第25話 蛇と蛙

 シャティアの狩猟は華麗で苛烈。荒々しくも美しい斬撃だった。

 鉄斗より強力な魔術師たちを、苦も無く処理していく。氷弾が放たれれば、いとも簡単に鎌で切り裂く。敵の狙いは着弾地点から武器を氷結させる算段だったはずだが、彼女が持つ特別製の鎌に魔術的要素が介在する余地はなさそうだ。


「隕鉄製の武器に魔術を仕掛けるとか、本当に無知過ぎない? 星を砕く力でもなければ、作用しないよ? さて、君たちは星を壊せるのかな?」


 シャティアの問いに神々たちが舌打ちする。本当の神々だったら即座に破壊しているだろうし、仮に破壊できなくともシャティアを打ち倒しているだろう。

 しかし、それは不可能だ。鉄斗はマシンピストルを構えて、援護射撃を開始した。


「貴様がしゃしゃり出てくるな!」


 苛立つリーダーの反応に呼応して、周囲の神々が強力な魔術を発動しようとするが、その隙を縫ってシャティアが斬撃を放つ。血と肉片が宙を舞う。

 彼らは今やラグナロクに直面している。シャティアはユグドラシルを燃やすスルトだ。その熱さは神々を本来なら燃やし尽くして有り余るはずだが、彼女は一人も殺していない。

 せいぜい、部位の切断で済ましている。これはかなり優しい狩猟だ。

 本当なら彼らは殺されても文句は言えない。それが世界のルールだ。

 狩猟されるのは異端者。それは他人と感性や思想、人種が異なる人間という意味ではない。

 不必要に何の罪もない人間を傷つけて殺すという意味での異端者だ。


「まぁ確かに、君の出番はないかもねぇ」


 放たれた氷弾をシャティアは鎌で跳ね返しながら呟く。術者は自分の魔術によって氷漬けにされてダウンした。


「そうかい」

「あ、気を悪くしないで。そういう意味じゃないからさ。こいつらの相手は私一人で十分だってこと。わかるでしょ?」

「まぁ、確かに――」


 鉄斗は銃声を轟かせながら同意する。敵は全く連携が取れておらず、ただ個別に魔術を発動させているだけだ。スペックは鉄斗よりも遥かに高い。しかしアウローラやビシー、紅葉やフィアナ騎士など、鉄斗が今まで戦ってきた面々と比べるとお粗末だ。

 彼女たちよりも、この神々は脆弱だ。それは鉄斗の力量でも断言できる。


「それにさ、囮だって何回も言ってるでしょ。この子たちは哀れなスケープゴートたち。池に放り投げられる撒き餌だよ。そして今、それにパクついているのが私。囮と知りながらも、放っておけはしないよねぇ」


 ロジック自体は、油田施設を襲撃しているテロリストたちと変わらない。目くらましと知りながらも、直視しなければならないという単純だが効果的な戦略だ。


「でも、このまま相手の策略に乗るのは良くない。非常に、とっても良くないよ。だって、私はほいほい釣られるような鯉じゃない。完全には防げなくとも、その代償は支払ってもらわないとね」

