084 - ベーメン大聖堂

 少女から馬と、旅の装備含む全てを盗んだとして捕らえられた二人の旅人がベーメンの憲兵に連行されるに伴い、罪の程度を明らかにする調書を作成するため、アーシャもまた警邏署に出頭することになった。

 アーシャが若年のため、同行することにしたアレス達三人だったが、市庁舎の裏手に置かれた警邏署へと向かう道すがら、憲兵の一人が「いい宿がある」と言う通りでセフィ、アレスの二人は一行から外れ、ロルと共に少女は市庁舎前広場まで辿りついた。


 港町や王都ではないが、三方向からの街道の交わる町ベーメンは比較的大きな街だ。

市庁舎と大聖堂を中心に外へ外へと開拓され広がっていった街は、その中心へ向かうほど古く趣のある町並みを残している。

黒い木組みに漆喰で固めた白壁の家並み、石製の瓦を鱗の様に葺いた屋根には小さな窓が設けられ、そこも居住空間だとすると3~4階建てのものも少なくない。

特にウォグズ街道の延長である大通りには華やかな建物が多く、立面の装飾や、窓辺に飾られた花々が彩りを添えていた。

 市庁舎から広場を挟んで――この広場で3つの街道が交わっているのだと、年嵩の憲兵が教えてくれた――正面に位置するベーメン大聖堂は大聖堂という割りに規模はさほど大きくない。

屋根の灰色以外淡いハチミツ色の石で築かれた、この街最古の聖堂は経てきた年月によってやや黒ずんできてはいるが、人々の祈りの城たるに相応しい姿をしていた。



 扉をくぐると、薄暗がりの向こうに幾筋もの光が見えた。

古い石と香のかおりが鼻をくすぐり、広場の喧騒が分厚い扉に遮られると、その厳かな雰囲気にこの場所が単なる建物の内部ではなく特別な空間なのだと感じる。

 立ち並ぶ柱、枝を広げる梁は天井付近でアーチを描き、静かな森の中の様。

ステンドグラスから差し込む光は鮮やかな色彩と陰影を生み出し、多くの人が触れ滑らかになったベンチに陽だまりの暖かさをもたらす。

側廊には告解室と聖人を祭る小さな祭壇が設けられ、灯された蝋燭が陰の部分を暖かに照らしていた。

 磨き上げられたすべらかなモザイク床に、足音が響く。

人の気配の無い堂内を正面祭壇に向かって歩を進め、最前列のベンチに二つの人影を見つけた。

 乱雑に撥ねた青玉色の髪と、透き通る黄金の後姿。一瞬声を掛けるのを躊躇う静謐さに少女は足を止めた。

「……」

瞬間、白い光が、目の眩む様な光が視界を奪った。

「……アーシャ?」

振り返り、名を呼ぶ光を纏った人。

「セフィ、アレス……」

「思ったより早かったですね」

いつもと変わらぬ穏やかさで微笑むセフィに、アーシャは先程の感覚が単なる立ち眩みだと認識して頷く。

「うん。ロルが立ち会ってくれたからかな。なんだかすんなり終わったの」

少女の答えに、「そうですか。それはよかった」とセフィは立ち上がった。

「ロルはまだ何か用事があるからって。夕食までには宿に戻るって言ってたわ。……ごめん、お祈りの邪魔しちゃった?」

青い髪の少年が、少女を一瞥して再度正面の光を見つめているのに気付いてアーシャは詫びた。

「いや、そういうんじゃない」

振り返らないまま答える少年。

「少しお話をしていただけです」とセフィが付け加えた。

捕らわれた様なその姿に、アーシャもまた花と光に彩られた祭壇と、その向こうのステンドグラスを見た。

 描かれているのは、救世の神サジャ=アダヌスと、その傍らに寄り添うように居る――

「あれは……?」

色の無い硝子で、靡く様相に描かれた長い髪がサジャ=アダヌスの片翼を成しているかの様。

「聖アフサラスです」

「……女の人、だったっけ?」

瞳を閉じたその表情は決して女性的な穏やかさを見せてはいない。それにも関わらず、アーシャはその姿を女性と感じた。

「いえ、聖アフサラスに関して性別の明記はされていません」

「え……?」

「多くの絵画や彫刻では、丸みや凹凸をそぎ落とした様な体型で少年的に表現されることが多いのですが、時にこうやって女性的に描かれることもありますね。……珍しいですけれど」

