013 - 我は何ぞ。汝、我が名を答えよ

 ここまで、たどり着いたのは初めてだった。詠唱を終えると同時に手の中の鍵は音もなく溶け、代わりに扉に嵌め込まれた黒い石に、更なる光が燈る。

「……」

「……」

二人は顔を見合わせた。

「……いけた、のか……?」

「そのようですね……!!」

恐る恐る尋ねたアレスにセフィはコックリと頷いてみせた。

「よかったぁ……!」

それを見てアレスは安堵の声を漏らした。肩の荷が下りた、とはまさにこのことだと。

「ありがとうございます、アレス。本当に……」

「え、いや……」

セフィが、あまりに嬉しそうに微笑むから、アレスは照れたように頭を掻く仕草をした。なんとも言えない達成感、満足感が込み上げてくる。

「あと、二つだな」

「えぇ。ここからは、私が……」

真剣な眼差しで言うと、セフィは青白い光を湛えた、薄い硝子の画面に向かった。

アレスの苦労を無駄にするわけにはいかない。なんとしても。

 片手に持った本の、栞を挟んだページを開き、そこに書かれた文字を確認すると

「『暗号パスコード入力』」

静かに、声を発した。するとそこに大量の文字が次々と現れてきた。セフィの眼鏡に、映った光と文字が反射し流れてゆく。そしてふっと画面が黒くなりその下の部分、地面に平行にもう一枚、今度は冷たい灰色をした、方眼模様に文字の入った硝子板が現れた。黒い画面には一定の間隔で点滅する白い小さな縦棒が、左端の方に映っているのみ。

「……???」

一体何をするのか、側で見ていてもアレスにはさっぱり予想がつかない。

「すみません、少し、持っていて頂けますか?」

「あぁ、うん。もう、いいのか?」

アレスは差し出された本を受け取り問うた。

「えぇ。覚えてますから」

「……」

――スゲー……

セフィは黒い画面に目をやったまま両手を灰色のそこにのせ

「これはね、詠唱でなくてこうやって、暗号を入力する方式になっているんですよ」

軽くそう言う。

まるで楽器の鍵盤でも弾くかのように両の手の指はそこに触れてゆく。

上下左右、絡まってしまうのではないかと思うような細かな動き。それとともに正面の黒い硝子板の画面には次々と見たことも無いような文字や数列のようなものが現れていく。

――初めての……はずなのに……?

