062 - 城壁の中の獣
コルネーラオ一味が根城としているのは、かつて城砦だという古い建造物だった。
苔生した城壁は見上げるほどの高さがあり、まだその堅牢さを保っている。
少しの後、辿って来た道の先は石壁にぽっかりとあいた穴の中へと消えていた。
それがおそらく奴らの根城への入り口。
三人は穴の前で立ち止まった。
騎乗したまま通れるほどの高さと幅のある入り口には、かつて扉があったであろう痕跡が認められる。
暗い穴の向こう側は窺い知れず、守りを固めるために厚く作られた城壁の入り口はかなりの長さがある、
「なんか罠っぽいよね~」
ひとを呼び出すのに人質をとるような連中だ。それくらいやりそうなものである。
「他に入り口は無いのでしょうか?」
「ん~……無いこともないけど、ちょっと崖登りをしなきゃいけないかなって感じ?」
セフィの問いにロルは軽い調子で答えた。
彼は、友である大鷹クァルの見たものを、同じように見ることができるという特殊能力を持っている。精神感応のようなものだと話していた。
そのため、ロルが孤児院でセフィに駆け寄った時も、その瞳の色をクァルの目を通して見ていたという。
もちろん、常にではないし、クァルが拒否すれば見えない、とも。
「因みに、逆側は断崖絶壁みたいだね」
「じゃあ、やっぱここを通るしかないよな」
「セコい手使ってくる連中に、正々堂々ってのも、馬鹿らしいけどね」
三人は暗闇を見つめた。そしてセフィが中空に灯した光を先頭に暗闇へと足を踏み入れた。
ひやりとした空気、古い石の匂いが満ちている。
出口が見えないのは向こう側の扉が閉まっているからだろう。
まっすぐに少し歩いた後、
「なぁ、何か……」
「何かいるね」
アレスとロルの言葉にセフィは頷き
「何か、いるようですが、殺意と言うより……」
答えかけて言葉を切った。鼻をつく、異臭。
その時、ジャラ、という音と共に橙の光が2つ闇に現れた。
「セフィ、光を――!」
「はいっ」
瞬時にして強さを増した光は天井を、闇を、閉ざされている向こう側の扉、そして――闇に潜んでいた白い獣の姿を露にした。
「狼!?」
急な明るさに一瞬怯んだが、低い唸り声をあげているそれは、白い毛皮を纏った巨大な狼の魔物だった。
馬や牛よりも大きく、並みの狼の三倍はありそうな体躯は逞しい。黄金にも似た橙の鋭い瞳が光を弾く。
反射的にアレスとロルが剣を抜き放ち身構えた。白い狼もまた、同時に臨戦態勢をとり、鋭い牙の隙間からは地に響くような低い唸り声が、絶え間なくもれ聞こえる。
今までの雑魚とは桁違いの圧力が彼らを襲った。
だが、
「待って下さい……!」
敵に対して、無防備な状態のままのセフィが二人を制した。
そして二人と狼の間に割って入る。
そこは敵の攻撃が十分届く距離。
「セフィ!?」
「変なんです、何か、様子が……それに――」
緊張した声を上げたアレスにセフィは静かに応え、言葉を切って白狼を見遣った。
「こんな場所に、いるはずがないんです」
「?」
意味を解しかねている二人に、確信に満ちた瞳で頷いて
「この地域には、生息しない種族のはずです。知性が高く、森の奥深くに住み、人間の前に姿を現すことはほとんど無い。そう言われている……非常に希少な種です。それなのに、どうして、こんなところに……?」
敵意を剥き出しにした白狼に問いかけながら歩み寄る。
怖気ることも、躊躇うこともせず、ただ真っ直ぐに白狼を見つめながら。
「セフィ、危なっ……!!」
「シッ――!」
セフィが強いのは知っている。だが、巨大な魔物の前に、あまりに危険な行為だ。
だが、思わず駆け寄ろうとしたアレスをロルが制した。
白狼の橙の瞳は囚われたようにセフィに向けられている。
いかなものでも割り込んではいけない、均衡を崩してはならない気配が満ちていた。
「居心地のいい場所ではないでしょう? 何故、こんなところにいるのですか?」
優しい声。
いつでも飛び掛り攻撃できる距離だが、白狼はそれをせず、怯んだように後ずさった。
ジャラ――
それとともに、金属の触れる嫌な音が妙に大きく響く。
「ウ……ヴウ……」
向けられる感情は殺意ではなく、むしろ恐怖に似てはいないだろうか。
「大丈夫。……落ち着いて」
「ウゥ……」
怯えているのだ。間違いなく。
尾は垂れ、地面に食い込む爪の先。手足は僅かにだが震えている。
「落ち着いて下さい。さぁ、危害は加えませんから……」
優しい声で言い、セフィは白狼に歩み寄る。
その時、不快な金属音の正体に気付いて息を飲んだ。
「なんてことを……!!」
思わず、駆け寄りそうになるのをなんとか堪えて、微動した瞬間、
「!!」
逃れようとするようにあとずさった白狼が、とっさに振り上げた前足が鋭く空を凪いだ。
セフィの細い身体が振れる。
鮮血が、白狼の爪と地面に散った。
「セフィ!!」
「大丈夫です!」
変わらぬ張り詰めた後姿のまま、セフィは応え、二人を留める。
だが、赤い血を目にし、その甘い香りを嗅いだ白狼は後退から攻撃へと転じた。
短剣の様な牙を剥き出し、細身の青年に飛び掛る。
「あなたは!」
鋭く、凛とした声が響いた。
その牙が届く寸前、白狼は弾かれたように動きを止める。
「私を喰らい、真に邪悪なる獣と化すを選びますか!」
美貌の青年の毅然とした物言いに白狼は気勢を殺がれたように動かない。
「貴方は食人種の性ではない。そうでしょう? 貴方を、駆り立てているのは――」
そこまで言ってセフィは言葉を止めた。
唇を噛み締め、一度深く瞑目すると
「――すみません……私に、そんなことを言う資格などない……ですよね……」
声音を弱くし呟くように言う。
白狼が怯えた嫌な音の正体。
鈍く光るそれは、鎖――
背後の二人からは、セフィの表情は見えない。
だが、その声音からは十分すぎるほどに悲痛な思いが感じられた。
セフィが詫びたのは何故なのか?
