103 - ユーディット甲板にて

一段高くなった船首甲板の下で、ちらちらと上を覗いながら、まごついている船員数名。

「セフィ、そこにいる?」

背後から掛けられた声に、彼らは驚いて振り返り、赤い顔で何とか頷いてからそそくさと去って行った。

思わず笑みを漏らしながら、階段を登った先。ぴくりと耳を動かして、彼の訪れに気付いた白狼は僅かに瞳を開いてすぐに閉じた。

 澄み渡る青空と眩しすぎる日差しを遮る白い帆は極上の天蓋。大きな獣の柔らかな毛皮は優雅なる貴人の褥。

そよぐ風は優しく、波の音は心地よい。そしてそこに上半身を預ける形で身を横たえるのは比類なき美貌の人物。

色素の薄い髪、光を湛えるかのように透き通った肌、閉じられた瞳の睫は長く濃い影を落とし、口付けを誘うかのような唇は咲き初めの無垢な薔薇の色。

 見慣れたとは言え、それでも思わず溜息を吐きそうになる清澄で濃艶な美しさに一瞬見惚れた後で

「こんなとこで寝てたら危ないよ~? 日焼けしちゃうしさー」

彼はひょいと陰を作るように覗き込んだ。

「……眠って、いる訳ではありませんよ」

薄っすらと、瞳を開いて彼を見ぬまま応える。その虚ろな様が、夢幻的であまりに美しい。

「そうなの?」

「……考え事をしていました」

白狼に凭れた身体を起こすことなく、独り言の様に遠くを見詰めて応える。無自覚のままに辺りの者を惹きつける危うさにロルは思わず苦笑を漏らしながら問うた。

「ローズ姐さんが言った事?」

船乗りが傷ついたり命を落とすのは仕方がないと、船乗りとはそう言うものなのだと、言ったローズの言葉にセフィは辛苦の表情を見せていた。

「それとも、あの二人が話した事?」

「……どちらもです」

隣、いい? と覗うロルに無言で頷いて、一度瞑目した後でセフィは身を起こした。


 あの襲撃の後で、船長室に連れて来られていた男達、ハンスとダリオは最初、ローズの脅しに怯えている様だった。だが、彼らは頑として口を割ろうとしなかった。

恫喝しても、宥め賺してもしても、決して自分達のことを話そうとはしなかった。

「おれたちはどうなってもいい。おれたちの存在が、船長達の目的の妨げになるなら、そんなもの、いらないんだ!」

というのが、彼らの主張だった。 

 ユーディットの船長としての責任で尋問するからというローズに従い、それまで口を出さずにいたセフィだったが、鬼気迫った様子でそう言った彼らには、思わず声を掛けずに居られなかった。

「貴方方の首領は、目的のために、貴方方に命を投げ出せと、そんなことを言う人物なのですか?」と――。

セフィの問いかけに、男達は心外だとばかりに首を振り、

「違う! そんなんじゃない! あの人たちは、おれ達のことを何より思ってくれてる。人々を貧困から救いたい、その目的のために戦ってるんだ。だから、そんな目的の為だから、おれ達は、全部を懸けたいと思うんだ!」

「絶対に、失敗しちゃならねぇんだ!」

口々に言い募る。

「その目的とは、何なのです? 人々を救うため? 海賊行為が、人々の為だと仰るのですか?」

「……」

「貴方方が話して下さらないなら、レグアラに着いて、私たちは貴方方を憲兵に差し出さなければならないでしょう。

レグアラは、海賊行為という罪に寛容な街ですか? 貴方方は、きちんと裁かれますか? 役人に捕えられても、貴方方は、その秘密を守っていられますか?」

「!!」

心苦しげに問いかけるそれは、脅迫ではなく純粋なる気遣いだった。男達はハッとなって言葉を失う。

「私たちは、敵ではありません。貴方方が、悪と分かっていながら犯す罪の向こうに譲れない何かがあるなら……命を懸けてまで果たそうとするその目的が、貴方方の信念に適う善き事ならば、その責務を私たちにも負わせて下さいませんか?」

