020 - 王城へ

 カチャリ、と鍵を開ける音と人の気配に彼はうっすらと意識を取り戻した。

「ロルさぁん。起きてくださぁい! 朝ですよぉ~!」

耳に届く声。

昨夜、起こすように頼んでおいた、ポーリーだと記憶が告げる。

「うん……」

その明るい女声と柔らかな寝床はあまりに心地よく、寝返りをうつようにして掛け布にくるまると再び日の匂いのする、清潔なベッドに身を委ねた。

「起きて下さぁい~ロルさん、ってばぁ~っ」

今度はもっと近くで、可愛らしい娘の声。

「朝ですよぅ~」

そんな幾度もの呼びかけに少しずつだが更に覚醒は進み、ロルは声のするほうに顔を向け、僅かに瞳を開く。質素な衣服に身を包んだ、若い娘が彼に声を掛けながら、カーテンと窓を開けている。

 まぶしい朝日が差し込み娘の緑がかった茶色の髪を照らす。

「ロルさぁ~ん」

――サイコーかも……

麗らかな朝の情景が、なんとも穏やかで幸せな目覚めを与えてくれる。

「――おはよう、ポーリー」

少し、体を起こして言う。

まだ眠りの溶けきらない、甘い声。

「あっ! おはよう、ございますぅ」

ポーリーは、パッと、ロルの方を向き嬉しそうに微笑んだ。

「……こんな綺麗な朝に君の声で目覚めることが出来て……幸せだよ」

目覚めたばかりの甘えたような声でそう言われ、ポーリーは元から可愛らしい桃色をした頬を更に色づかせた。

「はい~。ありがとうございますぅ。えと、もう、起きられますよね? お食事、お持ちしてよろしいでしょうかぁ?」

「あぁ。お願いするよ」

ロルの応えに元気よく返事をし、鍵を机の上においてポーリーは踵を返す。

そして一度、ドアにぶつかってから

「大丈夫?」と尋ねたロルに「はい~」と照れながら答えパタパタと足音を立てて、部屋を出て行った。

その様子にくつくつと笑いながら体を起こす。さらりと滑る衣擦れの感触は素肌にとても気持ちよかった。

昨夜下の酒場で食事をとったロルは、店員や飲みに来ていた客らとつい話し込んでしまい、結局眠ったのは夜中を過ぎてからだった。

 ベッドから降り立ち、伸びをすると髪を結わえていた紐を外し三つ編みを解きながら浴室に向かった。

そこは狭いながらもしっかりとした造りの浴室で、バスローブと、タオルもきちんと用意されていた。

――セフィ……

蛇口を捻り少しすると、熱いくらいの湯が身体中に降り注ぐ。それを浴びながらロルは呟いた。

――セフィリア=ラケシス……か……

それが人々の言う司祭の名だった。淡紫の瞳を持つという美しい司祭。

――ソニア……

濡れてなお、波打つ黄金ブロンドの髪は長く、彼の腰より随分下までを柔らかに覆っている。「筋骨隆々」とまではいかないが、程よく鍛えられた体躯は均整がとれており美しかった。

ロルは落ちてきた前髪を掻き揚げ、瞳を閉じた。

「……ソニアじゃない……」

人々は"セフィ"を女性かと見紛うほどに美しいと言った。――となるとその司祭は男だということだ。

大体、司祭という職に就くのは男がほとんどだと聞くが――ソニアは女性だ。

――ソニアが男を装っているとでも……?……否。

ふと浮かんだ考えにロルは自嘲気味に笑った。

――人違い、だ。

ここにいるのはソニアではない。そしておそらくここにソニアはいない。だがそう分かった今も、ロルはさして落胆していなかった。

「淡紫の瞳」

この世に二人といないであろう筈の、その瞳を持つ者がいるのだ。

そして自分が、その人物にひどく惹かれていることに気付く。

――会って……みるか……?

