066 - 悪意に満ちた言葉と
「セフィ、アレス、ちょっと来て」
ボドワンの様子を検分していたロルに呼ばれ、二人と白狼は駆けつけた。
「これ、何か分かる?」
仰向けに倒れた巨漢は僅かに痙攣し、虚ろな瞳からは意識の有無は読み取れなかった。
死んではいない。だが、動くことができないのは確かな様子。
ロルは裂けた服の胸元から覗く、奇妙な紋様を示した。
一見すると刺青のようだが、巨漢の毛深い胸に刻まれた紋様を見、セフィは顔をしかめた。
「……呪い、のようなものですね」
跪き、紋様の上に手をかざす。
「呪い?」
「えぇ。の、ようなもの、です。……城壁の内側に描かれていた紋様と同じ類の……」
この城砦を取り囲む城壁を抜けた時、目にした異様な紋様。内側の壁全面に赤黒い塗料で描かれたそれを目にした時も、セフィは不快な表情を見せていた。
問う二人に答えながらセフィは、かざしていた手で十字を切る。すると、瞬時にボドワンの胸に刻まれた紋様が白い炎を上げた。
ビクン――!
と大きく背を仰け反らせて撥ね、くぐもった呻きを漏らした後、ボドワンは動きを止めて静かに瞳を閉じた。
胸に刻まれていた紋様は白い炎に焼かれ跡形もなく消えていた。
続けてセフィは傷の治癒と、四肢を拘束する魔法を施す。
――何故、一体、誰が……?
「あの、失礼致します。お取り込み中申し訳ありませんが……」
「?」
背後から掛けられた声に振り返ると、恐らく三十~四十代であろう兵士が壇下から三人を見上げていた。
短く刈り込んだ濃茶の髪と瞳、実直そうな表情が好印象な彼は、
「なに?」
振り返った旅人の容貌に一瞬怯んだが、ロルに先を促され敬礼して三人を見つめた。
「部隊の指揮を任されております、オンジェイ=ヘシドフと申します。皆様には、今回の作戦においてご尽力下さり真にありがとうございます」
そこまで言って一度言葉を切り、旅人たちと並び立つ白狼を一瞥して背後を示した。
「先ほど、別の部屋で捕らえたあの男……ジャコモ=ラダクという者なのですが、近頃の魔物の頻出の原因がその白狼にあると言って、そのー……何か、ご存知ではありませんか?」
聞きながら彼らが壇を下りると、二人の兵が件の男を傍まで引きずってきた。
背後で白狼が、低い声で唸る。
ジャコモ=ラダク――エーリヒから聞いた名だ。アシ・ル・マナの前店主だという。
「!!」
顔を上げた男は、三人の旅人――否、セフィの姿を見つけニタリと邪悪な笑みを浮かべた。
「やはり、お前か! フェンサーリルの司祭、セフィリア=ラケシス!」
「え……?」
頬のこけた顔色は悪く、目だけが異様に大きい。ひどく年老いて見えるが、張りのある声からは案外若い印象を受けた。
「全部、お前のせいだ!! お前が、その化け物に命じて魔物どもを呼んでるんだろう!? えぇ!?」
戸惑うセフィに掴み掛からん勢いで身を乗り出し、叫ぶように言う。
「何おかしなこと言ってんだよ、おっさん!」
「おかしい? おかしいのは、こいつらだ。オレたちは、魔物から街のやつらを守ってやってるんだ! それを、何故、捕まらにゃならん!? オレは何もしてない!! そいつだ! さも人々を救うフリをして、全部、そいつが仕組んでるんだ!! その狼の化けモン、どうみても、お前に懐いてるじゃないか。なぁ? お前が、全部操ってるんだろう!?」
捕らえられているにも関わらず、凶暴な獣のように全身で吠え掛かるジャコモ。
姿形は貧相で、ボドワンのような迫力はないがその形相は人々を怯ませるのに十分な醜悪さがあった。
「殺せよ! 殺せ! そうでないと、魔物はどんどん増えて、手に負えなくなるぞ!」
ぎらぎらとした目が、セフィを捕らえていた。
セフィには、この男のことが思い当たらなかった。だが、過去ランノットを訪れたことは数度あり、フェンサーリルの皇子リオンハルトと街を歩いたこともあるから、その時にどこかで姿を見られた可能性は十分に考えられた。
「何言って……!!」