「……」

跪き、真っ直ぐに見詰める澄んだ瞳と真摯な言葉に、意地や蟠りを優しく拭われ男たちはがっくりと頭を垂れた。

そして

「そうするしか、なかった――」

そう声を絞り出すと、縋るようにセフィを見詰め返した。

「どうすればいい? どうすれば救われる? どうすれば昔みたいに……」


 そうして彼らは話した。

元々決して低いわけではなかった税率が、少しずつ徐々に上がり始めたのはもう3年以上も前、新王が起った頃からではないかと今では言われている。

そしてここ1年余りは、上げ幅が急激なものとなり課税対象が次々と追加されていった。

これまで掛かっていなかったものにまで税がかかるようになり、取立ては厳しく、納められない者には労役――王都メルドギリスの背後にそびえるギギム山脈に穿たれた鉱山で鉱夫として働くというもの――が課せられた。

当時、新たな鉱脈が発見されたのだという。

 ジズナクィン大陸に広大な国土を持つメルドギリスだが、農耕に適した土地は少ない。その代わりに、良質の毛をもたらす動物の牧畜や酪農、それからギギム山脈で産出される鉱石や金属鉱物を純化、加工精錬し、製品に仕上げるというのがメルドギリスの主な産業だ。

 昔から、織物や金属加工品、装飾品の類では高い技術力と製品の質の高さを誇り、それらを他国に輸出する事で国は富を得ていた。

 鉱山での仕事は命を削るほど過酷というわけではないが、それでも容易くは無い労働だ。彼らは最初納税のためにそこで働き始めたが、一発当てれば見返りは大きなもので、滞納分を返済しても、それまでの収入以上に稼ぐ事が出来たから、課せられた労役を終えても留まるもの、本業を辞めて鉱山へ向かうもの、他国からの人足の流入も盛んだった。

レグアラは、一見して人が増え活況を呈した。

 だが、いつからか、帰って来なくなるものが出だした。

仕送りが途絶え、不安に駆られた家族が問い合わせると悲報が告げられた。落盤事故だったり、有害煙による中毒だったり、理由は多岐に渡った。

そうして、そこここに路頭に迷う女や子供が出だした。

採掘だけでなく、何かを造るような現場に配置された者もいたが、そのほとんどはその後姿を見なかった、と自身も鉱山へ行ったことのあるハンスが話した。

気がつくと、レグアラの基幹産業であった小間物細工――金属細工や宝飾細工、織物、鋳物、鍛冶といった手仕事を担うものは激減し、僅かばかりの農地は放棄されて荒れ果て、漁師すら数を減らしていた。そして、税率は大変なものになっていた。


 増税の理由は、主に国防のためだった。

魔物の増加、それに対抗すべく街の防備を築き備蓄を整え、そして兵を鍛える。

 レグアラの施政を担うのは、多くが貴族と海運業を営む者達。所謂富裕層だ。

王都メルドギリスの直轄港であるレグアラの税制に関しては国から指示があり、それがそのまま施行されてきた。レグアラの為政者達は、ただ国からの通達を受け入れ民に課し、そして徴税と滞納者の取締りを厳しくしていた。

 多くの民が重税に苦しむ中で、海運流通業者だけは違った。

船の出入りがある限り、海運業者が潤っている限り、税率の見直しは為されないのではないかということで、海賊達はレグアラに出入りする船を追い払って封鎖し、とにかく議会に、国に対して税率の引き下げ要求をして欲しいというのが目的だという。



「どうすればよかった? 他にどうすれば? 確かに、国防は大事だ。金もかかる。だが、そのために、何故人々は路頭に迷い、飢えなければならない?」

守るべきは、国土なのか。人々の命、生活ありきの街や国ではないのか。

 人々は疲弊していた。そして心あるものたちは考えた。

武力でもって、議会を解散させることは、不可能だ。増強され続ける国の兵力と、力の差が歴然だったからだ。

それならば、まず、為政者にも同じ苦しみを味合わせて、その税の異常さを自覚させねばならないと、その方が、平和的なのではないか、と。

「確かに、他国からの船が入って来なくなれば、余計に苦しくなるのは自分達もだ。それは分かってる。でも、だからといって他にどう、やりようがあるというんだ?」



「どうすればいいのでしょう……私たちに、一体何が出来るのでしょう……」

セフィは祈るように両手を組んだ。その横で、今度はロルが白狼の柔らかな毛皮に凭れて空を仰ぐ。

「難しいよね。彼らは自分達の意思で、自分達の力で、どうにか事態を解決しようとして、今の状態なんだから」

街の厳しい状況を、最もよく知る者たちが起こした行動を批難阻害する権利など自分達にはなく、苦しむ人々を助ける力になりたいと思っても、何をどうすべきか、容易く解決策など見つかりそうにない。

