第30話 夢見心地なかくれんぼ

「私ね、日本に行くことにしたの」

「……留学ってこと? スミレ義姉さん」

「うん」


 その返事はクルミの心を凍り付かせる。まだスミレの存在は必要だった。

 精神的な支柱が。


「で、でも何で? 義姉さん!」


 狼狽を隠せない。震える声で問い質す。

 魔術は率なくこなせるようになった。精神的な余裕も出てきた。

 しかし、それらは義姉あってのことだ。女神が傍にいてこそだ。

 急にいなくなられても、どうしていいのかわからない。


「私には、義姉さんが、必要でっ!」

「クルミなら大丈夫……」

「大丈夫じゃないよ!!」


 切実に訴える。スミレは困った顔をしている。

 義姉が日本への留学を希望していたことは知っていた。母親が住んでいたとされる場所を一度は見てみたいと。

 その願いは贅沢なことではない。彼女の運命を知っていれば、贅沢だなんてとても言えない。

 しかしそれでも、スミレがいない生活など考えられなかったし、考えたくもなかった。……成長はしても、まだ子供だったのだ。

 他人の気持ちよりも、自身の精神安定の方が優先だった。


「あなたは自分を過小評価してるわね」


 我儘を言うクルミを、スミレは突き放さなかった。あの時と同じように優しく抱いてくれる。背中を撫でてくれる。


「あなたは、あなたが思っている以上に大丈夫。私よりも優秀なくらい」

「そんなこと、ないよ」

「私があなたの年の頃は、こんなに上手に魔術は使えなかったのよ?」


 例えその主張が真実だったとしても、それは義姉のおかげだ。スミレの教え方がうまかったから、本来なら苦戦するはずの期間を飛び越えられたに過ぎない。

 ポテンシャルはある、と思う。それが原因で誘拐されたくらいだから。

 だが、全て己の才能のおかげだと甘えるほど、自分は無知ではなかった。


「で、でもやっぱり私は、私には……」

「クルミ」


 スミレはクルミの瞳をまっすぐ覗き込んだ。まるで丸裸にされている気分だった。

 何も隠し通せない。そんな気迫がスミレにはある。


「いずれ、私はいなくなる。わかっているわよね」

「そ、それは……まだ決まったわけじゃない……し。義姉さんの力なら、きっと跳ねのけられるよ……呪いを」

「どうかしら」


 初めて義姉の視線が揺れた。

 怯えている。

 恐怖している。

 ……義姉が抱く生の感情が見えた気がした。

 前任者が失敗しているから。一度も儀式を成功させた例がないから。

 だから、問題ない。外から見聞きする分には楽観できる。

 しかし当事者であれば別だ。

 どれだけ前例を積み重ねても、儀式が成功する恐怖は消えない。

 どれだけ薄めていたとしても、底には恐れが沈殿し続ける。


「義姉さん……義姉さんは……」


 大丈夫、と気休めを言おうとした。

 そこで気が付いた。義姉は、何か確信があって怯えているのではないか。

 単純な可能性……数字を眺めて恐れているのではなく、より確固たるものを抱いているからこそ、揺れているのではないか。

 だとすれば、だとしたら……今、自分にできることはなんだろう?

 言葉は、自然と漏れていた。


「わかったよ、義姉さん」

「クルミ」


 義姉は少し驚いてクルミを見た。まだうじうじと反対されると思っていたのだろうか。

 だったら、少し情けない。

 義妹は義姉の足を引っ張ってはいけない。

 その背中を後押しするのが、役目なのだ。


「いいよ。日本に行って。でも……」

「でも?」

「私も行く」

「クルミ? それは」

「わかってるよ。おばあ様に認められなくちゃいけない。だから、すぐにはいけない。けど、絶対に私は日本に行く。……帰る。だから、それまで待っててくれる?」

「もちろん、クルミ」


 スミレは柔和な笑顔で応えてくれた。

 クルミは寂しがる気持ちを抑え込んで、微笑み返した。

 同時に芽生えた疑惑を、胸の内に秘めたまま。



 ※※※



「ここにいたのね」


 クルミは、セリカたちのかくれんぼを見守るイリーナへ話しかけた。バルコニーから何もない空間を眺めているように見えるが、彼女ほどの魔術師なら結界を盗み見るぐらい簡単だ。