そのあまりな物言いに、アレスは思わずカッとなった。
「……」
セフィは優しく白狼を撫でてやりながらジャコモを見つめ、無言でいる。
「聖職者と呼ぶのも穢らわしい化物が!」
「このっ!」
「待って、アレス」
思わず掴み掛かりかけたアレスをロルが制し、捕らえられたジャコモに歩み寄る。
「ノルマン夫人も、ボドワンも、持っていなかった……」
「な、なんだ、てめぇ!」
「だとすると――」
身じろぐジャコモに構わず、前を開けた長い上着に見え隠れする、白い房飾りに手を伸ばした。
「なにすっ……!」
コルネーラオ一味が揃って身につける、白い毛皮の房飾り。
例に漏れず、ジャコモもまた持つそれを、ロルは力任せに引きちぎった。
そして、
「これは、何かな?」
その下に隠されていた、鍵の束を示した。
「な、てめ、返せ!!」
暴れるジャコモを無視して、ロルはそれをセフィに放った。
「!!」
「ありがとうございます、ロル」
白狼は枷に縛られた後ろ足を差し出し、鍵を受け取ったセフィはオンジェイらにも示しながら、戒めを解いていく。痛まないように回復魔法を掛けながら、ゆっくりと。
「あの鍵を何故、お前が持っているのか。その理由だけで十分じゃない? ねぇ?」
初めからおそらく、ジャコモの言葉など信じていなかったであろうが、オンジェイらにとってそれは決定的な証拠だった。
捕らえた男の言葉が全てデタラメであること、そして寧ろ全ての原因はジャコモにあるということの。
「……禁じられた呪法を、用いたのではないですか」
問うというよりも、確かめるように言うセフィの静かな声には、僅かだが怒りが含まれていた。
「禁じられた、呪法?」
「……道義的見地から、使用が禁じられている術です」
問うアレスに、頷いて答えジャコモを見遣る。
この城砦に入った時に感じた異様な気配。城壁の内側に描かれていた紋様と、コルネーラオ一味がそろって身につける白い毛皮の房飾り。
そして、白狼の存在と魔物の頻出――その全てに関連性があることをセフィは気付いていた。否それが何であるかを知っていた。
一般的に、教授されることはない。だが、知る
強い力を持つ生き物――魔物の負の感情、憎悪や恐怖を利用し、その他のより多くの魔物を引き寄せる。おびき寄せられた魔物は、呼ぶ声に同調してより好戦的になると言われている。
怒りを放つものの血や匂いを持つものは攻撃対象から排除されるという特性を利用し、謂わば魔物をいい様に操ることが出来るのだ。
城壁には、血で紋様を描き、自分たちは毛皮を身に着けている。
おそらく彼らは白狼の血族を殺して魔物を呼び、その血で結界を張り毛皮を身につけることによって自分たちだけは魔物に襲われないようにしたのだろう。
何故、そのようなことをする必要があったのか?
それはまだ分からない。だが、
「命を冒涜する行いです」
冷ややかにそう断ずるセフィ。
「命だって!? そいつの命!? バケモノの命だぞ!? それをどう扱おうが人間の勝手だろう!? 魔物は、その存在自体が神を冒涜してるんだからな!!」
ジャコモは怒鳴った。赤く血走った目を見開き、爬虫類を思わせる口をこれでもかと言うほどに大きく開いて。
「っ!」
セフィは思わず言葉に詰まる。
確かに、そうだ。
教会の説く魔物とは、神に逆らうもの、神を冒涜する存在――
――神を冒涜する存在なんだよ、魔物ってのは!
吐き捨てるように言った者が居た。
――存在自体が、罪なんだ。神の僕でありながら、そんなことも知らないのかい?
――粛清されて然るべきやつらの命を、僕達が有効利用して何が悪いって言うの?
まだ脆弱な魔物の赤子をその手にしながら、何の疑問も見せずに言ったのは、学院時代の級友。
――あぁ、そうか、君はひとではなかったね。
屈託のない、蔑みの笑顔。
――その瞳……化物の仲間か、お前!
時には驚愕と拒絶。
――僕の家族はみんな、魔物に殺されたんだ! お前と同じ、穢らわしい紫の目をした悪魔に!!
