018 - 王都フェンサーリル

 暖かな春の日差しが行く手を照らす朝に、ディオニやジャンたちの出港を待たずロルはエンテスの港街を発った。

 エンテスの港街で耳にした淡紫の瞳を持つ者は、どうやら司祭らしく、だが聞いた噂話はその美しさに関してが専らだった。彼、ロルの探すソニアなる女性もまた、紫水晶の瞳をした美しい人だった。ソニアが教会の司祭であるということは信じ難いことであったがロルは一路、王都フェンサーリルへと向かった。

 その西側に三日月型の丘陵地帯と底知れぬ深さの大地の裂け目、北側に麓を樹海に覆われた連なるラテヌ山脈を背負った王都フェンサーリルはエンテスの西、シーラズ川に沿ったニュクス街道を辿ればすぐである。

 街道の途中には宿場などが設けられており、近頃の魔物の増加にも関わらず旅人や行商人の姿も見受けられた。


 エンテスを発って2日後、林中の穏やかな坂を登りきると辺りが少し開け、石畳の街道上に大きな門が現れた。共に辿ってきたシーラズ川はその門の向こうから流れ出してきている。

 そのまま馬を進め大きく開かれた門をくぐると、右手側の川のほとりの小屋から現れた番兵らしき中年の男が書類を手に声をかけてきた。

「すまんが入国手続をしてもらえるかね」

「ニュウコクテツヅキ?」

ロルは馬を下り、尋ねた。――そんな話は聞いていない。

何のことだか意味を解しかねている様子の青年に、人のよさそうなその男は書類を繰りながら見上げるようにして、

「あぁ。ここんトコに署名サインと、どこから来たかを記入してもらいたいんだ」

一度その顔を覗き込むと、言って書類とペンを差し出した。

受け取った書類には王家の印が刻まれ、今日の日付といくつか記入欄がある。

「これが? 入国手続?  許可証なんかはいらないんだな?」

受け取り、『記入するのは名前と来た街、または地方の名だけでいい』と言う男にロルは再度尋ねた。

 "入国手続"が云々などという国では許可証の提示を求められるのが大抵だ。

「そうだよ。お前さん、この国は初めてだね?――ウム。まぁ"入国手続"なんて言ったらご大層に聞こえるかもしれんが、出入国者数……というか国にどれだけの人間がいるかを把握しておくためのものなんだ」

人口の増減は国内の状況を見るのに重要な指標となるからだ。それは無論、許可証制度を採用している国でもそうなのだが、申請の際に氏名や身元、出身地、滞在予定期間等々細々としたことまでの明示を求めてくるのはむしろ、危険人物一疑わしい、怪しい、手配を受けている者等一の入国を阻止するため、つまり治安維持の意味合いが強い。

「へぇ……」

――それだけ治安に危惧がないということか……

感心して頷き、氏名と出身地方名を書き込んだ書類を返すと男は

「……金髪碧眼、と」

ちょっとした身体的特徴を記入し

「ローレライ=ウォルシュさん……クヴァシル大陸から、だね?」

「あぁ」

男の確認に答え

「――ところで、人探しをしてるんだけど……」

もし、過去の出入国者リストでもあれば、何かわかる事があるかもしれない。そう思いロルは尋ねた。

「人探し? ウーム……。いつ頃入国したのか……この国に、いることは確かなのかい?」

男はそれを聞き書類を繰ろうとするが

「いや、そういうんじゃなくて……」

美しい青年は綺麗に弧を描いた眉をひそめて苦笑した。

「え……?――あ、あぁ、そうか」

ここに来たかどうかも定かではないのだ。

この青年はただおそらく、何か手がかりを求めてここにやってきたのだろう。それを察し、

「そういうことなら、お城の方に行ってみるといい。こういった資料は全部国が一括して管理してるからな。まぁ、資料を見せてもらえるかどうかわわからんが……探してくらいはくれると思うよ 。それに、一度国王陛下にも会っておくといい。旅人の話を聞くのがお好きな方だからね」

