014 - 扉の向こう。祭壇にて

「開いた……」

「……開きました……ねぇ……」

光が消えると共に、あの大扉は消え失せ、ぽっかりと開いたその向こうに新たな空間が広がっていた。ゲテモノも、化け物も、魔物も、飛び出してきたりはしない。セフィが危惧した様な「よくないこと」は何も起こらず、現れたのはむしろ静寂の支配する美しい部屋。

 高い天井の広々としたその空間には淡い、それでいて真昼の太陽のような明るさの光が湛えられていた。開かれた扉の入り口から、数段下りた辺りに、透き通った硝子かと見紛うような平らかな水が部屋全体に広がり、水面下や壁のあちらこちらには所狭しと輝く鉱石がひしめいている。

 視線を部屋の中央辺りに向けると、長い階段の上に祭壇らしき物を冠した小さな飛び石のような場所が浮かんでいるのが見えた。

「……」

「……」

アレスはそっとセフィの方を向いた。

「やりました、ね……!」

セフィもアレスの方を向き、嬉しそうに微笑んだ。

「あぁ……!」

アレスは力強く頷く。

「貴方の、おかげです……! ありがとうございます、アレス」

アレスがいなければ封印を解くことなど出来なかった。いくら感謝してもしきれないほどだ。

「そんなことッ……」

自分に向けられた、最上に美しい笑みに、アレスは思わず頬を赤らめた。実際、封印を解いたのはセフィだ。だが、少しでもその力になれたことがとても嬉しかった。

「本当に、ありがとう……」

そう言ってもらえるのが、とても嬉しかった。

「行きましょう……?」

促し、セフィはその部屋に足を踏み入れる。アレスは無言で頷き、足取り軽くセフィに続いた。

 白い石の階段を数段下りきるとそこは水辺、ほんの少し水面の上に突き出した、例えて言うなら簡素な船着場のようになっていた。

「あそこに目的のものがあるようですね……」

セフィはその先端に立ち、正面の祭壇を見据えて呟いた。

「そうみたいだな。……でも、どうやってあそこまで行くんだ?」

辺りには、アレスの髪の色よりも更に深い濃紺の水。深い深い水底は光さえ届かず、暗い色をしている。正面の長い階段上部に祭壇を冠した島に続く道、橋らしい物はなく、まして船なんてものがあるわけも無い。

「……泳げ、なんて……言わない、よな?」

不安げに自分を見、尋ねたアレスに

「大丈夫ですよ」

と、セフィは微笑んだ。

「!?」

出合った時に、少女かと見紛うたのが嘘のように思える、凛々しさ。

「あっ!?」

次の瞬間セフィは底知れぬ深さの暗い水の上に足を踏み出していた。

「セフィっっ!!!」

自らの発した制止の声が響き、アレスは思わずけたたましい水音と、水飛沫を想像した。

「……へ?」

しかし、水音も、水飛沫もなく、それよりも更に驚くべき光景が目の前にあった。

セフィは、水面に降り立ち、1歩、2歩、と足を進めていたのだった。黒曜石にも似た瑠璃色の水面に、セフィの足元から幾重もの波紋が生まれ広がってゆくのを見て、アレスは目を見張った。

