104 - イオルズの話

 それまでは比較的自由に甲板に出たり下の船室に行く事が出来ていたが、そろそろ陸が近づいてきたという辺りから、船室に閉じ込められ窓に目隠しまでされてしまい、進行方向はおろか、時間の感覚さえわからなくなった。

辺りの動きが慌しくなり、船底から櫂を漕ぐ男達の力強い掛け声が低く響く。

船が揺れ、激しい波音が近付いてやや離れ、急に全てが穏やかになった後、碇が下ろされたのが分かった。

 そして甲板を行き交うざわめきが収まってからやっと、船室の扉が開かれた。

「放ったらかしにして悪ぃな。お望み通り、首領に会わせてくれるってよ。面倒だし縄はかけねーから、下手な事しねぇでくれよ」

青灰色の髪の大柄な男、ジェイは言いながら三人を外へと促した。ひやりと湿度の高い空気が頬を撫で、磯の香りが鼻を擽る。

 そこは、巨大な青い洞窟だった。

彼らをここまで運んできた黒い大型帆船の主帆柱よりも遥か高いところに岩肌剥き出しの天井が見え、穿たれた数箇所の穴から細い光の帯が、木の根と共に垂れ下がっている。

 そしてもう一方、辺りを青く照らす光は、この船が通るのは不可能としか思えない開口部から射していた。決して広くはなく、今立つ場所から距離があるにも関わらず、海底の白い砂に反射した太陽の強い光が海に濾過されて青く姿を変え、幻想的な雰囲気をもたらしていた。

 ヘルガの知る限り、ジズナクィン大陸の海岸部のほとんどは、人や船を寄せ付けない断崖絶壁だ。荒々しく打ちつけ砕ける波の向こう側に、これほどにまで穏やかな場所があるのが信じられなかった。

「マヌケ面晒して、すっ転ぶんじゃねーぞ」

思わずポカンと口を開けて、きょろきょろと辺りを見回しながら船を下りる三人に、既に下船し船員らに指示を出す赤銅色の髪の男が面白がっているような表情で声を掛けた。

 船は、海が行き止りとなった洞窟の、潮溜まりの様になったところにつけられていた。渡された桟橋や平らかな石の床面、篝火が灯されるのであろう簡素な灯篭のようなものも据えられている。明らかに人の手によるものだ。

「貴方達が造ったの?」

久しぶりの揺れない地面に戸惑いつつ、船長の元までたどり着いたヘルガは驚きのままに問うた。

「んなわけねぇって。大昔の遺物に、ちょっとばかし手入れして使わせてもらってるだけだ」

 船着場では船乗り達が忙しく動き回っている。

乗ってきた黒い船の他に、それよりやや小型の――恐らくユーディットと同じ位の物が2隻、それから小船と言えるだろう物が1艘。これはジェイとシンが乗ってきたもので、ユーディット襲撃後に合流して以来ずっと牽引してきたものだ。

 あとは小さな艀舟か釣り船のようなものが何艘か。

「こっちだ。足元気ぃつけろよ」

洞窟の壁面には、窓や通路の入り口のような穴がいくつも開けられ――部屋があるのだろうか、灯が漏れている箇所もある。そのうちのひとつ、馬蹄形の最奥部一際大きな岩の裂け目の中に、男はランプを掲げながら入って行った。巾は、ジェイ程の体躯の者が優に擦違える程度。精緻な階段が上へ上へと続いていた。

 結局、ここに着くまでトリスタンから聞き出せたことはあまりなかった。断片的に船員達から聞き出したことを総合すると、レグアラを封鎖するのは圧政に対する抵抗なのだということだった。