「子どもを見守るのは親の役目ですわ」

「そうね。ヴァイオレット家では親――誘拐犯が、子どもの面倒を見る」

「解釈の違い、ですわね。許しましょう。ただし」

「ええ、わかってる。あなたにしかこんなことは言わない」


 他の人間……家族に聞かれたら非難されること間違いなしだ。親戚の中にはむしろ積極的に保護をするべきだと主張する魔術師もいる。価値のある子どもを無知な人間社会から救うべきだと。

 ふざけた主張だ、とは思う。しかしここで異を唱えても、こちらが無学だとして排斥されるだけだ。魔術師とはそういう生き物だったのだ。

 しかし今や違う。狩人がいる。アサシンも。だから家の中で素敵な理論を振りまく親戚たちも、表では意見を押し隠して生きている。


「調停局にもう少し力があれば」

「言い訳が見苦しいですわね」


 クルミは反射的にイリーナを睨んだ。しかしその横顔は娘を見守る母親の優しい顔だ。

 意味がわからなかった。いや、クルミはイリーナのことを一度も理解できた試しがない。

 自分がスミレと共に魔術の訓練をしていた頃、ほとんど打ち解けなかった妹は独自に魔術の才能を開花させていた。スミレが留学した後である。事あるごとに血の繋がっていない妹がちょっかいを出してくるようになったのは。


