079 - ウォグズ街道

差し出された手を取って、少女はひらりと馬に飛び乗った。

「身軽ですね」

前に跨った美貌の青年に言われ

「そう?」と応えながら座りのいい場所を探し、見つけると青年の腰に手を回した。

「っ……!!」

「ほっっっそーい!!!」

ぎゅっと身体を寄せ、後ろから抱きしめるように腕に力を込める。

セフィは思わず声にならない声を上げて僅かに背を仰け反らせ、身を硬くした。

「ちょっとこれ、細すぎじゃない!?」

そんな青年の強張りになど気付いていないのか、少女はさわさわと手を動かす。

「あ、あの……っ」

「くびれ云々というより、骨格よね……」

「や……っ」

背に押し付けられた柔らかな感触と無遠慮に這い回る手に、身じろぎも出来ずに固まるセフィ。上げる声も小さく途切れがちだ。

「おーい、アーシャ~その辺にしておいてやってよ」

そんな様子を見かねて、馬を横につけた金髪の青年が声をかける。

「? なに?」

「……」

言葉を発することのままならないセフィに代わって、彼は続ける。

「セフィさ、腰弱いんだよね。あんまりギュッてしたら身動き取れなくなっちゃうから」

言いながら青年は笑いを噛み殺している様な表情だ。

「ちょっ……!!」

セフィは、別に弱いわけではないと反論したかったが、それをすることが今、賢明でないことと意味の無いことだと悟って、止めた。

「そうなの?」

後ろから覗き込んで顔色を伺う少女に、セフィはとにかく頷いた。なによりもまずは密着状態を解いて欲しかったからだ。

 腰の締め付けが緩み、身体が離れていく感覚にセフィはホッとして肩の力を抜く。

「大丈夫か? セフィ?」

そこへ青い髪の少年が気遣いの言葉をかけた。

ロルと二人で、少女が一番気を許しているということと、馬への負担――要は体重のことを理由に、少女との相乗りを押し付けてしまったと感じているアレスは少し申し訳なさそうに様子を窺う。

「えぇ、大丈夫、です。」

なんとか答え、苦笑するセフィ。

 狼狽の理由が身体を触られたことだけではない――勿論それもあるのだが――と気付いているロルは微笑ましい思いで三人を見ていた。


 少女が加わったことによって、ただ出発するだけでも何かと生じたわけだが、瑞々しい新樹に山や野が包まれる晩春の午後、一行はベーメンの街に向かって馬を進めた。

 ランノットとベーメンを結ぶウォグズ街道は比較的新しく整備された街道だが、敷石は既に雨風に曝され砂埃を被り、あちらこちらに緑が芽生えている。それでも、覆うほどに茂っていないのは、それだけ多くの人馬がここを通っている証拠だった。

 少女が、誰かが通りかかるのを待ってみようという気になったのもそのためだった。だがミリオ地方に入ってからのこの街道には宿場が一切設けられておらず、食料に余裕がある旅人がそれほどに居るとは言えなかった。実際のところ、すれ違う行商や旅人よりも襲い掛かる魔物の方が多いくらいだった。

 ラテヌ山脈は既に後方のものとなり、辿る街道の進行方向には黒々とした森が広がっている。緩やかな起伏のある平原を大きな雲の影がいくつも泳ぎ、明部と暗部の対比からなる様々な緑が美しかった。