 三人は、蟻の巣のように岩の中に築かれた隠れ家――寧ろ要塞のような雰囲気――に好奇心を掻き立てられつつ、何とかトリスタンの後に続いた。


「待ちかねたぞ、スタン。無事で何よりだ」

出迎えた男は、ジェイに負けず劣らぬ体格をしていた。

差し込む光に短い緑の金髪が透ける、堀の深い顔立ち。眉骨の奥に見える瞳は澄んだ青緑で、どこか大型犬の様な印象だ。

「あぁ、まぁ、無事っちゃ無事なんだけどよ」

顔を顰めて言いながらトリスタンが促すのに従って彼らは扉を潜った。

黴臭い、単なる穴倉だろうと思っていたその部屋は、予想に反して澄んだ空気が満ち、部屋の体を成していた。平らかな床と壁、しつらえられた木製家具、そして、開けられた窓の向こう、絡んだ蔦の葉々の隙間には空が見える。

「気にするな、とは言わないが、仕方の無い事だ。――それで、その四人は?」

厳しい表情のまま頷き、だが落ち着いた低い声は咎めるではなく安堵感を伝えるかの様。

そして男の視線が彼らを認め、

「手紙に書いただろ。シンはジェイがザクファンスで雇った護衛だ」

「何故顔を隠している?」

言葉数少なく問いを重ねたのに、トリスタンは自身も彼に目線を移しながら答える。

「訳ありなんだとさ。腕は確かだぜ」

「大丈夫、身元はおれが保証するって。な?」

トリスタンの言葉にジェイが続け、シンに目配せをする。無言のまま、扉を閉め覆面の男は頷いた。

「分かった。それで?」

彼は机に凭れる様にして腕を組み、先を促す。

「そろそろレグアラに着くはずの船、ユーディットの護衛やってたアレスにアーシャ。それから、お前に会いたい一心で、その船から二人引き連れて乗り込んできてくれやがった向こう見ずなヘルガお嬢ちゃんだ。ヘンルィク様とナタリエ様の姪、エミリア嬢の従姉妹に当たるんかな」

「!?」

「ブロムダール夫妻の姪!? ルティウスの妹か! 何故、こんなところに!?」

問われるままに答え、腰に手を当てしれっと言い切ったトリスタンの言葉に驚いたのは部屋の主の男と当のヘルガ。

身を乗り出して娘を見、それから赤銅色の髪の男に視線を向ける。

「海賊騒動をどうにかしたくて、だとよ」

「それで自ら、危険を冒して……!?」

「ちょ、っと待って! どうして、兄様のこと、ヘンルィク叔父様達のことを知ってるの!? どういうこと!? あなた達は、一体……!?」

これまでの間、一度としてヘルガからその名を口にした事はなかった。幾度となく言葉を交わしたにも関わらず、トリスタンからもその名を知ることは告げられていない。

あまりに唐突なことに驚いて声を失っていたヘルガだが、やっとのことで彼らの話題に追いつき問いかける。

「なんだ、話してないのか、スタン」

「やー最初そうと分からなくて、途中で気付いてさ。どこまで話して良いのか判断つかなくってよ」

「……面倒だっただけじゃないのか」

「それもある。どっちにしろ、ここまで来りゃ洗いざらい話さなきゃなんねーんだろうなーとは思ったけどよ。で、一応こいつが首領な」

悪びれない表情で言ってのけ、男の肩に手を置いた。全く印象の違う二人だが、同じくらいの背丈と気安い雰囲気のせいだろうか、並ぶと妙に違和感がない。

「……イオルズだ」

男はやや呆れた様に溜息をついて名乗った。

「この騒動の首謀者ってわけね」

「そういうことになるな」

「聞きたいことが、たくさんあるのよ」

なかなか貰えない応えに焦れながら、ヘルガは男達を鋭く見詰める。

イオルズは生真面目そうに頷いて、

「――分かった、話そう。だが、長くなりそうだ。先にジェイ、どうだった。ザクファンスの反応は」

壁を背に、傍観を決め込んでいた男は唐突に声を掛けられ、出かけていた欠伸を慌てて噛み殺した。

「……概ね、理解してもらえたと考えて問題ない。ま、どっち道既に全ての商家、物流・運輸関係者が定期便を中止しているし、市として禁止しないまでも当面レグアラへ向かう船はなくなったと言えるだろうよ。今回のあの船は想定外ってやつ。あれが最後だ。商家の連中には、とりあえず事が落ち着くまで船は出さないよう依頼しておいたし、もし出してもレグアラへは近づかせねぇって言っておいた」