「調停局が何もできない状態にまで落ちぶれていた間に、魔術同盟は組織を立て直しましたわ」

「補欠が繰り上がっただけ、とも言うわね」

「ええ、私たちのように」


 スミレ・ヴァイオレットがいなくなってしまったから、クルミとイリーナはそれぞれ儀式を行うことになった。そしてどちらも失敗した。

 その結果、小さなセリカが、新しい生贄として用意された。


「あなたは、セリカを生贄に?」

「生贄とは人聞きが悪いですわね。セリカは器です」

「そのためにあなたは拾ってきたの?」

「当然でしょう。でなければ許されませんわ」


 悪びれもせずイリーナは髪を払って踵を返した。


「それはあなたの望み?」

「私はヴァイオレット家の娘。あなたもそうでしょう?」

「……最後に一つだけ。あなたはセリカを愛してる?」


 イリーナは歩みを止めた。城の方からは笑い声が響いている。結界で音を締め出していても、二人には聞こえている。


「娘を愛さない母親がいまして?」

「……」


 クルミはそれ以上何も言えなかった。一人残されて、鉄斗たちを見守る。

 娘を愛さない母親。いるかいないかと聞かれれば、いると答えられる。

 いないと信じたいが、いるのだ。世の中には。

 事情があって、どうしようもなくて子どもを殺す、のではなく。

 本当に、ただ本当に……殺したいから殺すような母親が。

 しかしクルミは逆も良く知っている。その逆に愛された鉄斗は、世界一幸福だとは言えなくても、それなりの幸せを享受できているはずだ。


「娘を愛さない母親……ね。母さん……」


 クルミはそこで再び、記憶と感情に苛まれた。自分の助けが彼らには必要だとわかっているのだが、それでも心の悲鳴は止まらない。


「情けなくてごめんね、スミレ義姉さん……」



 ※※※



「子どもの遊びだと油断したが、次は引っかからない」

「そう願うよ」


 アウローラの強がりに返事をして、鉄斗は二人の捜索を続ける。

 今度の部屋は荒れ地だった。起伏のない荒野だ。数か所に岩場があるだけで隠れるような場所はどこにもないように見える。アウローラを見つめると、彼女は首を振った。


「念のため確認したが、透明化はしていない」

「だったら擬態しているとか、か? サボテンとかに」


 傍に生えているサボテンへ目を落とす。デバイスを使って魔術探査をしてみたが、魔術で再現されたという点を除けば何の変哲もないサボテンだ。


「お前さん、サボテンにトラウマがあるとかないよな?」

「まさか。実物を見るのも初めてだ」

「しかしリアルだな」


 鉄斗は渇いた大地に触れる。ここまで丁寧に再現するのは大変だろう。


「現実だと錯覚してもおかしくなさそうだ」

「ああ。体感温度もそれなりに高い」


 アウローラは額の汗を拭う。しゃがみこんで手近な石をいくつか拾い上げた。


「石の細部が一つ一つ違う。構成成分の割合も違う。敵を騙す目的で気取られぬように細かく気配りするのとは異なっている。最初から異常があると知った者が入るように作られた場所だ。……記憶の再現なのかもな」

「つまりセリカの?」

「記憶だろう。元々作ってあったのか、かくれんぼ用に拵えたのかは知らないが」

「これもまた罠か? ハードなかくれんぼだが……」


 鉄斗は念には念を入れて岩の影をチェックしたが、二人の姿はない。ここも外れのようだと結論付けて次の部屋の入り口を探すが、


「……どこに偽装されてるか俺じゃわからない。頼む」

「……」

「アウローラ?」


 鉄斗がアウローラに視線を送ると、彼女は気まずそうに外した。心なしか汗の量が多い。


「おいまさか――」

「何もできない君に言われたくはない!」

「いや全くその通りだし、責める気はないが――お前さんがか?」


 アウローラは項垂れた。完全に手玉に取られている。セリカの実力は完全に把握できているわけではないが、彼女よりもアウローラの実力は上だ。普段よく口にしている自分が一番強いというセリフは紛れもない事実なのだ。

 しかし強いことと何でもできる、ということは別だ。二人は見事にアウローラを無力化している。


「単純にドアを開けて外に出ればいい、というわけではないのだろう。この部屋から外に出るためには、行わなければならない条件がある。つまり……」

「この部屋自体が罠ってことか。迂闊に入るんじゃなかったな」

「警戒しながら入ったはずの私を情けなく思っているのだろう?」

「そんなことないって。あくまで遊びだ。戦いじゃない」


 アウローラを慰めるが、彼女は意気消沈している。そのように感情色濃く表現できるのは、彼女の生い立ちを考えれば健全的で素晴らしいことなのだが、今は部屋から脱出することが先決だ。


「条件って言ってもな。荒野の真ん中で男女が二人だ。何をしろって言うんだ?」


 鉄斗は澄み切った空を見上げる。荒野から連想される物事を脳裏に並べていくが、西部劇のような物騒なものがほとんどだ。皆目見当もつかない。


「案外どこかにスイッチが合って、それを押せば――アウローラ?」

「誰もいない場所で、男女が二人きり……?」


 気分を落ち込ませていたかと思えば、今度は何かをぶつぶつ言いながら固まっている。


「どうした?」

「あ……う……別ににゃんでもない」

「にゃん?」

「ええい、噛んだだけだわかるだろう!?」

「怒るなって悪かったよ。何か思い当たる節でも?」

「思い当たる……? あ、ああ、そうだな、これは魔術的知見からは外れるが」

「魔術じゃない解決策か? どこで習った?」

「……君華から借りた本だ」

「すまない、聞き間違えたかもしれない。もう一度言ってくれ」


 ここで幼馴染の名前が出てくるはずはない。自分の耳を疑った鉄斗へ、彼女は俯きながら応えた。


「何度も言わせるな。君華の本だ」

「どうして君華が出てくる? それに借りた本だって? どんなのだ」

「そ、それを言うのは少し、あれだ」

「あれって?」

「彼女のプライベートに関わることだ。追及はするな」


 真面目な口調で正論を振りかざしたが、どうにも誤魔化したようにしか思えない。

 しかし今はどんな本を読んだのか、よりも、その本を参考にして得た方法がどんなものかの方が重要だ。鉄斗は方法を訊ねた。


「それで、どうすればいい」

「どう、する? だって? 正気か鉄斗」

「君華が情報源なら無駄骨な気もするが、今は何のヒントもない状態だ。可能性を潰す意味でも、やれることはやったほうがいい。……くそ、ただのかくれんぼのはずだったのに、いつから脱出ゲームになったんだ」

