第29話 みんなで楽しく遊びましょう?

「結果オーライ、かもな」


 鉄斗は部屋の窓から外の様子を確認しながら結論付ける。ピュリティとセリカは友達となり、今もセリカの秘密の遊び場で遊んでいる。

 おまけにただ遊んでいるだけではなく、セリカは魔術のコツをピュリティに伝授しているらしい。セリカは魔術師としての経験が浅い。無論、鉄斗よりも力は強いが、魔術師としての経験の薄さが、かえって他人へ教えやすくなることもある。


「ピュリティが親密になってくれれば、それとなくセリカの本音を引き出せるかもしれないし、ピュリティ自身にも良い影響を与えてくれる。こういう打算的な考え方は好きじゃないが、無策でいるよりはマシだろう」


 同意を求めて部屋の中へ振り返る。が、見えてくるのは隅っこで体育座りをしている少女騎士としての威光がお出かけしてしまった義姉の姿だった。


「私は義姉失格だ……」

「落ち込むなって。仕方ないだろ、お前さんとピュリティではアプローチが違うんだから」


 義妹を失った――と勘違いしている――義姉の姿は哀愁に満ちている。アウローラの考える理想の義姉がどんなものか鉄斗にはさっぱり想像できない。

 だが、彼女なりに努力はしていると思っている。もっとも、努力を生かせるかどうかは当人次第だが……。


「悪いが先にセリカへ……いや、ヴァイオレット家への対処法を考えておきたい。クルミ姉さんの様子も変だし、頼れるのがお前さんしかいないんだ」


 ようやくアウローラが体育座りを解いて、ベッドの上に腰掛けた。


「承知している。現在確認できる家族構成はイリーナとセリカの親子だけ。イリーナに夫はおらず、セリカは養子だ。そして、イリーナ自身も養子。ヴァイオレット家は血筋ではなく能力に固執しているが、それはあくまでエリザを降臨させるための器として、だ」

「だけどクルミ姉さんの話じゃ俺の親戚は多いらしい。あくまで俺たちだけ先行してこの屋敷についているだけだ。……上級魔術師が一堂に会して、儀式は行われる」

「そこへ力業で介入しても、太刀打ちできるかはわからない。もしそれが可能ならとっくの昔に介入されているだろう。それに、儀式の失敗の可能性も否定できない」

「実際、全て失敗しているらしいしな。本当は……」


 鉄斗は思わず口を噤んだ。ヴァイオレット家が儀式の生贄として選びたかった逸材は、セリカではなかった。

 本当はスミレ……鉄斗の母親をこそ、器としたかったのだ。


「スミレ氏は逃亡した。スペアとして残されていたクルミ及びイリーナも適合実験には失敗。ヴァイオレット家の威厳を保つための道具として、片方は調停局、もう片方は魔術同盟に所属している」

「そうだ」


 鉄斗は苦い想いに包まれる。母親はヴァイオレット家と袂を分かった。その理由はもはや語るまでもない。そのことを非難するつもりもない。

 だが、鉄斗の覚えている限り、母親は実家の問題を放置して自分だけが安全圏にいることを良しとしない人物だったはず。その性格がゆえに世界の危機に出撃し、命を落としたのだから。


「正直、誰を責めていいかわからない」

「責められるべき人物はまだ姿を現していないだろう。……この家の当主は」

「お家騒動はろくでもないことだと思っていたが、よもやここまでとは」


 鉄斗は頭を抱える。本心としては無関係だと言い張って縁を絶ちたい。

 しかし、セリカを放っておくわけにはいかない。例え本人が納得ずくであっても、自分は納得していない。

 余計なお世話だと言われても構わない。もはや鉄斗の気質だ。


「何か特別な手立てを考える必要がある。……君はどんな手段が最適だと思う?」


 意見を求められて、順当に鉄斗は方法を模索する。……思いのほか簡単に見つかった。


「儀式を失敗させればいい」

「具体的な方法は?」

「それについてはまだ。……うまい方法を思いつかないと」

「そうだな。中断でも妨害でもなく失敗だ。もし外的要因によって失敗した気付かれれば、彼らはまた儀式を行うだけだ。問題の先延ばしにしかならない。ゆえに」

「成功の目がないと思わせる失敗を演じなければならない」


 エリザの降臨は不可能だと思わせるしかない。目標設定は簡単だ。

 問題は実行方法だったが、単純な魔術による妨害では早々に露見してしまう恐れがある。ヴァイオレット家は魔術師の名家だ。専門家の前で不完全な魔術工作をしても気づかれてしまうことは明らかだ。


