第3話

 窓から朝の陽光が射すまで、隆臣はベッドに座っていた。

 ここはどういう世界なのだろう。

 事故に遭って、女の手に導かれ、光を通ってこの世界へ来た。隆臣は事故で死んだのか。この世界は、死後の世界なのか。

 では、あの女は何者だろう。女の周りにいた獣、追ってくる獣、あれらはなんだ。こちらの世界の生き物だろうが、どうして夢の中で見た連中と似ているのか。

 隆臣が生まれてからずっと、あの夢を見続けているのは何故だ。

 どうして女は隆臣をこの世界へ喚んだのだろう。命が狙われているというのが、理由だろうか。それとも彼女の話さなかった事情の中に、隆臣をこちらへ喚ぶ理由があって、そのせいで命を狙われているのだろうか。

 こちらに来てから、隆臣には分からない事だらけだった。己の状況すら把握できない。考えれば考えるほど、思考は泥沼へはまっていくようだ。

 あの女はどうしただろう。守ると言っておいて、なぜ迎えに来ないのか。彼女らに何かあったのだろうか。それとも、来る事ができない理由があるのだろうか。

 隆臣には彼女以外に頼る相手がいない。それで、よりいっそうこの状況が困難に思えた。

 そもそも隆臣はなぜ命を狙われているのだろう。しかも、あんな現実離れした獣の群れに。

 女は主を探せと言った。主とはなんだ。シモンの話では、召喚された者は召喚師に仕えるという。しかし、女の口ぶりでは隆臣の主は他にいて、それは女の主でもあるという様子だった。彼女は確かに「我らの主」と言ったのだ。もちろん、隆臣には誰かを主として仰いだ覚えなどない。

 それでも、と隆臣は強く胸の中にある剣を抱きしめた。

 探さなければならない。彼女と、その主を。



 太陽が完全に昇りきった頃、シモンに呼ばれた。迎えが来たのだ。

 抱えたままだった剣とサイドテーブルのボディバッグを手に、重い足取りで寝室を出る。

 シモンは玄関の前で待っていた。隆臣が出てきたのを認めると、テーブルに視線を移した。

 そこには包みが用意されていた。何かふっくらとしたものが、布に包まれている。少しだけ広げて中を確認すると、それは隆臣がこちらへ来るときに着ていた服だった。土や埃で汚れ、ところどころ裂けてしまっていたはずだが、着る事に抵抗がない程度には綺麗に修復されていた。

「それはお前さんのだ。今着てるのはやるから、持ってきな」

「そうですか……」

 とても礼など言えなかった。シモンの持つ服は少ない。それでも、隆臣がどうなろうと、この男にはそれなりの金が入ってくるのだと思うと、目を見る事すらできなかった。それだけシモンに期待していたという事だろう。大きな失望が、胸の裡を濁しているのだ。

「迎えが来てる。出な」

 シモンが戸口を開けると、建て付けの悪い扉が高く軋む。その音が、酷く不愉快に聞こえた。

 全ての荷物を持ち、シモンの隣りを通り過ぎて家を出る。目を合わせる事も、挨拶を交わす事もない。

 久しぶりの日光に目が眩んだ。痛いほどの刺激だ。空を見上げると、清々しい晴れ模様だった。

 家の前の道に、馬車が停まっていた。二頭の馬に荷車を繋いだだけの簡易な馬車に、御者と役人らしき男、そして子供が座っている。

 子供は男の隣に静かに丸まって座っている。薄汚れたローブを羽織り、フードを深く被っていた。そのせいで表情は見えず、少年なのか少女なのかは分からない。それでも布に包まれた体は小さく、幼い事だけは分かった。

 役人風の男はシモンや御者より上等な衣服を身に付け、小綺麗な格好をしていた。城からの迎えという事は、やはり役人なのだろう。彼は隆臣に気づいて、馬車を降りた。

「荷を検める」

 役人は横柄な態度で、隆臣からバッグを奪った。中身が一つ一つ取り出され、荷車の上に並ぶ。罪人にでもなった気分だった。

「なんだ、これは……? がらくたばかりではないか」

 役人は携帯電話や音楽プレーヤーを一通り触ったが、電源の入れ方も分からないようだった。分かったとしても、充電の切れたそれらはなんの反応も示さないだろう。怪訝な表情のまま、全ての荷物を確かめ終えると、バッグだけを隆臣に押し付けた。

「えっと……」

「特に没収となる物はない。片付けよ。飾りとは聞いているが、念のためその剣も検めさせてもらうぞ」

 隆臣は納得できないまま、男が散らかした荷物を片付けた。

 手伝う様子など微塵もなく、役人は隆臣から受け取った剣を入念に調べている。男は剣を抜こうとしたが、やはり柄が動く気配はない。

「届けと違いはないようだな。さあ、乗れ」

 役人は隆臣に剣を返すと、さっさと馬車に戻ってしまった。元の位置に座ると、何やら帳面に書き付け始める。片付けを終えて隆臣が乗り込むと、御者に一言、出せ、とだけ命令を下した。

 車輪を騒々しく軋ませながら、馬車はゆっくりと動き出した。隆臣が抜け出してきた森とは反対方向、住宅が密集している方へと進んでいく。道は舗装されておらず、馬車は小石を弾いたり、拳ほどの石を轢き、歪んだ音を立てる。凸凹の激しい道のせいで、酷く揺れた。畦道を直進し、住宅地に入っても、道は相変わらず荒れたままだ。家々の間をすり抜けるように、細い道を進んでいく。

