070 - テワンの話

 少女に導かれて暗い小路を行き、たどり着いたのは村のはずれ。

すぐ傍まで鬱蒼とした木々が茂る、質素な小屋のような住まいだった。

ミナが勢いよく扉を叩きながら帰宅を告げると、五十前後と思しき女が安堵の表情で迎えた。

「おかえり、ミナ。大丈夫だったかい? 暗くなってきたから、心配を……」

女は孫娘の連れた青年の姿に気付き、言葉を止める。

 スラリとした長身、日に焼けてはいるが肌の色は薄く、釣り目がちな瞳は透き通る翡翠。漆黒の髪は半端に伸び両側が顎にかかるほど。

腰には細い剣を差し、肩から背に荷物を下げている。

見慣れぬ風姿―― 一見して、異国からの旅人だと知れた。

 一方の女は、褐色の肌にくっきりとした眉、低く小作りな鼻はこの地方の人々の特徴だ。

村の他の女同様、濃い色の髪を団子にまとめた小柄な彼女は、祖母と聞いて想像するよりも随分若い。

ユサトカ地方は総じて早婚だと言うが、ミナの母だと言われても違和感はなかっただろう。

「あのね、おばーちゃん! このお兄ちゃんね、大樹が見えるんだって! ミナと一緒なの! ね!?」

興奮気味に言って、ミナは彼を振り返る。

「ヴァレリーア=イーリス。リーでいい。旅の者だ」

夜になってからの、しかも突然の来客にやや驚いた様であったが、彼が名乗ると女は柔和な表情を見せた。

「そうだったのかい。ようこそ、ユトの村へ。私はこの子の祖母、テワン。夕食はまだだね? さぁ、入って。大したものはないけど、ご馳走しましょう」

まさに夕食の準備をしていた女は微笑む。

「それはありがたい」

村人たちとの態度の違いに戸惑いながらも、リーはその申し出を喜んで受けることにした。


 部屋の数箇所に灯された明かりは乏しいながらも暖かく室内を照らし、簾が掛けられ開け放たれた窓は風通しがよくなっている。

 入ってすぐが土間の台所と一段高く板を張ってしつらえた居間、暖簾に仕切られた奥に寝室などがあるらしかった。

「おつかいありがとうね、ミナ。あぁ、そうだ。お客さんの部屋を用意してくれるかい?」

「うん!!」

「いや、オレは……」

そういうつもりはないと言いかけた彼に、

「話し終えて、宿が閉まってからあなたを放り出すわけにはいきませんからね」

テワンが言い、ミナは半ば強引に手を引いて奥の部屋へ案内した。

 少女は手際よく窓を開けて簾を下ろし、部屋の隅に置いてある香炉に火を入れた。

薄荷のような爽やかな香りが立ち上る。虫除けのための香だと聞いたことがあった。

「お兄ちゃんも手伝って!」

「あ、あぁ」

リーは言われるままに、木製の台に茣蓙と麻の布を敷いて、寝床を設えた。

「これ、あそこの上からに吊ってね」

ミナは目の粗い大判の布を渡しながら天井の鉤を指す。虫の侵入を防ぐために、寝床を覆う寝具だ。

「中に入る時は、入り口をぱたぱたってして、虫が入らないようにするんだよ。香炉もね、2つあるから、窓の下と、寝るところに置いてね」

来客が嬉しくて仕方ないといった様子でミナは色々と教えてくれた。


 青いイパの実のサラダ、屑肉と青菜を大蒜にんにくと辛味のある香辛料で炒めたもの、それから香りのいい米。

街で口にした料理よりも幾分質素ではあるが、卓の上に並べられた料理はどれも食欲をそそる芳香を漂わせていた。

「どうぞ、先にお上がり下さいな。今、もう1品できるからね」

テワンが言い、リーはミナに従って居間に上がった。

足の短い卓を囲み、茣蓙の上に胡坐をかいて座る形だ。

「はい、これ、お兄ちゃんのね」

皿と食器を並べ少女はちょこんと座る。

「いただきまーす!」

元気よく言ってまず1口。それから、大きな瞳でじっとリーの様子を窺う。

「ね、美味しい? こういうご飯は始めて? 異国では、お米をあまり食べないのよね? かあさんも、ビックリしたって言ってたわ。あ、ミナのかあさんね、異国のひとなの。とおさんが学都ってとこにいた時に知り合ったんだって」

