063 - 策戦

 市長らが出払ったのを見計らって、男は保護された娘の居る部屋の扉を叩いた。

返事を待たず部屋に入ると、田舎臭いその娘は不安げな表情のまま腰掛けていた。

「あ、あの……」

入ってきた男に気付き、慌て立ち上がろうとする娘に

「あぁ、いいんだよ。そのまま座っていてくれて」

どうにか微笑みの表情を造り、ことさら優しい声音で言う。

だが、男の内心は混乱と焦りの極みを呈していた。手や額にはじっとりと嫌な汗が噴出している。

「あの、あなたは……」

先ほど見た顔だ、と戸惑う娘に

「さっきはすまなかったね。――突然で申し訳ないのだが、君にお願いしたいことがあるんだ」

男は娘の正面に座り、べたつく手を膝に置いて娘を見据えた。

「え?……私に、ですか……?」

「今すぐ、あのおん……いや、市長を止めてくれ。君の弟さんは必ず、無事に帰すと約束する。だから、今すぐ……」

「……どういうことですか……?」

切羽詰った男に、半ば気圧されながらも娘は問い返した。

「どういうことか、だと!? 言ってるだろう! とにかくあの女が動き出すのを止めろと言ってるんだ……!」

市長が動けば、あの場所に踏み込まれたら、全てが明るみに出てしまう。

それは即ち、身の破滅だった。

「……」

「あ、あぁ、いや、すまない」

思わず声を荒げてしまい、娘を怯えさせてしまったことに気付いた男は

「その、だから、頼む……市長に、捜査は不要だと、言っておくれ」

どうにか声を抑え、可能な限り穏やかに言った。――つもりだったが、娘の表情は変わらない。

――なんて物分りの悪い小娘なんだ。まったく、どいつもこいつも余計なことばかりしおって……!

「弟を……サミュエルを帰してくれるんですか……?」

「そう、そうだ! 無事に帰してやる。この私が責任を持って……!」

「ほう、それは心強いわね」

「!?」

「フェリク市長!」

「えぇ、モニカ。大丈夫?」

気遣う声をかけながら、その女は娘、モニカの傍へと歩み寄る。

「市長……何故、ここに……」

「それは私の台詞よ。まったく……」

腕を組み、鋭い瞳で見つめる女市長を前に、男は言葉を失った。

「今までネタが上がらなかったのが不思議なくらいの迂闊さね、ノルマン卿」

「な、何を言って……」

「それをこれからきっちり話してもらうよ。何者かに連れ去られたこの娘の弟を、あなたが帰してやれるっていうのは、どういうことか。その暴漢連中とあなたが繋がりを持っているからに他ならない。そして、その連中はつまり、あなたが重用する街の自警組織という名の盗賊団……そうでしょう?」

落ち着いた声でテレーゼは言う。

男はこめかみから顎へと伝った汗を拭うこともせず、素知らぬ振りを演じようとする。

「彼らは……そんな、犯罪行為など……するはずが……いや、それは、彼らではなく、もっと別の……」

「全ては調べてみれば分かること。それで、構わないわね?」

男の必死の虚勢も空しく、テレーゼは冷静に言い渡す。

そして男が、その後半の物言いの妙に逸らしていた視線をもどすと、そこには市長の言葉に頷く者達が居た。

議会の主立った者達だ。

「本当は、あなたの口から全てを聞かせてもらいたいのだけどね……」

どこか悲痛な苦笑を浮かべた市長に答えることもできず、男はその場にへたりこんだ。

観念するしかなかった。

聞かれていたのだ。全てを。

全て、暴かれてしまう。

「あぁ……」

――あらゆる手立てを思い巡らせるが、何一つ、事態を打開できる策は既に無かった。




 内側から開かれるはずのない扉が開く音がして、その見張りに当たっていた彼らは驚き、咄嗟に扉の両側の柱の影に左右一人ずつ身を隠した。

確かに、三人の旅人がこの城壁の内部に入ったことは確認した。だから彼らがここで待ち構えていたのだ。

 目的は、魔物との戦闘で彼らを疲弊させること。

城壁に入った三人を殺さぬ程度に痛めつけ、戦意を喪失したところで捕らえる。

白狼は、その仕上げであったはずだ。

合図の遠吠えの前に、扉が開くなど考えていなかったのだ。

しかも

「お、なんかちょうどお出迎えに来てくれてるみたいだよ」

先頭に立って出てきた金髪の青年がこちらを見、陽気に言ったのには心から驚いた。

咄嗟にではあったが、うまく隠れたつもりだった。

「お出迎え、ですか?」

つられるように続き出てきた二人もこちらを見てくる。

――どういうことだ。何事もなく、この城壁を、無事に潜り抜けるなんて……!

