第4話

 アロと幼い兄妹が、絡み合って転がっている。隆臣は荷馬車の縁に座りながら、その様子を眺めていた。

 共に旅をしているうちに、アロは兄妹の兄貴分になっていた。挫いていた足もまともな治療を受けて、漸く一人で歩けるようになり、最初に見せていた警戒心も薄れたようだ。野宿の準備を手伝ったり、桂真ら兄妹の面倒を見たり、積極的に働いている。

 桂真と桂桂とは、まるで本当の兄弟のようにさえ見えた。元来、責任感の強い性格で面倒見も良い。これまでの借りを返すと言わんばかりに、隆臣の世話まで焼きだしたので、これは流石に辞退したほどであった。

「楽しそうですね」

 隆臣の隣に腰掛けた袁淑が、声を上げて笑った。

「心配してたんですけど、馴染めたみたいで、よかったです」

 隆臣は、一行の用心棒として同行している。この先に待つ関所を潜り抜けるため、そういう設定にしようと袁淑が提案したのだ。ただの口裏合わせだったが、隆臣自身、他の事ではほとんど役に立ちそうもなかったので、進んで剣を振るう事にした。

 袁淑の部下で最も腕の立つ沈刹と、昼夜を分けて見張りについた。隆臣は深夜、沈刹は昼の番をする。これは、沈刹と話し合って決めた。隆臣自身が志願したという事もあるが、沈刹は隆臣が人との対峙になれていない事と、夜ならば獣除けの葉を焚く事ができるという事を考慮したようだ。

 獣除けは刺穀という、棘のある柑橘系の植物の葉を乾燥させたものだった。人の手で育てる事は難しく、手間暇かけて漸くできあがるものなので、大変に高価なのだが、世界を旅していれば、そんな植物の自生する場所も見つかるのだと、袁淑は笑った。

 刺穀は十分に効力を発揮し、それは隆臣を追う魔獣にも効いていた。煙が届く範囲は、確かに安全だった。ただし、そこから一歩外れれば、夜行性の獰猛な獣と隆臣を追う魔獣たちが待ち受けている。毎夜、周りを取り囲む獣たちを迎撃する事が、隆臣の日課になりつつあった。夜の間は放っておいても害はない。しかし、明け方、移動のために焚き火を消し、煙が拡散すると、途端に襲ってくるのだ。

 二回ほど、沈刹と二人でそれらを撃退したが、一行を守りながらの防衛戦は困難を極めた。何しろ守る側より、守られる側と襲う側の数が、圧倒的に多いのだ。自分に向かってくる敵を相手取っている間に、袁淑らが追い詰められているという事が何度もあった。警戒するアロの呼び声に反応して、何度も引き返しながら、漸く殲滅できた。襲い来る最後の一匹を切り伏せた隆臣は、しばらくの間、立ち上がる事すらままならなかった。

「隆臣さんも。まさか、あれほど腕が立つなんて、驚きましたよ」

 袁淑が隆臣の腰にある剣を横目で見る。一行の全員が、その剣を抜こうと試したが、誰一人として抜剣する事は叶わなかった。魔獣たちを撃退した後、わざと剣を鞘へ収めず、抜き身のまま沈刹へ渡しても、何一つ切る事ができなかった。

 隆臣ですら、敵を前にしなければ、抜剣できない。敵が目の前にいて、殺意を向けられているときにだけ、力は発現する。条件さえ揃えば、剣は自然と隆臣の手に馴染んだ。あえて身構える必要はなく、導かれるままに身体を委ねるだけでいい。そして、それはただ一人、隆臣だけにしか成し得ない業だった。

「不思議な剣ですね。貴方にしか扱えないなんて。その上、この剣を握れば、剣の心得のない貴方が、修羅か羅刹のように強くなる。貴方と剣、一人と一振で一人前なのですね」

 もともと隆臣の物ではなかった。自分を召喚した女が、首飾りとともに与えた力だ。なんとはなしに、首元へと手が伸びる。運が良かった。守ってくれる物があり、人がいる。縋るものがある。この剣がなければ、隆臣はこうして、子どもたちが戯れる様子を眺める事など、できなかっただろう。