「事が片付けば、此方から、とも?」

「あぁ、勿論だ」

「そうか。ご苦労だったな」

端的に答えたジェイに、イオルズは頷きながら労いと感謝を述べて、

「こっちの様子は?」

「今、王使の一行が着ている。近い内に新たな公布があるだろう」

トリスタンの問いに表情を引き締めた。

「いよいよって感じか?」

「そうならない事を願ってるがな」

厳しい瞳を交わす二人。

「――とりあえず、備えはしとかねーとな。って訳で俺らは外れるぜ?」

確認するように小さく頷いて、トリスタンは踵を返した。

「あぁ、頼んだ」

イオルズの返事を背に聞きながら、ジェイとシンを連れて赤銅色の髪の男は部屋を出て行った。

扉が閉まると部屋の主は三人の方を向き、僅かにだが表情を緩める。

「さて、まずどこから話そうか」

「私が知りたいのは、あなた達が何者で、何が目的なのかってことよ。分かりやすく話してくれればそれで良いわ。でもその前に、もしかしてだけど……」

「なんだ?」

ヘルガは、先程自分の親族の名前が出てから、彼の名に、容貌に覚えがないか記憶を巡らせていた。そして、思い当たる節が、無い事もないことに気付いた。

「あなたの名前、イオルズって言ったわね。"イズ"って呼ばれたりしてる?」

長身の彼を覗き込むように尋ねる。

「あぁ。スタンやブロムダールの方々、古い友人はそう呼ぶ」

「エミリアから、聞いたことがあるわ。友人なのって、言ってたけど」

自分が幼い頃に王都へ行ってしまったが、寧ろ幼馴染のような存在だと聞いたことがあった。そして数年前にレグアラに戻り、事業を起こしたという事も。そんな人物が、何故こんなところで海賊の首領などをしているのか。

ヘルガは思わぬところから出てきた、自分との繋がりに漠然となにか必然性めいたものを感じていた。

「エミリア嬢が……。それは光栄だな」

男はそう言って綺麗な青緑の瞳を細めて微笑んだ。穏やかで優しいその声に、思わずどきりとする。

「それではまず、私達自身のことから話そう」


 そうしてイオルズは語り始めた。

船乗りだった父親が海で魔物に襲われ帰らぬ人となったこと。まだ幼い弟や妹がいたから、すぐにでも働かなければならなくなったが、母親がブロムダール家で女中をしており、不憫に思った当主夫妻が援助をしてくれたこと。

 当時強化募集中だった兵学校へ入り、本来彼の身分であればそのまま兵役に就くところを当主の口添えと援助のもと士官学校に進み、戦い方と魔法を学んだこと。

 そこでトリスタンと出会ったこと。

トリスタンは、メルドギリスの貴族セジウィック家の当主と妾の間に生まれたという。放り込まれた士官学校で、ただ目的なく過ごし、言われるがまま父の都合の良い女と結婚するんだろうと思っていた折に、彼らは出会ったのだと言う。

 立場の弱い者や、特に航海で危険に晒される者達の力になりたいというイオルズの思いに、トリスタンは共感し交友を深めた。

その後彼は、課程が終了すると呼び戻され父親の思惑通り、政略結婚の駒にされるところだったのだが、それを拒み勘当されたのだとか。

 士官学校と称した、教会の"学院"に当たる高等教育課程の学校には、礼節と教養を身につけるためという名目の元、貴族の子女も多く身を置いていた。そのほとんどは、課程が終了するか例えその中途であっても最終的にはそれぞれの家に戻る。それ以外の者、優秀な者たちは皆、メルドギリス王宮警護や近衛兵、国王直轄の親衛隊に入るのが通例だ。