アレスは思わず呆気にとられてしまった。

少しして、

「『入力完了』」

呟くようにセフィが何かを言ったかと思うと突然、耳に響く低い音がした。

「……っ!?」

セフィの手元にあった灰色の硝子板が消え、中央の黒い石がまた一つ、光を得た。

「……あと、ひとつ?」

「はい」

「で、次のは?」

「……"我は何ぞ? 汝、我が名を答えよ"……」

「へ?」

「いえ、そう書いてあるんですよ。ここに」

言ってセフィは黒い画面の白い文字を示した。

「"我"……って?」

「解りませ……――? え……?」

聞こえてきたあまりに抑揚のない、だがそれは確かに『声』だった。

「何て、言ってるんだ……?」

「……"我は動にして不動

 我は 猛きものと穏やかなるものを持つ

 我は生命の苗床 屍の群れ 

 与えるもの 奪うもの

 我は育み滅ぼすもの

 我は基盤

 我は終焉

 我は回帰"……と言っているようですね」

「……? 何のことだ?」

「さぁ……」

セフィは困ったような顔で黒い画面を見遣る。

「どっかに何か、書いてなかったのか?」

「書いてはあったんですが……ただ『主が声を聞き、問いに答えよ』としか……」

「……」

「……」

二人は顔を見合わせ、首を傾げる。

「何者か、って、自分で言ってるじゃねぇか、なぁ?」

「そうですねぇ……」

「やっぱ、何か一つのものを表すってことかな?」

アレスは腰に手を当て言った。

「おそらくは……」

「何か、心当たりは?」

「……」

アレスの問いにセフィは無言で首を横に振る。

「うーん……」

「……各々の事柄から思い当たるものを考えていくしかありませんね」

言ってセフィは時計に目をやった。十分にとは言えないが、時間はまだある。

「う~~ん……"動にして不動"って、動くけど動かないってことだよな?……ってなんじゃ、そりゃ?」

「意味がよくわかりませんねぇ?」

眼鏡を指先でついと持ち上げ、腕組みをして考え込む。

「で、"我は猛きものと穏やかなるものを持つ"……??」

「……」

「……?! っあっ!?」

「何か、思い当たるものが?」

声を上げたアレスにセフィが尋ねる。

「"猛きもの"って、"炎"だ。きっと。ほら、炎の魔法使うときの詠唱、『猛き力を……』みたいなこと言うしっ!」

「あ……!」

得意げにアレスは言い、セフィも感心したように頷く。

「"猛きもの""炎"ですか……。では穏やかなものというのは……――炎の反属性といえば"水"(氷)ですけど……」

「っ! それだそれだっ! きっと。うん。」

アレスは嬉しそうに頷く。

「――で、次は……」

「"屍の群れ 生命の苗床"……ですね」

「屍って、死体?……の群れって墓地、とか?――苗床……? 畑?」

「墓地、ですか……?」

呟くように言ったアレスにセフィは訝しげに尋ねた。

「え? いや、何となく……印象で、さ?……よくわかんねぇけど」

 そうして二人はしばらく意見を出し合い、考え込んだ。


 しかし、思い浮かぶものはどれも、何の関連性も無いようで、とても何か一つのものを表すようには思えなかった。そんな中、不意にアレスが、

「そもそも"基盤"って何のことなんだ?」

その場に座り込み、膝に肘を置いて顎を支えるような体勢のままセフィに尋ねた。

「"基盤"……物事の根源、基礎となるもののことですね」

「根源かぁ……」

「基盤……一体何の……?」

「う~~ん……」

「……生命……与える……育む……基盤……」

唱えるように、呟く。

「あーぁもぅ、わっかんねぇー……脳味噌限界……」

バッタリとその場に倒れ込みアレスは大きく息を吐いた。いくら考えても、答えらしいものが見つからない。

「屍……奪う……滅ぼす……終焉……回、帰……?」

だがセフィは、何かが見えてきている気がした。何か、そう、それはごく当然の。

「こぉーんな地下にこぉーんなモン作るやつの気なんて知るかってんだよ……ッたく……」

頭だけを起こし、扉を見遣った。大きく、荘厳な、金属とも石ともつかない材質の扉。そしてまた頭を落とし、天井さえ見えない真っ暗な闇を見詰めた。

「え……? 地下? 作った、人……?」

ふと、アレスの放った言葉に何かがひっかかった気がした。

「……! あぁ、そうか……!」

「へ? 何??」

突然、声を上げたセフィに、訳がわからぬままアレスは体を起こした。

「この封印だけは、ここを作った者によって施されたもの……そのままなんです。ほかのものは、どうやら設定しなおされていたようですが」

「? だから……?」

「ということは……思い出しました……! 確か、『最後の封印はその扉の向こうにあるものを表していた……そうなると、答えは簡単だ。扉の向こうには、ここにあるはずのものとは……』と、日記の方に書いてあったのですっかり忘れてしまっていましたが……」

セフィは申し訳なさそうに苦笑する。アレスはまだ、何のことだかさっぱり訳がわからず首を傾げる。

「ここに、あるもの?」

「そうです」

「? なにが、あるんだ??」

「ここは、どこですか?」

セフィは悪戯っぽく微笑み、アレスに手を差し伸べる。アレスはその手を取り、立ち上がりながら、

「どこ……って。地下。じゃないのか?」

「そうです。地下、というのは?」

「地面の下」

「大地の、中、ということ、ですね……?」

「? そぅ、だけど。……それが??」

「答えは"フィメレフェア"……"大地"です」

「は?」


――そう、我が名はフィメレフェア

  我は動にして不動

  我は 猛きものと穏やかなるものを持つ

  我は生命の苗床 屍の群れ 

  与えるもの 奪うもの

  我は育み滅ぼすもの

  我は基盤

  我は終焉

  我は回帰

  我は大地"フィメレフェア"――


セフィの放った言葉に、今度はアレスにもわかる言葉で、そう、応えが返って来る。黒い石に光が燈り、その光は深く美しい紫苑の色を帯びて扉全体に広がってゆく。

――汝、我を求めし知恵あるものか

――汝、我を求めしか

――さすれば進むがよい そして、我に触れよ

その瞬間、黒かった石は紫水晶アメジストの色を得て、更に輝き、弾けた。

「な、に!?」

溢れ出す光に、アレスは思わず叫び、二人は咄嗟に扉から目を背けた。

――我が元へ……

脳裏に扉の声がゆっくりと響いた――。

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