「俺でもお前さんでも、魔術じゃ無理だろうな。ルーンは論外だし……」

「儀式を妨害する魔術は多数存在するが、そのどれもが発覚の恐れがある」


 アウローラは気難しい顔で思案する。鉄斗も頭を回した。

 魔術は無理。軍などで使われる対魔術用の工作もばれてしまう。

 最初に結論付けた通り、外からの介入ではダメなのだ。

 とすれば内面をどうにかしなければならないが……。


「内面――」


 ハッとして鉄斗はアウローラを見つめた。アウローラは少し驚いたような顔を作る。


「ど、どうした鉄斗。そんなに私の顔を見て」

「内面、中身だ」


 鉄斗はアウローラに詰め寄った。彼女の肩に手を置くと、びくりと震えた。


「中身……君は、よもや、不埒な行為で内面の変化を試そうとしているのでは――」

「不埒なことか? ただセリカに生きる喜びを教えてあげるだけだが」

「な……何?」

「どうしてクルミ姉さんやイリーナさんの儀式が失敗したのか考えていたんだ」


 鉄斗はアウローラの肩から手を離して説明する。金ぴかの部屋の中を行ったり来たりしながら。


「魔術の才能についてなら二人でも十分なはずだ。二人とも養子だが、ヴァイオレット家の魔術因子は身体に沁み込んでいる。素体として申し分ないはずだろ?」

「ああ……」

「だったら、どうして儀式は失敗したのか。……単純だよな。自分の精神が壊されるのを拒絶しただけだ」

「なるほど、確かに一理ある。魔術による上書きと言えども、何のエラーもなく行えるわけではない。フォーマットを合わせて、魂を同調させて精神を書き換える――しかし、クルミやイリーナは優れた魔術師だ。例え表面上は儀式に同意していても、心の奥底で拒絶したのなら儀式が失敗してもおかしくはない」


