第31話 もう終わりの時間だよ

 自由な場所、というものは一体どこにあるのだろうか。

 そもそも、自由とはどういう状況を指すのか。

 ……自由とは、一体どういう意味なのか。


「何でも好き勝手にできる場所」


 否定。自由には責任が伴う。自由な振る舞いの後に発生する責任に対処する必要性あり。自由の中には秩序あり。


「じゃあ、自分勝手に振る舞える場所はどういうところ?」


 混沌。無秩序。誰もが責任を取らず思い通りに振る舞うため、予期せぬ事態に直面しやすい。発展速度は遅く、生活体系にも不安が残る。予測できない死に襲われる危険性が増大。


「ああ、そっか」


 考察して、納得する。

 もし、そうであるならば。

 自分がいるこの場所こそ――人々が好き勝手に振る舞う、混沌の地であると。


「嫌だなぁ」


 放り込まれた部屋の中で、呟いた。現実的な逃げ場はない。

 だから空想することで――頭の中に遊び場を作ることで、精神を安定させた。

 そこは誰にも邪魔のされることのない、ユートピア。

 しあわせなしあわせなところ。どれだけ現実がうるさくても。

 悲劇に塗れていても、そこだけは……幸福だった。



 ※※※



「森の中、か」


 木々が群生する大自然。その真ん中に鉄斗とアウローラは放り込まれていた。目の前には粗野な造りの家がある。二人は顔を見合わせて、扉を開けた。


「……これは」


 床には血痕が付着していた。アウローラは血のついた鉄パイプを持ち上げる。


「凶器はこれだな」

『ようやくここまで来たね、お兄ちゃん』

「セリカ?」


 セリカの声は今までの遊びとは打って変わっていた。……鉄斗たちの本気に彼女もまた応えてくれている。それが望む方向に着陸するか、はおいといて。


『ただいっしょに遊んでくれているわけじゃない。真剣に遊んでくれた。わかってるよ、お兄ちゃん。アウローラも。二人が私の儀式に反対だってことは。……私のことを本気で思ってくれているってことは。会って一週間も経ってないのにお人好しだね。けれど、私はそういう優しさをよく知ってる』

「どうして自分の命を投げ出すような真似をする?」

『お兄ちゃんはどうして命を投げ出してピュリティたちを救ったの?』


 質問に質問が返ってくる。鉄斗は素直な心情を答えた。


「一番の理由は認められなかったからだ」


 複雑な理由を挙げようと思えば諳んじられる。だが、本質は嫌だったからだ。

 それではダメだと思った。どうにしかしたいと。

 その気持ちが原動力だ。対して、セリカも似たような返答をした。


『なら、いっしょだね』

「何?」

『私も認められないんだよ』

「どういう……」

『さぁ、かくれんぼはまだ続いているよ? 私のこと、見つけられるかな?』


 セリカは疑問に応えず通信を切った。二人は捜索を開始する。

 もはや単純なかくれんぼとは考えられなかった。セリカはただかくれんぼをしているわけではない。

 ここを、自分の本心をみせているのだ。この血痕が残った部屋の中に、セリカのルーツが隠されている。

 二人は先に進んだ。一歩進むごとに、凄惨さが増していく。

 子どもの死体が置いてあった。頭部から血を流して斃れている。戦闘行為の果ての殺傷ではなく、単純な殺し――快楽目的――であるのはすぐに見抜けた。


「どの勢力の仕業だ?」


 アウローラはしゃがんで子どもの検視をしながら、こちらへ振り返る。


「殺人が衝動的すぎる。……正規の組織ではなく、また非正規組織でもない。魔術師だって、子どもを無闇に殺したりしない。殺すのは、魔術に使うからだ。とすると、個人か或いは……ギャング」

