第3話

 午前中はツアーに参加して有名な観光スポットを一通り巡り、午後はフリーという日程だった。歩き回れるよう、あえて自由時間の多いツアーに申し込んだのだ。

 ツアー客全員での昼食を終え、隆臣たちは街に繰り出した。ロンドンの街には、統一感がある。石と煉瓦の建物から、格式高い美しさを感じられた。日本とは大きく異なる西洋の風景は、歴史的であり幻想的でもある。

 旅行前に隆臣たちがインターネットで調べた際、ロンドンでは悪天候が続くとあったが、今日は青く透き通った空模様だった。まさに観光日和で、外に出ている地元民も多いようだ。

 街並みを楽しみながら散策していると、一軒の店が隆臣の目に留まった。

 そこはアンティーク雑貨店のようだった。酷く古びた様子の建物で、ビルの合間にひっそりと佇んでいる。砂で汚れた窓の向こうに、ナイトが欠けたチェスのセットや破れたトランプ、異形の置物など、およそ用途の分からない品物が乱雑に置かれている。

「おい、どうした、タカ?」

 先を歩いていた長坂が、立ち止まった隆臣に気づいた。

「この店、寄ってもいいかな?」

「いいけど、そこ店だったのかよ。よく気付いたな?」

「うん、なんとなく寄りたくなってさ」

 なぜ立ち寄る気になったのか、隆臣にも分からなかった。アンティークが趣味というわけではないのだ。ショーウインドウの中に惹かれる品があるわけでもない。ただ店に目がいって、入らなければと、半ば義務に近い感覚があった。素通りする事ができなかった。

「村瀬、森田、タカがここ寄りたいって!」

 長坂が先に行った村瀬たちを呼び戻す。呼び戻された二人は、店の前に集まるとショーウインドウを覗き込んだ。

「珍しいな、隆臣の自己主張」

「確かに。アンティーク好きだっけ?」

「俺、鷹羽の家行った事あるけど、そういう感じじゃなかったよな?」

「まあ、そうなんだけど、なんとなく」

 隆臣の部屋にはシンプルモダンなインテリアが多く、そこにアンティーク雑貨というのは確かに不自然だった。それも隆臣には分かっていた。

「ま、いいや。なんとなくヨーロッパに来たって感じするし! 入ろうぜ」

 長坂が先頭を切って店に入っていく。店内は外観ほど古びた様子はなかった。ブリティッシュカントリースタイルのシンプルな家具に、品物が陳列されている。家具から香る木の香りが心地よかった。

 奥にはカウンターがあり、そこに店主が控えている。年老いた店主は、読書の最中だった。隆臣たちが店内に入ると、老眼鏡を外し柔らかく微笑んで出迎えてくれる。

「雰囲気あるね」

「俺、あっち見てくる」

「俺も」

「隆臣は?」

「まあ、適当に見るよ」

 特に目的があって入ったわけではない。見たいものがあるのでもなかった。

「じゃあ、飽きたら外に集合って事で!」

 長坂が言って、各々興味の惹かれる物を目指して解散してしまった。

 隆臣も辺りを見回してみる。一つだけ、目を引く品があった。

 それは、店主のいるカウンターのショーケースに飾られていた。百合の花を模した銀の首飾りである。百合のモチーフの他に、丸い透明感のある小さな石が付けられている。深い翠の石は、吸い込まれるような美しさだ。

 簡単な英語で、見せて欲しいと頼むと、店主は快くその首飾りを取り出し、隆臣に手渡した。じっくりと眺めようと持ち上げる。銀で出来ているらしく、予想より僅かに重い。外から差し込んだ太陽の光が石に当たって、不思議な反射の仕方をした。

