105 - 港街レグアラ
市庁舎に設けられた一角、今は彼の居室となっているそこに、来客があったのは丁度昼頃だった。
「それでは、奴らの要求を呑む……奴らに屈服せよと仰るのですね……?」
話を聞き、男は厳しい表情で訪ねた。すると彼は少し驚いたように瞳を見開いた後でくすりと笑った。
「屈服? 何を仰るやら。誰もそんな話はしていませんよ」
「ですが、先程……」
税制を3年前の水準に戻すようにと、確かに彼はそう言ったのではないか。それは、今まさにレグアラを封鎖している海賊たちの要求に他ならない。
彼の意図が読めない男は覗う瞳で説明を求める。
「国王陛下は、自らレグアラの窮状に気付かれ、それを是正すべく我々を遣わされたのです。陛下は、レグアラの民の現状に大変心を痛めておられる」
「それは……!」
税制に関しては、国から指示があったのだ。その通りに、自分達は公布したに過ぎない。
「何か?」
先を促す彼に、男は勤めて冷静に言葉を選ぶ。
「……レグアラの現状は、国の采配に因るものではないですか」
そして自分達もまたそれによる辛酸を嘗めているのだ。
「おや、おかしいですね。ならば何故ここに貴方の署名があるのです?」
彼は言って書類を示した。レグアラの税制に関する決定事項が箇条書きされたそこには確かに、自分の文字で日付の記入と署名が成されている。
「あなた方レグアラ議会が、この税制を民に公布し施行したのでしょう。違いますか?」
あくまで穏やかに、彼は微笑みソファに背を凭れる。
「……」
男は何も言えなかった。レグアラの税制がメルドギリス主導のものであるのは誰もが知る明白な事実のはずだ。だがそれでも彼は、それを行ったのはあくまで議会なのだと主張する。そう言われ、それを見せられれば民は彼の言を正当と見なすだろう、何よりの論拠を示しながら。
男は落ち着かない気持ちを紛らわせようとする様に、緊張した面持ちで書面を見たまま顎鬚を弄る。
「そして、陛下は未だ海賊を討伐できぬ議会に苛立ちを覚えておられる」
「!!」
はたと目を上げると、表情をそのままに鋭く射抜く瞳が男を見ていた。
「それは、船が……」
最初の海賊による襲撃と前後して、海上の防衛を担う街の武装兵団部隊所有の船は使い物にならなくなった。何者かに――恐らく海賊の仲間に、沈められたり、破壊されたり、燃やされたりしたのだ。全損ではないにしても、街にはそれらを修復したり新たに造船する技術者も人手も全く足りておらず、また、立場上商家所有の船を供出させる権限も振るえていない。
「奴らの根城は、レグアラ周辺海域に……いや、寧ろこの大陸のどこかにあるそうではないですか。海岸線の調査はどうなっています? 陸からでも可能でしょう?」
「……私共で動かせる兵に、陸での戦闘に慣れた者は限られております。魔物も、増えていますし、街の防衛に人員を割くと……ですから――」
そもそも、街を護る兵の多くがメルドギリス国兵だ。レグアラの街として議会が権限を持って動かせる兵はあまりに少ない。海賊討伐にその全部隊を割いても高々知れているであろうし、何よりぎりぎりの人員で担っている街の防衛が手薄になってしまう。働き盛りの若者達は、鉱山へ行ってしまった。人手が足りていないのも事実なのだ。
「仕方ありませんね。レグアラに駐屯させている国兵の出兵許可、念の為と思って持って着ましたが必要なようですね。どうぞお使い下さい」
「は? え……?」
「あぁ、それから、今回同行させている兵もお貸ししましょう。戦闘に長けた者を連れてきたつもりです。これで早急に片がつきますね?」
突然の申し出に混乱しているのか反応できていない男に、彼は続け様に言った。
「! は、い……! それは、もう……!」
そしてやっと理解した男は慌てて首を縦に振る。
彼は満足げににこりと微笑んだ。
「何も、貴方が陣頭指揮を執らずともよいのですよ。そうですね、確か海賊による襲撃で、息子同然に可愛がっていた青年を失った議会員が居ましたね。彼にやらせてはどうです? 曲がりなりにも士官学校を出ているようですし」
「あの、者は、兼ねてより我らに反対の意思を示しておりまして、それで……」
誰の事を言われているのか瞬時に理解し、男は難色を示す。
民の為の議会を主張する彼の者は自分達の側の人間ではなく、寧ろ反対勢力だ。
加えて、確証があるわけではないが男は疑念を抱いていることがある。
