083 - ユンカースの馬屋(後編)

 妻に茶を出すよう言いに行くふりをして、息子の一人に憲兵を呼びに行かせた。

 店の一角に設けた卓の椅子を勧め、自らも座る。

できるだけゆっくりとした動作で、上がったままの脈拍を気取られないように、まずは馬の買い取り価格の交渉から入った。

本来より安い値段を言い、値上げを要求する二人と時間をかけて話し合う。

 早く憲兵が来ないだろうか。だが来てくれたとして、どう証拠をつきつけて彼らを捕らえてもらえるだろうか。

彼らが何かしらの悪行を働いているということは、現段階では彼自身の覚えた違和感という直感でしかない。

 旅人に売った馬を、買い取って欲しいと言って別の者がすぐに現れた、という話を以前どこかで聞いた気がするということ。それからあの少女が道中で自分の飼馬を手放さざるを得ないという状況になったと信じたくない気持ち。それだけだった。

 二人の旅人は、明らかな悪人という風ではない。先程留まらせるために言った言葉に乗ってきたのだって、儲け話に弱いという人間は少なく無いのだから、それがつまり罪に当たる悪行に繋がるとは言えないだろう。

 あるいは本当に、あの少女は既にいなくて、彼らの言うことが真相なのかもしれない。

単なる自分の妄想かもしれないと思うと、それだけで憲兵を呼びに行かせるなど、なんと愚かで馬鹿げたことをしたのだという気になってしまう。

 だから彼は、自分の直感を信じる、もう信じる他無いのだと自分に言い聞かせながら、彼らとの交渉を進めた。

「――この値段で、相場的に見ても悪くないはずだが?」

やがて正当と思われる価格で話がまとまり、彼は帳面に署名を求めた。

フランク=エグバルドとダナ=パーシヴァル。

思ったよりもすんなりと彼らは署名に応じ、店主は用意した金袋を卓の上、自分の脇に置いたまま、次の話題を向ける。

「それで、あの馬を拾ったってのはやっぱり……」

街道上なのか、と聞こうとした時、店の扉を叩く音がした。

憲兵には、裏に回って入ってくれるように言ってある。普段はこんなにも客が来ることは無いのだが、旅に良い季節になったからなのかと思いながら彼は、二人の旅人に断わった上で扉の取っ手を回した。

「すみません、少しお聞きしたいのですが……」

扉の向こうに立っていたのは黄金色の髪の青年だった。スラリとした長身に見慣れぬ異国風の旅装束を纏わせて、扉を開けた店主に促されるまま店に足を踏み入れる。

「あぁ、申し訳ない。お取り込み中でしたか?」

碧玉を彩る柳眉をややひそませて、青年は店主と先客に詫びた。

続けて店に入ってきた濃紺の髪の少年が無言のまま、店主の立つ受付台の方へと歩み寄る。

「いや、構わんよ。さて、馬をお探しかな、旅の人」

店の扉に"本日閉店"と掲げておかなかったことを後悔しつつ、彼はいつもの笑顔で客を迎える。

卓に掛けた二人の存在と開け放たれた扉が気になって、声が咽喉に絡みつく感じがした。

「表の馬なんだが……」

受付台に両肘を載せて店主の方に少し身を乗り出すようにしていた蒼い髪の少年が視線で店の入り口を示す。

「!!」

立ち尽くした少女が大きな目を見張り、拳を握り締めていた。

ガタン!!

同じく少女の存在に気付いたフランクとダナが慌てて椅子を蹴って立ち上がり、一瞬、店主を人質に取るべきかと見たが上手い具合に青年が立ちそれが適わないと知ると卓上の金袋を引っ掴んで戸口の方へ向かって突進した。

