007 - 地の底にて(後編)

 招かれ、セフィに続いて光に満ちた部屋に入ったアレスは、その空間の構造に思わず目を丸くした。天井の光源に照らされたそこはまるで、どこにでもありふれた住空間のようであった。

 入って右側に二段ベッド、正面には小さなテーブルと二脚の椅子。こじんまりとした食器棚には各々食器が二つずつ並べてある。

セフィは手に持ったランプの火を消し、壁にかけるとテーブルの向こうに立った。そこには炊事場らしきものがある。

「どうぞ。おかけください。……アレス?」

部屋の入り口で立ち尽くし怪訝そうにセフィを見詰める少年。

「なにか?」

「……もしかしてここに住んでんのか?」

「まさか。住んでいたら外に馬を待たせたりしませんよ」

「……だよな」

アレスは頷き部屋に入ると後ろ手に扉を閉めた。

「何か飲み物でも? それとも……」

「え?」

ぐぅぅぅぅ――……。

「あ……」

アレスに背を向け、湯を沸かす準備をしかけたセフィの言葉に、アレスの腹が答える。

「たいしたものはお出しできませんが、何か用意しますね」

セフィは赤面したアレスに振り返り微笑み、手慣れた様子で食事の用意を始めた。

「悪い……」

恥ずかしくなって声を落として言ったアレスに「お気になさらずに」と声を掛ける。そして席についたアレスに尋ねられ、セフィはこの部屋について説明した。

 それほど広さはないが一、二人が生活するには十分な広さ。換気口が四つほどあり、セフィが今使っているのは炎を使わない熱源。食器棚の向こう側に、綺麗な水の湧く泉と廃棄口ダストシュートがある。二段ベッド等の二つずつの家具、食器類は先人が残したもので、先史時代、この地下遺跡に生活した者達がいたのだと。

「ちょ、ちょっとまってくれ。生活してたって、水や熱源なんかはよく解らないけど分かった。けど、食料は? それに、今の、それ、とか……」

アレスはセフィの料理しているものを指して尋ねた

「これは私がこの遺跡に入る際に持ち込んだものです。先史時代は定期的に外部の人間が運び込み、あの、貴方が落ちてきた部屋、食料庫に保管していたようです。今よりもっと、保存技術が進んでいたんでしょうね。それなりに新鮮なものを食べていたようですよ」

「? 何でそんなこと分かるんだ?」

「記録が残ってるんです。……日記なんかもありましたし」

「ふ~ん。で、その、日記とか日用道具とかそのまんまでここにいた人はどこに行っちまったんだ?」

「……お亡くなりになっていたそうです……ここで……。日記の日付けはアル=ヴァレス暦が使われていましたからもう千年以上前に……」

「千年……」

「当然といえば当然ですけどね。食料庫の隅に二つ、今もお墓があるんです。以前ここの調査をしてらした方が言うには、一人が先に亡くなられて埋葬されていたそうです。もう一方は……僅かに人のいた痕跡だけだったそうですが、そのお墓に寄り添うようにして……あ、いけませんね、食事の前にこんな話を……。すみません……」

