019 - 迷い
「あのさ、セフィ。今度、帰ったら……セフィのこととか、あの遺跡のこととか、話してもいいかな? その……友達に……」
不意にどこかオズオズとした風にアレスが言った。
「?……話しても……?」
何故そんなことを自分に尋ねるのかと怪訝に思いながら、セフィは尋ね返した。
「あ、いや、ホラおれ、この前、あの封印のこととか聞いた時にさ。セフィに『聞いたところでどうにかするわけでもないだろう?』って言われて、 『どうもしない』って言っただろ?……だから……。けど、あの遺跡の探検も、それからセフィと出会ったことも、今こうやって一緒に話してるのも――スゴク楽しいから、さ」
照れたようにアレスは頭を掻く。
「――今まで、こんなことってなかったし。ホントに旅を楽しいって、こんなにも思ったのも初めてな気がするんだ……。 だから、あいつにも話してやりたくて……」
旅に出たがっていたのは友人の方だったとアレスは語った。
"世界を、見に行こう"
幼い頃に交わしたそんな約束。
だがやがて、それが叶わぬ夢だということを悟った。
――あいつは、領主様んトコの跡取り息子だからさ……
その地位が、"あいつ"を彼の地に縛り付けているのだと。
そして、旅に出た蒼い髪の少年。
出会った全てを、その瞳に、心と記憶に焼き付けて――伝えるために。
親友の願いを叶えてやる為に、少年はたった一人、故郷を飛び出したのだった。
――世界を、見せてやるよ――
二人だけの約束。それは"誓い"だった。
その話をした時のアレスの表情はどこか誇らしげで、優しかった。
「いい?」
そっと尋ねたアレスに、セフィはその瞳を眩しそうに見ながら柔らかに微笑んで答えた。
「えぇ。もちろん構いませんよ――」
王都フェンサーリルの西に位置する地下遺跡での調査を終えて、その遺跡で出会った旅の少年アレスと供にここ、フェンサーリルへと帰り着き、 そして5日間の滞在の後再び旅に出た彼を見送ってから数日。この若き司祭セフィリア=ラケシスに変わらぬ日常が戻ってきていた。
だが、その心境はというと、決して穏やかなものではなかった。
一昨日、教会本部からの伝令が"リデンファー"としての任務を持ってやってきたのだった。
――要は旅に出ろということだ。
少しの注意事項を述べた後で、伝令の男は厳しい表情で言った。
――受けるか否か。受ける場合にのみ指令内容の詳細を説明する。
――とはいえ、あなたの負うものはあまりに多い。数日間の猶予を与えよう。次の日曜、もう一度ここへ来る。それまでに心を決めておくように――
『それまでに決心がついたたならここへ』そう言って、滞在場所を示したメモを残し、伝令は去って行った。
その話を聞く際、唯一立ち会ったシスター=マーサは
『貴方の思うようになさい……』
と、ただそう言っただけだった。
――どうすべきなのでしょう……。
城下町へと続く道を、一人歩きながらセフィは思案に耽っていた。
暖かな辺りに響き渡る小鳥の囀りも、その耳には届いていないようだった。
――……あの時と変わらない……私の心の、迷い……。……あの時も、そうだった……
数年前、教会の神学校を卒業し、様々な職種の資格を取得したあの時。
何一つ、決められなかった。
用意された道は数多だったのに。それでも自分がしたいことがわからぬまま、結局シスター=マーサのもとで司祭の"見習"をやっている、今の自分。
宮廷付司祭にどうかという誘いにも、若輩の自分には荷が克ち過ぎると断り、経験が浅いことを理由に教区を持つことすら引き受けなかった。 "教区を持たない"ということは本来、司祭としては認められていないことであったが、司祭免許を取ったのが15の時。前例のない若さだったらしいことを理由に、特例が下りたのだった。
『貴方の思うままに……やりたいことが見つかってからで、いいんですよ。"何をすべきか"決めてしまうには、貴方はまだ、あまりに若すぎる……。確かに、随分と若い時から、何か自分の理想や信念を持って道を選び進んで行くような人もいるけれど、気にすることなんてないんですよ。 貴方は貴方の思うように……』
シスター=マーサは優しく微笑んで、いつもそう言ってくれる。
――その優しさに、甘えてしまっていただけなんです。私は……
風が吹き、セフィはローブの胸元をキュッと掴んだ。
小さな風は街並みを越えて薄雲のヴェールを被った空に溶けてゆく。
道を決められないことに、理由などなかった。ただ、勇気がなかった。自らが選んだものが『確かなもの』であるという自信を持って、 一歩を踏み出す勇気が、なかっただけ。
自らがどうあるべきかということが、わからなかった。
それでも、遺跡の件が片付き次第、そうでなくとも来年には教区の話を受けるか、自分の所へ来ないかと言ってくれている現宮廷付司祭、 イヴァン司祭の元へ行くか、いずれにせよ名実供に司祭としての道を選ぼうと。それが神の御心なのだろうと、思い始めていた矢先だった。――アレスと出会ったのも。リデンファーとしての任務が来たのも。
アレスは、多くのことを話した。セフィの知りもしない、到底知り得ないようなことを。
彼が旅した異国の地。そして彼の故郷。セフィにとっては、書物の上にしかない世界が、 実際の果て無く鮮やかなものとして語られた時、以前から胸の奥にあった何処かへの回帰願望が目覚め、少しずつ、だが確実に広がってゆくのを感じた。
――ここ以外に、私の還る場所などあるというのだろうか……?
――還りたい?……何故……? どこに……?
それはとても私的な感情だった。
その感情を満たすため――。
そのような動機で、決して容易くはないであろうリデンファーの任務を受けてよいはずがない。
――それとも……これが神の御意志なのだろうか……
――わからない……。こんな気持ちのまま、決めてしまっては……
自分がどうしたいのか。それだけなら答えは出ている。その機会も用意されている。それでも……
――私は……どうすべきなのでしょう……?
神の御心は如何なものか。
この地で自分を求めてくれる人々のために身を尽くすべきか。
新たな地に赴き、教えを広める任に就くべきか。
それとも――
――私の、為すべきことは……?
「おはようございます。司祭様」
突然、そう声を掛けられ、セフィはハッとなった。
どうやらいつの間にか街の近くまで来ていたようだ。通りかかった娘がこちらを見ている。
「おはようございます」
立ち止まり、咄嗟に答えた。
「……どうかされたのですか?」
「何でもありませんよ」
怪訝そうに尋ねる娘に、セフィはなんとか微笑んで応えた。
娘はそうですか、と笑んで連れの者に呼ばれたのか礼をし、駆けて行く。
――いけませんね、こんなことでは……
不安定な心を彼らにまで悟られてしまってはいけない。
自分が、答えを見つけ出さなければならないことなのに。
優柔不断な自分の性格に、呆れたように苦笑しながらセフィは再び歩き始めた。
――神の意志? それとも……?
時は4月も半ば。
勢いを増した木々は緑々と茂り、風は甘く懐かしい香りを乗せてそよぐ。
明るい日差しは、身に纏ったローブの頭巾越しにさえ眩しかった――。
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