 茶色の羽毛に土や木の葉をつけて、アロが転がっている。そこへ桂真が飛びついた。桂桂も伸し掛るように後を追って、さらに転がる。弾けるような笑い声が、森を揺らした。

「アロ、ほどほどにしておきなよ。まだ完治ってわけじゃないんだから」

 隆臣が呼ぶと、アロは戯れるのをやめて、こちらへ寄ってきた。その後を、桂真らが一列に並んで追いかけてくる。立ち止まったアロの背中にぶつかるようにして、桂真が抱きついた。さらに、桂桂がその背に飛びついて、アロは勢いに押されて前のめりになっている。

「なんの話してるんだ?」

「隆臣の剣の事を話していたのですよ」

 袁淑が答えると、それまでアロにしがみついていた桂真が、翼の間から顔を出した。

 よく表情が変わり、愛嬌のある桂真の顔から、表情が抜け落ちたようになる事が稀にあった。今、桂真はそういう顔をしている。

 剣が原因だという事は、隆臣にも分かっていた。桂真は隆臣にもよく懐いていたが、剣を抜いている間は傍へ寄ろうとしないのだ。刃物が苦手というわけではない。食事の用意を手伝って、小さなナイフを使っているところを見た。隆臣の剣だけが、桂真の気に障るのだ。

「僕、その剣、嫌いだ」

「これ、桂真」

「あ、待て!」

 聞き間違いかと思うほど小さな声で、桂真は初めてその意思を明確にした。窘める袁淑と、引き止めるアロの声、そして何より目の前で困った顔をして笑う隆臣から逃げるようにして、桂真の背中は遠ざかっていく。

「兄ちゃん、気にするなよ!」

 そう言い残して、アロは桂真を追いかけていった。すぐに追いついて、桂真の頭を抱え込んでいるのが見える。

 アロが桂真を構っているのを眺めていると、視界の端に小さな掌が見えた。桂桂が、隆臣に向かって腕を伸ばしているのだ。腕を広げて、抱き上げられるのを待っている。少しだけ表情が優れないのは、兄の態度を心苦しく思うからだろう。

 隆臣は桂桂を持ち上げ、膝の上に乗せた。幼い手が、隆臣の胸元の服を一生懸命に掴んだ。

「隆臣お兄ちゃん、ごめんなさい」

「気にしないで。桂桂は、大丈夫なの?」

 桂桂は遠慮がちに首を振って、否定した。

「その剣、すごく怖いの」

 縋りつき、剣を視界に入れないようにしながら、桂桂は掠れた声で言った。

「その剣ね、何かいるよ」

「いる……? どういう事? 何がいるの?」

「怖いものだよ」

 隆臣が背を撫でてやると、桂桂は身体を丸めて寄り添ってきた。腕の中で、小さな身体が震えている。それ以上の事を、聞き出そうという気にはなれなかった。恐怖し嫌悪する対象について聞き出す相手として、桂桂はあまりに幼く、脆い。

「話しても良いのですね、桂桂?」

 様子を見守っていた袁淑が、隆臣の胸元に顔を埋める桂桂を覗き込んだ。桂桂が僅かに頷いたのが、身体を通して伝わった。

 それを確認した袁淑は、体勢を戻して一つ溜息を落とした。

「では、私が代わりにお話ししましょう」

「お願いします。桂桂、怖いのなら、アロたちのところに行ってていいんだよ」

「大丈夫」

 こうして傍に寄り添っていなければ聞き取れないほど、微かな声で桂桂が返事をした。

 隆臣が桂桂を抱き直して、聞く構えに入ると、袁淑は語りだした。

「この子らがはぐれだというのは、前にお話した通りです。二人同時に召喚され、主によって大事に育てられました。親代わりである召喚師の最期を看取って、この子らは孤獣になりました。どのような形であれ、召喚師がいなくなってしまえば、もう帰る術はありませんから」