 彼らは、召し上げられて王に仕えることを望んだのではなく、ただ、戦う力が欲しかった。

戦える力を、もっと多くの人を守るために使うべきではないか。そして守りたいのは、レグアラの人々、庶民、そして船乗り達。海を往く者達が命を懸けてくれるからこそ、海運業が成り立っている。彼らを守りたい。

 その思いを聞き、援助をしてくれたブロムダール夫妻は自由にしていいと言ってくれた。息子のないブロムダールの人々にしてみれば、使用人の息子であれ優秀な成績を収め、城に召抱えられる方が有益であったはずであるのに。

 メルドギリス兵としてのレグアラへの配属希望は受け入れられなかった。

何より彼らは、自分達の意思に反する形――もし、万が一にもレグアラの民が王に不服従を示した場合、王命を持ってこれを鎮圧せねばならないという立場――での帰郷は望みではなかった。

 そうして卒業と共に姿を眩ます形でレグアラに戻り、船の安全を守るための組織を作ったのがトリスタンとイオルズだ。

人々の役に立つ仕事をする――その思いは叶おうとしていた。だが時流は穏やかではない方向へと進んでいた。メルドギリスの前国王の崩御と新王即位――前王の遺志を継ぐという名目で現国王デリク4世は国防強化を図り、レグアラにまで重税を強いた。

 そして納税を果たせぬものに鉱山での労役を課し、希少金属の鉱脈が見つかったということで更に他国からの人足の流入も起こった。労役に着いた者の相次ぐ犠牲、基幹産業の衰退、更なる増税と民の疲弊――

だが、民が重税に苦しむ中で、海運業者だけは違った。

人足の輸入や、加工できていないまでも鉱物のままでの産出物の輸出で潤っていた。

勿論、民や議会員の一部には高すぎる税率をどうにかしようという動きが出始めたが、一向に進まなかった。海運関係者は相変わらず好景気だったからだ。

 それだけではない。

彼らは財産を他国に持ち出し、そこで管理していたのだ。自国での収入として計上しなければ、それに課税される事も無い。つまり、税金対策のために海運業者や貴族議員達は、他国に財産を動かしていた。

 民には重税を課し、自分達は自分達にしかできない方法でそれを免れていた――レグアラの現行法規では禁じられていない、だが倫理的に許されない不正だ。

 それに気付いたのが、議会員の一人であるヘンルィク=ブロムダール、そしてトリスタンとイオルズ――海を往く船の護衛を組織的に担っていた者達だった。多くの議会員がそれを行っており、禁止処罰する法を整備するのは不可能だと知った彼らは、それでもその不正を阻止すべく全ての船の出入りを止めようと、行動を起こしたのだ。

 そして、財産の移動が出来ないとなるとそれまで優位を保っていた者達も途端にも困窮し、税制に不満を示す者も出始めている。

「――まだ、何かあるはずなんだ。議会員と、王都メルドギリスとの関係が」

そこまで話して、イオルズは視線を外し言葉を呟きに変えた。

「何かって?」

まだ全てではないと感じたヘルガが先を促すと、男は真摯な瞳を三人に戻し、

「何かしらの利害関係がなければ、ここまですんなりと無茶な税制を受け入れるとは考えられない。民の不満の矢面に立つのは議会なのだからな」

頷いて言い切った。

「利害関係……。その、真相を暴こうっていうこと?」

「それもあるが――とにかく、国に対して税率の引き下げ要求をして欲しいというのが目的だ。せめて3年前の水準まで戻すように、と。今は、我慢比べをしているも言えるだろうな」