 左右に並ぶ家はどれも壁が白く、屋根が赤い。白壁は細道を少しだけ広く見せている。統一された外観は汚れ以外に特徴もなく、その風景は同じ写真を何度も複製し、貼り付けているようだった。人通りは少なく、それがまた写真か絵画の中にいるような気分にさせる。

 人影はほとんど見当たらない。家の中に気配を感じるだけだ。その気配すらも、五軒に一軒感じられる程度のものだった。中には人が住んでいる様子すらない家もある。

「つまんない村だなあ。兄ちゃんもそう思わない?」

 言ったのは、役人の隣りで丸くなっていた子供だった。話し方や声でやっと少年だと分かったが、その表情は相変わらず伺えない。フードを被っているせいで暗い印象を持っていた隆臣には、そのやんちゃな話し方が予想外だった。

「そうだね。人が見当たらないけど、住んでないのかな?」

「人がいないのは当たり前だよ! 兄ちゃん、もしかして来たばっかり? 俺と同じで脱走したのかと思ったよ」

「おい、黙っていろ」

 身を乗り出した少年は役人に首根っこを捕まえられて、渋々元の位置に戻る。その反動でフードが落ちた。

「えっ……!」

 フードから現れたその顔に、隆臣は驚愕の声を上げた。これでもかというほど、自分の目が見開かれているのが分かる。目が乾燥してしまうのではないかというくらいに、その少年を凝視した。

 隆臣の声に驚いたのか、彼も隆臣を見返している。困惑した様子で見上げてくるその顔は、隆臣が知る人の顔とは、かけ離れていた。

 人の顔ではない。鳥だ。丸く形の良い頭部に、大きく愛嬌のある褐色の目がついている。顔は羽毛で覆われていて、換羽期なのか、白色の幼羽と茶色の成鳥羽が混じっている。そして何より目を引くのが、その鋭い嘴だ。黄色い嘴はぐっと下に尖って、その先は黒い。幼くともはっきりと、猛禽類のそれだと分かる鋭利さがあった。

「な、なんだよ……」

 少年はそのまん丸と大きい目を泳がせて、隆臣から距離をとった。

「君は、いったい……? それ覆面か何か……?」

「は? 何言ってんだよ、兄ちゃん。俺は獣人だよ」

「じゅ、獣人?」

「知らぬのか? キカイの出身だと聞いていたが。それとも学がないだけか?」

 役人は帳面と隆臣を訝しげな顔で見比べた。シモンがどう届出たのか、隆臣には知る由もない。役人は帳面の訂正をしているようだった。

 キカイ……シモンたちの会話にも出た単語だ。ただし、隆臣にはそれがなんなのか分からない。ある場所の事を示すというのは分かった。国の名前か、領地の名前か。そこまで考えて、どうせ分からないと諦めた。どうでもいい事のように思えたのだ。これから自分がどうなろうと、どうしようと、そのキカイに行く事は恐らくないだろう。どこで働かされるのかは知らないが、そのキカイが自分のような召喚された者の生まれる場所ならば、みすみす故郷へ返すような事はしまい。

「キカイでないとなると……まさか、ヒカイか」

 しばらく考えた後、役人は合点がいったように呟いた。帳面にさらに何か書き付けている。

 再び聞き覚えのない単語を出され、隆臣は困惑した。役人には説明をしようとする様子がない。仕方なく諦めて荷車の淵にもたれると、視界の端で少年がこちらを見ているのを感じた。

 鳥の少年も驚いたようで、一度引いた身をまた乗り出していた。その目は好奇心に満ちている。

「珍しい! 兄ちゃん、ヒジンなんだ? そっか、だから俺の事見て、びっくりしちゃったんだな! ヒカイには獣人いないんだもんな」

 少年の目が細くなって、笑い顔のようになった。

「あの、ごめん。そのヒカイとか、ヒジンって何?」

「ヒカイはなんだかよく分からない世界で、ヒジンはそこから来る人の事!」

 少年の説明では分からなかった。補足を求めて役人を見るも、説明してくれる様子はない。

 そうしているうちに、馬車は村の出口まで来ていた。隆臣が入ってきた場所と同じように木の柵が立てられ、村外へ続く道の部分だけぽっかりとそれが途切れている。その脇には中年の男が控えていた。御者が手綱を引いて馬車を停めると、男は小走りに近づいてきた。

「お疲れ様でございます」

 男は一瞬だけ隆臣に視線をやってから、役人に向けて言った。聞き覚えのある声だった。

「ご苦労。正式に届けが受理されたら、書類を送る」

 役人と男は少々の間、事務的な手続きの話をした。その間も、男は幾度となく隆臣を盗み見ていた。

 男の視線に同情の色が混じっているのを感じる。そこで隆臣は、ふと思い出した。彼の声は、昨日シモンと家で話していた者の声と同じなのだ。そして、それに気づくと最早そんな事は、どうでもよくなってしまった。同情されていると思うと、心が冷めていく。気分が悪かった。そんな顔をするくらいなら、助けてくれればいいのに。そうはしてくれないのだ。

 打ち合わせを終えた役人が戻ると、馬車は再び動き出した。木の柵の間を抜け、村を出る。街道に沿って、目前の山へ向けて真っ直ぐに進み始めた。

 隆臣は来た道を振り返った。村は徐々に遠くなり、見送る男の姿も小さくなっていく。なんの感想も抱く事なく、隆臣はその光景から視線を外した。

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