052 - ピアス

 リデンファーとは教会における戦闘部隊。聖職者というより兵士だ。

対魔物における戦闘能力の高さは各国が抱える兵士をはるかに凌ぎ、古くは辺境地への布教活動の先駆、更には紛争地帯への仲裁として。 近頃では魔物の討伐や要人の護衛が主な活動だ。

 僧兵、神兵、聖裁士等とも呼ばれ、中でも教会本部<聖都>を守る任を負った者を聖騎士、聖騎士の中でも特に教皇(法王)の警護に当たる者を儀仗官と呼ぶなど役割によって呼称は様々であるが、多くが実質的に人々を脅かす邪悪なる魔物を滅する役を担う。

 出動要請は、この5年の間でも確実に増加、そして被害状況の深刻さも目に見えて甚大化している。

主に街規模の集落から救援を要請されて向かうと、周辺の村々が既に随分な被害に曝されていたということが多く、駆けつけた時既に村が壊滅状態だったこともあった。

 崩壊した建物、燃え尽きた木々、荒らされた田畑。そして無残に食い散らかされ腐臭を放つ遺体、肉片、子を抱く姿のまま焼かれ黒い塊となった者、なんとか逃げ込んだ教会でそのまま飢え衰弱して死んでしまった者――生活の全てが、人々の命が踏み躙られる様を幾度となく見てきた。


 城下街の様子や配給物資の普及状況の報告を聞き、今後の再興計画を話し合う会議を終えてヴェルダンジ=エスス――トラロック救援リデンファー部隊指揮官は三人の部下らと会議室を出た。

国王は相変わらず「魔物はいなくなったのだからさっさと出て行け」とでも言いた気な見下した態度だが、臣下らは平伏することなく自分の意見を述べることができるという現状をやっと受け入れ始めていた。本当にやっと、という感じがするのは、トラロックが独裁的といっていいほど国王の権威の強い国だったからだ。

国の仕組み自体に変革をもたらしてしまうような行為は第三者として好ましくないが、今回の魔物による襲撃とその処理とが、真っ先に自らの逃亡を図り、だが逃げ道を失って結果篭城する羽目になった国王の独裁下では速やかに進められないだろうという考えから、教会の機関である彼らリデンファーがここまで関与することになっているのである。