それは単なる興味という感情だったのかもしれない。「ヒトならぬ瞳を持つという美しい司祭」への。

――……会いたい。……今、すぐにでも……

――……

「……だめだ」

それは、本来の目的ではない。

ソニアがいないにしても、弟、イザヤを探さなければならない。

それには"出入国者名簿リスト"とか言うものを見せてもらう必要がある。それさえあればソニアも含めて過去においてでもここに来たことがあるかどうかが分かるはずだ。

それに何より、彼にはすべきことがもう一つあった。

――取敢えず、国王への謁見が最優先だな。

 ロルは閉じていた瞳を見開いた。

 雨粒のように降り注ぐ湯が古傷の痕の残る肌を滑り降りてゆく。

 長い髪を、そして身体の隅々までを綺麗に洗い上げ、ロルは浴室を出た。

ローブを纏い、一息ついたちょうどその時、扉を叩く音がした。

「失礼しますぅ朝食をお持ちしまし……」

ロルが扉を開け、入ってきかけてポーリーは一瞬止まった。

佇む青年の、正に"湯上り"な様子はあまりに艶かしかった。

「っ、っ、お持ち、しましたぁ~」

ポーリーは首を振り、気を取り直して――頬を真っ赤にしながら明るく言った。

そして美味しそうに湯気を立てた朝食をなんとか差し出す。

「あぁ。ありがとう。助かるよ」

ロルは微笑み受け取り、ポーリーはその言葉に嬉しそうな表情を浮かべる。

「い~え~仕事ですからぁ。あ、食べ終わったら、外に出しておいて頂けますかぁ? 後ほどまた、取りに上がりますのでぇ。よろしくお願いしますぅ」

受け取った食事を机の上に置き、ロルは頷いた。

「それではぁ。失礼しますぅ」

そう言って一礼をするとポーリーは扉を閉めた。そしてまた、パタパタと足をとを立てながら去って行く。本当に、妙に可愛らしい娘だ。

 ロルは笑いをこらえながら料理に手をつけた。昨晩随分と飲んだことを気遣ってくれたのかアッサリとした味付けになっている。それと、この国名産の果実の滋養酒"ミグル"。フェンサーリルのミグルと言えば遠隔地では相当な高級品だ。どうやらこれは昨晩のものとは違って酒分抜きのもののようだが。


 素早く食事を終え、残ったミグルを飲みながらロルは身なりを整えた。

ピアスと指輪くらいは構わないだろうとそのままに、長い金髪をいつものように三つ編みにし、準備が整うとロルは速やかに部屋を出た。

 下の食堂兼酒場は、昨晩とはうって変わって人影は少なく、数人の宿泊客が朝食を取っているのみである。それを横目に通り過ぎ「行ってらっしゃいませ」と言う丁寧な見送りに僅かに応えて宿を出、少し歩いた辺りで辻馬車を拾った。

 朝の通に闊歩する幌のない馬車上の彼は何かと人々の視線を集め、御者は「自分が見られているわけでもないのに妙に照れる」と笑いながら言った。

 街並みを見渡すと、路地裏には既に子供たちの姿。店の準備をする者や大きな荷物を載せた荷車。暖かな日差しの中の人々の生活が見て取れた。

 馬車は軽やかな蹄の音を石畳の路に奏でながら通を進み、やがて辺りが開けた。王城を間近に臨む広場――と言っても硬い地面の大通り沿いに所々に植えられた木々がちょっとした木陰を作り、側にベンチなんかが置いてあったりする、公園のような所だ。

馬車はその脇を通り、王城正面、巨大な門の前で止まった。

「ここでいいのかい? なんだったら城の前まで行くよ?」

御者は振り返り言う。

「いや、ここで十分だ。ありがとう」

ロルがそう応え、料金を支払い馬車を降りると、御者は手を振りながら街の方へと引き返して行った。


 王城一帯は高く厚い城壁に囲まれている。城壁内には城に付随する様々な施設、背後には庭園と温室、さらにその向こうの森には兵士たちの訓練施設が設けられているらしい。

 一見、堅牢な印象だが、門は広く開かれていて、僅か二名の衛兵が立つのみ。

 前に立ちふさがった二人に、ロルはにへらと笑み、

「おはようございます。今日もいい天気ですね」

なんとも馴れ馴れしいまでに親しみのこもった口調と笑顔を向けた。

その様子に衛兵は一瞬面くらい、それから表情を和らげる。

「えぇ……オホン。お城に用事の方だね?」

「そうです」

長身のロルと同じ目線で、一人の番兵が言い、ロルは答えた。

 そして入国時と同様の手続をして城門をくぐると、城へと向かう幅広く真っ直ぐな道、左右両側にはよく手入れのなされた庭園。それはまるで血生臭い戦いの歴史など知らぬかのような優美さ。

 フェンサーリルの建国はレバ=ガバーラの後随分と経った頃。

建国以来、大きな争いもほとんどなく長き安寧の時代が今も続いていると云う。

空を突く塔に、広場に面した大きなバルコニー、数多の窓に朝日が輝く白亜の城。

 城の入り口まで歩くと、ロルに気付いた兵士が敬礼をしてくる。

「ようこそ。フェンサーリルのお城へ!」

「初めての方ですね? 謁見の間までは彼がご案内差し上げます」

扉を押し開け、兵士は明るく言った。

なんと開かれた、悪く言えば無防備な城だろうか。

そのあまりの警戒のなさにロルは驚き、そう思わずにはいられなかった――。

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