丁寧に教えてくれた男に、ロルは明るい表情で頷いた。

「あぁ。そういう話は聞いてる。会ってみたいとも思ってたし丁度よかった。それから……ここにスッゴク美人な司祭様がいるって話も聞いたんだけど」

しかも淡紫の瞳を持った――愛しい娘かもしれない人物だ。

「ビジンナ司祭様? あぁ。セフィ様のことだね?  あの方なら修道院にいらっしゃるよ。とても心優しい、美しいお方だよ」

そう言った男の瞳はとても穏やかだった。それはおそらくその司祭に、"セフィ様"に向けられたものなのであろう。

――セフィ……?

――……

「……ま、会ってみりゃわかるか」

僅かな戸惑いと思案の後、ロルは呟き楽天的な笑みを浮かべた。

 男に礼を言い、再び黒馬に跨り暫く行くと、道の両側に小さな家が数軒立ち並ぶ集落のような所に着いた。

城下町まではまだ随分と距離がある辺りだ。

「おや、おにーさん見ない顔だね。旅の人かい?」

「えぇ。そうです。ご婦人マダム

どこからか集まってきた女たちに声を掛けられ、ふわり、と軽やかに馬から降り立つその背で三つ編みの髪が踊り、こぼれだした波打つ黄金の絹糸を自然な仕草で掻き揚げると、露になった碧玉の瞳が微笑みに揺れる。

「マダ……ム……?」

その、あまりに優美な様子と、甘いハスキー・ヴォイスが紡いだ、言われたことなどないような呼称に女たちは一瞬にして心を奪われた。

「や、やだよぉ。おにーさん、マダムだなんてっ……」

どこか戸惑い照れたように、だが嬉しそうな様子で女たちは頬を染める。

「それにしても噂通り……いや、噂以上というべきかな? フェンサーリルの女性レディ達はみな美しいと聞いてたけど、いきなりこんな綺麗どころと出会えるなんて俺は運がいい」

どう贔屓目に見ても、大した美女というわけでもなく、ごく普通の村の女たち。それは本人達もよく自覚してのことであったが与えられる感覚はあまりに甘美で抗いようがなかった。

「――ところで、お尋ねしたいのですが」

少しして、すっかり打ち解けた様子の女たちに、ロルは自らの探すものとそれから"司祭様"のことを尋ねた。

資料もいいが人々の、特にこういった女性レディ達の噂話には耳を貸す価値がある。

 残念ながらソニアと弟については皆心当たりがないと首を振るだけだったが、その応えに苦笑するロルに

「あぁ、でも司祭様のことなら」

女たちは明るく話し掛ける。

「そうそう。何度かここにもいらっしゃったことがあるのよ」

「ほら、あそこんとこに教会があるだろ? そこのダン司祭様のお手伝いなんかにね」

「お綺麗なだけじゃなくてほんとに、お優しい方でねぇ」

「ウチの息子が怪我した時もあの方が診て下さったの。本当によくして頂いたわ」

「歳もまだ随分と若くていらっしゃるのに、しっかりした、立派な方よ」

楽しそうに口々に言う女たちに、頷いたり相槌を打ったりしながら暫くの間談笑した後、ロルは丁重に礼を言い、その場を去った。そして街道の続きの道を行くのが最短経路だと聞きそこを辿ることにした。

 前方遥かに霞みがかった空と緑を背に白亜の城、美しい街並み、更に手前には広大な農耕地が広がっており、その所々に先ほどのような集落があるのが見える。それらはかつて農耕地を広げるに当たって設けられた仮家などがそのまま人々の住まいとなったのが始まりだという。フェンサーリルはその特色ある地形から独自の産業文化、政治形態を持つ、教会<サジャ=アダヌス教>を国教とする平和の国だと聞いている。確か今はカシアス7世の治世だったか。