「いやおれは別に構わないんだけど」

「そうですか? でもあまり気分のよい話ではないでしょう?」

言ってセフィはアレスの前に料理を並べた。保存の効くパンを軽く焼いたものとバター、美味しそうに湯気を立てたスープ。

ぐぅぅぅ~――。

アレスの腹がまた音を立てる。

「どうぞ。お召し上がりください」

「いただきマッス!!」

アレスは関を切ったように食べ始めた。パンを頬張りスープを流し込む。久々の暖かい料理が喉を滑り下り、腹へと落ちていく感覚にうっとりしそうになる。

「こんなものでよろしければ、おかわり、ありますから、どうぞごゆっくり……」

セフィはポットを火にかけアレスの向かい側に座る。

「むぐっ……こんな、モノって、十分っ! ってか十分過ぎるくらい美味いって! あぁ、なんかこんなところでこんな美味いもん食えるとは思わなかったしっ」

「クスクス。それはよかったです」

セフィは微笑みアレスの食べる姿を嬉しそうに眺めていた。

少しして、アレスが3杯目のおかわりを平らげた後

「あ……」

はっとなってセフィを見た。

「? どうかなさいましたか?」

「いや、おれ、つい夢中で食っちまって……こんなに、よかったのかなぁって……」

「あぁ、そんなこと、構いませんよ。いつも十分過ぎるくらい持ち込んでしまって、今回も随分余ってきてたんです。もうすぐ出る予定だったので逆に助かります」

心配そうな表情を浮かべたアレスにそう言って微笑み、テーブルの上を片付ける。

「助かるなんて、いやホント、助かったのはおれの方だ。うん。ここんトコろくなもん食ってなかったし。……ありがとう」

「いいえ。どういたしまして」

「……ところで、なぁ」

食器を洗い始めたセフィに尋ねる。

「何でしょう?」

「さっきの話なんだけどさ。何でその二人は外に出なかったんだ? こんな地下深くで死んじまって。しかも、千年以上もの間、ここには誰も来なかったのか?」

「よくは分からないのですが……。外には、もう帰る場所が無くなってしまったと、ここでしか生きられないと……書いてありました」

「ふぅん……」

「長い間、ほとんど外に出ることなく、あらゆる文献、文書を読み解き、また自らも著しながら生活していた……遥か昔、今では遺跡となってしまったこの場所で……」

「遥か昔……かぁ……。でもそん時のものが今も使えるってなんかスゲェよな」

「そうですね。いったいどういう仕組みになっているのかは解っていないのですが」

苦笑し、セフィが言う。

「そうなんだ? で、そのアル=ヴァレス暦とか、先史時代って?」

「先史時代とはレバ=ガバーラ以前の時代、ウィッタード文明時代のこと、アル=ヴァレス暦は先史時代に使われていた暦法の一つです」

セフィはアレスに背を向けたまま答えた。

「ウィッタード文明……」

神と魔王の戦い――レバ=ガバーラ以前、高度な文明が発達していた時代だ。 アレスも、名前くらいは聞いたことがあった。納得して頷き、首の辺りでまとめた猫柳にも似たベージュの髪の揺れるセフィの後姿を眺める。その時フッといい香が漂ってきた。

「――どうぞ」

白いカップに琥珀色の芳しい香の紅茶を注ぎ、アレスと自らの前に置いて、セフィは席についた。

その香に誘われる様にゆっくりと口に含むと、口中に広がる渋すぎず、苦すぎもしない優しい味にうっとりとしてしまう。

「はぁ……」

ホッとした感覚が身体を包み込み、アレスは大きく息を吐いた。

「落ち着かれましたか?」

「あぁ」

セフィの問いに、安堵しきった表情で答えたアレスはこの時初めて、それまで眼鏡の硝子レンズ越しでよく見えなかったセフィ瞳を見た。

「っっ!!」

なんという色!

長い睫に縁取られたそれはまるで清らかな月光を浴びた紫水晶(アメジスト)。

なんという美しさ!

アレスは思わず言葉を失い目を見張った。

そのアレスの様子にはっとなり、セフィは

「あ……スミマセン……」

そう小さく言って俯くように目を伏せた。

「? 何が?」

アレスは怪訝そうに尋ねた。

「気味が……悪いでしょう……? こんな色の……」

「なんで!? どこが!?」

「魔性の、色……」

「っ!! ちがうっ! おれが、驚いたのは、あんまり綺麗だからっ!!」

セフィの言葉を遮り、身を乗り出してアレスは言う。そして思わず口をついて出てしまった言葉に赤面したまま硬直した。

「キ……レイ……?」

セフィは驚き、戸惑い呟いた。紫の瞳は金や赤と並んで魔性のものが持つとされる。それ故、見知った者でさえ直視を躊躇うことが多い。幼い頃から劣等感を抱き続けていたそれを目の前の少年は真っ直ぐに見詰めてくる。「綺麗だ」と……。