混乱した男たちに追い討ちをかけたのは、最後に現れた白い毛皮の巨大な狼の魔物だった。

「!!」

鋭い牙と爪を持つ、化け物。

凶暴なその魔物が鎖を放たれ、オレンジの瞳が今まさに自分に向けられた。

「ヒィッ!」

全身の身の毛がよだち、震えが走る。

男は短く悲鳴を上げて、逃げ出そうとした。が、

「おや、どこへ行く気かな」

長身の青年の甘い声を背後に聞いたと同時に、目の前に猛禽が現れた。

急降下してきた勢いをそのままに、大きな翼を広げ威嚇するのは巨大な鷹。

「うわぁ!?」

声をあげ後ずさる。

同時に、もう一方の男も声を上げた。より旅人に近かった彼の行く手を、青い髪の少年が素早い動きで塞いだのだった。

抵抗らしい抵抗もできぬまま、二人の男は旅人達と白狼の前に座り込むこととなった。

「逃げることないじゃん。別に、何しようってわけじゃないんだから。ただ――」

「そうそう。道案内、してくれるよな?」

金髪の青年と青い髪の少年がどこか楽しそうに、だが不穏な気配を纏わせたまま言う。

「そ、そりゃぁ、まぁ、おれらはあんたらを頭んとこに連れていくように言われてるからよ」

「そぅ。ならよかった」

金髪の青年――少々垂れ目だが同性の目から見ても魅力的な美丈夫だ――がニッコリと笑った。そしてその背後から現れた、もう一人の旅人が続けて問う。

「あの。すみません。少しお聞きしても?」

お頭が欲したという人物だった。

眼鏡とやや長い前髪に瞳を隠すその人物は、とにかく超絶美形なのだと街に行った仲間たちが話していた。

そしてお頭が、すっかりご執心なのだとか。

男が無言で先を促すと

「この子の鍵をお持ちではないですか?」

"この子"というのが恐ろしい白狼を指すのだと瞬時には分からず答えに迷った男は、だが、意を解し顔をしかめて答える。

「……持ってねぇよ。持ってたとしても、誰がてめぇなんかに渡……」

ただちょっと顔が綺麗なだけの奴に興味なんてない。誰が渡すかと言いかけて、男は固まった。

青い色硝子の眼鏡を掛けた美貌の人物がじっと見つめてくる。

 持っていないと言った自分の言葉に、その表情を曇らせていた。

肌は、それこそ透き通るように白く、肌理の細やかさは思わず触れたくなるような様。

高く通った鼻梁、濡れた様な唇、そして色硝子のせいで正確な色は分からないが、長い睫に縁取られた大粒の瞳。金属的な光沢を持つ、色素の薄い細い髪。

それらが絶妙の均整でもって、男が今まで見たことも想像したこともないような美を具現化していた 。

笑顔はきっと、もっと素晴らしいだろう。

そしてその柳眉が顰められる様は、ひどく儚く、悲しげで、自分がとんでもなく悪いことをしたような気分にさせた。

「……」

「で、でも、お頭が持ってるです! お頭んトコに行ったら、その枷を外す鍵が、あるのです、確かに!」

それ以上何も言えずに口ごもった彼に代わって、先ほどまで青ざめていた頬を紅潮させて、 隣の男が言う。緊張のあまりか言葉が妙になってしまっているが、男は早口に言ってうんうんと頷いている。

「そうですか。ならばしかたありませんね。どちらにしろ、行かなければならないのですから」

その様子に、僅かに苦笑してすぐに表情を引き締めた。

「そういやさ、中の様子ってどうなってんの? やっぱ、罠とか張ってあったりするのかな?」

「……は?」

予想していなかった問いに男はきょとんとする。

「や、だから、やつらどんな感じで待ち構えてんのかなって」

「だ、誰が教えるかよ! そんなこと……!!」

「まぁそうだよな。んーでも、俺達としても、セフィをやつらに渡す気はないし、サミュエルを返してもらうつもりだから、結局ちょっとやりあうことにはなりそうなんだけど、ねぇ?」

「そうですねぇ……人質の解放が最優先ですが、私もここに留まる気はありませんし」

「適当に殴り込んで奪い返せばいいんじゃないのか?」

「いや、でも盾に取られたりしたら困るじゃん」

「あ、そか」

「一芝居うってみる?」

「それがいいように思いますね」

三人はじっと男たちを見た。

「つーわけだ。協力、してくれるよね?」

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