レグアラ議会が現状に困窮して税制の見直しをするのが先か、それとも民の惨状に自分達が交易の再開を許すのが先か。

「そこで、さっきの話に繋がるのね」

「そうだ。今、まさにレグアラに王都からの使者がきている」

「備えって、何?」

彼らの不穏な気配に、答えは見えていたが問わずにはおれなかった。

「我々としては、もう限界に近い。もし、これ以上過酷な税や労役が課せられるなら、現在の議会を解散させる他無いだろう」

「議会を、解散……」

武力行使に出ざるを得ないことを、暗に告げる表情で男は頷いた。

 レグアラを封鎖すると同時に彼らは、少しずつ戦いの準備をしていたという。武具や人員――それは、この要塞の様な海賊のアジトに入ってからも感じ取れたことだった。

「本来なら、現議会が国の支配的で無茶な指示を拒む姿勢を示すべきなんだ。それができないような議会なら、解散を迫らざるを得ない。その上で恐らく――メルドギリスとの関係も、考え直さなければならなくなるだろうが……とにかく今はどのような事態になろうと対処できるよう備えつつ、連絡を待っている。――それで、君達は一体何故海賊船に乗り込むなんてことをしたんだ?」

「……」

ヘルガは言葉を持たなかった。レグアラの、メルドギリスとの別離すら視野に入れているような彼の主張。

ここまでの話を聞いて、正直、自分の考えていた以上に物事は複雑であり容易くはないであろう事が理解できたから

「海賊騒動をどうにかしたくて、私に会いに来たのだと先程スタンが言っていたが。私を捕えるか? それとも告発するか?」

「そんなこと、しないわ……! でも――」

先ほどのジェイとのやり取りを信じるなら、レグアラの問題が解決すれば、交易も再開されるのだろう。

自分が関わらずとも事態は動き、やがて解決へと向かうはずだ。

その結果が、例えば平和的解決であるか、内乱に発展するかは議会の判断次第。

 一体、自分に何ができるのだろうか。何が出来ると思って、ここまで来たというのだろうか。

「……理想的なのは、議会が増税案を突っぱねて、更に税率を低くするってことよね。あと、労役に当たってるレグアラの人々が帰って来られること」

ヘルガは、少し考えた後で言葉を紡いだ。

「そういうことになるな」

「ヘンルィクおじ様に、議会に働きかけてもらうことはできない? 私から何かお願いできる事は……」

「ブロムダールの方々には、過ぎる程して頂いている。これ以上巻き込むわけにはいかない」

増税反対派の取りまとめや、増税推進派の調査――何故、それを容易く受け入れるのかの調査をヘンルィクは行っているはずだ。

「そう……」

「それと、君達には申し訳ないが、このまましばらくここに留まってもらう事になる。万が一にも我々のことが、今の議会に露見するのは避けたい。ブロムダール家との関係が疑われる事態は、なんとしても避けなければならないからな」

「え……? それって、どういう……」

「現状をどうにかすべく動いてみるつもりだとは、ヘンルィク様方には伝えてある。だが、それ以降のことは……。あの方は、レグアラにとって必要な人だ。私達の行いによって失脚に追い込まれるなどという事になってはならない。今回の事は、スタン、ジェイ、私の仲間たちで勝手にした事。そして私達は、最初の海賊による襲撃で海に沈んだ事になっている」

つまり、死んだ事になっている。それは、自分達に関わりのあるブロムダールの人々に、疑いの目が向けられるのを避けるため。レグアラの内部から、正当な手段で持って事態解決を目指す人々の妨げにならないための行為だった。

「そんな……!」

「ヘンルィク様のような心ある為政者こそが、レグアラには必要だ」

「……っ!」

言い切ったイオルズの瞳は、真っ直ぐに澄んで美しい。

その強さに、彼らは惹きつけられるのを感じていた。

「そしてもし議会が、街が、正常に戻るなら、我々の存在は不要となるだろう。それを見届ける事ができれば――私達はこの地を離れるつもりだ」

「この地を、離れる……?」

「そう言えば聞こえはいいかもしれないがね。逃亡する、ということだ。勿論、犯した罪を償わなければならない、法による裁きを受けなければならないことは分かっている。だが、捕まる訳にはいかないんだ。そうと知らず協力してくれた、心ある人々にまで我々の罪が及ぶ事があってはならない。卑怯とは承知しているがね」