「ギャングか」

「ドラッグカルテルとか、だろうな。しかし」

「ああ、魔術の心得がある者が存在するようだ」


 アウローラは柱へ目をやった。人払いと静音のルーンが刻まれている。


「恐らくはそれほど規模が大きくない組織だ」

「なぜそう思う?」

「魔術師が麻薬密売に関わるメリットなんてほとんどない。大規模な組織なら確実にアサシンや狩人に狙われる。麻薬組織のリーダーもそれを知っているから、安易に魔術師を取り込もうなんて考えない。どれほど規模が大きかろうとこの二組織に狙われたら最後だ。だから、もし魔術師を護衛に付けようと考えるとするなら」

「新参者が調子に乗った、と考えるべきか」

「そうだ。メキシコで麻薬王になろうと逸った誰かが魔術師を雇ったんだろう」

「とすると、セリカは」


 アウローラの言葉を引き継いで、鉄斗は結論を述べる。


「ああ――そこに誘拐された子どもだ」


 苦々しい面持ちで。



 ※※※



 当時の自分は、外にさえ出ればどうにかなると思い込んでいた。

 恐らく、ヴァイオレット家に誘拐された人間は全員そうだろう。

 だから、おばあ様に認められて、日本への留学が決まった時は狂喜乱舞した。あまり仲の良くない義妹の世話まで見てしまったほどだ。


「気持ち悪いですわ、お義姉様」


 イリーナはそんなクルミを見て引いていた。

 しかし、こうも言って来た。


「それに、そこまで嬉しいことですの? 外に出向くことは」

「嬉しいに決まってるでしょ。念願の外よ。……全てが元通りになるわけじゃないけれど」


 失った年月は取り戻せないけれど、自由を手にすることができた。


「外の全てが幸福だと、決まったわけではありませんわ」


 イリーナはそんなクルミの喜びに水を差す。嫉妬か嫌味か、それとも別の感情か。

 その時のクルミにはわからなかったし、きっとこれからもわかることはないだろう。

 イリーナ・ヴァイオレットは難解だ。

 嫌な奴のように見えて、善良なことをする。

 善良のふりをして、悪事を働く。

 だから、このまま理解できることはないだろう。

 彼女がクルミのことを真に理解できないのと同じように。

 ……まぁ、彼女の真意の一端はすぐさま目の当たりにすることになるのだが。


「でね、彼は実力がないんだけど、それでもね」

「うん」

「本当はいいところもあるんだけど、見て見ぬふりで」

「ふ、ふーん」

「ぶっきらぼうなんだけど、優しくて」

「へぇ……」

「どうしたの、クルミ? どこかつまらなそう」


 留学して数日後、素朴な顔を傾げる義姉に、クルミは本音をぶつけたかった。

 憧れであり目標でもあったスミレ。信じて送り出したのに、彼女は変わってしまっていた。いや、物腰の柔らかさや、慈愛に満ちた聖母のようなオーラはそのままだが、


(男の――話しかしない!)


 端的に言って、恋する乙女になっていた。ヴァイオレット家に長年閉じ込められていたせいで忘れていたが、外の世界にはこういうことがあるのだ。

 そもそもスミレの美貌は同性であるクルミでさえときめくことがあるくらいである。耐性のない思春期男子ならいちころだ。しかし重要なのはそこではない。

 問題なのは、美貌を振りまく側であるスミレが、色ボケしてしまっていることだ。絶世の美男子にでも巡り合ったのだろうか。しかし彼女が熱に浮かされるように語る相手の人物像は、とても完全無欠とは言い難い。いや、まさか。


(ダメ男に引っかかってる……?)