「召喚師は桂桂たちを送喚しようと思わなかったんですか?」

 袁淑は深く頷いた。

「正しく。そうしなかった理由がある。そして、それこそが貴方の剣に対する、恐れの所以なのです。この子らは、望まなかった。故郷へ帰る事を」

 袁淑が桂桂へ向ける視線は、慈しみに満ちている。

「どうして、ですか?」

 隆臣が聞くと、桂桂のしがみつく力が強くなった。

「桂桂、怖いなら耳を塞いでおきなさい」

「うん、そうする」

 弱々しい声で答えて、桂桂は小さな手で己の耳を塞いだ。上から包み込むようにして、隆臣がその手を覆うと、表情がいくらか和らいだようだった。

「この子らはキカイから召喚されました。キカイというのは、妖怪や鬼、そしてそれらを抑え、人々から畏怖される神々の住まう世界です。ゼクスアルシュを取り巻く三界で、唯一人間の住む世界でもあります」

 鬼、妖、そして神々の世界、鬼界。

 隆臣も何度か耳にした言葉だ。ここで漸くその意味を知り、孤獣の時と同様に、脳内で自然と漢字が当てられた。

 役人が隆臣を鬼界の出身と勘違いしたのは、他に人の住む世界がないからだろう。

「二人の故郷は山深くにある小さな村でした。人と妖怪、神々の共存する鬼界の中でも、そういった村々は特に信仰が厚いと聞きます。桂真らの村も、例に漏れず、古くから蛇神を祀っておりました」

「蛇の神様ですか。なんだか恐ろしげですね」

「正しく祀り、良い関係を築く事が出来れば、恐れる事はありません。しかし、やり方を間違えれば、神はそこらの妖しとは比べ物にならぬほど、厄介な存在にもなりうるのです。小さな村では、独自の方法で神々との関係を築いている事も多い。情報が入りづらいせいで、自分たちのやり方が邪道だとは夢にも思わないのでしょう。間違った方法のまま、何百年と祀り続け、神を大妖に堕としてしまう村も少なくないと聞きます。桂真らの生まれた村も、そういった信仰を行っていたそうです」

 袁淑の話はどこか現実味を欠いた状態で、隆臣の耳に届いていた。妖怪や神といった存在に、理解が及ばないからだろう。もしかすると、昔は日本でも似たような村があったのかもしれない。しかし、現代日本で育ってきた隆臣には、やはり想像し難かった。

「その蛇神信仰と剣に、何か関係が?」

「隆臣さんは、寄り代というものをご存知ですか?」

「神様とか幽霊とかがとり憑く、物とか人とかの事ですか?」

「そうです。この子らの村では、剣に宿った大蛇を土地神として祀っておりました」

「剣を寄り代に?」

「そして、村では年に一度、重要な儀式があった」

「その儀式で、剣が使われていたんですね」

「察しが良いですね、隆臣さんは」

 袁淑が瞳に仄暗い悲しみを宿し、不器用に笑った。その儀式で、桂桂たちは心に深い傷を負ったのだろう。恐らく、蛇神の剣によって。

 これ以上、この事について聞く気はなかった。人の過去に踏み入るには、それ相応の覚悟が必要だ。桂兄妹のように複雑な事情がある場合は、特にそうだった。他人と円満な関係を築くには、相手の傷に触れず、決して背負わずにおく。耳に心地よい言葉をかけるのが、無難なやり方だと、隆臣は思う。

「もう、これ以上聞くのはやめておきます。桂桂もかなり辛いみたいだから」

「そうですか。桂桂は、貴方になら話してもよい、と思っているようですが」

「無理をさせたくないんです。俺なんかに話しても、どうにもならないし。桂桂、もう大丈夫だよ」

 貝のように固く耳を覆う桂桂の手をとり、隆臣は微笑んだ。蘇った恐怖に怯える瞳が、不安げに揺れながら見返してくる。

「安心して。もう二人の前で、この剣は使わない。昼間はなるべく、目に付かないところに置いておくよ」

「本当に?」

「本当だよ。俺は桂桂たちの嫌がる事、したくないから。さあ、アロと桂真のところに行こう?」

「はい」

 隆臣は包んでいた手を繋ぎ直して、桂桂を立ち上がらせた。アロたちの方へ、桂桂の歩幅に合わせて歩く。

 桂桂は、素直に自分を慕ってくれている。その思いを、無下にする事などできない。

 アロと桂真が、また土の上を転げまわっている。

「薄情なお方」

 遠ざかる背を見つめ、溜息とともに吐き出された袁淑の言葉が、隆臣自身の耳に届く事はなかった。

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