「セ……フィ……?」

恐る恐る、静かなその背に声を掛ける。と、セフィはパッと振り返り、幼子のように微笑んだ。

「な……んで? ……これ、水……だよな……?」

アレスは思わずその水面に手を伸ばした。冷たい感触が、指の間までもを濡らす。

紛れもなく、セフィは水の上に立っていた。そしてゆっくりと、アレスの方に手を差し伸べる。

「どうなさいますか? そこで、待ちますか? それとも……」

「行くっッ!! けど……」

水の上になど、立てるわけがない。如何にしてセフィが水面に立っているにしても、そんなこと、アレスにはできるはずがない。

「大丈夫ですよ」

「……――」

不思議でたまらなかった。水面上に立つ術があるなど、知らない。

しかしアレスは、差し伸べられた手に、手を差し出していた。どんな術を用いているにしても、セフィの言葉は信用できたからだ。

 しっかりと手を握り、恐る恐る足を踏み出す。と、コトン、という硬い音が、足元でした。

「!?」

自分の足元からもまた、波紋が広がり、どこか不安定な浮遊感がアレスを支えていた。

「ね?」

セフィは屈託のない笑顔を見せる。

「……ッどう、なってるんだ!?」

「ッ……!」

詰め寄ったアレスの手に力がこもり、セフィは思わず顔をしかめた。

「あっごめっっ……」

慌て、手を放しかけ体がぐらつきアレスは咄嗟にまた、その手にすがった。

「クスクス……大丈夫ですって」

「……」

無言で首を振り、自分の手を今度は優しく握ってくるアレスに

「――そのままでも構いませんよ。――行きましょう……?」

そう言ってセフィは祭壇へと向かい歩き始めた。


「……それにしても……」

アレスは辺りを見回しながら言う。

「……不思議なところだな……」

声は、辺りに響き渡り、何度となく耳に届く。

足を踏み出す度々に水面に波紋が広がり、重なり、弾き合いながらどこまでも滑ってゆき、辺りは穏やかな光に満ちている。

「そうですね……」

「……おれにしてみれば今の自分の状況もかなり不思議なんだけど……」

言ってアレスはセフィの顔を覗き込んだ。

「そぅですねぇ」

「……そうですねって……どうやってんだ?」

「さぁ……? 一体どうなってるんでしょう……?」

セフィは前を向いたまま首を傾げた。

「水魔法?」

「さぁ……?」

「……セフィ、もしかして、おれのことからかってねぇ?」

「からかってなんていませんよ。……私にもわからないんですから……」

訝(いぶか)しげに尋ねたアレスに、セフィは苦笑しながら応えた。

「は?」

「……」

「どういう……」

「……そういうわけです。何故か、歩けてるんですよ。水の上を」

引き止められ立ち止まり、セフィは応える。

「……ワケがわからん」

「私もです」

やんわりと苦笑する、セフィのその表情に偽りは欠片も見られない。だが先程、水の上に足を踏み出した時のセフィになんら迷いも、戸惑いも見られなかったのも事実。

「……」

「なんとなく、いける気がしたんですよ」

ケロリとそう言われてしまい、アレスはもうそれ以上突っ込む気が失せてしまった。

しかしセフィにもまた、なぜあの時、すんなりと足が出たのか解っていなかった。本当に"なんとなく"いける気がしたのだ。

「……」

「……」

少しの沈黙の後二人は気を取り直して再び歩き始めた。

「……ところで、さ」

「なんでしょう?」

「さっきの、最後の封印の答。なんで"大地"だってわかったんだ?」

「あぁ、あれですか」

「……また『なんとなく』とか、言わない……よな?」

「言いません、って」

アレスの問いに、セフィはクスクスと笑いながら応える。

「まず、そうですね……彼らが探していたもの、つまりあそこにあるものですが……。あれは、ここにあらねばならないもの、というか……あれがあるのはこの場所でなければならない、というか……そんな風に書いてあったんですよ」

「?」

「と、いうことはこの場所に何らかの関係がある、ということですよね?」

「そう、だな」

アレスは頷く。

「それから、あの問いかけの最後の一文フレーズ……『我は回帰』……古い文献に『全てはこのホシの未来へと回帰してゆくのである……』といったような文がありましてね。かつて"ホシ"と"大地"が同じ名で呼ばれていた時代もあったんですよ。それを考えると答えは"大地"というわけです」

「へぇ……。で、も。さ? それだけで? 他のなんか"動くけど動かないもの"とかは? どういう関係が?」

「それ以外の事柄に関しては、そうですね――"動にして不動"……これはちょっと、最後までよくわからなくて……」

セフィは指先で眼鏡をついと持ち上げ苦笑しながら続ける。

「"猛きものと穏やかなるもの"――これは二通りの考え方ができると思うのですが、まず、貴方の言ったように『炎と水』……"猛き『もの』と穏やかな『もの』を『持つ』"と言っていますので、もちろんその二者は別物であり、その両方を持つ、というように考えられます。

……それからもうひとつ、"猛き"と"穏やか"を考えると……炎と水、だけでなく他にも、例えば風や海、山や大地や空に関しても言えることですが、それらは大概猛々しい面と穏やかな面を持っていますよね? ……人に安心感を与えるような優しい炎も、私たちに猛威を振るう水もありますし。

 つまりそれらはある特定の物質というよりそういう相反する側面を持つというようにも考えられます。

……私としてはどちらかというと前者のほうがしっくりときたのですが……。後者はこの後の言葉の導入的なものになっているようにも思えます。

 そして"生命の苗床"ですが"苗床"なんていかにも大地的な表現ですし、"屍の群れ"というのも……これも貴方の言ったように"墓所"……死したもの、屍はみな還ってゆく……『大地へ』――つまり、大地はそういった屍の群れによって成り立っている、屍の群れが、この大地を成り立たせているという考え方です。