「それにしても絶対的に官の数が足りないね」

自分たちの目の届く範囲にも限界がある。

指令本部へと向かう道すがら、部下の一人オルグレア=エッカートが溜息と共に言った。

復興に手を貸すにしても、その後の国政はその国の者の手で行わせなければならない。自分たちは宗教機関に属する聖職者であり、侵略者ではないのだ。

「"使える"官の数だろ?」

保身と、国王の顔色を窺うことばかりに長けた者など役に立たない。

低い声で唸ったのは頑強そうな体躯の男、ダグラス=ファルド。

逮捕され、処刑や国外追放された者、自ら他国に亡命した者の中に優れた人材はいたはずだ。

「でも、青年団が治安維持部隊を結成してくれたのは心強いじゃない?」

胸に書類を抱えたエリーザベト=ヒルシュが明るい声で言う。

らしからぬ口調で話す彼らだが、皆長く共に戦ってきた、気心の知れた者達だ。他者の目のない時、そこに地位による別はない。

「治安維持、ね。……僕は彼らが暴徒と化さないことを祈るよ」

「オルグ、そんなに悲観視することもないんじゃないか? この国のやつらがやる気になってくれりゃあそれでよ」

「そうよねぇ」

「――二人の言う通りだな。……だがオルグの懸念も分からないでもない。混乱を招くだけなら意味がないからな……」

「彼らとの関係は良好に保ちたいわよね」

「と、言う訳だ。頼んだぞ、ダグ」

「へ? おれ!?」

前を歩く司令官の灰色の瞳が「お前以外に誰がいる?」と不適に笑む。

「……こういうのはリーのヤツが適役なんだがなぁ……」

「司令官命令なんだからしっかりしなよ。……そういえばリーは……今日出発でしたっけ?」

頭を掻く仕草をし、呟くダグを小突いたオルグは思い出したようにヴェルダンジに問う。

若き副司令官が面倒がって会議に出席しないのはいつものこと。それは気にするようなことではないが、その彼がこの地を離れることになっていることを三人は知らされていた。

「あぁ。そうだ。今から見送りに行く」

「いいなぁヴェル……私も御一緒したいけど、そうもいかないのよね」

恨めしそうに言うエリザにヴェルダンジが「すまないね」と苦笑する。

「仕方ないもの。ヨロシク言っておいてね」

エリザは残念そうにだが微笑み、ダグがそれに続ける。

「おれからもな」

「無茶をしないようにと伝えて下さい」

三人が三様に言うのを笑んで引き受け

「わかったよ。それじゃあ後は頼む」

そうしてヴェルダンジは一人、副司令官ヴァレリーア=イーリスの元へと向かった。



 城の奥部に提供された一室に彼、件の青年はいた。

昨日までに手配しておいた、この地方の旅装束に着替え、聖職者のみに身に付けることを許されている十字架の耳飾ピアスを外す。

丁度その時、扉を叩く音がした。

「私だ」

聞き慣れた女声に彼はすぐさま入室を促す返事をした。

「会議、終わったのか?」

向かっている鏡に映った鈍色の髪の女、ヴェルダンジに問う。

「あぁ。お前の方こそ準備は――できているみたいだな」

振り返った青年の様子に女は満足そうに頷いた。

伸びた両側サイドの髪もターバンで纏め上げているため、雰囲気がいつもと違う。

「あ、それ……」

露になった両耳には小さな紫水晶アメジストのピアス。

 それは、もう随分前――彼がまだ学院生だった頃、実習を兼ねた遠征の際に訪れた任地で手に入れた物だった。



 普段そういったものに興味を示さない彼が珍しく装飾屋の店先で目に留め、

「聖職者になれば何かしら支給されるのだろう? お前ピアスがいいって言ってなかったか?」

と言うヴェルダンジの言葉に

「あれは、どれかって言われるとってハナシ。他のだと失くす自信あるからな」

そう返して、同じ造作の紫水晶アメジスト緑玉エメラルド耳飾ピアスを買った。

 聖職者試験に通れば、免許と共にピアス、ピン・ブローチ等の何れかが与えられる。それを身につけることを誇りとする者もいるというのに、それを紛失する気でいるらしい。

「それなら、そんな小さなものこそ失くすんじゃないのか? 2つも買って……?」

「1個はひとにやるからいーんだよ」

呆れながら問うたヴェルダンジに乱雑に撥ねた短髪の少年は幼さの残る表情で答えた。


 初めてセフィリア=ラケシスに会ったのはその後間も無くだった。

聖都に戻り、部隊が解散するとその足で"セフィ"に会いに向かった彼に

「この前、今度会わせてくれるって言ったよな?」

ヴェルダンジはニヤリと笑んでついて行った。

興味本位だった。

それまで幾度か彼から話は聞いていたし、学内の噂も耳にしたことがあったが、会ったことは無かった。

前例にない若さで司祭免許を取得した少年。だが、その瞳は魔性の色――。

異端を蔑む者達の、耳を覆いたくなるような風評もあった。

嫉妬や悪意に満ちた者達の言葉を鵜呑みにしていたわけではないが、そのように言われるとは一体どのような人物なのか。そして彼はなぜ、そのような人物を気に入るのか、と。


「セフィ……」

学院の図書館の片隅。

そこにいることを知っていたかのように、彼は真っ直ぐに目的の人物を探し当てた。

小声での呼びかけに、驚き顔を上げた少年は友人の姿を認め立ち上がる。

「リー……! いつ、帰ったの?」

「今さっき、やっと開放されたトコ」

悪戯っぽく笑い彼、リーは聖服の隠しポケットに手を突っ込んだ。

「そう、元気そうでよかった……!」

本当に、心から嬉しそうに黒髪の少年を見つめ微笑む。

そしてその背後に見知らぬ女の姿を見つけ問うた。

「――えと、そちらは?」

「あぁ、前に話しただろ? リデンファーの、一応、先輩。ヴェルだ」

「―― 一応とは随分だな……君が、セフィリア=ラケシス?」

それが年長者、しかも先輩に対する態度かと苦笑し顔をしかめながら、しかしその瞳はすでに目の前の美しい少年――事前に性別を聞いていなければ少女と見紛うたであろうが――に奪われていた。