そして、嫌悪と恐怖を全身で訴える者もいた。
「あの男だって、そうだ! 自分から、力が欲しいと望んだんだ!! それが化物の力であっても! だからオレは、与えてやったにすぎない!!」
ジャコモが口走った言葉に、アレスが素早く反応する。
「力を、与えた? あのボドワンに?」
「あぁ、そうだ。そうだよ。だがな、オレは、何も罪に問われるようなことはしちゃいないぜ。オレは魔物を殺しただけだ。何が悪い? 魔物を殺して、術を用いて結界を張り、ヤツを強化した。それだけだ。魔物を呼んでるのは、そいつじゃないか! その、化物が!!」
手に触れる柔らかな毛皮の持ち主は、ジャコモの声に怯え僅かに震えている。
セフィにとって、それが何よりの確証だった。
「貴方が、術を施したということですね」
セフィの静かな声に、ジャコモが顔を歪めて笑う。
「殺せよ、そいつを、早く! 術を解きたいんだろう!? だったら、殺すしかないんだ! 殺せよ! そいつを哀れむなら、お前も、一緒に死ねばいい! 死ね! 死ねよ、化物!!」
狂ったように罵声を上げ続けるジャコモ。
アレスはその言葉1つ1つに込められた悪意に、全身の血が沸騰するのを感じた。
「てめぇ……!!」
捕らえた二人の兵士から引っ手繰るようにジャコモの胸倉を掴む青い髪の少年。
「術を解けよ、オッサン! 掛けた本人なら、どうにかできるだろう!?」
「ふんっ! あの術の解除法は、"呼ぶもの"を殺すしかない。言ってるだろう? オレにはどうしようもないんだよ! 殺せばいいだろう? そんな化物、生かしておく必要なんて――」
「――その辺にしときなよ」
抑え様のない怒りが込み上げたのはロルも同じだった。
穏やかな語調ではあるが、その声音はひどく冷厳。
「誰がそんな話を信じると思う?」
魔物を呼び寄せる術を解きたいなら、白狼を殺すしかないと言うジャコモ。
だが、先ほどセフィはボドワンに掛けられた術を浄化して見せた。
そして、城砦に掛けられたものと、ボドワンに施されたのは同じ類の呪術と言っていた。
それに何より、セフィが白狼を伴って来たのがそのため――術者に白狼を殺させるためとは思えない。
ロルはセフィを見遣る。
「……正確には……何の禍根も残さずにこの呪法を解くには、"呼ぶもの"が術者を殺すことが必要です」
「なんっ!?」
「貴方は白狼を殺せと言う。ですがそうすれば、その断末魔の如何によっては、事態を悪化させかねない」
アレスとロル、オンジェイ、そして二人の兵士の視線が一斉にジャコモに注がれる。
「貴方が使用したのは、白狼とその血族を利用した……どちらも禁じられた呪法ですが、施術対象や目的が違えば解除法も変わってきます。あの結界……いえ、魔物達を呼ぶ呪法は浄化できるものではありません」
確かな知識に基づいているであろうセフィの言葉にジャコモは思わず狼狽した。
「な、なにを、そんな、デタラメを!!」
「デタラメなのはお前の言ってることだろ!」
「そいつは、化物なんだぞ!? そいつの目は……!」
「目……?」
何も知らないオンジェイらがジャコモと、そしてセフィを交互に見た。
思わず見惚れてしまいそうになる美貌の旅人の瞳の色は眼鏡に阻まれ確かめることは出来ない。
だが、正直彼らにとって、それは今議論すべきことではなかった。
「セフィは化物じゃない! それに、そんなこと関係ないだろう!」
「そうそう」
アレス、ロルの二人も、これ以上この男と論議していても無駄だと感じ始めていた。
同じ言語を話していても、言葉が通じない人間というのは居るものなのだ。
「……貴方の用いた術を解くとは、"呼ぶもの"が術者の命を奪うことによって、自らを解放させること。……ですが――この子に、そんなことをさせる訳にはいきません。この白狼には既に人を襲う意思はないのです。それに貴方は、市長の審問を受けなければなりません」
「そうだね。このまま、解放してやるのがいいんじゃない? 既にセフィが解放したんだから、森へ帰って、大人しく暮らすだろう。ねぇ?」
ロルは言って、セフィと白狼を見やった。