 馬の背中に鳥が止まろうとしても、払われたら止まれないように。

 生者の移し替えであれば、生贄の意思など無関係に染められたかもしれない。

 だが、今回は死者の降臨だ。死人を冥界から呼び出し、固着させるためには並々ならぬ努力が必要となる。

 だからずっとヴァイオレット家の儀式は失敗に終わってきたのだ。

 しかし、セリカは儀式を受け入れている節がある。杞憂で終わればいいが、もしそうでなければ……。


「セリカの考え方を変えるんだ。いや……そんな大層なことでもない。単純に死にたくないと。生きたいと思わせるだけでいい」

「方針は決まったな。……しかし良かった」

「何がだ?」

「こちらの、ことだ。……性愛魔術などと言いだしていたら斬っていた」


 アウローラの声は小さくよく聞こえなかったが、方針は固まった。

 後は実行すればいい。幸い、ピュリティはセリカと仲良くなっている。アプローチを取るのはそう難しいことではない。

 しかし、一つだけ引っかかることがあり、鉄斗は言葉として表出させる。


「イリーナさんは、自分が拒否した儀式を娘に……?」

「魔術師であればおかしくないだろう。そういう魔術師は多い。イリーナ自身、そのために連れて来られたんだろう」

「……そうだな。今はとりあえず、阻止に専念しよう」


 鉄斗とアウローラはセリカの元へ向かう。

 例え極小の可能性だとしても、やれることをやるために。



 ※※※



 魔術の訓練は過酷だった。いや、魔術以外の全ても過酷と言えた。

 別の言葉で表すなら地獄だ。最初はここより酷いところもあると自分に言い聞かせていた。

 けれど、いつの間にかどうでもよくなった。

 他が酷いとかは関係ない。

 ただ逃げたくて嫌で嫌で嫌で。

 でも、逃げられないという地獄がそこにあった。


「やだ、やだ、やだ……」


 部屋の片隅で呟く。同じ言葉を。

 普通なら大人が聞いてくれるはずの言葉を。

 しかしここは普通ではない。いや、もはや普通という単語の意味は捻じ変わっている。

 これが普通なのだ。ここでは。ヴァイオレット家では。

 身も心も染められてしまった。今の自分は風上久留実ではない。

 クルミ・ヴァイオレットなのだ。


「あなたが、クルミ?」


 泣いていると、突然声が掛けられる。

 いつもならお叱りが飛んでくるところだった。姿勢を正しく返事をしなければ、怒られる。

 魔術によって苦痛を与えられる。

 しかし反応が遅れたクルミは、何かされることはなかった。


「大丈夫?」


 優しい声を投げかけられる。埋めていた膝から顔を上げて幼いクルミは目を見張った。

 天使がいる。

 女神が、そこにいた。


「驚かせちゃったかな。あなたのことは聞いていたんだけど……なかなか実家に戻れなくて。私はスミレ」

「スミレ……」


 柔和な笑みを湛える少女は自己紹介をする。クルミと同じ長い金髪と碧眼。

 整った顔立ち。スタイルの良い身体。落ち着いた雰囲気。

 何より、優しい声音。どれもが完璧に思えた。


「スミレ義姉さん……」

「そう」


 歳はそこまで離れていない。四、五歳違うだけだ。

 だけど、彼女はとても大人びていて。雰囲気がどこか母親に似ていて。

 気付けば、その身体の中に飛び込んでいた。優しいオーラの中に。

 そしてスミレは少し驚きつつも、優しく受け入れてくれた。


「ごめんね……もっと早く、帰ってくるべきだったね」


 泣きじゃくるクルミを抱擁し、背中を撫でてくれるスミレ。

 しばらくして泣き止むと、スミレは訊ねてくれた。


「何が、辛いの?」

「辛いことはたくさんあります……でも、一番辛いのは――」


 魔術。普通の人間ならできないこと。

 しかしこの家の人は平気でそれをやらせようとしてくる。

 住む世界が違うのだ。魔術同盟と科学世界とでは。

 だから双方の常識は通じない。それなのに。


「……そうか。そうだよね。あなたにとってきっと魔術は辛いことかもね」


 スミレはわかってくれた。肯定してくれた。

 でもね、と彼女は言葉を紡ぐ。クルミの顔は少し険しくなった。


「今は魔術をできるようにしなきゃならないと、私は思う。とても辛いことかもしれないけれど。本当はやりたくないことだと思うけれど、それでもね」

「うっ……」

「泣いてもいいよ。怒ってもいい。私は全部聞いてあげる。あなたの心の声を受け止めてあげる。……でも、魔術の練習だけはちゃんとして。今はわからないかもしれないけれど、それが今の状況を変えるための唯一の手段なの」