「……」

ロルと同じ様に、セフィもまた再度白狼に身を預ける。

その時ふと、

「なーにこんなとこで昼間っからいちゃこらしてんだい、そこの二人は」

明るく勝気な声がした。

日の光を浴びて黄金にも似た褐色の肌が美しい、挑発的で豊満な肢体の女がにやにやしながらそこに立っていた。

「いちゃこら……?」

彼女の言葉にセフィは首を傾げ、ロルは笑いながら身を起こす。

「やだなーローズ姐さん、そんないちゃいちゃなんてしてないよ~。俺が姐さんみたいな美女好きだって知ってるくせに~」

「何言ってんだい、全く。それにその言い方じゃあ、あんた、セフィに失礼じゃないかい。あんたのお眼鏡に適わないって言ってるみたいだよ」

「?」

「いやいやいやいや、姐さん、確かに俺セフィのこと好きだけど、いちゃいちゃしたいかって言われると、姐さんとの方が……」

「よく言う」

腰に手を当てどこか愉快気に覗き込む。

「え、もしかして、妬いてくれてたりとか!?」

「妬くか、この馬鹿者」

ローズは綺麗な水色の瞳を細めて、鼻で笑った。

じゃれ合いの様な二人を微笑ましく思いながら、セフィは眩しげに女を見上げる。

「ローズ船長はヴォイチェク副船長と想い合ってらっしゃるのですよね?」

「!?」

「え!?」

その言葉に、二人は驚いて発言者を見た。

「違うんですか? 見ていて、とっても仲が良さそうで、信頼し合っているご夫婦のようだなと思っていたのですが」

セフィは覗うように僅かに首を傾げる。その純粋な瞳に、ローズはふっと笑った。

「あぁ、そうだな。あいつを信頼しているさ。長年の相棒だからね。でもね、あたしらは恋人同士ってわけじゃない。セフィ、女と男ってのは、もーちょっとだけ複雑なんだ」

身を屈め視線を合わせてローズはどこか悪戯っぽい様な、それでいてあらゆる機微を知り尽くしたような表情で言う。

「そう、なのですか……」

「そういうもんなのさ。……ってこんな話をしに着たんじゃなくて、だね」

理解できないまでも納得しようと頷いたセフィに優しく微笑んだ後で、ローズは思い出した様に首を振る。

「レグアラに着いてからどうするかってこと、ギュンターとヨハンナ交えて少し話したいと思ってね」

言って振り返り階下を見下ろして手招きをする。

「悪かったね、待たせて」

誰かさんのせいでくだらない話しちまってたよといいながらローズは二人に詫びた。

問題ないです、と彼らは――特にヨハンナは緊張した様子で三人の元にやってきた。

「あ、すみません。レシファ――」

「いや、いいよ、そのままで」

五人が集えば、やや手狭になるのではと白狼に陰伏するよう言おうとしたセフィを、そうローズが制した。

「居てくれた方が、いい風除けになる」と笑いながら、片膝を立てて傍に座り込む。


 アレス、アーシャが居なくなってしまった事による戦力の低下を補うため、セフィは自らの使役である白狼の存在を明かした。本来、邪悪なる獣である白狼の存在が、無用の不安や混乱を招くことを懸念してそれまで内密にしていたが、そうも言っていられなかった。

 最初驚いた表情を見せた女船長だったが、二言目には「餌はどうすりゃいいんだい?」とどこか困ったように尋ねた、その反応にセフィもロルも安堵して思わず「食べる事はできるのですが、必要ではないんです」と答えながら笑ってしまったのだった。