「し、しかし……その行為には段取りが必要で」

「どんな手順だ?」


 問い質すとアウローラが半歩下がる。不思議に思って詰め寄った。


「ち、誓いが、必要だ。これは絶対に欠かせん」

「……本当に魔術は関係ないのか? 誓いと言ったらほら」

「ゲッシュ……ケルトは関係ない。いや、ある意味では最大の魔術かもしれないが、特殊性のある事項で、本事案とは無関係だ」


 アウローラは下がり続ける。必然的に鉄斗もにじり寄る形になる。


「おい?」

「わ、私はその知識を……感情を理解するために借用していただけに過ぎない。もはや分別が衝かなかった感情を分類するために。し、しかしこの行為に付随する感情は、私にとって未知過ぎる。なのに、君は踏み込もうとする。単純な喜怒哀楽ではない、純粋であるがゆえに、刹那的でもある情動に」

「そんな逃げなくちゃならないことか?」


 渇いた大地に足跡が刻まれていく。灼熱の太陽が二人の人間の影を作り出している。


「未知だと言っている! いや、いや……実のところ、それに類似した感情が、時折芽生えることがある。しかし、しかしだ! まだそれがそうとは断定できない! それに、これは相手の同意が必要不可欠だ。片方のエゴで解決できる問題ではない」

「俺は脱出できるなら何でもやるぞ」

「うくっ……!? い、命を差し出す行為でもか?」

「そんなに危険なことをしようとしているのか?」

「い、いやそこまでではない、が……」


 アウローラは珍しく焦燥を隠し切れていない。本当に今日の彼女は感情豊かだ。君華が貸した本にはそれほどの効能があったのかもしれない。

 鉄斗は肩を竦めた。逃げる彼女をゆっくりと追いながら。


「ま、危険か危険じゃないかはどうでもいい。……まだ猶予はあるが、かと言ってここで途方に暮れるわけにもいかない。セリカの命が懸かってる。いつも言ってるだろ? 俺は諦めてるからな。それがどんな方法であれ、やれることはやるぞ」

