065 - 戦闘

 街からコルネーラオ一味のアジトまで、魔物と遭遇することは一度も無かった。

これまでの調査や噂とは違ったわけだが、道中に残された戦闘の跡から先鋒として向かった三人の旅人が片付けておいてくれたことは明らかだった。

 コルネーラオ一味の捕縛作戦に当たるのは、騎馬が18、歩兵が32の50人編成小隊。だが、魔物との戦闘に慣れた者はあまりいない。

 市長からこの部隊の指揮を任された彼、オンジェイ=ヘシドフは心の中であの旅人達に感謝した。こんなにも容易にたどり着けるとは思っていなかったからだ。

「逃げ道は全て塞げ!」

森を駆け抜けた勢いのまま城壁をくぐり、中庭に出たところで一時足を止め、全員が揃うのを確認するとオンジェイは言い渡した。

城砦を取り囲む壁の内側には、赤黒い塗料で奇妙な紋様が描かれていた。

目にした瞬間、思わずぞくりとするような得体の知れない不気味さに気圧されてしまわぬよう、声を張り上げ士気を高める。

「多少手荒なことをしても構わない! ボドワン=コルネーラオ、ジャコモ=ラダク、それから、フラウ・ノルマン……ドロテア=ドゥ=ノルマン、この三人は何があっても逃がすな!」

――やっと、貴方たちに動いてもらえるわ……!

そう言ったフェリク市長の晴れやかさと強い意志、そしてほんの僅かの苦悩が見えた表情を思い出しながら、彼は作戦の絶対遂行を再度叩き込むよう号令を掛けた。

 古い石造りの城砦の向こうには抜けるような青空と真昼の太陽。

眩しい陽射が全てを明らかにし、そして全てのわだかまりを溶かしてくれるだろうと確信して彼は武器を抜き放ち振り上げた。

「行くぞ――!!」




「昨日はやってくれたな……!!」

対峙するのは、随分と体格差のある二人。

ゆらりゆらりと僅かに揺れながら、間合いを計る巨漢が手にした斧は、常人には振り回すことはおろか、持ち上げることすら困難に思えるほど巨大だった。斧を持つ手を後ろに、もう一方を前に膝を曲げて低く構えている。

 一度倒した相手とはいえ本気の殺意を感じ、頬が強張り妙な高揚感が駆け抜けた。

魔法は、使えそうに無い。セフィのように詠唱無しでという訳にはいかないアレスにとって、対人間での戦闘における魔法は、あまり使い勝手のいいものではないのだ。

 アレスは長剣を強く握りなおした。

壇の下の広間では、セフィとロル対手下による乱闘が繰り広げられている。恐らく長くはかからないはずだ。

「どうした、小僧!」

――どこを狙うか、だ。

ボドワンには答えず、アレスはじっと気配を、様子を探っていた。

両手で正面に構えた長剣の切っ先は自然と相手の首元に向き、動きを追う。

「怖気づいたか」

にやり、と分厚い唇を歪めて笑い、狙いを定めたボドワンが

「ならばそのまま、ぶちのめしてやろう!」

声の気合の後、その巨体からは想像もつかないような俊敏さでアレスに襲い掛かった。

軽々と鋭く、斧を振るう。

「はっ!」

少年は振り下ろされた斧を横に跳んで避け、その勢いを前方へと向ける。

瞬時に駆け寄り、脇腹めがけて水平に剣を振るった。

巨漢はその攻撃を器用にかわす。

「!?」

 死角から太い左手が伸び、剣を右に振り抜いた姿勢のままのアレスを襲う。

「く……!」

なんとか避けようと身体を捻るが、男の拳に装備されている手甲の刺が二の腕を掠めた。

痛みというよりも焼けるような熱が走り鮮血が散る。

しかし、動じることなくアレスは一旦後ろに飛んですぐさま距離を詰め、前のめりになったボドワンの背後に回った。

できるだけ浅く、その右肩から左下に向かって一閃。

「ぐおぉっ!」

硬い筋肉に阻まれて血が噴出すことは無かったが、赤い筋と、そこにいくつもの小さな紅玉が生じボドワンは背を仰け反らせた。

だが、次の反応は早かった。瞬時に体勢を立て直して高く掲げた斧を少年めがけて振り下ろす。

ドガッ――!!

鈍い音と共に敷物が裂け床石が砕ける。

少年が身軽く飛び退くと、獲物を仕留めようとする獣の本能でボドワンは続け様に武器を振るった。

 ちょっとした芝居小屋の舞台のようになった壇上で、アレスは右へ左へ後ろへ跳んでなんとか攻撃をかわしていた。

仕留められない苛立ちと、追い詰める快感に酔った男の瞳は血走り鋭く少年の動きを追う。

どこからか集めてきたのであろう調度品や、さっきまで踏ん反り返っていた趣味の悪い豪奢な椅子すら破壊して、ボドワンは暴れまくった。

――どういうことだ?