 世話焼きで誰にでも優しくできるスミレ義姉さん。まだ日本の小学生だった頃の記憶を手繰り寄せる。

 女子に恋バナはつきものだし、そういうことにも多少興味はあった。その手の本……漫画や小説も読んでいた。

 その中に、徹底的なダメ男と、完全無欠な令嬢との恋物語があった。


「だ、ダメ――!!」

「クルミ?」


 クルミは鬼気迫る形相でスミレに迫る。彼女が自力で借りたアパートの中にクルミの絶叫が反響する。


「ダメ、義姉さん! 目を覚まして!」

「私は起きているよ、クルミ」

「スミレ義姉さんはもっとこう……王子様みたいな人とお付き合いするべき!」


 うまい例えが出て来なかったのはヴァイオレット家のせいだ。ちゃんと学校生活を過ごしていればもっといい感じの例えが出ただろう……たぶん。

 とにかく、断固反対の姿勢を貫く……はずが、スミレの様子が急変してクルミの心は惑わされた。


「そう、あなたもおばあさまみたいなこと言うんだね……」

「えっ? いやいや、私はお見合いしろとかいってるわけじゃなくて!」

「じゃああなたは味方してくれるのね!?」

「いや、そうでもないっていうかその……」

「やっぱりおばあさまに言われて……?」

「だ、だ――私はいつでもスミレ義姉さんの味方です!」

「ありがとうクルミ!」

「おふっ」


 スミレに抱き着かれて、クルミは驚く。本当に喜んでくれている。

 嬉しがってくれているのだ。以前の、クルミを励ますための抱擁ではない。

 歓喜を示す動作。……この感覚は初めてじゃない。


(――あ。母さん)


 不意に幼い記憶が蘇る。テストでいい成績を収めた時、母親は大喜びでクルミを抱きしめてくれた。

 それは、忘れ物だ。スミレのように送り出したものではない。

 いずれ、自分が持ち帰らなければならないもの。

 置いて来てしまったものだ。


「クルミ?」


 急に呆けた義妹をスミレが案じる。


「ごめん、義姉さん。忘れ物したの、思い出しちゃった」

「なら、私もいっしょに――」

「ううん、大丈夫だから。私が取って来なきゃ、行けないものだから」


 クルミはスミレの部屋を後にした。……母親はクルミのことなど忘れてしまっているかもしれない。

 でも、姿を見ることぐらいは許されるはずだ。例え直接会うことが叶わなくても。



 家に帰ることは、思いのほかスムーズだった。記憶が封印されていても、身体はしっかりと覚えていたらしい。古びたアパートの階段を登り、目当ての部屋へと辿り着く。


(勢いで来ちゃったけど、どうしよ)


 インターフォンの前で固まってしまう。なんと言えばいいのか。

 ――ただいま、お母さん。帰るのが遅くなってごめん。ヴァイオレットってところに攫われて、髪と目の色も変わって、中学生になったけど、私は元気だよ。だからお母さんも安心して新しい生活を楽しんでね。


(いやいやおかしいし……困ったな……いや)


 異空間から杖を取り出す。いざとなれば記憶を細工すればいい。そう考えて魔術師然とした考え方に染まっている自分に、何とも言えない気持ちになった。

 しかし考えている間もどんどん時間が過ぎていく。例え怖気づいたとしても、それは絶対にやらなければならないことだ。

 もう、相当な期間先延ばしになっている。これ以上、延期させるわけにはいかなかった。

 深呼吸をして、チャイムを押す。……反応はない。


「留守、かな……」


 勇気を振り絞ったアタックは空振りに終わった。意気消沈して帰ろうと思っていると、


「あら……どうしたの? その部屋は空き部屋よ?」

「え、はっ。そう、なんですか。なんだ……」


 大家のおばさんに声を掛けられて、どうにか持ち直す。実のところ顔見知りだ。しかし、事情を説明するわけにはいかないので、他人の体で振る舞う。


「外人さん?」

「え、えっと……はい。母親が日本人で、父親がイギリス人のハーフで……」


 クルミは自他共に認める生粋の日本人だ。しかし髪と瞳の色から、外国人に見えなくもない。そのため、いつもハーフで通している。魔術によって髪と目の色が染まっています、なんて告白するわけにもいかない。