「海賊との繋がりを疑う気持ちがあることは知っています。でもそれは一部の者だけの話。違いますか?」
「えぇ、まぁ……」
「だからこそ、ですよ。彼をその任に就ければ、そのような疑いがあるなどと知らぬ多くの者の目には、彼自身の溜飲を下げさせる機会を与えたと映りませんか? 粋な計らいだと。彼にはそれを受け入れる大義名分はあったとしても、拒否する根拠がない。彼自身に反抗の芽を摘んでもらい、そして王命に従う事を再度自覚してもらうのです」
「あ……」
もし本当に件の男と海賊に繋がりがあるなら、その討伐には葛藤が生まれるはずだ。そこでその関係性が真実存在し、明るみに出れば邪魔者を一掃できる。
繋がりを隠したまま討ち取るならば、それはそれで罪悪の念を与えることになるし、全く関係ないとしても自分達には痛手がないまま海賊を掃討できるなら万々歳ではないか。
男は、感心すると同時にぞっとした。
「大丈夫ですよ、ダリミル市長。その時に、貴方方が居るべき場所はきちんと確保してあります。ご安心を。我々は勿論、貴方方の尽力を高く評価しています。民と貴方方の協力のおかげで、念願叶おうとしているのですから。今はその、完成のためにもレグアラの封鎖を一刻も早く解かねばならないのです。お分かり頂けますね?」
相変わらず硬い表情のままの男に、彼は柔らかな笑顔で穏やかに言葉を続ける。
「承知、致しております」
神妙な面持ちで男が頷くと、彼は書状を差し出した。
「宜しい。では、此方をお渡ししておきます。税制を3年前の水準に即座に戻す事。それから、海賊などという無法者共を速やかに、拘束し処罰する事、これが今回の通達事項。王命です」
「心得ております」
「あぁ、それから、きちんと善政を敷いて下さいね? メルドギリスから離れ自治市国に、なんて動きもあるそうじゃないですか。そんなことをされては困ります。レグアラは国王陛下の大切な街のひとつ。それを奪おうなどということは、あってはならないのですよ」
全て見透かしているかのような物言いに、異見を述べる気など起こらない。
「勿論でございます」
「心配はいりません。税を戻し、その苦役を取り除いてやって支援策の一つ二つ講じてやれば、大変だったことなど民はすぐに忘れますよ。ほんの数年間、悪い夢でも見たと思ってもらいましょう? ねぇ?」
彼は膝の上で優雅に手を組み、碧い瞳を細めて嫌味なほど上品に微笑んだ。
その洗練された動作に劣等感を刺激されながらも男は、
「えぇ、仰る通りです」
それら全てを飲み込んで頷き無条件の同意を示したのだった。
彼は、目の前の男が自分で考え、判断できる器ではないことを知っていた。だからこそ、市長に選ばれたのだということも。
男の反応に彼は満足そうに頷いた。
まるで巨人が指先で悪戯に押し潰したように、連なる断崖絶壁の海岸線の中で本当にその場所だけが海に対して開かれていた。
海面から断崖上の大地までの高さは、大聖堂の塔より遥かに高く、街は扇端が海、扇頂が上の大地――溢れ出す様に崖の上にも街の一部が続いているが――というやや歪ではあるが概ね扇状の形をしている。
街の西端は崖のぎりぎりまで建物がひしめき合い、さらにその下部の石壁を掘り込んで住居としているそうだ。また、海からもよく見える崖上端には灯台と数件の小屋がある。
東端は崖から噴出する滝を水源にした川で終わっており、その川の対岸もまた切り立った断崖絶壁。上部に建つ十字架は海を往く者の無事を願ってのものだという。
そして絶壁の所々には、断崖下部の僅かな土地に小屋を建てたのが始まりといわれる漁村がいくつか存在した。海鳥の巣の様なそれらの村は主に海に向かって開かれているものの、大型船の接岸は不可能なため、訪問手段は小船や漁船。もしくは、断崖に人の手で築かれた、九十九折になった狭い階段だ。驢馬がやっと通れる程度しか幅のない急峻な階段は殆ど使われる事がなく、多くの場合が船で街との行き来を行っている。
それらジズナクィン大陸南部から南東部の多くの漁村はレグアラに属し、そしてレグアラはメルドギリス王国における王都に次ぐ大都市だ。港や街並は美しく整備され、土地が限られているため全体的に上に高い建物が多く、その建築技術の高さも覗えた。
だが、ジズナクィンの真珠と謳われたレグアラは今、その輝きを酷くくすませている。圧制により疲弊した人々の不満と嘆きが精彩を奪い、整備し磨き上げる事がままならぬほど弱り果てているのだ。