 あちらこちらから流れ出す小川は煌きながら街道の横手、シーラズ川へと注ぎ、広い麦畑を莢かに揺らす甘い香の花を咲かせた果樹園を吹き抜けた風が街道を行くロルに優しく囁きかける。

「……いい風だ……」

思わず表情を綻ばせ空を仰ぐと、大きく円を描きながら悠々と舞う大鷹(クァル)の姿が光と重なり、そのまま蒼穹に溶けていくかのよう。その景色が妙に既視感デジャ・ヴュを誘った。

――なんだ……? この感覚……。……予感?

その時確かに懐かしい何かが彼の心をかすめた。

――……――。


 夕方の16時を知らせる鐘が鳴る頃、ロルは街の正面入り口に辿り着いた。さほど高さのない堡塁ほうるいの切れ目のようなそこを通り過ぎると暫く疎らな家並みが続き、それからやっと市街地区に差し掛かった。辺りは行き交う人々で賑わい、石造りの家々の窓辺には色とりどりの花が飾られている。通はきちんと整備された平らかな石畳、街灯まである。

だがそれでいて随所に緑や川の流れを配した自然と調和した都市国家。

――……洗練されてるって感じだな……

ロルは馬の手綱を引き歩き、辺りを見ては思った。

 早いうちに宿を決め、馬と荷物を預けると大通り、商店街の辺りを一通り見て回った。港町であるエンテスほどとまではいかないものの、軒を連ねる商店には様々な商品が並び、通はそれらを求める人々で活気に溢れていた。

 そして太陽が西の地平に沈み、家々に明かりが燈り、宿屋や酒場なんかが賑わいをみせ始めようとする頃にロルは暖かな光の漏れ出す宿へと戻った。入ったそこは1階部分が酒場兼食堂、それより上階部が客室というよくある造りの旅籠風の宿で、受付フロントに声をかけると先ほど荷物を預けた娘が部屋まで案内してくれた。

ポーリーという名の、コロコロとよく笑う陽気で可愛らしい娘だった。

「こちらのお部屋ですぅ。お荷物は先ほど運び込んでおきましたぁ。え~と、浴室

もついてますのでご自由にどぉぞぉ。 ――あ、お食事はどうなさいますかぁ? こちらにお持ちすることもできますけどぉ?」

どこか拍子抜けしたような喋り口の娘に

「ありがとう。下で頂くことにするよ」

彼は優しく微笑んで応える。娘は嬉しそうに頬を染めて

「かしこまりましたぁ。――え、と、なにかございましたらお気軽にどぉぞぉ」

そう言い、ロルに部屋の鍵を渡して

「それでは、失礼しますぅ」

ぺこりと深く頭を下げ、パタパタと足音を立てながらその場を去って行った。

 わざとではないであろうその珍妙コミカルな動作に思わず頬が緩むのをそのままに、ロルは上着を椅子の背に掛け、窓を開け放った。涼しい風と共に遠く美しくそびえる王城の、夕闇に浮かび上がる姿が飛び込んでくる。

料金の割に随分といい部屋だ。満足げにその景色を眺めていると不意に

「わぁ! 見てっあそこ……!」

若い娘の声がすぐ側でし、そちらを見遣る。彼を見上げる、通に立った数人の娘達。

「――やぁ、こんばんは。お嬢さんレディ達。いい夜だね」

窓辺の青年は美しく笑んだ。

 自分たちの声が届いているなどとは思っていなかった、だが届いたらいいな、聞こえたらいいなとどこかで思っていた娘達は突然声を掛けられ、その場に固まったまま「きゃっ」「聞かれちゃったっ」などと嬉しそうに騒ぎ合う。

 部屋の明かりが映る黄金の髪はどんな星よりも綺麗で、その声は春の野の花々よりも切ない甘さでもって娘たちの耳を擽った――。

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