「っ……お、おれは、綺麗だと、思ったからっっ!……気味悪いなんて自分で言うなよっ!」

その、アレスの様子にセフィは思わず顔を綻ばせた。

「……ありがとうございます」

「……」

照れたように、アレスはカップに唇を寄せる。

セフィの表情はあまりに可憐で、美しかった。

「――そ、それでさ、セフィはどうしてここにいるんだ?……というか、何をやってるんだ??」

少しの沈黙の後、気を取り直して尋ねる。

「どうして、と言われましても……。教会の任務ですので」

「キョ―カイ??ってあれ?」

村や町に、必ず一つは存在する祈りの場がアレスの頭に浮かんだ。

「そうですが?」

「? でも、なんでまたこんな所に?」

「世界の文化、歴史等についてあらゆる文献、文書、知識などの収集・保管・管理を行っているのですが、ご存知ありませんか?」

「あっ!」

アレスはポンと手を叩いた。教会がそういう役割も担っていることを思い出したのだ。

「納得して頂けましたか?」

「あぁ。――じゃあさ、セフィって教会関係者なわけ?」

「はい」

答えたセフィの両耳で十字架クロスのピアスが光る。

「……でもいくら教会関係者だからって、なんでこんな女の人が……」

「女の人?」

セフィ眉をひそめは持っていたカップを置いた。

「そう。こんな危険な遺跡にいるなんてさ」

アレスは紅茶を口に含む。

「女性がこの遺跡に? 迷い込んでらっしゃるのですか……!?」

驚いた口調でセフィが尋ねると

「はぁ?」

頓狂な声でアレスが聞き返す。

「……今、そうおっしゃいませんでしたか? 女性がこの遺跡に、って」

「だからこんな、セフィみたいな、って」

「私のような?」

セフィは不思議そうに首を傾げる。

「そう」

「女……性……?」

「あぁ。だからそう言って……」

力いっぱい頷き、顔を上げた時、苦笑するセフィの表情がアレスの目に映った。

「何?」

「……女性に見えました? 私……」

「? 見えました、って? へ??……だって……」

「私は女性ではありませんよ?」

「はぁっ!?」

ガタン!!――アレスは思わず立ち上がった。椅子が大きな音を立てて倒れる。

自分の耳を疑い驚きの表情のままセフィをまじまじと見詰めた。

「女じゃない……ってじゃあ……オ……トコ……?!」

まだ信じられない様子でアレスが再度尋ねると

「間違われることもあるんですが……一応男です」

セフィは苦笑する。

「……」

アレスは言葉を失った。

「……そんなにも驚くことですか?」

「え……? いや……だって……」

確かに聖職者と言われれば物腰のしとやかさも、丁寧な言葉遣いも納得できる。だが何よりその容姿が、艶やかと言うには控えめすぎるが、質素というには美しすぎるのだ。長身のその背丈も、彼の姉もまた彼より高かったため気にはならなかった。