「てめぇら何をごちゃごちゃと――ひッ!?」


 シャティアは鎌を投擲して、神々を慄かせる。それを隙だと判断した敵が高速移動。懐へ攻め入ったが、狩猟拳術によって瞬時にノックアウトされた。


「ほら」


 シャティアは懐からポーチを投げた。鉄斗が中身を確認すると、様々な口径の弾丸が入っている。大型の狩猟カートリッジから、9mm弾まで。

 ブーメランのように戻って来た鎌をキャッチして彼女は言う。


「君は、君しかできないことをすべきだと思うな」

「雑魚にしかできない、だろ?」


 鉄斗は隅で様子を窺うピュリティに目配せした。彼女は頷きを返してくれる。

 鉄斗は神々の集団から背を向けて走り出した。

 囮ではなく、本当の敵と対峙するために。



 ※※※



「うっ……く――」


 痛むのか、褐色肌の少女は呻いている。

 顔に付いた傷は完全に癒えている。身体中に付けられた数多の傷も。

 しかし痛みは消えなかった。

 肉体的な苦痛は消えても、精神的な激痛を消し去ることはできない。

 だから、涙を垂らす。痛むお腹を押さえて――。


「うっく……うう……うっは、ははははははは!」


 堪え切れずに、大爆笑をした。


「イージー、イーズィア、イージスト! 簡単、簡単すぎるって……!」


 少女はくるくると回り出した。周囲には誰もいないので、人目を気にする必要はない。いや、例えいたとしても気にしただろうか。もし目障りな行動を取れば殺す。

 もしくは、道具としてそこそこ有用なら攫う。少女――ツィクはいつでも準備を万端に整えている。

 ちゃんとゾンビパウダーは携帯しているので、いつでもお気に入りをゾンビに変えることは可能だ。

 伊達に黒魔術師ボコールはやっていない。技術だけで正式なものではないが。


「アタシの演技力、彼は録画していたかな? あの雑魚どもが自分たちがサイキョーって自惚れる様は本当に傑作だったし、何度でも見返したい気分!」


 彼女がくるくると回るにつれて、彼女の服装がどんどん変化していく。ブードゥー教のボコールが纏う伝統的な衣装……というよりは、単純に自分の好みに合わせてカスタマイズした肌の露出が多い黒装束だ。

 そんな姿に変化すれば、当然、敵の注意を引くことになる。だが、ツィクは気にしていなかった。

 何せ――もう敵には発見されているのだから。


「来たわね――ぐッ!?」


 懐から吹き笛を取り出そうとしたツィクは、しかし喉に深くナイフが突き刺さったために身動きが取れなくなる。自身の影から音もなく出現したアサシンに、致命傷を負わされてしまっていた。


「終わりだ」

「く、う……アサシンは弱いんじゃ……」

「小生たちに暗殺される者は大概――似たような遺言を残す」


 絶命したツィクは誰もいない道路の真ん中で斃れた。対象の死亡を確認した戦闘装束のミアは、まず何か身元を示す品がないかを物色し、最後に喉元からナイフを引き抜こうとし、


「――死体漁りとかさ、酷くない? アタシが魅力的なのは承知済みだけどさ」

「何――くッ!?」


 突如目覚めたツィクの毒矢をミアは身体を反らして交わす。ツィクはけたけた笑いながら起き上がり、喉に刺さったナイフを引き抜いて投げ捨てた。傷口から血がこぼれるのを左手で受け止めて、ごくごくとうまそうに飲む。


「あー血ジュース美味しい。本当にアタシってば完璧よね」

「殺したはずだ」


 ミアは鋭い目つきでツィクを観察する。そうして結論付けた。


「そうか。貴様、死んでいるのか」

「そうそう。アナタはアタシを殺したけど、アタシは既に死人ゾンビだから無関係ってわけ。賢いでしょ? 素晴らしいでしょ? 褒め称えていいのよ、ほら!」


 ツィクの望みとは裏腹に、ミアは腰に差してあるシミターを抜く。万全を期し現代的な服装ではなく、古来より暗殺の儀式に用いられるフードのついた戦闘衣装に変えたのが功を奏した。


「小生に、剣を使わせるとはな」

「やっぱりアタシ最高。アサシン教団が送り込んだ優秀なアサシンの暗殺を凌いだだけで飽き足らず――抜剣までさせちゃったし。ふふ、褒めてくれるかなぁ」

「その余裕――一塊も残さず切り伏せる!」

「うふ、ふふ、ふふふん!」


 ミアが凄まじい速度で接近し、シミターを振るうが、ツィクは銀の縦笛で全ての斬撃を防ぐ。

 だが唐突に彼女は防御を止めて、右胸にシミターの刃を食い込ませた。恍惚とした表情で短く喘ぐと、瞠目するミアの顔面に拳を入れる。

 ミアは剣の柄を握りしめたまま吹き飛ばされた。拍子にツィクの血液が路上にまき散らされたが、彼女は満足げに微笑むだけだ。


「アタシの血でアートを作っちゃったわ。ねぇねぇ、見て! 美しいでしょ?」

「自意識過剰なクズは何人も見てきたが、貴様のようなタイプは初めてだ」


 鼻血を拭ったミアは、シミターを構え直す。


「勘違いしているようだけど、アタシは別にあいつらのようなナルシスト集団とは違いますよ? ちゃんと自己分析&自己評価をして、己の実力を把握したうえで世界の情報と見比べて、強さのカテゴライズをつけちゃってますからねー。情弱とは違うの」

