。

国の在り方を大きく変えようとする時、それがまさにその時であるという、時流というものも確かに重要なのだ。

ロルは今度は仰向きになって天井を見つめる。

「……国使の通達の内容が、どういったものか、ですよね」

「だね。それによって、彼らがどのような動きに出るのか……」

立ち上がって上着を掛け、ブーツを揃えて置きセフィは寝台に腰掛けた。冷やりとしたものを感じ、思わず肩を竦ませる。

「アレスやアーシャ、ヘルガ嬢がどうしているのかも気になりますし。どちらにしても、この騒動の中心人物に、どうにかして――」

あるいは彼らの手の者が、街に潜んでいるかもしれない。だが、そういった人物と接触を図る事は容易くないであろうし、危険も伴うはず。そして自分達が気にするのは、そんな危険よりも既にブロムダールの人々と会ってしまっていることだ。

 こんな時期に海賊の難を逃れ、たった一隻入ってきた船――しかも、ブロムダール家と縁のアルジュート家の船――に乗ってきた旅人。それだけで、自分達の存在が現議会に何らかの猜疑心を抱かせていてもおかしくはない。

ブロムダール縁の船だから、無事で済んだのではないか?

やはり、海賊とブロムダールは何か関係があるのではないか?

そう疑う者が居るかもしれない。

 それほどの緊張感がこの街にはある。かの家を訪ねたことは誰にともなく知れるであろうし、自分達を通してトリスタンとイオルズが護りたい人々を巻き込む恐れがあるのだ。

 彼らがエミリアの父を、ブロムダール卿を巻き込みたくない気持ちは理解できた。

 イオルズ達は、謂わば不法を働いて変革を目指した。革命の後には必ず揺り返しが来る。そして武力でもっての変革を行った者がそのまま新政権を担うというのは、ありがちだがその後反発に遭うことも多い。

だからこそ、彼らにとって自分達海賊に゛無関係゛な、だが信頼できる存在が必要だったのだ。

 彼らとブロムダール家の関係性を怪しむ者がどれほど居るのか、本当に居るするのかどうかまでは分からないから、何も知らない風に普通にしてるのがいいと思うよ、とロルは言ったけれど。

知ってしまった、気付いてしまったから、無碍にはできない。

「……」

窓が、ガタガタと不安な音を立てている。雲の流れは早く、上空を吹く風が強いことを示していた。

――セフィ

薄暗い簡素な部屋に、自分達以外の声が響いた。

「レシファート? どうかなさいましたか?」

応えると、部屋の床面に落ちた影の中から白い狼が姿を現す。彼は差し出したセフィの手に頬を摺り寄せ瞳を細めると、

『我が行こう。あの二人の気配なら、追う事ができそうだ』

「え……?」

『アレスとアーシャがどこにいるか、捜し出せばよいのだろう』

戸惑うセフィに白狼は心得ているとばかりに静かな声でそう言った。

「え、でもレシファ、この前捜しに行けないって言ってなかった?」

陰伏する能力を使って行方を捜せないか、問うたが白狼は否と答えた。

三人が居なくなった後、船の上で確かにそういうやり取りがあったのをロルは知っている。

『我は地を駆る種族だ。海を越えては行けない。だが同じこの地に居るなら可能だ』

「そうなんだー! それならそうと早く言ってくれればいいのに~」

咎めるというより寧ろ関心した風に言って、ロルは白狼に歩み寄りわしゃわしゃと撫でる。

『――人の多いのは好まぬ故、直ぐに提案できなかった。すまない』

「行って下さるのですか……?」

『セフィが望むなら、勿論だ』

 本来使役とされた魔物・魔獣は自分のできることを言わない性質がある。問われた事に答え、命じられたことに従うのであって、自分の能力を敢えて自ら口にすることはしないものだ。それでもレシファートがその能力を明らかにするのは、セフィの力になりたいと思っているから。本能的性質すら凌駕するその想いの正体を、白狼は知らなかった。

小さく頷いて、お願いしますと言ったセフィに、

『では、行ってこよう』

「あ、でも、ちょっと待って」

短く言って陰伏しかけた白狼をロルが呼び止めた。

『何だ』

「レシファ、一晩で帰って来られる? もし通達の内容が分かったら、それも伝えてもらえたらと思うんだけどさ」

ナタリエによると明日にでも議会から何かしらの発表があるのではないかという話だ。

「確かにそうですね」

ロルの言葉にセフィもまた頷いた。

『分かった。では、見つからなくとも明朝には戻る。それでいいか』

「そうしてもらえると助かるよ」

「お願いします。無理を言ってすみません」

言ってセフィは白狼の首元に顔を埋めて抱きしめた。

『問題ない。居場所を確認して直ぐに戻る』

頼まずとも、命じれば良い。使役は主の命令には逆らえないのだから。

だが白狼はそうは言わなかった。以前それを口にした時、セフィに悲しそうな顔をさせてしまったことを覚えていたからだ。名を請うた時、主従という関係で縛りたくないと言っていたその想いの理由を白狼には理解する事ができないが、セフィに心痛を与えるのは本望ではない。

 レシファートは、正体の分からない、だが優しく触れるその手のように心地の良い思いのままに、影に伏して闇夜に駆け出した。

 そしてセフィは、見えなくなったその姿を追う様に窓辺に寄って夜空を見上げた。

雲は晴れ、細く白い月が出ていた――。

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