かつての姿を知らぬものは期待を裏切られた思いに肩を落とし、知る者は往時の栄華を偲んでは荒れた姿を見たくないと嘆く。
そんな大型船の来航が絶えて久しいうら寂れた港に、1隻の帆船が入ろうとしていた。
『任せておいて。私がなんとかするから』
文末に、力一杯の文字で書かれた手紙を読み終えて、彼女は頬を緩めた。
読んだのは、もう何度目か分からない。鮮やかな橙の髪の娘の強気な表情が目に浮かぶ気がした。
それから彼女はもう1通の手紙に手を伸ばす。
『――どうか、お許しを』
こちらももう目に馴染んだ文面。実直な筆者の人柄が文字からも覗える。
だが彼女は不満の溜息を吐いた。
――謝るくらいなら、最初からちゃんと全部、話してくれたら良いのに。
「エミリアお嬢様っ! お客様ですっ」
甲高い声と扉を叩く音が思考を中断させる。彼女は入室を促しながら長椅子から身を起こし、手にしたものを手近な卓の上に置いた。
「なぁに、モリー。お客様って?」
「ザクファンスから、今日着いた船で来られたそうなんですっ! ヨハンナとギュンターと、あぁ、お嬢様、ギュンターとは会ったことがありませんよね。アルジュート家の使用人なんですけど。それから、旅の方がご一緒にいらしてますっ。ヘルガお嬢様の、お遣いだそうで……!」
「ヘルガの!?」
ぽちゃぽちゃとした頬を染めて、息せき切って部屋に入ってきた女の言葉に、彼女はすぐさま反応して飛び起きた。
「えぇ、そうですっ! あ、待って、ちょっと待って下さい、エミリアお嬢様! 支度をお手伝いしますから、せめて、その下着のような格好でお部屋を出るのは……!!」
モリーは恰幅のいい身を呈して、扉の前に立ち塞がって訴えた。
そう、桔梗色の髪の彼女、エミリアは短い午睡のまどろみから目覚めたままの格好をしていたのだった。
応接室に入ると、此方に背を向けて母が座っていた。その向こうの客人が彼女に気付き立ち上がる。
「お久しぶりです、エミリアさまっ」
そう声を上げたのは、従姉妹ヘルガの侍女ヨハンナ。何度か会った事があり、灰褐色の髪をひっ詰めて地味な装いだが、よく動く表情が愛らしい事を知っている。その手前で軽く頭を下げた黒紅の髪の男は、先程モリーが言っていたギュンターという者だろう。初見だが、ヘルガからその名は聞いたことがあった。
「はじめまして、エミリア嬢」
「お邪魔しています」
にこりと微笑み掛けられ、それだけで息が詰まりそうになった。
"旅の方らしいのですけど、すっごく綺麗なお二人なんです!"と興奮気味に語ったモリーの言葉に心中で激しく頷きながら、エミリアは何とか笑顔で返した。
「久しぶりね、ヨハンナ。来てくれて嬉しいわ。ギュンター、それから旅の方々も、ようこそおいで下さいました。エミリアといいます」
言いながら母の傍に立ち会釈をする。
「ヨハンナとギュンターは分かるわね。此方のお二方、ロルさんと、セフィさん。今日着いた船の護衛をして下さったそうよ」
応える様に彼らは軽く会釈をする。その様をエミリアは思わずじっと見詰めた。
黄金色の波打つ長い髪を三つ編みにして片流しにした長身の青年はどこか優男的で、やや垂れ目がちではあるが滅多と見られないような美丈夫だ。
そしてその向こうに控えめに微笑む、もう一人。どんなに腕の良い絵師でもその美貌を描く事などできないであろうと思われるほどに、あまりに繊細で優美で清雅な雰囲気を纏っている。凡そ旅や戦い、まして護衛などという役割とは程遠い印象の女性だ。
着飾ったり髪を結い上げたりせずとも瞳を奪う美しさにただ見惚れるばかりで、嫉妬や羨望の気持ちなどひとつも芽生えないのが不思議だと思った。
「……リア、エミリア! ボンヤリしてないで、ここに居るなら座りなさい」
彼らは一言二言、挨拶の言葉を発したのだが、耳に入っていなかった娘は母に強く言われハッとなった。
「あ、は、い。すみません……!」
そして慌てて母の隣のソファに腰掛ける。
「落ち着きのない娘で、申し訳ないわ。お話の続きを聞かせて頂けるかしら」
母は苦笑し客人達にそう促した。
少しくらい、ここまでの話を説明してくれても良いのではないかと思いちらりと母に目を遣ったが、いつも気丈で凛々しい母からはどこか緊張した様子が感じられて、エミリアはただ黙って聞いていることしかできないとすぐに悟ったのだった――。
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