「そんなことっ!」

卑怯だなどとは、思えない。アレスが思わずといった風に首を振ると、彼は苦笑いを浮かべる。

「それに今回のようなことは、メルドギリスの直轄地である限り二度と無いとは限らない」

言外に、現国王への不信感を匂わせるイオルズの瞳に鋭い光が宿る。三人はぞわりとした何か落ち着かない気配を感じた。

だが次の瞬間にはそれがふっと緩む。

「いつか――ほとぼりが冷めるまで、戻れるとは思っていないが……力と知識を身につけて戻り、受け入れてもらえるなら、その時は、正しい方法で街をより良くしていく為に働きたいと思っている。私達の願いはただ、街が元に戻って欲しい、民にとってよりよくなって欲しいという事。それから本当なら、海を往く者達の安全を守りたい……これに関しては、今現在我々のしていることをまずは償わなければならないだろうし、実現の可能性が遠のいてしまって残念なのだがね」

守りたいはずの海を往く者達を多く苦しめその命さえ奪った――そう言ってどこか切なげに微笑む男は紳士然としていて、とても海の無法者達の首領には見えない。

海賊騒動を起こし、レグアラを封鎖して交易に混乱を引き起こした――だが、何よりも彼らは、レグアラのことを、そこに住まう人々のことを思っているのだと、言葉で語らずとも伝わってきた。

「もし、万が一、が起こった時は、おれも力になりたい」

その思いに、感じ入って言葉にしたのは青い髪の少年だった。

「アレス……」

「戦わずに済むなら、勿論それが一番だと思うけど。もし、あんた達のために、レグアラの人々のために、戦わざるを得ないなら、おれも戦う」

「あたしもよ」

強い光を湛えた瞳で思いを告げた少年に、赤い髪の少女もまた力強く頷いて同意した。

その言葉に、イオルズは厳しい表情を悪戯っぽいものに変えて、

「実は少しそれを期待していた。スタンからの手紙に、腕の立つ旅人だと書いてあったから」

どこか少年のように微笑む。

「……」

彼らが共闘の意思を固め合う中で、ヘルガは複雑な気持ちになった。

 故郷での自分達の居場所を投げ打ってまで、自分達を犠牲にしてまで、民の平穏のために戦おうとする彼ら程の意志と覚悟が自分にはあっただろうか。自分が赴き何かしらのことをすれば事態が解決すると思っていた浅はかさが恥ずかしい。

それに何より、自分は戦えない。そんな力など無い。

ここまで来て、それでも今、自分には何もできないのだと、自分にできることなどないのだと突きつけられた気がしたからだ。

「ヘルガ嬢にも、感謝を」

娘が表情を曇らせたのを知ってか知らずか、男は思わず見惚れそうになる丁寧な動作で頭を下げた。

「え、でも、私、何も……」

「彼らをこの地へ導いたのは、貴女だろう? 思わぬ戦力を連れてきてくれた」

綺麗な青緑の瞳が親しげに細められ、ヘルガは驚きの表情のまま赤面した。どきどきと胸が高鳴る。

「そうだよな。ヘルガに引っ張られて、おれ達ここまで来たんだし」

「何もしてない、なんてことないわ。あたし達だって何が出来るかわからない。でもとにかく、やれるだけのこと、やってみよう?」

そして、にこりと笑いながら言う赤毛の少女の言葉に、娘はしっかりと頷いた。

 彼らが、故郷を捨てなくてもいい方法を見つけたいと思った。それができないならせめて、彼らの本来の願いを――海を往く者達の安全を守る方法を必ず見つけ出そうという思いを密かに抱きながら――。

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