「それしか、ないの……?」


 当時の自分は子供だった。現実が見えていなかった。

 スミレの言葉は真実なのだ。そもそもスミレ自身も子どもで……。

 彼女もまた、自分と同じ呪いに囚われていたと気付くのに、時間が掛かってしまった。


「ごめんね、クルミ」


 スミレは謝罪する。何も悪くないのに。

 彼女自身だって泣き叫びたかったはずなのに。

 もう一度、強くクルミのことを抱きしめた。

 その日から、クルミは真面目に魔術訓練を受けることにした。

 例え、不本意だとしても。やらねばならないのだから。



 ※※※



 ピュリティとセリカの関係はまさに友達と形容するしかない。

 二人は、セリカの秘密の遊び場で仲睦まじく遊んでいた。鉄斗とアウローラは庭の中に突如として出現したお城に困惑しつつも、こっそりと二人の様子を窺う。


「でね、こうして――こう」

「ビューティフォー!」


 ピュリティが打ち上がった花火を見て歓声を上げる。知識としては知っているだろうが、現物を見た時の感想はまた別だ。全てを魔力で編んだ閃光はとても美しい。

 きちんと魔術を学んでいなければできない芸当だ。ただ光を放つだけなら鉄斗にもできる。

 しかし芸術作品としての魔術は並々ならぬ努力と感性が必要だ。色の配合、輝度の調整、範囲への空間認識……。

 ただ絵を描くのと綺麗に絵を描くのとでは全くの別物だ。

 ……セリカは、魔術が好きなのだ。だからしっかりと研究した成果として、上手な花火を作ることができる。


「お前さんはできるか? あんなに綺麗な魔術を」

「いや。私にとっての魔術とは、戦うための力だ。だが、あの子にとっては違うのだろうな」


 魔術騎士を感心させた少女は無邪気に笑っている。その姿だけを見ていれば、何もしなくてもいいという風にさえ思えてくる。

 だが、鉄斗の脳裏に蘇るのはあの言葉だ。


「無遠慮な優しさは、他人に迷惑をかける時がある、か」


 外から見ただけではわからないこともある。幸いにして鉄斗はわかりやすい側に分類する人間だったらしい。

 自覚こそなかったが、君華からすれば一目瞭然で、だからこそ彼女は甲斐甲斐しく世話をして自分を立ち直らせてくれた。

 彼女からしてみればまだ十分ではないらしいが、鉄斗としてはもう十分すぎるほど貰い物をしている。

 半面、隣のアウローラの事情については、外面だけでは全くわからなかった。ピュリティの切実が訴えがなければ、ただ敵としてしか思わなかっただろう。

 義妹をバケモノと呼称する最悪な人間としてしか。だが、実情は違った。

 行動こそ褒められたものではなかった。しかし彼女はバケモノと呼ぶ義妹を世界中の誰よりも愛していた。

 ……だからこそ。


「セリカが何を考えているか知らないとな」

「君は本当にお人好しだな」

「諦めてるだけだって何度も言ってるだろ」

「その言い分はもう通用しないぞ。……別に悪いことだと言ったわけじゃない。むしろいいことだと思う。父を思い出す。君とは似ても似つかないが……それでも、信念は君と似ていた」