決して弱くは無いが、アレスにとって強敵と言うほどでもなかったはず。

だが今、アシ・ル・マナで戦った時より手強い気がした。

それは単に自らの武器を手にしているからというだけではなさそうだ。

見かけによらぬ機敏さ、力任せに振るう斧の破壊力はすさまじく、とても剣で受けることはできそうにない。昨日は伺えた大振りな動きによる隙も、見つけにくくなっている。

――マズいな……

アレスは剣を構えたまま引くばかりで攻撃に転じることができない。

そして徐々にだが心拍数が上がってきているのを感じていた。

「わっ!?」

今、繰り出された攻撃を回避した時、散らばった石片に足を取られ体勢が崩れる。

 目を見開き、ニタリと笑うボドワン。大きく振り上げられる巨大な斧。

顔を挙げた瞬間眼に入ったものに、鋭い戦慄が全身を駆け抜ける。だが同時に、全ての動きが急に速度を落とした。

 恐怖を知覚するよりも早く、アレスは片手を着いた体勢から前に、強く地面を蹴った。

低い姿勢から、一気に加速して身体を持ち上げる。

引いて構えた剣の柄にもう一方の手を添え、大きく振りかぶってガラ空きになったボドワンの正面、懐から高く跳躍した。

 両手首の腱を狙って横に一閃、返す手で上腕部に、降り立って腿に斬撃を加えた。

そして身を屈めて足払いをかけると

「ぐわぁぁ……!」

咆哮を上げ巨体はそのまま後ろに――自らが酷く散乱させた瓦礫の上に背中から倒れた。

砂埃が舞い、石片が飛び散る。

受身も取れぬまま全身を強く打ったボドワンは低く呻き、斧を取り落として動きを止めた。

 白目を剥いて意識を失った様子を確認して剣を納め、背後を振り返ると、駆け寄ったセフィがまさにアレスを見上げたところだった。

「終わったぞ」

少年が言って得意気に笑むのにつられ、セフィは安堵の表情を浮かべた。

 部屋の入り口近くでは、なだれ込んできた兵士達がコルネーラオ一味の手下ら――まだ意識のある者や昏倒させられた者達を縛り上げて一ヶ所に集めていた。

 ロルは、サミュエルを兵の一人に託しアレスを向いて手を上げる。それに軽く応えて壇を降りかけた時、見上げるセフィと目が合った。

眼鏡の向こうの瞳。その紫水晶の比類なき美しさに少年は思わず見惚れそうになった。

「腕に、怪我を……」

他にも細かな傷を負っているアレスに手を伸ばし、治癒魔法を施すべく翳そうとしたセフィの瞳に緊張が走る。

「アレス、後ろ……!!」

既に戦闘体勢を解いた青い髪の少年の背後で音もなく、ゆらりと身を起こす巨漢。

そして、身震いするように太い腕を振るった。

「アレス!」

セフィが咄嗟に生じさせた防御障壁すら砕いて、ボドワンの拳はアレスを捕らえ、身構えたにも関わらずその身体を吹っ飛ばす。

その行方を見届ける間もなく、頭上の陰りにセフィは反射的に其方を見遣る。

 先程までは厭らしいほどにぎらぎらとしていた眼は虚ろに濁り、焦点を失っているかの様。酷く流血した腕と足をそのままに今度はセフィに襲い掛かった。

格段に素早くなった動きで両側から腕を伸ばし挟み込んで捕まえようとしてくるのを、セフィは寸でのところで身を屈めて避け、そのまま床に手を着いた。

 すぐさま床石を割って荊が生じボドワンの足と腕を絡めとる。

「うがぁぁ!!」

幾重にも巻きつき動きを封じたかに思えたが、獣めいた叫びと共に筋肉が盛り上がり、ボドワンは食い込む刺にも構わず暴れ引き千切った。

「!!」

予想以上のボドワンの怪力に、セフィは思わず怯んだ。

自らの血にまみれた見上げるほどの巨漢が、無表情のまま手を伸ばす。

哀れみすら誘う痛々しい様に、どう手を打つべきか刹那戸惑う。

「セフィ、下がって!」

その時、背後からかすかな風を感じた。そして、

――バチィッッ!!

破裂音にも似た耳に痛い音と共に大気が弾ける。

青白い放電が瞬時に、ボドワンの全身を駆け巡った。

前のめりになった姿勢から、跳ね上がるように背を仰け反らせ、巨体はまたもその場に背中から倒れた。

 痙攣し、戦闘不能となったボドワンを前にし、セフィはロルを振り返る。

「死にはしないよ。ただ、しばらく痺れて動けないだろうけど」

見かけ通り随分頑丈みたいだし、とロルは付け加えて瞳で促した。

セフィは頷き、その場をロルに任せアレスの傍に駆けつけた。

頭に手を当て僅かに首を振る。傍には此方もまた怪我を負った白狼が気遣わしげに少年の様子を伺っていた。

 すかさず治癒魔法を施すセフィに

「大丈夫。あんま、大したこと無いよ。コイツが、庇ってくれたから」

言って白狼を示した。

ボドワンに吹っ飛ばされたアレスを横腹で受け止め、その身を呈して瓦礫に激突するのを防いでくれたのだ。

「ありがとうな」

血と砂埃に汚れてしまった白い毛並みを撫でてやるアレス。

「……それにしても、さっきの、あれ。あいつ、何か変じゃなかったか?」

確かにアレスはボドワンが意識を失ったのを確認している。

その後の復活と暴れ方はどこか奇異ではなかったか。

 アレスの言葉にセフィは無言で頷く。

旅慣れている、まして戦いに随分と慣れているアレスが、あの状況で相手の意識の有無を見誤るようなことを、するはずは無い。

 それに、動き方の変化や表情の異様――まるで、ボドワンの意思とは関係なく、操られていたかのようではなかったか。

二人は不気味な違和感に、思わず無言になって倒れたままのボドワンを見遣った――。

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