012 - 封印。呪文の詠唱

「――本当は、この封印を解いてよいものかどうかずっと悩んでいたんです……。

でも、解くことを決めた。私が。

封印を解くことによって何が起こるのか、わかりません。ですが、全ては私の決めたこと。

……だから、全ての責任は私が負います。

何が起ころうと、アレス、あなたは何の責任も問われません。また責任を感じることも、負う必要もありません。いいですね?」


 一度だけ読み合わせをし、準備を整えて扉の前に二人は立った。

 そして不意にセフィが、いつになく厳しい声でそう言ったのだった。

アレスは「手を貸すからには自分にも責任が」と言いかけたが、その強い意思の籠った瞳の前では素直に頷くしかなかった。

「ありがとうございます、アレス。それではよろしくお願いしますね」

「あ、あぁ……」

だが正直、扉の向こうにあるものへの好奇心ばかりで、何かよくないことが起こりうる可能性など考えもしなかったアレスは、セフィのその神妙な様子に思わずドキリとさせらた。

「そんなに緊張なさらないでください。……大丈夫ですよ」

ゴクリ、と唾を飲んだアレスにセフィはいつも通りの柔らかな表情で言う。

苦笑し、頷くアレスだが不安はそれだけではない。

――うまく、詠唱できるだろうか……?

呪文を覚えるのも、唱えるのも、得意な方ではない。足手まといに、なるかもしれない。自分がセフィの、決意の妨げとなるかもしれないという不安。

「……」

アレスの、その思いを察してか

「大丈夫ですって――あんなに、頑張って下さったのですから」

セフィは優しく、そしてどこか自信に満ちた笑みを浮かべた。

 古代クヌート語とは、かつて「世界の共通語に」と開発された言葉だった。だがあまりの難解さに、ほとんど広まることなくやがて使う者さえいなくなり、失われた―― 世界で最も覚え、習得し使いこなすのが困難だと云われる。

 たった数日間の練習、付け焼刃で覚え使えるようになるようになるものではない。正直、セフィはアレスがこんなにも短期間で唱えられるようになるとは思っていなかった。幾度かの失敗も考えに入れていた。しかしアレスは一旦それに取り掛かると、驚くほどの集中力を見せ、そしてあっという間に覚えてしまったのだった。

 2日前、一度セフィが「そろそろ試してみてもいいのではないか」と聞いた時はまだ納得がいかなかったらしく首を強く横に振って否定していたが、今回はアレスの方から「いける」と言ったのだ。

――大丈夫――。

「それでは――始めますね」

「……」

アレスは無言で頷いた。


 扉の正面、中央辺りに立ち、セフィはそこにはめ込まれた黒い石の様な物に触れた。すると、ヴン――という鈍い音と共に目の前にごく薄い硝子板のようなものが現れる。

「……?」

宙に浮いたそれは、先史時代の遺産と言ってしまえばそれだけのものだが、アレスにはその全てが不思議に思えて仕方がない。だがそれが何で、一体如何なっているのかセフィに問うたところで、その答えがあるにしろないにしろ自分にはおそらく理解し得ないものであろうと思い、何も聞かなかった。それに何より今はそんな問答をしている時間などないのだ。


――汝、我を求めしものか

――汝、我を求めしならば 我が前にその意志の力を示せ


 これもまた古代語で、そう映し出されたのを確認しセフィはその妙な硝子板に一つ、二つ、三つ……と触れる。その動作には幾度となく行ったであろう手馴れた様子が見て取れた。

そして静かに、第一の詠唱を始めた。

 キアッサ語とフェル語の混交文だとセフィは言っていた。


――歌ってる、みたいだ……。


その穏やかで美しい声が紡ぐのはまるで聞いたことも無いような言葉だったが、アレスはどこか懐かしいような心地よさを覚えた。

 手にした本に目をやることもなく空でセフィは長い詠唱を終える。

ホワン――という淡い音と共に黒い石に僅かな光が燈った。

「解けた、のか……?」

「えぇ」

アレスの問いにセフィはそこに映し出されたものに目をやったまま答えた。

その後難なく二つ目の封印も解除し、いよいよ三つ目に差し掛かった。

二人は頷き合い真っ直ぐにその硝子板の方を向いた。


『天にまします我らが神よ 創り主よ

 何ぞわれ見捨てたもうや……――』


重なり合う二つの声は、ぴったりと互いに寄り添いながら辺りに響き、そして頭の芯がジン――と痺れるような感覚はアレスの鼓動を高めた。


『我が生命(時)は神への祈りに満ち……――』


僅かに、声が震える。

一度の詠唱に掛かる時間と後のことを考えると、セフィのためにも、一度として失敗はしたくなかった。

――大丈夫。……貴方なら

――恐れないで……

セフィはそっとアレスの方を見遣り、微笑む。

その表情を見た途端、ストン、と何かが軽くなった。

自分の力を信じること……。

――いける……!

目の前に、まるで呪文書があるような、次々とページを捲ってゆくような、感覚。

一周、二周、そして三周目も終盤。


『救いたまえ……――』


その時フッと目の前に二つの銀色の鍵が浮かび上がった。

「!?」

詠唱を、続けつつも驚き、アレスは思わずセフィの方に目をやった。

「……」

セフィは頷き、鍵を手に取り正面の硝子板を指差した。そこには二つの鍵穴が浮かび上がっていた。

――詠唱を終えると同時に、二人同時に鍵を……

「っ……」

確かセフィはそのように言っていたと思い出し、アレスももう一方の鍵を手に取る。

そっと指し込み、


『見捨てたまうな』


目配せをし合う。


『……なんぞ、われ見捨てたもうや?』――。

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