聖書において神や聖使徒に関して、その容姿は詳細に渡って明記されていないが、絵師や彫刻師らは先人に倣うのが常の為、統一的な形象となる。だが、古い教会施設では各々の作家等の作り上げた、思い描いた姿で表現されていることもあった。

 答えてセフィもまた、正面のステンドグラスを見上げた。

「サジャ=アダヌスと聖アフサラスを……使徒を同じ枠内に、というのも正面の主窓ではあまりありません。側廊部分では見られますが。通常はあの様に正面に描かれることはあっても別の窓に配置されますね」

祭壇奥のステンドグラスは、3枚。中央に配されているのがサジャ=アダヌスと聖アフサラス。その右と左には聖イスファハと洗礼者セテシュ=ツィサーリが描かれている。

「聖イスファハの足元に居るのって、竜? だよな?」

ロルは聖イスファハが"竜に連なる者の国"シャハラザードに関する者だと言った。

竜は力を象徴して描かれることも多いが、ロルの話を聞いた後だと、このステンドグラスが聖イスファハとシャハラザードの関連性の表現のように思える。

 アレスの言葉に頷くセフィと、そしてアーシャは

「すごい……面白い……!」

どこか陶然と言葉を漏らす。

「そんな見方があるなんて、考えたことなかった! どこも同じってわけじゃないのね」

「だろ!? なんか正直教会って、静かすぎて落ち着かないだけの場所というか」

「面白い場所ではなかった?」

声をひそめつつも興奮気味な少年と少女の様子に、セフィはくすり、と笑いながら声をかける。

「そう、それ! 祈りの場なんだから、そんなの求めるもんじゃないだろうと思ってたけど」

「司祭様のお話を聞いて、聖歌歌って、祈る……だけだと思ってた」

二人は同じ様に瞳を輝かせてセフィを見る。

「知らなかったことを知る、ということは人としての悦びですからね」

「聖書はケッコー読んでたつもりなんだけどな……」

と呟いたアーシャに、

「聖書が書物として普及するよりも前から、そして文字の読めない人々にも、神の教えを視覚的に伝えるために用いられているのが、ステンドグラスや絵画や彫刻です。そこから神の物語を読み解くというのは興味深いことだと思いますよ。

教えを説く側の教会の意向と、表現する作家達の思いの結晶であったりするのですから、こういった古い聖堂では特に、ね」

柔らかに微笑み、聖者達を見つめるセフィは、そのまま光に包まれて溶けてしまうのではと思われるほど、ひどく儚くて

「それにしても、この聖堂建立に関わった職人の方々は本当に素晴しい……」

うっとりと呟く声は、確かに耳に届いているのに

「セフィ……!」

少年と少女は同時に呼び、思わずその腕を掴んだ。

「あぁ、すみません。あまりに綺麗で、思わず見入ってしまいました。……どうかなさいましたか?」

二人を襲った正体の分からない不安になど気付いていないのだろう、セフィは怪訝そうに瞳を瞬く。

「あ、いや……」

本当に、消えていってしまうのではという気がしたのだ。そんなことはありえない、ただの錯覚なのだと分かっているのに。

慌てて手を離し、首を振る。

「それでは、聖書のお話はこの辺にして、街歩きに出掛けましょうか。今日は天気もいいですし」

明るく言ったセフィの言葉に少年と少女は頷いて同意し、祭壇に背を向けた。

 聖堂の入り口上部に置かれたパイプオルガンの向こうには、此方も鮮やかな光を湛えた薔薇窓が静かに微笑んでいた――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る