セフィは、子犬のように擦り寄ってくる白狼の毛並みを優しく撫でてやりながら頷いた。
つまりセフィは、本来の解除法とは異なる方法――誰も傷付けることなく、その怒りや恐怖、報復感情を消してやることによって、術を解いたと言える。
「放す!? そのバケモノを、そのまま森に放すだって!? そんな、馬鹿げた……」
「あーもーいい加減黙れよ、おっさん!」
苛立ちのあまり、アレスはジャコモの胸倉をさらに強く握り、締め上げる。
「害は無いっつってんだろ!? それに、あんた達も! 見てただろ!? こいつら捕まえるのに、この白狼が手を貸してくれたんだ! 俺だって、助けてもらった。それを、解放してやらなくて、どうしようっていうんだよ!?」
「ここに来るまで、魔物に襲われなかったでしょ? それはこの白狼の負の感情が解けたから。というわけだから、さ。俺たちに免じて、頼むよ」
緊迫した雰囲気を和ませるように、人好きのする苦笑でロルがオンジェイの肩にぽんと手を置いた。
セフィもまた、深々と頭を下げる。
「どうか、お願いします」
「何を、バケモノが……!」
「うるさいって!!」
また喚きそうになったジャコモを、とうとうアレスが殴って昏倒させる。
「――我々としては、無害なのでしたら何も問題はありません。それに……私としては、ジャコモの言葉よりもあなた方の言葉に正当性を感じます。ですから――どうぞ、お好きになさって下さい」
意識を失ったジャコモを、他の捕らえた者たち同様、街に連れ帰る準備をするよう部下の二人に命じたオンジェイは、穏やかな瞳で白い獣を、そして旅人たちを見た。
「つまらないことをお聞き致しました。ご不快な思いをさせてしまい、申し訳ありません。市長の信任厚いあなた方を疑ったりするつもりなど、毛頭なかったのです」
そうしてオンジェイは先ほどの問答を、これ以上詮索するつもりはない意思を伝え、
「ご協力、真にありがとうございました」
部隊の指揮官は綺麗な最敬礼でもってその意を示し、そして部下たちの元へと戻っていった。
「……ありがとうございます、お二人とも……」
その後姿を見ながら、セフィは言った。
ロルとアレスの寄せてくれる、絶対の信頼がセフィには何より心強かった。
「気にすることないよ。俺たちだって、そうしたかったんだから」
穏やかに答えるロル。アレスもまた頷き、
「それより、セフィ、大丈夫か?」
そして気遣わしげにセフィを見つめる。
「え? いえ、私は別になんとも……」
怪我などない。そう言いかけたセフィにアレスはそうじゃないと強く首を振る。
「じゃなくて、さっきの……!」
――化物め……!!
ボドワンの言葉。
――死ねよ、化物……!
そして、ジャコモの言葉。
あんな風に罵られ、悪意に満ちた感情を向けられて、辛くないわけがない。
だが、何と言っていいのか分からない。
言葉に迷うアレスの表情に、何を言わんとしているのかを察してセフィは苦笑する。
「大丈夫ですよ。慣れてますから」
それでも、傷つかないわけではないから。
痛くないわけはないだろうから。
ジャコモに関してはどこでセフィのことを知ったのか。その瞳を見たのか、分からない。
アレスは、セフィの瞳を初めて見た時綺麗だと思った。
それを、あんな風に恐れ蔑み、ましてあの様に敵意を剥き出しにする人間が居る事が、衝撃であったと同時に酷く悔しかった。
セフィは化け物なんかじゃないのに――
「ホント、失礼なヤツらだよね」
「ロル……!?」
突然後ろから強く抱きしめられて、セフィは驚き声を上げる。
「自分の方がまるっきりケダモノじゃんよ? あんなヤツの言うこと、気にしないでいいからね、セフィ」
アレスの、真っ直ぐに見つめる恐れない澄んだ瞳。ロルの、慰めるような優しい抱擁。いつの間にか白狼までが気遣わしげに鼻先を摺り寄せている。
「……みなさん、私のことを甘やかしすぎですよ」
くすぐったいような感覚に苦笑しながらセフィは、でも、ありがとう、と応えた――。
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