 不意にアウローラが穏やかな笑みをみせて、鉄斗は虚を突かれる。

 彼女はまだ意識して感情をコントロールできない。己の身体に命じて感情を作ることが困難になっている。だが、自然と漏れ出る感情は違う。

 ピュリティと同じように彼女もまた成長をしている。だからこうやって突然笑うこともある。自然な反応として。


「どうした? なぜ固まっている」

「いや、別に」


 恥ずかしさが湧いて来て視線を逸らす。そして、次なる瞳と目が合った。

 苛立ちを抱えた視線と。セリカがいつの間にか傍にいた。


「二人で隠れて何してるの? お兄ちゃん?」

「セリカ? いや、別に隠れていたわけじゃ……」


 覗きを追及されるような声音に思わず弁明する鉄斗の反対側では、


「シスター」

「ピュリー? どうしてそのような顔をするんだ? 何か誤解があるようだが」


 アウローラがピュリティに弁解をしている。


「イチャイチャしてたの?」

「どうしてそうなる? クルミ姉さんみたいなこと言うんだな」


 疑惑の眼で問いかけるセリカへ鉄斗は反論する。しかしセリカは不満が募っているようで、


「ピュリティも不服だよね。協定を結んだのに」

「イエス。義姉さんは協定違反?」

「一体何の――」

「いいや。とりあえずこっちに来て」


 有無を言わさず鉄斗とアウローラは茂みから城の前へ連れ出された。

 改めてその小さな城を見上げる。こじんまりとしているが豪華だ。

 しかしヴァイオレット家の邸宅のような趣味の悪さは微塵も感じられない。まさにおとぎ話のお城。

 セリカの愛する、自分の居場所なのだ。


「魔術で作ったんだよ。綺麗でしょ」

「ああ」


 子どもが砂遊びで作った城を紹介するように無邪気にセリカは言う。センスの良さはここにも表れている。一生懸命なのだ。

 彼女は誘拐されて無理矢理仕立てられたヴァイオレット家の養子たちとは違う。

 魔術を熱心に学び、そして……受け入れていると思わざるを得なかった。

 ヴァイオレット家の呪いを。


「セリカ、俺は」

「待って、お兄ちゃん。ここに来たのなら、それは私と遊びに来たってことなの」


 子どもの我儘のようでいて、反論を許さない圧が含まれている。鉄斗はアウローラと視線を交わした。彼女は頷きを返してくる。


「わかった。遊ぼう。何をする?」

「んー……」


 セリカは顎に指をあてて、


「かくれんぼしよう。二人が仲良くしてたみたいに」


 とげのある言い方で提案をする。ピュリティも賛成した。


「じゃあ、鬼はどうする? アウローラか?」

「なぜ私を名指しする? 鬼のような人間、と言いたいのか?」


 アウローラはじろりと睨んだ。


「違う。俺の追跡能力じゃ二人を見つけられないからだ。俺一人で鬼をしたとしても、一生かかっても見つけられないぞ」


 隠密魔術を駆使して本気で隠れられたら、鉄斗が三人を見つけられる可能性はゼロになる。せめて土地勘がある場所でならまだ勝ち目も見えてくるが、ここはセリカの遊び場だ。

 ピュリティもセリカのアドバイスで上手に隠れてしまうだろう。アウローラに至っては、ナイフで切りかかられる直前までそこにいたことすらわからなかった始末だ。


「ふむ、一理あるな」

「じゃあ、二人で鬼をして。私とピュリティで隠れるから。あ! 見えないからってくっついちゃダメだから」

「お前さんは俺たちのことをどう見てるんだ」


 困惑しながらも、鉄斗とアウローラは二人に背中を向ける。範囲はセリカが構成している結界の中。当然、城内も含まれる。

 子ども時代を思い出すようにしてカウントを始めた。二人の気配が消える。ピュリティの魔術練習も兼ねているのだろう。


「楽しもうね、お兄ちゃん」


 結界内を反響して、セリカの笑い声が聞こえる。無邪気だ。徹底して邪気を排斥している。


「よし。探そう」

「手分けするか?」

「……いや。俺はお前さんをサポートする。俺一人で探したって無駄骨になるだけだ。どうせ遊ぶなら、真剣に遊んでやらないとな」

「つまり君は本気で見つけに行くと。獲物を探す狩人のように」

「大人げないと思うか? けれど、それくらいマジでやらないと本当に見つけられないと思うぜ」


 鉄斗は城をもう一度観察する。輪郭がぼやけてきた。推察するに、ただ隠れたわけではない。子どもらしい邪気のないいたずらが、城内のあらゆるところに仕掛けられていると見ていいだろう。


「同感だ。行こう。私が先行する。背後を頼む」

「……真剣にとは言ったが、戦いではないからな?」

「わかっている。だが、やるからには絶対見つけるのだろう? 前にも言ったが、私は負けず嫌いだ」


 アウローラは不敵に笑うと、城門を通って大きな扉を開いた。そして、


「――――」


 彼女は硬直する。先程までの威勢はどこかへと吹き飛んでいる。

 目の前には巨大なイモムシがいた。緑色でうねうねしている。

 子どもがやりそうなイタズラだ。


「子どもらしいな。……アウローラ?」

「…………やだ」

「あ?」

「嫌だ! 鉄斗、追い払ってくれ!」


 アウローラは鉄斗の背後へ回ると躊躇いなく盾にするように背中を押した。


「お前さんイモムシが苦手なのか?」

「そうだとも、悪いか!? しかしなぜこのことをセリカが……」

「ピュリティか?」

「い、いや有り得ん。ピュリティが知るはずもない――」

「ビシーが教えてくれた」


 直後に響いたピュリティの解説が真相を暴露する。


「あの毒女ッ!!」


 ヒステリックに叫ぶアウローラ。その声に反応したのか、イモムシが前進してくる。悲鳴を上げて城の外へ出ようとする彼女の手を鉄斗は掴んで止めた。


「止めろ、離せ! 切り刻むぞ!」

「よく見ろもう道はない! そっちは落とし穴に改変されてる!」

「何っ? 絶対に見つけてやる!」


 そういうや否や、アウローラは剣の柄を握りしめ、抜剣した。が、剣という物質を構成する主要部位である刀身が綺麗なお花に様変わりしている。武器の攻撃力はゼロと化していた。アウローラは縋る眼差しで鉄斗を見るが、銃の状態がどのようになっているか確認する気は起きない。


「こっそりお兄ちゃんを独占してたお姉ちゃんには罰ゲームだよ」

「罠に嵌まっただと……!」

「だからただのかくれんぼ……ちっ、こっちだ!」


 イモムシに追いかけられるのは良いことだとも思えないので、手近なドアの中に入る。逃げ込んだそこは子供部屋だった。たくさんのおもちゃが敷き詰められている。ぬいぐるみや人形といった、女の子らしい物ばかりだ。