「どうしたの?」

「ここに住んでいた久留実ちゃんと友達だったんですけど、家庭の事情でイギリスに引っ越すことになって……再び日本に来る機会に恵まれたので、会いに来たんですけど」

「あら……だったらあの話、知らないのね。言いにくいんだけど……久留実ちゃんは六年前に行方不明になってるのよ」


 その子が他ならぬ私です、とは言えない。どうにか悲しみに満ち溢れた表情を作り、そうですか、と項垂れる。


「じゃ、じゃあ、ここに住んでいたおかあさ……美鶴さん、は?」


 本命はこちらだ。自分の悲しい末路について聞きたいわけではない。

 しかしおばさんの表情はさらに同情を深めた。行方不明には僅かに希望的観測が混じる。死んだと明言されていないのは、どれだけ可能性が低くてもゼロにはならないからだ。

 だが、今度の顔は、まさに……可能性がゼロの顔だった。

 クルミの表情がこわばる。


「悲しい話になっちゃうわね……ごめんなさい。美鶴さんはね……愛娘の久留実ちゃんのことを、必死に探してたんだけど……自分のせいだって思いつめて、五年前に自殺しちゃったのよ」

「え……?」


 世界が、色あせて見えた。



 ※※※



 世界は残酷さに満ちている。どれだけ頭の中に幸せな世界を作り上げても、それは全て虚構だ。嘘だ。まやかしだ。

 否が応でも現実は、逃避する精神を引きずり込んで、心をねじ切ろうとする。

 みんなに披露した夢物語も、絶望さを高めるだけだった。

 どれだけ希望を謳っても、救われた子は誰一人いなかった。

 自分の話を熱心に聞いてくれていた男の子は、次の日、男のストレス解消によって撲殺された。

 自分の話を心の底から笑ってくれていた女の子は、男たちに輪姦された後に銃で撃ち殺された。

 その都度、その都度。現実は自分の心を打ちのめした。

 しかし、折れることだけはなかった。むしろ強化されていった。


「ああ……そうだね」


 過酷な労働で力尽きる子どもたちを見ながら、呟く。


「誰かが、終わらせないとね」


 そしてその夢は、すぐに現実となる。



 ※※※



 先に進むごとに死体が増えていく。ショックはショックだが、ダメージは受けない。アウローラも無表情だった。

 そういう世界を知っている。だから鉄斗たちはパニックに陥らない。

 だが、これが普通だからと、斬り捨てることもしなかった。


「このような仕打ちに合えばこそ、理不尽な儀式など受け入れ難いと思うが」


 理解できないという顔で言うアウローラへ鉄斗は苦笑する。


「お前さんがそれを言うのか」

「何? 何かおかしなこと言ったか?」

「お前さんはそれと戦うために、理不尽な目に遭いながらもグルヴェイグの仕事を続けていただろ。それに、調停局の仕事も引き受けてる」

「調停局のエージェントとなったのは取引ゆえだ」

「いや、それだけじゃないだろ」

「……否定は、しない。私の剣……父の剣は無垢なる人々を守るためのものだ」


 述べられたアウローラの理由は全てではない。鉄斗はわかっている。

 彼女は罪滅ぼしも兼ねている。選択肢が他に存在しなかったとしても、グルヴェイグの命令に従って汚い仕事を行ったのは事実だ。

 だから、彼女は正義の、善なる仕事に従事している。例え他人に許されたとしても、自分自身が許せないからだ。


『優しいんだね、二人は。世界がそれほど優しければいいのにね』

「それは常々思っている。セリカ。……いい加減姿を現したらどうだ」