「諦めているなどと……これは妥協の産物で選択するようなことでは――っ!」


 アウローラが岩に背中を密着させる。これもまた珍しいことだ。彼女ほどの魔術騎士が背後に障害物があると察知できないとは。

 結果的に鉄斗がアウローラを追い詰めた構図となる。鉄斗は戸惑いを隠せていない彼女の判断力を取り戻すべく、彼女の顔の傍の岩壁に手を押し当てた。


「うっ?」

「遊びは遊びだが……俺は真剣だぞ」

「不埒なのか真面目なのかどっちなのだ、それは……」

「真剣に遊ぶってことだ。遊びだからこそ、手を抜くわけにはいかない」


 セリカたち相手に手を抜けば、即座に見抜かれる。鉄斗たちは真剣に遊び、セリカに遊びの楽しさをより強く認識させる必要があった。

 アウローラの顔は日差しにやられているのか、赤い。追い詰められた彼女は、観念したようにこくんと頷いた。


「わかった。で、では始めよう。だから手を退けてくれ」

「ん、ああ……」


 鉄斗が岩から手を離す。と、彼女は鉄斗の両肩を掴んで、岩に背中を当てさせた。丁度、先程とは逆の立場だ。鉄斗は訝しんでアウローラの顔を直視する。

 熱でもあるかのように赤い。瞳は少し潤んでいる。


「何度も言うように断言できない。気の迷いかもしれない。しかし、確かに私の中にその感情はある、のだと思う。なぜそれが発生したのか、はまだ解明できていない。いつの間にかそうなっていたのだ。その兆候に気付いた私は様々な資料を閲覧した。人類生物学、脳科学、心理学……魔術の文献まで。しかし答えは得られなかった。家庭なしに回答だけが胸の奥で燻り、その欲望に従いたいという感情が呻くのを、理性の私が止めていた。だが、こうなっては仕方ない。君の覚悟がそこまでだというのなら、私流のやり方でやらせてもらう」


 強い語調に鉄斗は少し驚く。しかしアウローラの手が少し震えている。威勢よく啖呵を切ったが、未だ迷いが生じているようで、なかなか先に進まない。

 しばらく待っていると、意を決してアウローラは鉄斗の両肩から手を離した。

 手を強く握りしめ、深呼吸をして、大きな声で。


「わ、わた、私は推察するに、君のことが――あああああああ!?」

「アウローラ!?」


 突如空いた穴の中にアウローラは転落していく。魔術で浮遊しようとしたが、この城の主はセリカだ。彼女の気分次第で魔術の使用を制限できるので、重力に引かれて小さくなっていく。

 アウローラの解決策は実行途中で中断させられた。部屋から出れる手段は喪われたと思いきや、突然、何もない個所からドアが出現する。


「意図が違う。こんなはずじゃなかった」

「セリカか?」

「……お姉ちゃんの醜態を見られるはずだったのに、危うく盗られるところだった。その部屋はもういいから、次の部屋に進んで」

「どういう……」

「いいから。今のことはさっぱり忘れて。お兄ちゃんは私のことだけ考えて」

「ああ……」


 鉄斗はアウローラが落ちていった穴を覗き込む。彼女の姿は見えない。


「何だったんだ一体……」


 彼女が何をしようとしていたのかも、セリカが何を考えているのかもわからずじまいだった。気を取り直して、鉄斗は進む。

 扉を開けて数歩歩くと、突然悲鳴と共にアウローラが落ちて来た。顔面を強打して固まっている。鎧を装備しているし、転落死させるようなへまをセリカがするとは思えないので体調は気にならなかったが、彼女の精神状態が不安だ。


「平気か?」

「……」


 アウローラはゆっくりと身を起こし、放心した様子で周囲を見回す。


「イモムシだった」

「え?」

「イモムシの大群の中に、放り込まれた……!!」

「それは、ご愁傷さまだ」


 それ以外に掛ける言葉が見つからない。強気な騎士は何処かへと消え失せてしまった。弱気な彼女を立ち上がらせて、部屋の中を改めて確認する。


「工場、か?」


 城の中にあるまじき風景、という部分では先程の荒野と一致している。だが、ソレに比べてもこれは異質だった。ファンタジックな雰囲気が全くない。無機質な工場には何の温かみもなかった。