天は広く空気は澄み、起伏の加減によってはかなり遥か彼方まで見渡すことができる。今、右前方遠くの青い山々、フリムファクセと呼ばれる山岳地帯は、笠雲を被っていた。

「天気が崩れてくるかもしれないな」

空模様を眺めながら一行は足を速めた。もう少しで、街道は森へと入っていく。吹きさらしの平原よりも遮蔽物のある森の方が雨風をしのぐにはいいからだ。

 焦るではなく、だがやや急ぎ足に街道を行っていた3頭の馬は、二人を乗せた鹿毛の1頭を挟み守る形を取っていた。

「ね、アレス、ちょっと」

言ってロルが目配せをする。

青い髪の少年は頷いて、金髪の青年と共に鹿毛の馬の前方に進み出た。

セフィもまた、前方の茂みからただならぬ気配を感じていたから、二人の思惑を読み取り手綱を強く握る。

「セフィ。援護と……アーシャをヨロシクね」

二人は一度振り返り、セフィの返事を背に聞きながら馬の腹を蹴った。

 駆け出して僅か数瞬の内に二人はスラリと剣を――アレスは右手に、ロルは左手に抜き身構える。

丁度その時、藪のようになった街道沿いの茂みから奇声を発しながら飛び出した多数の獣――それは、黒い毛皮に強靭な肉体を包んだ凶暴な熊の化物だった。



「なに!?」

2頭の馬が駆け出し、一瞬にしてその場に走った緊張に、一拍遅れて少女が青年の背後から前方へ目と意識を向けた。

茂みから飛び出した黒い獣は後ろ足で立ち上がり、振り上げた4本の腕に鋭い爪がギラリと光った。

 既に先を行く二人が、抜き放った剣を閃かせる。

少女の乗る馬を操る青年は、戦闘範囲の手前で手綱を引き、前に手をかざした。

「え……?」

耳に届いたのかさえ定かでないほどの短い詠唱の後、地中から現れた無数の木の根が化物たちの足を絡め取る。

咆哮と奇声、入り乱れる人馬と異形の獣たち。

「数が多いですね」

二人の剣士が駆け抜けた後に地中から現れた、赤地に黒の斑のある三つ首の蜥蜴が一抱えもありそうな太い尾で土煙を巻き上げながら此方に向かって突進してくる。

「セフィ!」

それを制したのは、灰色の荊。蜥蜴を捕らえ締め上げ、その刺を鋭くして絶命させる。

 だが、蜥蜴も熊も次から次へと現れては四人に牙を剥いた。

「……あたしも」

急な襲撃と応戦にやや呆然と戦況を見守っていた少女が

「!? アーシャ!?」

「あたしだって、戦えるわ!」

言うが早いか馬を飛び降りた。

「アーシャ!」

静止の声を振り払うように赤い髪の少女は戦場へと駆ける。

 剣を振るう二人は既に馬を下り――特にアレスの持つ剣は他より長大な両手剣。手綱を繰りながらの戦闘には向かないため、一駆けの後に彼は馬を下りていた。

2頭の馬はセフィの誘い――魔法を用いて誘導した――に従い、その更に後方へ退避している。

「……」

セフィは無言で苦笑し、そして自らもまた戦闘へと身を投じた。



 前が見えなかったとはいえ、多少気が緩んでいたとはいえ、アレスとロルの二人が駆け出すまで異変に気付かなかった自分に少女は歯噛みした。

――アーシャをヨロシクね

つまり、守れ、と彼らは言った。

誰かを、何かを守りながら戦うことの難しさを知っている。

警戒心を露ほども見せていなかったのに、少女の気付かなかった魔物襲撃に素早く反応した彼らはおそらく、腕の立つ旅人なのだろう。

 彼らの戦いを呆然と見ていてもきっと、顰蹙をかったりはしなかったであろうし、なんら問題なく全ては片付いたであろう。

だが少女は、ただ守られるだけの存在で居たくはなかった。

自分の身くらい自分で守れると――それはあるいは、彼女の矜持。

だから少女は、剣を取った。

「あたしだって、戦えるわ!」

それが彼女にとって扱い慣れない武器であったとしても、それを抜かないという選択肢はアーシャにはなかった。


 駆けながら、鞘から滑らせ抜いた剣は軽く、彼女の手にすぐに馴染んだ。

道を塞ぐ赤黒蜥蜴の眉間目掛けて突き出す。常の武器よりも長さが無いため深くは刺さらなかったが、その場に沈んだのを確認して引き抜きざまにもう1匹――後ろ足と尾で立ち上がった蜥蜴の腹部を一閃。仰け反って仰向けに倒れ、じたばたともがくその首に、逆両手に持った剣を思い切り突き立てる。長い舌を出して二度、三度痙攣して動かなくなった蜥蜴に片足をかけて剣を引き抜くと、別の1匹が振るった太い尾を跳んでかわす。着地した場所は草が深く、足場が悪かったがなんとか彼女は次の攻撃に転じた。


「見て、アレス」

「んあ!?」

ロルとアレスが対峙するのは、両手足が合わせて6本ある黒い熊の化物だった。先程から、特に巨大な1頭と切り結んでいるアレスの背にロルが暢気な声をかける。此方は今まさに4本の両腕を落とし、前のめりに倒れた化物の首を落としたところ。

「アーシャが戦ってる」

油断なく身構えながら、其方にちらと目をやると、赤い髪の少女が魔物の群れを相手に剣を振るっているのが見えた。

本当だ、とやや驚いた風に呟くアレス。

「ま、誰かの後ろで守られてるような性質タイプじゃないって気はしたけどねぇ」

「確かになっ」

少し苦く笑って、濃紺の髪の少年は地を蹴った。高く跳んで振り上げた長剣をその頭上目掛けて振り下ろす。手首から肘、肩まで伝わった硬い感触をやり過ごした瞬間、頭上が陰った。

目と鼻の先の森から現れた巨鳥――灰紫の羽毛を持つ妖鳥が飛び出した勢いのまま飛翔し、赤い髪の少女目掛けて急降下する。

「アーシャ!!」

駆けつけるには距離がありすぎる。彼にはただ、叫ぶことしかできなかった。



地を這う蜥蜴は総じて姿勢が低く――時折後ろ足で立って向かってくるものもいるが――先程からアーシャは下方に視線と意識を向けていた。

名を呼ばれたのと、辺りが暗くなったのはほぼ同時。けたたましい羽音と激しい風圧、生臭いような匂い、毒々しい緑の巨大な鉤爪が全て、少女に向けられてすぐ傍に迫っていた。

 余りに突然で一瞬の出来事に、かわす事も身を低くすることもできず、ただ目を見開く。対抗すべく突き出された切っ先が視界に入り、自らが無意識に掲げた物と知るが、それは余りに頼りない。

 その鉤爪に引き裂かれた自分の姿が頭をよぎった。


『レシファート!!』


叫ぶように、呼んだ声が微かに耳に届いた。瞬間、白い影が目の前を薙ぐ。

突如開けた視界、空の眩しさに少女は目を眇め、だがすぐさま横切った白い影の行方を追った。

「……!?」

 それは白い獣だった。大きな犬、否、狼が飛び掛った勢いのまま巨鳥を地面に押し付け、強靭な顎でその首に喰らいついている。

「アーシャ!」

一体どういうことかと驚嘆する少女に、セフィが駆け寄った。

「セフィ! なに、あれ!?」

「大丈夫。彼も仲間です」

巨鳥の巻き起こした風圧に耐えるように身を低くしていた蜥蜴たちが立ち上がり、今度は二人を取り囲もうとしている。

アーシャに背を預けるようにセフィは身構えた。

「え、でも……!?」

どう見ても、あの白い狼は魔物と呼ばれる生き物なのではないだろうか。

「……あとで説明します。とりあえず、片付けてしまいましょう?」

自分の理解できる答えを求めるアーシャに言って、セフィは残りの魔物を示した――。

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