「なんだこの部屋は……」


 呼吸を整えたアウローラが部屋を見回す。どうやら彼女にもあまりなじみのない光景らしい。


「君華の部屋に遊びに行った時、こんな感じだった。まぁ、ここまで散らかってなかったし、物も多くはないが」


 幼馴染の部屋に遊びに入ったのは小さい時期だけだ。ある時から、彼女は自分の部屋に鉄斗を遊びに呼ぶことはなくなった。鉄斗の家へ訪れる機会が目に見えて増えだしたのもその時期だ。


「つまり、これは女の子の部屋、というわけか。……なぜ剣がないんだ」

「家に武器庫がある俺が言うのもなんだが、その反応はおかしいと思うぞ」

「私が女らしくないと?」

「揚げ足取るなって。そういう意図で言ったんじゃない」


 鉄斗は念のため、ありきたりな隠れ場所をクリアリングした。ベッドの下や、カーテンの後ろ、クローゼットの中など。

 二人の姿はない。


「テディちゃん」

「何?」

「……私が小さい頃に遊んでいたクマがあった」

「お前さんもクマで遊んだんだな」

「……言わなかったか? 私の父は私が剣の訓練をすることに積極的ではなかった。真剣を握れたのは十分に木刀を使いこなせてからだったし、無闇に人と戦わせることも避けていた」

「いい父親だったんだな」

「私としてはもどかしくもあったがな。私は父のように、多くの人を救う騎士となりたかった。理想と現実は違うと幼いながらに知っていたが、それでもな――」


 アウローラは何気なくテディベアに手を伸ばす。次の瞬間には爆発に包まれていた。


「アウロー……」

「言うな。何も言うな」


 柔らかそうな絨毯の上に仰向けに倒れながら鉄斗の気遣いを遮断する。ビシーと喧嘩していた頃なら間違いなく怒り狂っていただろうが、シャティアが訪問していた時に煽り耐性のなさを指摘されている。

 そのため、堪えているのだろう。あくまで子どものいたずらだと自分に言い聞かせて。

 そして、実際に子どものいたずらの範疇だった。怪我することはないように配慮されている。爆発に巻き込まれてアウローラのプライドは傷ついたようだが、肉体的損傷は見当たらない。魔術によって防護されているのだ。


「これは、ピュリティの訓練も兼ねている。そうとも、これは訓練、訓練だ。だから私は怒らない。私は騎士であり、大人だからだ。だろう? 鉄斗」

「ああ……」


 その態度がまさに子どもらしいと指摘する気は起きない。そんなことを言えばかくれんぼから鬼ごっこに遊び方が変わってしまいそうだ。


「魔術で隠れてたりはしないか?」

「その気配はない。少なくとも、直接姿を消したりはしていないだろうと思う」

「まぁ、確かにそれじゃつまらないよな」


 勝つか負けるかの瀬戸際を楽しむのが遊びだ。最初から勝つことが決まっている方法で遊んでも、すぐに飽きてしまうこと必至だ。


「それにそこまで露骨なら、私の目を誤魔化すことはできない」

「初歩的なトラップに引っかかっていたが」

「何か言ったか? 鉄斗。無能魔術師が有能魔術騎士である私に?」

「いやなんでもないよ。次の部屋に行こう」


 鉄斗は先を促したが、アウローラは先へ行こうとしない。


「君が先に行ってくれ。特に理由はないが……」

「あー……オーケー。わかったよ」


 鉄斗は緊張の面持ちのアウローラに苦笑して、ドアノブを捻る。出る前に部屋の様子をもう一度確認した。


「セリカも、こんな部屋で遊んでたと思うか?」

「さあな。だが、もしそうなら……彼女は幸せのように思えるが」

「幸せの定義は人によって違うからな……何とも言えない」


 クルミはヴァイオレット家での過去をあまり語ろうとしなかった。

 恐らくあまりいい思い出がないのだ。だから、ずっとどこか様子がおかしいのだと推測できる。

 イリーナは、どうだろうか。今のところ彼女が一番ヴァイオレット家と相性がよく見える。

 ……最大の謎はセリカだ。その謎は今はかくれんぼに興じている。


「セリカを探そう」

「義妹もな。悪影響を受けていないか不安になってきた」


 二人は新しい部屋へと進んだ。虚構の城で、かくれんぼを続ける。

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