「?」

「……聞いてない……」

「言ってませんよ?」

「う……」

「普通、自己紹介で性別まで言うものなんですか?」

「いや、言わない……」

「……」

「――ごめんっっ、じゃ、なかった、すまんっ!! おれ、すっげー失礼なやつだよなぁ!? あ゛ーもーホント、すまん!!」

一瞬セフィを見詰め、アレスは頭を下げて自らの非礼を詫びた。

「そんなにお気になさらないで下さい」

セフィは複雑な表情を浮かべながら優しく声をかけた。アレスは顔を上げ、セフィを見遣り苦笑いを浮かべながら倒れてしまった椅子を戻しストン、と座った。

「……」

「……」

暫しの沈黙が辺りに漂う。

「……これから、どうなさいますか?」

沈黙を裂いたのはセフィの方だった。空になったカップを置いて徐に口を開く。

「確か、森で道に迷ったていたと、そうおっしゃいましたよね?」

「あ、あぁ」

「もし、お急ぎでないのでしたらフェンサーリルまで」

「フェンサーリル!?」

アレスはその名に思わずセフィの言葉を遮リ、身を乗り出した。

「えぇ」

「そこ! おれ、そこに行こうとしてたんだっ!」

言って思わず懐からボロボロになった、マハラの宿の主人に書いてもらった地図を取り出す。

"王都フェンサーリル"――そこには確かにそう書いてあった。

「そうですか。それはちょうどよかった。もし、よろしければ御一緒に……」

「いいのかっ!?」

「えぇ」

嬉しそうなアレスの表情に、セフィはやんわりと微笑んだ。

「ただ……まだ少し、やり残していることがありますので、少々ここでお待ち頂く事になりますが」

「待つ待つっ! いくらでも待ってるって!それより本当にいいのか? おれなんかがいて迷惑じゃないか?」

「そんな、迷惑だなんてとんでもないですっ。勿論構いませんよ」

「っ! ありがとうっ!! ホント、スゲー助かる!」

アレスは、セフィの言葉に飛び上がって喜んだ。絶望的な状況から一転、目的地への確かな道が開けたのだ。

「そんなにも喜んで頂けて……よかったです」

その様子を見守っていたセフィもまた心から嬉しそうに言った。

 そうしているうちに、アレスは自分の体に疲労感が染み入ってくるのを感じた。空腹が満たされ、また心配事が解かれた安心感から、押さえ込んでいた睡魔が目を覚ましたのだ。

 その後、一、二言話しながら大口を開けてあくびをしはじめたアレスに、

「随分とお疲れのようですね。休まれますか?」

セフィはカップを片付けながら問うた。

「ん~~」

既に重たくなってきた瞼に、セフィの声が心地よい。

「私の使っているベッドでよろしければどうぞ、お使い下さい」

「……いい……のか……?」

「はい。どうぞお構いなく」

セフィに言われ、アレスは頷き礼を言うと何度もあくびをしつつベッドに向かった。外套(マント)やブーツ、汚れた邪魔な服を脱ぎ捨てベッドに倒れこんだアレスは遠ざかる意識の中、微かなセフィの声を聞いた。

「――私は奥の部屋にいますので、何かあればそちらへ来て下さい。それから……」

「……」

返事をする間もなく、アレスは深い眠りへと落ちていった。

 すぐに聞こえ始めたその寝息に、セフィはよほど疲れていたのだろうと思い口を噤んだ。

この遺跡の幾つもの分かれ道、迷路で、この少年がどのような道を辿ってきたのかは知る由もなかったが、何れの道にせよ、その過酷さはセフィもよく知ってのところだった。最短経路を辿っても、2日は掛かる。しかも途中に休めるところなど無いに等しい。

――本当に、よくここまでたどり着いて下さいましたね……。

セフィは呟き、アレスが落ちてきたときのことを思い出した。

 奥の部屋――書庫室でいつものように作業をしていたセフィは、そう遠くない場所で轟音がしたのを耳にし、半ば飛び出すように部屋を出た。そして駆けつけてみるとそこに、幾層分かの床と天井の瓦礫と共に、ひどい怪我をした少年が倒れていたのだった。全身を強く打っており、あちらこちらに裂傷、肩と両の手からは鮮やかなまでの血が滴り、痛々しかった。

――何故こんな所にこのような少年が?

そう思うより先に、セフィは少年に手当てを施していた。顔面は蒼白、熱が出ていなかったのが幸いだったが、瀕死の状態だといってよいほどだった。

『遺跡を荒らす賊による盗掘も多い。くれぐれも素性の知れない者や不振な者とは係わり合いにならぬよう。いや、でき得ることなら速やかに排除せよ』

そう、教えられていたが、フェンサーリルからの道中、一度としてそのような者はおろか、如何なひととも出会うことは無かった。

"排除せよ"とは何を意味し如何することなのか、十分に解ってはいたが、セフィにはそんなことができるわけも無かった。何より、この少年――アレスからは、邪気の欠片も感じられなかった。

――それにしてもおかしいですね……あの木は見えなくしていたはずなのに……

自らの馬を繋いだ木に施した魔法が、この少年には効かなかったらしい。

――不思議な……ひと……。

そして話し過ぎてしまった自分に呆れてしまう。

だがアレスの、その好奇心に満ち満ちた瞳で尋ねられると何もかも話してしまいたくなる。

――陛下と同じ、ですね……。

まるで宝物を見つけた子供の様。

覗き込んだアレスの寝顔は穏やかで、無垢な少年そのものだった。

――……大丈夫……

――……一体何を疑えというのでしょう?

――大丈夫……信じられる……

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