それはつまり、ミナには異国の血が入っているということ――他の者と目鼻立ちが多少違って見えるのはそのせいだろう。

口に含んだものを咀嚼し終え、美味いよ、と言うと少女は照れたように笑い話を続ける。

「とおさんはね、お薬の勉強に行ってたの。寒いし習慣も違うし、いっぱい大変だったって。でも、いっぱい学んだって。それにかあさんと出会えたからって言ってたわ。お兄ちゃんは、どこの人? どこから来たの?」

「これこれ、ミナ。あまり話してばかりいると、食べられないでしょう――はい、お待たせしました。どうぞ、冷めない内にお召し上がり下さいな」

身を乗り出して青年に問う孫娘を嗜める様に言いながら、テワンはもう1品、透明感のある白い幅広麺のスープを彼の前に置いた。恐らく急遽追加で拵えてくれたのだろう。

「あ、ミナも! ミナもそれ食べる!!」

「はいはい。ちょっと待ってね」

――おばあちゃんのお話を聞いて、と言われ招かれたわけだが、どうやらそれは食事の後ということになりそうだった。


 強い辛味と酸味と甘味、それから独特の香りがこの地方の料理の特徴――以前王都シュスを訪れたことがある者に聞いた話では、口に合わず辟易したということだったが、彼はどれも美味と感じた。

 おしゃまな少女のたわいのない話を聞きながら暖かな家庭料理を味わい――ミナは異国の話にも興味を示すのだが、どうやら聞くよりも自身が話す方が好きなようだった――そしてやっと本題に入ったのは、甘みの濃い果実と、花の香りの茶を口にする頃。

「母なる大樹は、古来よりこの地を――いえ、世界を支えている神樹。かつては、誰もがその神々しく大いなる御姿を見ることが出来たというけれど……いつしか人々はその御姿を見失い、その存在を感じることすら出来なくなっていった。

 今では信じることを止めてしまった者も居る。いえ……信じる者が減ったから、姿が薄れたのかもしれない。どちらが先かは、分からない。私自身、大樹の姿をこの目で見たことはないからね。

でも……この子が、ミナが、見える、見ることが出来ているということは信じているんだよ。姿が見えなくても、その存在を信じて育ち、子供たちもそうやって育てた。きっと、息子も……この子の父もミナに大樹のことをちゃんと話していたんだと思うのね。何故その姿を見ることが出来るのか、まではわからないけれど……あなたは、自分が何故見えるのか、心当たりはある?」

「――オレは、ひとより少し大地の属性魔法力が強いらしいから、そのせいかもしれない」

彼は刹那逡巡してから応えた。

実際、植物や大地の力を操るのは、彼にとって造作もないことだった。

「そう……もしかして、あなたは教会関係者だったりするのかい?」

彼の言に、僅かに眉を顰めてテワンは問う。

魔法は、教会の者によって教授されるものだと聞いたことがあったからだ。

「――だったら、どうする?」

否とは言わずリーはテワンの黒い瞳を見つめ返す。

「……いえ、いいんですよ。大樹を見るというあなたを疑うことなどしません。それに―― 子供の直感というのは、案外頼りになるものだからね」

言って、ミナを見る。食事を終えて、話を聞く姿勢のまま少女はこくりこくりと船をこぎ始めていた。

そんなミナを茣蓙の上に寝かせてやり、テワンは続ける。

「あなたの目に見える大樹も、やはり枯れてしまっているのかい?」

縋る様な物言いに、だがリーは躊躇うことなく頷く。

「……大樹に起こった何らかのよからぬ異変が、森の木々を枯れさせ、そして……」

「村人たちにも? その第1犠牲者が、ミナの両親だと聞いたが?」

「そう……そこまで知っているのなら、あまり目新しい情報はないかもしれないね」

テワンは僅かに苦笑して、空になったリーの湯飲みに茶を注ぐ。

「でも、もう少し聞いてくれるかい? 既にどこかで誰かから聞いて知っているかもしれないけれど」


 ミナの父、テワンの息子カムヤオが学都へ薬草学を学びに行ったことや、そこでプラジェナという名の娘と出会い恋をし、帰って来た時にはミナを連れていたことなどは、先ほどの話や村の女の話で聞いていたことだったが、やはり当事者しか知り得ないこともあった。