 会ったことが無かったというのは間違いだ。瞳が隠れるほどに前髪を伸ばし、眼鏡を掛けた少年をヴェルは何度か見かけたことがあった。だが――彼がそうだとは認識していなかった。

「はい。あの、始めまして……お話には聞っ……」

「俯くなよ、オイ」

ヴェルの視線を避けるように下を向きかけたセフィをリーが制す。

そんなやり取りは、だがヴェルの思考には入ってきていなかった。

こんなにも美しい者が他にいるだろうか?

何もかもが整った造作の容姿は、決して華美ではない清らかな雅やかさを持っている。

肩に僅かに届かない長さの色素の薄い髪は窓から差し込む光で金色に染まり、透けるような肌は真珠の白。

そして躊躇いがちにこちらを見る瞳は、最高級のアメジスト。

 思わず息を飲みそうになるのを、ヴェルは必死で堪えた。

「……」

どうして今までその容姿のことが噂にならなかったのだろうか。

「……リー、でも、やっぱり……」

セフィは、凝視されるのに耐え切れず瞳を伏せた。呆然とする傍らの女を少年が小突く。

「おい、ヴェル!」

「え?」

「見惚れるのは分かるけど、セフィ怖がらせんなよ」

「あ? ……あぁ……」

鋭い翠緑の瞳で射るように言われ、ヴェルは自分が"見惚れていた"ことにやっと気付いた。そして人目も憚らず陶酔してしまっていた自分が恥ずかしくなり、思わず片手で顔を覆った。