「し、失礼します……」

ローズが座るよう促し、ギュンターとヨハンナはそれに従った。

頬を染めた娘に、そんなに緊張しなくて良いのにと微笑んでからロルは

「レグアラに着いてからのことだよね。とりあえず、目的は同じだと思うんだけど」

ローズの言う、話題を切り出した。

「協力して下さるのですか!?」

すぐさまヨハンナが身を乗り出して反応する。

「協力っつか、俺たちもアレスとアーシャの行方捜さなきゃだし。一緒に居るはずのヘルガちゃんのことも、心配だからね。とりあえず、聞き込みから始めないとだと思うんだけどさ」

軽い口調ながら確かに頷く彼を見、ギュンターは生真面目そうに引き結んでいた口を開いた。

「ヘルガ様と、レグアラに着いたらブロムダール家を訪ねようと話していたんです」

「ブロムダール家?」

「はい。ヘルガ様の叔母に当たるナタリエ様が嫁がれた家で、レグアラでの有力者です。行政にも関わりがあるはずなんで、何か聞くことができるかもしれない、と」

「行政に関わりって――」

あの二人、ハンスとダリオの話を聞く限りは、レグアラの議会員にあまりいい印象は無い。

そんな思いを察してか、ヨハンナは強く首を振って訴える。

「ヘンルィク様もナタリエ様も、とっても良い方なんです」

「あの方々は、民を虐げるようなことはなさらないはずです。海賊達の話を聞いて何度も考えたんだが、やはり納得がいかない」

ギュンターもまたそう評した。

「行政に関わる人々全てが、今の状態を良しとしているわけではないということですね」

「おそらく、そうだと思いたいだけなのかもしれんが……太刀打ちできない事態になっているのではないかと」

「ヘルガお嬢様は、お二人をとても慕ってらっしゃって。従姉妹のエミリア様達とも本当に仲良くしてらっしゃったんです。そりゃ、そんなに頻繁に行き来があったわけではないですけれど。でも、きっと、ブロムダール家の人々のことが心配だという思いもあったのだと思います。海賊騒動のせいで、あまり連絡が取れなくなってしまっていたから」

吹き抜けた風に煽られた灰褐色の髪を押さえながら語るヨハンナのその言葉に、セフィとロルは腑に落ちた思いで頷いた。

「知り合いがいるって話は聞いてたけど、そんな事情があったんだね」

「隠していたわけではないのですけど、お話できてなくてすみません……。ヘルガお嬢様は、その為にだと思われたくないと仰っていたので」

ヘルガにとってはレグアラ、ジズナクィンの人々が心配で、その中に含まれる彼らの事も気がかりなのだと言う。確かにこれまでの彼女の話から、友人知人親類とその他の人々の無事を願う思いに、区別は感じられなかった。

ただ純粋に、人々を困難から救いたいのだ、と。

「だから一度、ブロムダール家を訪ねて、事情を聞いてみてはどうかと」

「そっか。内部事情を知ってそうな知り合いが居るなら、その人に尋ねるのが確実だし手っ取り早いよね。んじゃ、俺たちはギュンター、ヨハンナと一緒にそこに行ってみるかな」

「そうですね」

ついと指先で眼鏡を押し上げてセフィも同意する。

「あたしらとしちゃ、船主は船を放っぽってどっかいっちまったし、このままザクファンスへ取って返しても良いんだろうけど。さすがにそれはしないさね。引き受けちまったもんもあるしね」

ローズは小さな溜息と共に苦笑を浮かべた。

 あそこまで話し、助けてくれと言われて、海賊だからと役所に突き出すことなどできない。今後、あの海賊達はとりあえず、ローズが自分の部下として扱う事を引き受けていた。

 彼らにもし、帰る場所があるなら、捕えられることなく戻れるなら、放してやってもよいのだが、そうはいかない場合匿ってやらなければならない。海賊とつながりがあると、共犯者だと、思われては問題だから、というのも勿論あるのだ。

「せめてお嬢ちゃんが見つかるまで手を貸しておいてやるよ。好きに使える船だと思ってくれて構わない」

「さすが姐さん~」

「いいんですか?」

「あぁ、まさに乗りかかった船ってヤツだ。今更引けないよ」

ローズは鮮やかに笑った。眩しい青空を背にして褐色の肌を光が縁取るその様は生命を象徴する美しさを湛えている。

そんな彼女に思わず見惚れながら、彼らは口々に礼を述べたのだった――。

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