064 - その、瞳の色
「あら、本当。そうそうお目にかかれないような美形じゃないの」
中庭を抜け着いた先の部屋は広く、玉座の間然り、扉から正面が数段高くなっていた。
その壇上から訪問者の姿を認めると女は嬉々として立ち上がり降りてくる。
豊満な肢体を殊更強調するような衣装は艶やかな赤。深く切り込まれた裾からは太腿が半分以上露出している。
色っぽくしなだれかかる様に金髪の青年の前まで来ると、派手な化粧を施した顔を近づけた。
「イイ男。ねぇ、アナタはアタシがもらうわ」
甘い吐息で囁き、赤く塗った爪の指先で頬から顎のラインを辿る。
そして上機嫌のままその唇に触れようとした瞬間
「申し訳ないのですが、
「……ドロテアよ」
敢えての呼称に拗ねたような猫撫で声で名乗る女。
青年は微笑み、だが、なびく素振りを見せない。
「マダム・ドロテア。強引なのは嫌いじゃないし、魅力的なお誘いなのですが、申し訳ありません。先約があるんです。俺、レディとの約束は守る主義なので」
「……そのレディってのはアタシよりもイイ女だってのかい?」
その肩と頬に手を触れたまま女は詰め寄り
「えぇ、勿論」
思わず聞き惚れるハスキーヴォイスでのきっぱりとした応えに、面白がって問い返した。
「どこのどいつなんだろうね? そのレディって」
「そうですね……弟思いの優しいお姉さんと、一途で可愛い見習い調理師。それと、責任ある立場に居られるもう1人……。自分の欲求を第一に主張する貴女にはない思いやりのある素敵なレディ達ですよ。
……そのレディ達と約束しているので。……この件をきっちりすっぱり片付けるって、ね」
嫌味なほどに魅力的な笑顔と美声で紡がれる、自分に対する非難と嘲りの込められた青年の言葉に、ドロテアの平手がとんだ。
「ロル!!」
一際目を引く美貌の旅人が思わず声をあげる。
「はんっ! この状況でよくそんな大口が叩けるもんだね!!」
そう、彼の首には、刃が突きつけられていた。
「どういうことですか、これは」
捕らえられ、後ろ手に縛られた旅人が鋭い声で言った。
先ほどまで、仲間への気遣いと不安でいっぱいだった、眼鏡の向こうの瞳が咎める様に巨漢を見つめる。
その背後には同じく捕らえられた金髪長身の青年と、青い髪の少年がボドワンの配下の男二人に刃を突きつけられていた。
「どういうこと、とは?」
趣味の悪い豪奢なソファに踏ん反り返ったボドワン=コルネーラオが醜い顔を厭らしく歪めて笑む。まるで向けられる強気な瞳を心地良く思っているかのように。
「私は、彼を――サミュエルを返して頂きに来ただけ。それを、何故このように捕らえられなければならないのです?」
「そう、お前はこの小僧の代わりに俺のものになったんだよ」
昨日のことで、この旅人たちの腕が立つのは分かった。自分たちに有利な場所に誘い出したからといって、うかうかと迎え入れればただ、せっかくの人質を奪われるだけ。
欲しいものを手に入れ、更にその先を欲するボドワンはどんな汚い手であろうと喜んで使う人種だった。
「お前が大人しく俺の元へきて、俺を満足させるなら、この小僧を返してやろう。さぁ来るんだ!」
ボドワンは太い指の手を差し出し、美貌の旅人を招いた。
旅人は唇を噛み締め鋭く睨みつけるが、仲間二人に、そしてサミュエルに刃を突きつけられては大人しく従う他無かった。
これから起こるであろうことに感付いてか、
「――まぁ、いいわ。アタシは気が長い方なの。あの子の用事が済んだら、牢にブチ込まれたアンタに会いに行ってあげる」
そう、女は言い捨ててその場を去って行った。
小間使いなのか、数人の者たちがそれに従う様子から、彼女がボドワンとほぼ同等か若しくは上――ボドワンが彼女の行動を咎めなかったことから、おそらく後者であろうことが伺われた。
「おい、大丈夫か……?」
視線はセフィに向けたまま、アレスが小声で問う。
「ちょーっと予定外だったよね~」
「つか、自分で煽ってどうするんだよ……」
暢気に答えたロルの緊張感の無さにアレスは苛立ちを通り越して半ば呆れてしまった。
「それより、セフィ……!」
「あぁ。無茶しなきゃ良いけど……」
二人は不安な思いを抱えながらセフィの後姿を見つめていた。
一度ロル、アレスを振り返り、セフィは招かれるままに壇上の大男の前に立った 。
手下らの向ける、下卑た笑みと野卑な囁き。
ボドワンは満足げに頷き立ち上がり、旅人の細い顎に手をかける。
「無粋な眼鏡だな」
言って、太い指でセフィの眼鏡を毟り取った。
「てめ……!!」
背後で仲間の二人が怒りを顕にし、駆け寄ろうとするがすぐさま男たちに阻まれる。
セフィは弾かれたように、一度背けた顔をボドワンに向けた。