 "与えるもの 奪うもの 育み滅ぼすもの"これも多くのものが考えられ、特定しにくいのですが"育む"というのは"大地"を形容するときによく使われる表現ですし、それから"基盤"……もし、文明の基盤と問うなら炎、物質の、であったなら元素なんかも考えられますがここまでに『生命』に関することが多く出てきていることから考えると、生命の基盤といわれる『ホシ』つまり『大地』というようにも考えられます。

まぁ、生命の基盤、根源は『水』だというような考え方もありますが、逆に文明の基盤を『豊穣の大地』だとも考えられますしね。

……終焉はまた、その逆。全ての終わるところ、といったところでしょうか」

「ふぅん……」

「これら全てをふまえて、答を"大地"だとして考えると……"動にして不動なるもの"……大地は、不動のものと思われていますし、私たちの目には動いていないように見えています。ですが、実際には常にほんの少しずつ『動いて』いると言われます。それにこのホシ自体、広大な『宇宙空間』を常に動いている、ともね」

「宇宙……?」

「そうです。……次に"猛きものと穏やかなるもの"これは先程言ったように二通りに考えられますが、『炎と水』としてみると、この大地の底には、常に対流を続ける、燃え盛る灼熱の炎のようなものがあるといわれますし、水……海は大地の大半を覆っています」

「そう、かぁ……」

感心したようにアレスは呟いた。

「そして、大地は"生命の苗床"……多くの生命は大地に生まれ、つまり命を与えられ、育まれる。それから、生き物は死ぬと大地に還る……その肉体(器)を奪う、大地へと還す、というか……つまり滅ぼす。基盤、であり終焉、終わり、です。全てのものはそうやって"回帰"していく……"大地"へ……――全ては大地の一部となるのです。……まぁ、これは『絶対的な心理』というわけではありませんし、こじ付けみたいなところもあるんですけどね」

セフィが苦笑し

「まぁ……そういうわけです」

「ほぉ……」

言い終わると、アレスが感心したように溜息を漏らした。

「スゲェなぁ……あの、ワケのわかんねぇモンからそこまで考えたのかぁ……――って、ことはあそこにはその"大地"があるってことか?」

「そぅ、でしょうねぇ」

「……? でもその"大地"って??」

「……解りません……」

セフィは申し訳なさそうに首を横に振った。

 思い当たる節が、ないこともなかった。だが、これまで見てきた資料の中でそれは、あまりに抽象的な表現ばかりをされていたため、"これ"と言える何か確実なものではなかった。

「ま、行ってみりゃわかるか」

アレスは疑問が解けてスッキリしたのか楽天的な笑みを浮かべた。



 少しして、部屋の中央に浮く祭壇の島に辿り着くと、アレスは固い地面の感触に、ホッと胸をなでおろしセフィの手を離した。目の前には緩やかだが随分な長さのある白い、石の階段。

二人はその階段を慎重に上りきり、辺りを見渡した。あちらこちらに輝く鉱石の光る、深く暗い色の湖の上、宝石の原石のような石に縁取られた、ほんの狭い空間。1歩、2歩と前に進むとすぐそこに祭壇というよりむしろ小さな宝珠を冠した石座が静かに佇んでいた。

「これが、"大地"……?」

アレスはまじまじとその、セフィの瞳の色より随分と濃い紫の色をした宝珠を覗き込んだ。

「そのようですね……」

「どう見ても、ただの宝珠なんだけど……?」

『ただの、だって?! 随分失礼な物言いじゃないさ……!』

ふと、何か、鈴の音のような声が耳に入った。

「ん? セフィ、何か言ったか?」

それに気付き、尋ねるが、

「え? いえ、何も……?」

セフィは、何も言わない、というように首を横に振る。

「気のせいか……。――ところでこれ、持って帰んのか?」

「……」

――どう、すべきなのでしょう……?

『ここまで来ておいて放っておく、なんてこと、するつもり?』

考え込んだ、セフィの心の内を見透かしたような言葉。

「? ……何か、仰いましたか?」

「へ? セフィじゃないのか? ……ってか、今の、聞こえた!?」

「聞こえ……ましたけど……?」

聞こえるはずのない声に二人は怪訝に思い、顔を見合わせる。と、

「あっっ!?」

突然、アレスが声を上げ、石座の方を指差した。

「!?」

驚き、セフィもそちらに目をやる。

「え……?」

するとそこには、先程まで静寂に沈んでいた宝珠が淡い光を湛え宙に浮かんでいた。 そしてゆっくりと現れる、それを支える小さな白い手。

『よくきたね……』

向こう側の風景がボンヤリと透けて見えるような余りに頼り無げな人型が、そこにあった――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る