 しびれを切らしたアウローラが要求する。代わりに先の扉が開いた。

 声が聞こえ始めた。……同時に、銃声も。

 例え偽物だとわかっていても、二人は同時に駆けだしていた。

 そして、息を呑む。


「これは……!」



 ※※※



 ありきたりな空想としては、どこかの誰か、正義のヒーローが現れて、事件を解決するというストーリーがもっともポピュラーだろう。セリカは、そんな妄想は何度もした。

 しかし一向に現れない。正義の味方はやって来ない。いつまで経っても来る気配は全くない。

 だったら、どうすればいいのだろう。都合の良い解決役が現れないとするならば。

 ロジックは、簡単だった。びっくりするほど単純だった。


「こいつが、そうなのか?」


 タトゥーを身体のあちこちに彫ったギャングの一人が問い質す。魔術師のローブを羽織る男は短くそうだと答えた。


「魔術の素質がある、ねぇ。こんなメスガキが?」

「確かだ。たまに、そういう子供が現れる」


 魔術師はセリカの瞳を覗き込んできた。満足げに笑う。


「お前の幼女趣味もたまには役に立つ」

「別にロリコンってわけじゃねえ。俺はばばあ以外なら誰でも好みってだけさ。幼女ってのは大人の女を犯すのとは違った味があるんだよ」


 ギャングは嬉しそうに呟く。それより輪をかけて喜んでいるのは魔術師の方だった。


「使い道はいくつかある。武器代わりに育ててもいい。或いは、同盟の組織に売ってもいい。グルヴェイグが魔女兵器を量産している」

「売るよりも育てた方がいいかもな。メキシコを掌握するためには、もっと力が必要だ。他のカルテルはビビって魔術を使わないが、俺は違う。誰よりもビッグだ。麻薬王に俺はなる」

「では手始めに、簡単な魔術を教えて、どんな具合か見よう。……この子はまだ処女だよな?」

「おうとも。ヤルのか?」

「私にそのような趣味はないよ。ただ、処女じゃないと一部の魔術で問題が伴う場合があってね。……今度からは、パーティ前に検査をするか」

「俺らの性欲が待てるかはわからないがな。このガキがダメなら……誰にするか」


 ギャングは料理の献立を決めるような口調で、強姦するための女を探しに行く。魔術師は基本となる魔術をいくつか教えた。単純な魔術。

 しかし戦いでは、複雑さよりも単純さが優れているとみなされることが多い。

 どれだけすごいことだとしても、勝てるとは限らないのだ。

 妄想で何十回もシミュレートしていた少女に、それを具現化させる方法を与えたらどうなるか。

 想像するまでもなかった。ただ、現実を味わえばよかった。


「バカなッ!?」


 まず魔術師が吹き飛ばされた。壁を突き破って外へ投げ出される。

 セリカは表情を無にして、次の標的を探す。その姿は、さながら殺戮機械だった。


「は?」


 少女を犯していたギャングがこの世から消滅した。アサルトライフルを構えてやってきた兵隊たちは、その内部から破裂した。

 視線を次のターゲットへ定める。RPGを持ったギャングがパニックを起こして天井に向かって撃つ。爆発で燃え広がった火が工場を満たし始めた。

 敵を探す。敵は身を顰めていた。楽しい楽しい、かくれんぼ。

 足音を響かせる。意図的に。


「どこ?」


 悪い人たちはどこ? 子どもを壊して犯して殺した悪い大人たちは?


「どこなの?」


 醜くて汚くて腐っている奴らは? 人の皮を被ったバケモノは?