好色な笑みを浮かべたボドワン。だがその瞳を見た瞬間、思わず戦慄した。
長い睫に縁取られた大粒のアメジスト。淡紫の瞳――人ならぬものの、証。
「……!!」
取り上げた眼鏡が華奢な音を立てて床に落ちた。
本能が逃げを打つ。それは紛れもなく恐怖、畏怖という感情だった。
だが、同時にその造形美に心奪われ、本能が訴える行動を拒む。
恐怖を上回る支配欲が湧き上がった。それは、抗い難い甘美なる感覚。
業を凝らした芸術品や磨き上げられた輝石とて、これほどに魅力的ではないだろう。
「恐ろしいですか。私が」
セフィは表情のないまま静かな声で問う。それがボドワンの瞳には艶然と微笑み蠱惑的に誘いかけるように映っていた。
人は時に、恐怖を快感とすりかえるのだ。
「化け物め……」
憎憎しげに、だが舌なめずりするように言いながら手を伸ばすボドワン。
だが、
「!?」
突如伸びた緑の蔦が太い腕を絡め取る。
「なんだっ!?」
大男が驚き怯んだ隙に、セフィは初めからただ、そう見えるように巻きつけていただけの縄を解いてサミュエルに駆け寄った。
「大丈……」
「ひぁっ!!」
声をかけ跪くセフィと、まともに目が合ったサミュエルは思わず悲鳴を上げた。
淡紫の瞳――光彩が金の光を弾いているようにすら見える。
魔性のものが持つとされるその瞳は人間にとって恐怖の対象であり、何より本能がこの上ない畏怖を訴えかけるのだ。
「……すみません、少しの間、辛抱して下さい」
それは、ひととして当然の反応だった。
今まで幾度と無く目にした、あまりに見慣れた怯えきった表情に、セフィは僅かに顎を引き前髪で瞳を隠してサミュエルの後ろに 回ると、手早く縄を解いた。
「――妙な技使いやがって……!!」
低く唸るような声。ボドワンは捕らえられた片腕を力任せに振り回して蔦を引きちぎり、巨大な斧を取り出した。
「大人しく従っていればいいものを、なぁ!」
ギラリ、と鋭く光る刃を見せ付ける巨漢。
セフィは咄嗟に、腰が抜けてしまったのか立ち上がる気配の無いサミュエルを背に庇う。
「あいつらがどうなってもいいのか!? えぇ!?」
手にした武器をロルとアレスに向けて、ボドワンは喚く。
そしてもう一方の手を再度セフィに差し出した。
「さぁ、大人しく、こっちへ来るんだ……!!」
その時、
――オォーーーン……!
澄んだ遠吠えが響いた。
そう遠くはない、ほんの近くで。
「い、今のは!?」
色めき立つコルネーラオ一味の意識が逸れた瞬間、ロルとアレスが縄を解き、取り囲んだ男たちに当て身を食らわせ突破する。
「きさまら……!?」
同時に、開け放たれた両開きの大扉の向こうから、白い獣が姿を現した。
出口を塞ぐように、橙色の瞳に怒りを湛えて佇む白狼。
捕らえていたはずの化け物が、何故ここに現れるのか。
一味は途端に浮き足立った。どうにか武器は手にしたが、既に意識は逃げ出したい気持ちでいっぱいなのだろう。
「なにをしてる、お前ら! さっさとその二人を……」
「俺たちを、どうするって?」
瞬時に距離を詰めた青い髪の少年が、低く問うた。
「なっ……!?」
「大人しくするのはあんたの方だぜ、おっさん」
少年は油断なく剣を構え、青年はセフィとボドワンの間に立つ。
背後では、白狼が低く唸り威嚇しながら一味をまとめて壁際へと追い詰めていた。
だが、ボドワンは驚きの表情を歪め、邪悪な笑みに変えると手にした斧をアレスへと向けた。
「小僧が、偉そうに……!!」
何かが吹っ切れたらしい獣じみた咆哮を上げ、怒りと闘志を全身に漲らせる。
筋肉が盛り上がり、鋲のついた皮の腕輪や上着が裂けて毛深く浅黒い肌がむき出しになる。
ことごとく計画の邪魔をする、こいつだけはとにかくぶちのめさなければとでも思ったのだろう。
それを察したアレスはロルに目配せする。
ロルは頷き、セフィとサミュエルを下がらせた。
「大丈夫。ここはアレスに任せとこう、ね?」
心配そうに瞳で訴えるセフィに言い、拾い上げた眼鏡を差し出した。
「……無茶しないでねって言ったのになー」
「そ、そんな、無茶をしたつもりは……。それより、貴方の方こそ」
先ほどドロテアに叩かれた頬は赤く手の形がついてしまっている。
「ちょっとびっくりしちゃった。あ、でもちゃんと歯食いしばったから内側は無事~」
「……そういう問題ではないでしょう……!」
おどけて見せるロルに治癒魔法を施しながらセフィは苦笑する。
痛みと腫れが引くと、ロルは
「じゃ、俺達はあっちの小物を片付けるとしますか」
暢気に言って一味の手下を示した――。
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