 父の反対を押し切って学都へ行ったカムヤオは妻と娘を連れ帰ったが家には入れてもらえず、2年ほどを王都シュスで暮らし、父が亡くなる直前にやっと帰郷を許されて村の薬師としての役目を継いだ。

 夫の知識を息子に教えながらテワンは共に薬師を担い、嫁であるプラジュナも子育ての傍らよく働いた。

それから1年が経った半年前に、王都シュスから帰ったカムヤオは――それまでも、必要物資の買出しなどで街に行くことは度々あった――荷物を置くとすぐに森に入った。

少し長くなるかもしれないが必ず帰るから心配するな、とだけ言い置いて。

 後に、親しくしていた友人二人が一緒に行ったと知り――その二人もまた、例の症状で亡くなっている。

 5日後、確かにカムヤオは無事帰ってきた。だが、酷く憔悴し何かに怯えるような様子で、3日後には全身が枯れ枝の様になって死んだ。共に森に入った二人はその翌日、更にその3日後にカムヤオの妻プラジュナが同様の症状で亡くなった。

つまり、ミナの両親が第1犠牲者と言うわけではなく、正確にはその父親が、というわけだ。

 森へ入った三人が相次いで亡くなったのは、森で何かがあったとした考えられなかった。

そして被害がプラジュナや近しい者達にまで及んだのは、彼らが森から悪しきものを持ち帰ったせいだと人々は信じ、訪れた教会の聖職者もまたそう断じた。

 ミナが初めに大樹の異変を訴えたのはカムヤオが森から帰る前日、そして枯れていると言ったのは、聖職者が混乱を鎮めた後、森の木々が枯れ始めたのも同じ頃だ。

 そう、思いたくはないけれど、カムヤオが大樹を冒涜することをしたのかもしれない、とテワンは心苦し気に話した。


 テワンの話はこれまで聞いたことを総括するもので、そしてリーは自分に何を求められているか容易くそこから汲み取ることができた。

「何にせよ、その"大樹"の元へ行かなければ……カムヤオの往った道を辿らなければ、真相……何が起きたかは分からないわけだ。違うか?」

「えぇ。でも――」

何が起きたか分からない。つまり、息子の二の舞になりはしないか。

真実を知りたい。そして出来ることなら、森の木々が枯れるのを止めて欲しい。だがそれはあまりにも危険ではないだろうか。

「オレは別に、何か義務感とか使命感でもってここに来たわけじゃない。そもそも人助けのために、なんてつもりもないし」

青年は言って、茶を仰ぐ。どこか突き放すような言葉は、だが七人もの犠牲者が出た異常事態に対して、当然の反応だろう。

テワンは黙って黒髪の異邦人を見つめ次の言葉を待つ。

「でもな、目に見えるものを放って置ける性質タチでもないんだ」

自分に与えられている大地の恩寵を過信しているわけではない。だが、自分はカムヤオと同じ目には遭わないだろうという確信がリーにはあった。

 それならば、ここまで話してくれたテワンに、そして両親を失ったミナに力を貸してやってもよいのではないか。

それに、もし今放置しても恐らく、いつかは相対しなければならない問題だ。

神珠を探すという任務についている以上、そしてそれと大樹に関連性があるだろうと予測される以上。

「本当に、行ってくれるのかい……?」

「行って、何が出来るとも思わねーけど」

「それでも、いい。もし何か分かったなら私たちに知らせて欲しい」

知らぬことは恐怖であり、時に罪ともなりうる――

神妙な面持ちで青年を見つめるテワン。

 折角収まった、ひとが枯れて死ぬという事態が再発することを恐れて、村の者たちは動こうとしない。

森に入ることを控え、むしろ禁じるべきだという意見すらある。

恐らくテワンが異国人にこのような依頼をしたと知られれば、たとえ頼りとする薬師であったとしても非難されることは必至だろう。

だが彼女はそれでも、真実を知ることを望んでいるのだ。

「あぁ。分かった」

リーは承諾の意を込めて頷いた。

今尚続いている森枯れを食い止める方法があるとすれば、それは真相を知ることにより得られるはず。

 人助けのつもりでこの地を訪れた訳ではなかった。ただ自分が、真実を知りたいと思った。

だが――

――ここまで聞いておいて、無視して帰った、とか言えねぇじゃねーか。なぁ?

美しく澄んだ瞳の、あの幼馴染に恥じることはしたくない。それが、彼にとって全ての行動を動機付ける想いだった――。

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