だがそれは、つもりだけだった。

「うわっ!!」

「きゃあ!」

二人は派手な音を立ててその場に倒れた。

金髪の青年が出した足がフランクを転倒させ、それに躓いたダナが転ぶ。

それと共に金袋が落ちる重たい金属音が響いた。

彼はすかさず蒼い髪の少年と共に二人を押さえつけた。

「なにしやがんだ、てめぇ!」

「痛いじゃないのよ!!」

「……この二人で間違いない?」

ジタバタと暴れる男を後ろ手に押さえつけ、背に片膝を乗せて青年が少女を振り返る。

青い髪の少年もまた、女を押さえつけながら、その口を彼女自身の外套でもって塞ぐ。これで魔法の詠唱は適わないはずだ。

「えぇ、間違いないわ。ドゥライドとテレサ……あたしの旅の仲間だった人達よ」

「あ、あぁ、アーシャ! よかった。無事だったんだな! 急に姿が見えなくなって、どうしたのかと……」

押さえつけられた姿勢のまま顔だけ上げて、男ドゥライドは善良さを訴えるような表情を見せる。

「騙される方が馬鹿なんだって言ったその口で、よくそんなことが言えるわね。馬は返してもらうわ。あたしの荷物はどこ?」

「そ、それは……」

口をふさがれもごもごと唸る女、テレサに同じく口籠もるドゥライド。

「どこなの!?」

「……もう、ここにはない。今どこにあるかは、俺にも分からない」

「売ったんだな?」

少女に強く詰め寄られ白状した男の答えの曖昧さに、少年が確信を込めて問う。

ドゥライドは顔を伏せ小さくそうだ、と頷いた。

「それが、目的だったのね……憲兵に突き出してやるわ……!」

悔しさからか、怒りからか。握り締めた手を、紅の唇を僅かに震わせて言い放つ少女。

「そんな……! そ、それだけは! 馬は返す。荷物を探すのも手伝う。宿で俺達、助けてやったじゃないか! な? 悪かったって! 出来心だったんだよ……!」

「出来心で女の子一人、武器もアシも何もかも奪って置き去りにするなんてことをできるような人間、信用ならないと思うけど? それに、助けたって……そんな風に恩を売ったみたいに言うなんて自分の狭量を主張してるみたいなもんだよ」

金髪の青年は、ぐいと男を押さえつけ、その腰から皮のベルトを引き抜くとそれで両腕を縛り上げた。

観念した様に男の身体から力が抜ける。

テレサはまだ何事かを唸りながら暴れようとしたが、ドゥライドを押さえつける青年に静かに見下されて大人しくなった。

「ありがと、ロル、アレス、セフィ……」

少女は開け放たれた扉の外を見遣る。旅装束のもう一人が、恐らく見張りに立っていたのだろう、此方を見て頷いたように見えた。

それから、と少女が店主に目を向けた時、

「アーシャちゃん……!」

それまで成り行きを見守っていた――寧ろ余りに突然のことで呆然と動けなかったのだが――彼は受付台の向こうから、少女に駆け寄った。

「ユンカースさん! お久しぶりです。すみません、こんな……」

「いやいや、いいんだ、いいんだよ。本当に、無事でよかった……!」

苦笑して頭を下げる紅い髪の少女の変わらぬ姿を傍で見て、彼は心底安堵した。

 やはり、彼の直感は正しかった。

二人の旅人フランクとダナ、つまりドゥライドとテレサ――どちらが本当の名なのか分からない――は、少女と共に道中を行き、ある時点で少女から全てを奪って置き去りにした。そして略奪品を売り払って金に替えようとしていたのだ。

 彼が似たような話を聞いた気がしたのは、実際同じ様な詐欺行為をドゥライドとテレサが繰り返していたか、それとも他にも同じようなことをしている者が居たからだろう。

「無事で、良かった……」

思わず込み上げて来たものに、言葉が詰まる。

自分の直感が正しかったことが証明されたことより、悪を暴いたことより、この目の前の少女が旅立った時と変わらぬ姿で、笑顔で居ることが彼には嬉しかった。

出会い、そして別れた。見送った誰かの無事なことを知って喜ばしい気持ちになるのに理由など無い。

ましてやそれが、息子らと同じ年頃の少女なのだから尚更だ。

「――どなたか、いらっしゃったようですよ」

彼が喜悦に浸っていると、戸口に立ったもう一人の連れが言って扉の向こうを示した。

 色素の薄い髪が黄金に縁取られて美しい様に、店主は思わず見惚れそうになったが慌てて頭を振る。

「来てくれたか……!」

どのように言って連れて来たのか。息子にもまた労いの言葉をかけねばなるまいと思いつつ、彼は床から金袋を拾い上げ卓に置いた。

 程なくして、馬屋の主人と紅い髪の旅人の訴えを受け、憲兵は二人の旅人を捕らえ連行して行ったのだった――。

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