 流れ作業に使用されると思われるベルトコンベアが唸っている。しかし工場内はどこもかしこも汚れていて、清潔さとは無縁の場所だ。


「ピュリティと逃避行していた時に隠れた廃工場に似ているな」


 暗い面持ちでアウローラが呟く。しかし機械が動いているということはこの工場は潰れていない。雑に貼ってある張り紙が目に付いたが、言葉が解読できなかった。


「これは確か……」

「スペイン語だな」


 アウローラは最初こそ適当に読み上げただけだったが、内容を読み進める内に普段の凛とした表情が戻って来た。


「これは……」

「なんて書いてある?」

「マニュアルだ」

「何の?」


 アウローラは忌々しそうに表情を険しくする。


「コカイン……麻薬の取り扱いについてだ」

「麻薬工場か? ここは……」


 鉄斗は息を呑んで周辺を見回した。……セリカの記憶の中に、麻薬工場のビジョンがあるのだ。


「断言はできない。私は麻薬の類に疎い。知りたいとも思わない」

「……考えるのは後にしよう。とりあえずかくれんぼを」

「ああ、終わらせよう。リズムが崩されたが、本気で行く」


 本気で挑んでやられまくってたじゃないか、とは言わない。鉄斗は一通り工場の中を散策し、このエリアにも二人がいないことを結論付けた。

 次の部屋へ足を踏み入れる――瞬間、光に包まれる。目が眩んで、慣れた頃には別の部屋の真ん中に立っていた。

 馴染みのある光景だ。自分の家のリビングだった。


「どうして俺の家が」


 鉄斗はテーブルの上を物色する。君華がいつも用意してくれる菓子類が並べられている。飲み物もいくつか置かれていた。君華の好きなコーヒーもどきが目立つ。


「挑発されてると思うか? アウローラ」


 鉄斗が振り返って彼女を見ると、ワンテンポ遅れて、


「そ、そうだな。あえて私たちの家にすることで試しているのだろう」

「私たちの家、か」


 両親が亡くなってからというものの、家には他の誰かがいることが多くなった。正直なところ、調停局の仕事で忙しかった時より孤独の時間は少ないぐらいだ。


「なんだ。間違ったか?」

「いや、別にいいさ」


 孤独は嫌いじゃないが、みんなで過ごすのも好きだ。


「そうか、ならいいが」


 アウローラはなぜか少し焦った後、室内の隠れられそうな場所をチェックする。鎧がガチャガチャ軋んでいた。その様子を見ながら、鉄斗もそれとなく二人を探す。


「セリカが再現したと思うか?」

「この記憶のこと、か?」


 アウローラは苦笑いを浮かべて、


「そうだな。挑発。この一言に尽きる。あえてアウェーなフィールドでシンキングさせることで、あなたをバカにしてるんだ」

「なるほど」


 鉄斗は頷いて、テーブルの上へと目線を戻す。コップの中身をもう一度確認した後、開けっ放しになっている魔術工房へと入った。ここに隠れられるスペースはない。

 作業机の引き出しを開けて、弾薬を一つ一つチェックする。様々な種類の弾薬――鉄斗が用意していたものが綺麗に陳列されている。


「魔術構成弾にホローポイントやP226用強装弾もある。知ってるか? アウローラ。P226はカスタムしないと強装弾を撃つのに相応しくないんだ。いや例えカスタムしていても、パーツの細部に負担がかかる。通常より炸薬の量を増やしてるからな。だからヴァリエーションで強装弾に対応したタイプが存在する」

「ああ、知ってるぞ。それがどうした?」


 鉄斗はホルスターから愛用拳銃を引き抜いて彼女にみせた。強装弾に耐えられる強化型スライドには、ルーンが刻まれている。


「銃に詳しければ知ってるな。詳しくないとそもそも強装弾なんて単語はなかなかお目にかからない。ゲームでもよほどマニアなゲームじゃないと、こんな用語は出て来ない。でも、お前さんは知ってるな」

「当然だとも。あなたが私に教えた」

「そうだ。俺が教えた。別に知らなくても問題ないんじゃないか、と言ったんだが、彼女は万全を期したいから教えてくれ、と。銃を使う凄腕と対峙した時、知識の有無が勝敗を分けるから。そう言っていた。――ピュリティの傍で」


 アウローラが息を呑んだ。


「何が、言いたい。鉄斗」

「言わなくてもわかると思うんだがな」

「君はバカか? 私がピュリティだとでも言いたいのか?」


 アウローラはあからさまに不機嫌な表情となる。鉄斗は同意して、工房の奥、普段使っていない武装を仕舞うスペースへ足を踏み入れた。

 父親の武器が、そこには保存してある。一番目立つその武器を手に取った。


「これは親父の武器だ。どうして刀がここにある?」

「元々、家に置いてあっただろう」

「そうだ。置いてあった。だが、これはセリカは知り得るはずのない物だ」

「あ……い、いや、ピュリティに訊いたかもしれないだろう」


 鉄斗は乱雑に詰め仕込まれている古い銃器が入った棚を開けた。


「この古い武器の類もか? 俺の家を再現するに当たって、前回来た記憶と照らし合わせても、この部屋は不審な点が多すぎる。セリカだとすれば知り過ぎてるし、必要なものが足りていない」