「気になるかい?」

 店主が発したのは、流暢な日本語だった。

「はい、綺麗だなと思って。日本語、上手ですね」

「日本語……? ああ、いや、そうか、なるほど」

「どうかしましたか?」

「いや、いいんだ。それよりその品が気になるのなら、君にあげよう」

「え、お金は?」

 とても無償で貰えるような代物とは思えなかった。銀の細工は繊細で美しく、石もガラスなどではない。水晶の類に見える。

 しかし、店主はすでに土産用の袋を手にしていた。

「実は、いつ仕入れたのか分からない品なんだ。自分が仕入れた物かどうかも、覚えていない。帳簿にも記録がない」

「そんな事があるんですか?」

「この店には、そういう品がいくつかある。そして、不思議と誰の目にも留まらない。なぜだろうね」

 首飾りは長方形の薄い箱に入れられた。シンプルな箱は上品な深緑で塗られている。

「ただで仕入れたようなものだから、利益は出なくても構わないさ」

「すみません。ありがとうございます」

 そう言って、隆臣は箱を受け取った。見た目の印象以上に重みのある箱は、隆臣の罪悪感を一層膨らませる。日本人の性だろうか。何も返さないでいるのが憚られる。もう一度来る事ができるか分からないという事実が、さらに隆臣を困らせた。

「えっと、せめて何かお返ししたいんですけど……」

「日本人のそういうところは好きだけどね。土産だと思って貰っておくれ」

 微笑む店主に押し切られて、隆臣はようやく箱を鞄にしまった。気づけば村瀬たちはすでに店の外へ出ている。

「本当にありがとうございます」

「どういたしまして。どうやらこの品は、君の目にしか留まらないようだから。さあ、お友達が待っているよ」

「あの、本当にありがとうございました!」

「気をつけて」

 どこか納得できないまま、会釈だけして店を出た。店主は微笑みながら、ただ手を振って隆臣を見送った。

 村瀬たちは、すでに外に出て隆臣を待っていた。

「買った?」

 聞いたのは村瀬だった。

「見てたの?」

「アクセサリーなんて、珍しいと思ってさ」

 確かに、隆臣のアクセサリーに対する関心は薄い。余程気に入った物か、その時付き合っている恋人に貰った物を付ける、その程度だった。あの首飾りの何に惹かれたのか。百合が好きなわけでも、あの深緑が好きなわけでもない。隆臣自身にも分かりはしなかった。

「よく見てるね」

「お友達だからな。で、いくらしたんだ? 高そうだったじゃん」

「あ……えっと、貰ったんだ」

「貰った?」

 ただ頷くと、村瀬は呆れた様子でため息をついた。

「お前のコミュニケーション能力には、毎度驚かされる」

「そう? 普通でしょ」

「普通じゃないよ。偶然入った店の、初めて会った店主と会話して、高そうなネックレス貰ってくるなんて。昼食で一緒だったお爺さんたちとも、親しげだったじゃん」

 本当に偶然貰い受けただけだった。こちらから取り入ろうとしたわけではないのだ。

「おーい、鷹羽、村瀬! 雨降りそうだし、急いで帰ろう」

 先頭を歩く森田が急かした。

一雨きそうな空模様だ。先程まで晴れていたのが嘘のように、厚い雲が空を覆っていた。村瀬はまだ何か言いたげだったが、それを聞いているだけの余裕はなさそうだ。

 小走りに歩道を駆ける。

 雨はその途中で降り出した。粒が一つ二つと疎らに落ちたかと思うと、次の瞬間には大雨になっていた。地面に叩きつけられた水滴が跳ね返り、視界を一層悪くする。

隆臣たちは宿泊するホテルの前まで来た。あとは車道を渡るだけだ。

「もう急いでもしょうがないかもだけど、渡るぞ!」

 信号まで回る手間すら惜しかった。村瀬の声に応じて、ホテルへ走る。

 真っ先にホテルの軒先に着いたのは、最初に道路を横断しだした村瀬だった。雫を払って、こちらを振り返る。村瀬は肩で息をして、落ち着いた頃に顔を上げた。村瀬の目は、向かって左側にトラックを映した。そして、隆臣を映した。その目が大きく見開かれる。表情から、息を呑む音が聞こえてくるようだった。

「鷹羽!」

 村瀬の声が響いた。後から軒先に入った友人たちが振り返る。焦燥が見える。

 一瞬だった。

 光が隆臣を覆い、すぐに収縮した。

「鷹羽……?」

 その場に隆臣の姿はなかった。

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