「すまない、少し、驚いたんだ……」

あまりに綺麗で。

 セフィは瞳の事を言われたのだと、申し訳なさそうにしたが、リーにはヴェルの真意が伝わっていたらしい。少年は表情を緩め

「な、それより場所変えよ―ぜ? 久々だし、話したいこともあるしさ」

明るく提案する。示した方には『館内では静粛に』の文字。

苦笑しながら二人も同意した。

「あ、そうだ」

広げていた本や帳面ノートを片付けるセフィに、リーがポケットから取り出した握り拳を差し出す。

「……?」

「手」

「て?」

促されるままにセフィは拳の下に掌を差し出した。

パッと開いたリーの手から、緑の雫が零れ落ちる。

「土産」

それは小さなエメラルドのピアスだった。

「お土産……って、でも……」

石が石だけに、決して安いものではないと戸惑うセフィに「俺の自己慢だから」とリーは柔らかに笑んだ。



あぁ、そうか。あれは互いの瞳の色だったんだ――。



「どうかしたか?」

記憶よりもやや低くなった声を掛けられヴェルダンジはハッとなった。

「いや、何でも……」

「? あ、そーいや」

リーは慌て苦笑するヴェルの視線に気付き、何かを思い出したように拳を差し出す。

あの時とまるで同じ仕草にヴェルは思わずドキリとした。

「預かっててくれ」

「……何だ?」

掌に落ちてきたのは、十字架の耳飾ピアス

「オレ、ぜってぇなくすから。頼むわ」

悪びれる風も無く笑いながら言ってのけ、リーはまとめてあった荷物を背負った。

「――仕方の無いやつだな」

ヴェルは答え、はにかむように苦笑した。


 部屋を出た二人は城の更に奥部――普段ほとんど使われることの無い通用口へと向かった。

「フェンサーリルへ行くつもりだ」

リーの新たな任務については大体のことは聞いていた。そして今、まずどこへ向かうのかと聞いたヴェルに青年はそう答える。

「セフィリアに会いに?」

「そ。たりめーじゃん。ここんトコ、ホント全然会ってねぇんだって。……この前なんかせっかく、やっと、休暇取ったってのに向かう途中で呼び戻されるし……!」

「……それは気の毒に」

「って呼び戻した張本人がトボケんなよっ!」

「上からの命令だったのだから仕方ないだろう」

憤り不平を漏らすが、そこに真に自分を責める意図が無いことを感じ、ヴェルもまた困ったように溜息をついて見せた。

「それはオレだって分かってるって。だから職権乱用もいいトコだっての」

「上の者達は私達の個人的な事情なんて気にしないものだよ」

「だよなぁ? つーわけで、せっかくだからオレも好きにさせてもらうんだっ」

それくらい当然の権利だろうとリーは主張する。

「任務に支障をきたさないなら、私は別に何も言わないが……フェンサーリルは知識人が多いな? 彼らの言を聞くというのもいいか……」

「あぁ。勿論そのつもりだ」

ヴェルが言い切る前に頷き、リーは鋭い瞳を前方へ向けた。

薄暗い先に扉を捉え、握りに手を伸ばす。

「……なんだかんだと言いながら、ちゃんと従うあたり実は真面目だねぇ?」

「実は、とかゆーな」

ニヤリと笑んで自分を見るヴェルにリーは拗ねた少年のように唸る。

 扉をくぐると、そこは古びた納屋のようなところだった。そして一角には厩状のものが設えてある。旅立つリーのために用意された青毛の馬が、一頭きりで佇んでいた。

「はははっ! まぁ、気にするな――それで、フェンサーリルに行くと連絡はしたのか?」

くつわに手綱を取り付け、鞍と荷物を載せるリーを、ヴェルは閉ざした扉に背凭れたまま眺める。

「いや、どーせオレのが早く着くだろうし」

「シャンティエには?」

「着いてから考える」

問われるままに答え、リーは準備を整えた。

「そうか。ならいい。まぁ、いずれにせよ、気をつけて行くことだ。」

組織の一員として、その命は自分一人のものではない。

「あぁ」

「オルグ達三人も、よろしくとさ。無茶をしないように、と」

「おぅよ」

「それから……可能ならで構わないから、連絡も遣すように」

 ヴェルは手綱を取り馬を引くリーに先だって扉を開き外へ出る。

昼の射るような日差しが降り注ぐ。だがそれも、後2刻とすれば地平線へと沈み行くだろう。渇いた赤茶けた大地を更に赤く染めて。

「へいへい」

「リー!」

気のない返事をした青年を正面から見据え女は鋭く呼ぶ。

「わーってるって。無茶はしないし伝報所にも寄る。それでいいだろ? 心配すんなって。そっちこそ、気ぃつけろよ? 後のこと頼んだぜ?」

「――あぁ。言われるまでもない」

強気な表情で答える女にリーは「だろーな」と笑み顔を寄せる。

「!!」

唇を軽く頬に触れ、囁いた。

「オレからも、みんなと、デュアン=ケヒトによろしく言っといてくれ」

素早く身を離し、そのまま馬に飛び乗る。

「おまっ……!」

強気な仮面が剥がれ落ち、思わず赤面したヴェルを満足気に振り返り見下ろしてリーは軽く手を挙げた。

「じゃーな」

「~~……気をつけて」

触れられた頬に手を当て、なんとか言ったヴェルに笑むとリーは勢いよく馬の腹を蹴った。

土埃が舞い、外套が棚引く――。

 


「まったく……」

突拍子もない事をしてくれる。

だがその行為は、彼が自分に心を開いてくれている証とヴェルは知っている。

そして幾度となく目にした後姿から、その瞳がどこまでも真っ直ぐに見据える先も、胸の内も想像がついた。

『誰かのためとか、そんなご大層なもんじゃない。そうあることが、オレの望み』

あの後彼女もまた"セフィ"の容姿だけでない美しさを知ることになったから、


 その姿が小さくなるまで見送ってヴェルは一人苦笑した――。

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