「ゾンビがよく吠える。……自らをゾンビに加工するような奴は見たことがない」

「単純にぃ、他の連中が発想不足なだけじゃない? 他人をゾンビにするのもいいけどさぁ、まずは自分をゾンビにしないと完璧な美貌って奴を維持できないでしょ。生身の肉体のままで老いていくなんてアタシ、耐えられないし」


 彼女は自分の髪を払った。吹き筒をくるくると弄ぶ。


「老成せず――未熟を選ぶと言うのならそれでもいい。……ここで貴様は倒す」

「倒せるのかな、アサシンちゃん。アナタからはアタシと同じ匂いがするけどなぁ。出身は中東? パパとママ……家族は一体どんな風に殺されちゃった? お望みならさぁ、蘇らせてあげるけど。ゾンビとして」

「ほざけ!」


 ミアが再び突撃する。ツィクも先程と同じように、笛を構えた。



 ※※※



 ビシーと矢村はあの哀れな神もどきの供述した場所へと直行した。情報通り、身体を切り裂いてくれた男は、刀を携えた状態でスマホをチェックしている。

 誰かと待ち合わせしているのだろうか。本命の誰かと。

 ビシーは杭を取り出そうとして……自身の状態を顧みる。


「残念だけど、足手まといみたいね」

「残念どころか朗報だ」

「何ですって?」

「子どもはおとなしくしていろ。子どもらしく」

「ふん……いいわ。じゃあよろしくね、大人さん」


 子ども扱いはあまり嬉しくはない。しかし道具として見られるよりは何倍も良かった。この男は結局のところ、一度もビシーを警戒していなかった。慢心や油断ではなく、ただ単にそういう性格なのだろう。

 誰であれ平等に、同じように扱う。子どもは子ども、大人は大人。

 ちょっと鬱陶しいのは否定しないが、それでもこういう大人は貴重だ。理想的なことを言いながら、何もしてくれない口だけの大人よりも。


「おい」

「これは想定外、と言わざるを得んか」


 矢村の姿を見たスーツの武者は諦めるように言う。しかし、刀からは手が離れることはない。

 対して、魔術師ではない一般人の矢村は、ショルダーホルスターから拳銃を抜く。


「お前を逮捕する……と言いたいところだが、どうせ抵抗するだろう。あらかじめ言っておくが、お前を逮捕したところで情報が得られるとは思わない。殺さないようには立ち回るが、殺されても文句は言うなよ」

「言うな、ただの一般警察が。お前は二軍、予備だろう」

「かもな。だが、それがなんだ? お前は犯罪者で、俺は警察官だ。ならやることは決まってるだろ」

「ふむ……噂のダーティーか。ならしばし――本気を出すとしよう」


 陰陽術によって強化された刀で居合切りが放たれる。矢村は銃撃を諦めて、その抜刀術を反射神経で回避。そして警棒を取り出して刀を受け止めた。


「固いな……特殊合金か」

「銃と弾は無理だったが、警棒はいい物を選んだつもりだ」

「侮りたいところだが――そうもいかないか。お前は強い」


 男は淡々と矢村の実力を評価する。刀と警棒による打ち合いが始まり、互いに譲らない攻防が続く最中、ビシーは自分にできることを模索していた。

 杭の投擲……却下。今の体力では命中せず、反撃によって殺される。

 毒の霧……不許可。矢村にまで影響を及ぼす可能性が高い。

 杭の陣も論外だった。あれは範囲が広すぎる。


(殺しに長け過ぎた、わね)


 魔女兵器として過ごした期間が長すぎて、こういうシチュエーションでの最善策がわからない。脳内に記された戦闘方法に、味方に配慮しながら戦う旨の内容は存在しなかった。


(あのバカならすぐにでも思いつくでしょうけど、私は――いいや、それは……)


 ただの言い訳だ。やったことがないからわからなかった。そう言えば、たぶん鉄斗は許すだろう。矢村だって許してくれるに違いない。彼らは自分を子どもだと、少女だと見てくれているから。

 子どもが、未経験者が仕損じるのは当たり前なのだ。むしろ、平気で初体験の事項を手際よくこなしてしまうのが特異な存在で。

 そして――自分はそんな常識的な優しさが、気に食わないのだ。

 ビシーは注意深く戦況を観察する。丁度、攻防が途切れたところだった。

 スーツ武士が距離を取って、懐から取り出した霊符を投げる。矢村は銃撃で何枚か撃ち抜いたが、全ては破壊できずに残った霊符が効力を発揮した。


「ぐッ――」


 眩い閃光が炸裂し、矢村の動きが鈍る。その隙に武士は球を取り出して地面に埋め込んだ。

 閃光が失せると、矢村はすぐに追撃を開始する。罠に気付かず――いや、気付いた上で罠の上を駆け込みつつ武士に向かって射撃を続ける。


(あれは……確か、呪詛玉?)