「必要な物、だと?」

「テーブルを見てみろ」


 アウローラと共にリビングに戻って、テーブルを観察する。


「不審な点は何も――」

「君華スペシャルがどうしてあるんだ? セリカが来た時には自分の分を用意する前に彼女は二階へと逃げた」

「う、む……」

「それだけじゃない。どうしてミルクがない? 彼女はずっとミルクを飲んでいたのに」

「――っ」


 アウローラが痛い部分を突かれたとばかりに目を見開く。

 が、すぐに頭を切り替えて言い訳を述べ始めた。


「ま、待て。今までのはあくまで部屋の再現主の話でしかない。例えピュリティが再現していたとしても、あんな迂闊な奴がこういう場面でしくじるのは――」


 鉄斗はもはや何も言わずにアウローラの肩を叩いた。


「見つけたぞ、ピュリティ」

「あ……う……わかった。降参」


 変化が融けて義姉が義妹へと変化する。がっくりと項垂れて悲しそうだ。


「上手くいったと思ったのに。パーフェクトプラン……」

「クルミ姉さんが前にやってなきゃ、気付かなかったと思うがな」


 クルミが君華に変化して振る舞っていた時の経験が生きた。姿形は完璧で、性格もそれっぽく再現されている。だが、ところどころでミスが目立っていた。


「なぜ露見?」

「動き方、だな。アウローラはガチャガチャ鎧を鳴らさない」

「あう」

「それに俺への呼称も変わっていた。アウローラは俺のことをあなたなんて言わない」

「うう」

「極めつけは最後だ。アウローラは絶対に義妹の悪口を言わない」

「む、むうう……シスコンパワーに敗北……」

「自分の義姉のことをシスコンなんて言っちゃダメだ」


 ……正直鉄斗も彼女がシスターコンプレックスなのではないかと思っているが。


「それで、アウローラはどこだ? さっきの閃光の直後に入れ替わったんだろう?」

「そこまでばれているとはなんたる不覚。こっち」


 ピュリティに手を引かれて別の部屋に入ると、無力感に打ちひしがれているアウローラの姿が目に入った。檻の中に閉じ込められている。


「アウローラ……」

「邪魔だから閉じ込めてた」

「遊びとは言えちょっと酷くないか……」

「今思えば、そうかも。少し反省してる……」


 ピュリティは檻を開けた。アウローラは開錠者がピュリティだと知るや否や、飛び掛かる勢いで檻から出てくる。


「ピュリー、見つけたぞ!」

「むぅ……くっつき過ぎ」


 ピュリティは僅かに反抗期の娘のような反応をみせて、アウローラと少しだけ距離を取る。


「ようやく、ようやくだ。はは、ふははは!」

「あまりに酷い扱いをしたから少しおかしくなってるじゃないか」


 今日は何度もアウローラ・スティレットという人物像が更新されている気がする。ピュリティはそんな義姉の姿から少し目を逸らして言い訳した。


「元はと言えば義姉さんが抜け駆けしようとしたせい」

「抜け駆け?」

「鉄斗には無関係。……私は城の外で待ってるから、セリカを早く見つけてあげて」

「ああ……ピュリティ。セリカについては――」


 ピュリティは首を横に振った。


「今は、かくれんぼ。事情を持ち込んじゃダメ」

「……わかった。行こう、アウローラ」

「う、うむ。少し取り乱した。いや、かなり取り乱した。だが、今度こそ本当に大丈夫だ」


 姿勢を正したアウローラと共に、次なる部屋へと進む。

 何かが変わると信じて。

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