 銃声が轟く。

 お腹に痛みが迸って、中身がべちゃりと床を濡らした。


「ああ、そこね」

「嘘だ、銃が効かなッ」


 それが男の遺言だった。

 痛い。とても痛い。

 けれどそれ以上に楽しい。

 かくれんぼはとても楽しい。楽しくて楽しくてしょうがない。

 とても面白い遊びだ。

 夢中で遊んでいる子供は、転んだぐらいで遊びを止めたりしない。

 無邪気に笑いながら、長い間ずっと夢見て来た遊びを、セリカは続けた。

 しかし唐突に、終わりが訪れる。

 吹き飛ばされた。魔術によって。


「くそ……子どもだからと侮ったか……!」


 自分に遊び方を教えた魔術師が、忌々しそうに吐き捨てる。

 瞬時に予感した。これで現実は終わり。

 夢の世界へ、戻れると。

 だがそうはならなかった。期待は裏切られてばかりだ。

 しかしその時ばかりは、裏切られて良かったと思う。


「平気、ですわね?」


 魔術師を消し飛ばした女の人に問いかけられる。その女性は、待ち望んでいたヒーローだった。

 妄想していたのとは、少し違ったけれど。


「私はイリーナ。今日からあなたは私の娘です。拒否権はありませんわ」


 悪者みたいな言い方で、自分を救ってくれた。



 ※※※



「あーあ、見つかっちゃった」


 セリカは小部屋の真ん中で汚れた椅子に座っていた。

 血で汚れている椅子に。

 見つかったと形容しているが、隠れていた様子は微塵もない。

 ただ待っていた。ここに来るのを。


「最後まで遊んでいたかったけど、状況がそれを許さない。……なんて、よくあることだもの、お兄ちゃん」

「そう、かもな」


 聞かれても鉄斗にはよくわからない。遊びに熱中した機会などほとんどない。君華が時折帰りたくないと寂しさを滲ませていたことはあったが、鉄斗はきっちり時間を厳守していた。……諦めていたのだ。

 セリカも諦めている。自分の周りには何かを諦めている人間ばかりだ。

 ……何かを諦めて、別の何かを得る。それが人生だとはわかっている。だが、中学生にすらなっていない子供がそのように考えてしまうのは、とても残酷だ。


「これで気が変わってくれたかな?」


 セリカは牛乳の入ったコップを手に取り出して喉を鳴らす。


「ぷはっ。本当にミルクってのは美味しいね。好きだったんだけど、なかなか飲めなかったの。環境が、酷くてね」


 セリカは皮肉げに笑った。コップを手放して破片が散らばる。


「ここの子どもたちは、贅沢をしたかったわけじゃなかったの。ただ平和に暮らして、生きたかった。お勉強をして、ミルクを飲んで、オムレツを食べて、生きたかった。なのにここの大人はその希望を奪った。酷いよね。でも、私は別に大人の全員がこんな連中だとは思ってない。世の中にはそう思う子供もいるだろうし、それについてはしょうがないと思ってるけど」


 人間が持つ特性の一つだ。経験で物事を考えやすい。酷い人間ばかりを見て来たから、世の中全てが酷さで構成されていると勘違いを起こしやすい。学習と言う観点から考えると、至極まっとうでもある。


「それに、わかるよ。知ってるよ。ここで暴れていたカルテルたちが育った環境だって、私たちと似たようなものだったってこと。自分の人生がおかしかったと認めたくなくて、それなりに意味があったと主張したくて、大人が自分にした仕打ちを新しい子どもたちへ行っていく。酷い悪循環」


 セリカは靴を脱ぎ始めて、コップの破片を思いっきり踏む。平気な顔のまま、数歩移動して止まった。血の足跡が床に付着する。


「私はね、悪い循環を止めたいの」

「ヴァイオレット家の呪いを、か?」

「そう。そのためには儀式を成功させるのが一番いいって、わかってるよね」

「しかし」

「みんなの悪循環を断ち切って来たお兄ちゃんが、止めろなんて言わないよね? 他に方法あるのかな? この悪循環を止める方法が」


 思いつかないよね、お兄ちゃん。セリカは朗らかな笑顔だ。


「みんなの気持ちは嬉しいし、ありがたいよ。でも、邪魔はしないで。遊んでくれてありがとう」


 セリカは部屋を後にする。同時に魔術結界が消滅し、鉄斗とアウローラは木々の真ん中へと戻された。

 セリカの姿は消えている。ピュリティが悲しそうな顔で立っていた。


「くそっ。どうすればいい……!」


 鉄斗は苦悩することしかできない。

 理不尽で固められた現実に。



 ※※※



 唐突に、空間が歪む。

 ヴァイオレットの屋敷を見渡せる崖の上に、一人の男が出現する。

 顔を覆う鉄の仮面を装着し、フードを被る男だ。

 男は所持していたケースを置き、座禅を組む。

 後は時を待つだけだった。

 標的と対面するその時を。

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