そう思い、首をめぐらせる。
「!?」
そして、気付いた。
白狼を捕らえた太い鎖。目にすると一層、鼻をつく血の匂いが濃くなった気がした。
「……こんな、酷いことを……」
それは、明らかに人間による行い。
「ごめんなさい……」
そんな言葉では、意味の無いことを知っている。
それでも、言わずにはおれなかった。
白狼を駆り立てていたのは、他ならぬ、人間への恐怖――
うなだれるように頭を下げた青年に、それまで微動だにしていなかった白狼がそろりと歩み寄り、鼻先を近づける。
腰を落とし、耳を垂れ、
「くぅぅぅん」と子犬のような声で鳴いた。
「許して、下さるのですか……?」
白狼はセフィの前に頭を垂れ、頬をぺろりと舐めた。
「ありがとう……本当に、ごめんなさい……」
薄く微笑みセフィは白狼のつややかな毛並みに触れた。すると気持ち良さそうに瞳を細め、甘えるようにすりよってくる。
「もう、大丈夫ですよ」
セフィは振り返り、笑顔と共に言う。
すっかり戦意を喪失したらしい白狼の様子に、アレスとロルはほっと胸をなでおろし、そしてやっとセフィに駆け寄った。
「大丈夫か!? セフィ!!」
近寄ってみると、地面に滴った血は鮮やかで、決して少なくは無い。
「うぁ……!!」
平然と佇むセフィだが、胸から脇腹の上部にかけて酷く引き裂かれた傷はたとえ掠った程度と言っても随分な大怪我だ。破けた服は赤く塗れて血が滴っている。
その様にアレスは思わず青ざめた。
「セフィ……!」
「大丈夫ですよ、これくらい、すぐに治……」
「自分で治せるんだろうけど」
いつもの口調で緊張感なく言いかけたセフィの言葉をロルが遮る。
そして傷ついた胸に手を触れた。
「つっ……!!」
駆け抜けた激痛に、セフィは息を詰め顔をしかめる。
「ほら、やっぱり痛いんじゃん」
どこか呆れたような物言い。だがそこには明らかに憤りと不満と、かすかな怒りが含まれていた。
自分の身体の痛みを省みないセフィに対するものだ。
「そうだぞ、セフィ。あれは危なすぎだ。心配するじゃんかよ」
アレスも怒りを隠さない。セフィの行動の意味が分からなかったアレスは、更に心臓に悪い思いをした。
ロルはフェンサーリルの皇子の言葉を痛感していた。
自らが傷つくことを厭わない彼は、確かに危なっかしい。
分かっていたのに、あの状況で何もできなかった自分を不甲斐なく感じた。
「無茶しないでよね、お願いだから」
「すみません……」
哀願するように、ロルは言った。傷に触れた手は血に染まり、そして暖かな癒しの光を湛えていた。
二人の気遣わしげな表情――怒りと、悲しみのない交ぜになったような――にセフィは一瞬戸惑い、そして申し訳なさそうに詫びた。
「ありがとうございます、ロル」
「治癒魔法は、あまり得意じゃないんだけどね。それに、服までは治せないよ?」
セフィの服の上半身前面は、無残に引き裂かれて血に汚れ、白い肌が覗いている。傷は消えても、痛々しかった。
「つーわけだから、アレス、上着貸して」
「へ?」
唐突に言われ、アレスは間の抜けた声を上げた。
ロルは瞳で促す。
「え? いえ、いいですよ、そんな……」
「いくないの。そんな格好で」
「よくないな。うん。はい」
何のことだか分からず戸惑ったアレスだが、セフィの姿を見、ロルの言葉に頷くと着ていた上着を脱いで差し出した。
「ですが……」
血で汚れてしまうことを懸念するセフィに
「いいから、着ろよ。おれ、こんくらいしかできることないし」
恐ろしい狼に敢然と立ち向かい、手懐けてしまった。無茶としか思えない行為だったが、そのおかげでこの巨大な魔物と一戦交えなくて済んだのだ。
自分には何もできなかった。
ロルのように、傷を癒してやることさえ――
どこか拗ねたように少年はセフィの肩に服をかけてやる。
そこまでされてやっと、セフィはおとなしく従った。
「すみません。ありがとうございます」
微笑み袖を通す、背丈こそセフィの方がやや高いものの、胸板の厚さや腕の太さといった体格は随分違う。
ロルの服では、おそらく大きすぎるだろう。
「セフィ……もーちと肉つけようよ」
その華奢な身体を揶揄う様にロルが苦笑する。
「肉食った方がいいぞ、肉」
アレスも、自分の服がダブついてしまう細さに真剣な瞳で同意する。
「……お肉は、食べるようにしてるんですけど……」
「あれで!?」
「あれで、って……」
ボソボソと言ったのを二人に聞きとがめられ、セフィは口ごもる。
「まあ、俺としては正直、ムキムキなセフィなんて見たくないし、苦手なんだったり体質だったりするのは仕方がないんだろうケドね。それならもっと、大事になさいな、自分をさ。こっちは心配するんだよ?」
そうしてさっきの話を蒸し返すロル。
こうなると謝るしかない。
セフィは苦笑し
「はい。すみませんでした」
「謝ってくれなくたっていいよ。べつに」
ぷいとそっぽを向く、子供じみた仕草。
「……怒ってます……?」
「怒ってませんよーだ。ねぇ?」
「??」
それまで人間たちのやり取りを黙って眺めていた白狼は突然同意を求められてきょとんとした。
「ロル! おま……!」
ぽんぽんと親しげに白狼の頭を撫でた青年の行動に驚きアレスは声を上げた。
そんなに気安く触れることができるはずは――
「大丈夫だよ。セフィがすっかり邪気祓っちゃったもん。――さて、これからどうするかな。とりあえず、こいつもケガしてるみたいだけど?」
暢気な口調で言いながら金髪の青年は白狼の繋がれた後ろ足の方へと移動する。
緊張が解け、どこか雰囲気が和らいではいたが、セフィ、アレスも急ぎ駆け寄った。
「これは……」
近付いてみると、白狼の状態は随分酷いものだった。
力強い両後ろ足には鋼鉄の枷が、そして巻きつけられた太い鎖が食い込み、血と膿が滲み爛れ美しい毛並みを汚している。
「ひどいことするな……」
ぽつりとアレスが呟いた言葉は、三人ともの想いだった。
魔物は、ひとに害為す存在。ひとにとって敵であり脅威であり、そして滅ぼすべき存在だ。
聖書の説く、教会の定義する魔物とは、神に逆らうもの、神を冒涜する存在。罪を犯せしもの、悔い改めぬもの、神の創りし姿では無い、異形。
滅せられることにより、罪を贖うことを許されたものでありながら、積極的にひとを害そうとするのは、悔い改めぬ証拠であり、神はそれを粛清せよと仰った――。
だが、目の前の聖職者はそれを手懐けてしまった。それに、ロルの言った、邪気を祓ったとはどういうことなのだろうか。
神を冒涜する存在――だが、セフィに甘えるこの白狼はまるで、子犬そのものではないか。
「解いて、やれないのかな……」
傷を検分して、アレスは二人を見る。敵でなければ戦う理由はない。そう思ったのだ。
白狼は身体をひねってこちらを向き、おとなしく人間たちの様子を伺っている。
「繋がれている鎖は何とかなりそうですが、枷と巻きつけられている部分が厄介ですね……」
食い込むくらいに足に密着しすぎているため、下手なことはできない。
その上、肉に食い込んだ今の状態では回復魔法を施すことすらためらわれた。
再生しようとする体組織に金属の塊が巻き込まれ、激烈な痛みをもたらす恐れがある。
「やっぱ鍵、探した方がよさそうだね」
「そうですね」
「でも、探すって言っても……」
「どーせ、あいつらが持ってるんでしょうよ?」
そう言ってロルは白狼に話を振る。人語を解しているいるのか、果たして定かではないが、白狼は低く唸った。
どうやらあの一味を懲らしめなければならない理由が1つ増えたようだ。
壁と繋いだ太い鎖をアレスが灼熱の炎で焼き切ってやり、セフィが痛みを和らげる魔法を掛けてやると、白狼は共に来るかと問う前にセフィに寄り添った。
そうして一匹を加えた三人は白狼の背後に現れた反対側の扉を開き、城壁を抜けたのだった――。
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