 陰陽術へのビシーの知識はささやかだ。ビシー自身は東欧生まれで、東洋の島国の神秘については疎い。しかし毒や呪いへの情報収集は欠かせなかった。それらは全てビシーの武器になる可能性を含んでいる。

 現代の魔術師であるビシーに、流派の違いをこだわる理由はなかった。使える物は使うし、使えない物は使わない。くだらないプライドで使える魔術を使わないのは、骨董品の老人たちぐらいだ。

 だから、その呪いが致死性の高いものだとも、気付けた。この状況ではどう考えたってそれが最適だし、それ以外であれば武士が矢村を侮っているだけだ。


(となると――くッ)


 ビシーは標的を武士に定めたが、やはり外れる未来しか想像できない。万全の状態であれば一泡吹かせてやることも可能だが、それを何度も思い返したところで負け犬の遠吠えにしかならない。

 勝ち犬になって誇らしく勝鬨かちどきを上げるためにはどうすればよいか。

 武士に危害を加えるのは論外。……となれば、候補は思いのほか簡単に絞れた。


「私に――私に、ね。ふふふ、面白いわ」


 昔なら笑い飛ばしていた。しかし、今は笑っていない。声で笑いながらも表情は真剣だった。毒の杭を呼び出し、狙いを定める。ボロボロの身体で、杭を投擲した。


「避けるな――ッ!!」


 頓珍漢にも思える警告を発しながら。その警告を受けた主は一瞬怪訝な表情を浮かべたが、抗うことなく受け入れてくれた。


「何――ッ!?」


 味方の誤射と思しき攻撃を受けても止まらない矢村の猛進に武士の反応が遅れる。その隙に矢村は銃を撃って武士を後手へ回し、弾切れになった拳銃を投げつけた。武士は当然刀で切り落とすが、次に放たれた物が刀身に括り付いて瞠目する。


「なッ、手錠!?」

「喰らえこの野郎!」


 矢村の警棒が振るわれて、武士は刀で防御する。が、手錠を掴まれて刀身の向きを強引に逸らされ、滅多打ちにされた。

 呻いて、倒れる。駆け寄ったビシーはすかさず、麻痺毒呪で男の動きを制限した。


「やったのかしら?」

「……こいつはな」


 期待を寄せるビシーとは反対に、矢村は忌々しそうな表情となっている。


「そうとも、私は倒したな。しかし、忘れたか? 私は陰陽術を扱うのだぞ」

「何? どういう――そんなっ!?」


 狼狽するビシーの前で、ダウンした男の姿が消えた。

 人型の折り紙――式神の形代かたしろを残して。



 ※※※



 鉄斗はミアと正体不明の少女が交戦しているのを発見し、物陰から様子を窺っていた。

 突撃して、瞬殺されるビジョンは何度も想像できる。人生に諦めてはいるものの、犬死するつもりはない。考えなしの特攻は、それ以外に方法がない場合に行うものだ。


(しかし、どうするか)


 褐色肌の少女をミアが圧倒している……ように見える。行動だけを比較すればそうだ。ミアが一方的に攻撃し、少女の方は受け身となっている。

 だが、ダメージが蓄積しているのはミアの方だった。


「ふふふ、キレイ、キレイね? アタシの血!」


 切り傷から漏れた血が路上を汚す。だが、その度に少女は恍惚として笑い、決定的な瞬間にはミアへカウンターを放っている。ミアは左肩を銀の縦笛で強打されていた。


「本当、アタシって素晴らしい。ねぇ、アナタもそう思うでしょ?」

「黙れ……」


 ミアは疲労困憊の状態で強がる。斬っても撃っても、殺しても死なない。天才的な殺人者であるアサシンの天敵と言っても過言ではない存在だ。鉄斗が見た限り、あの少女はゾンビかそれに近しい存在のようだ。

 不死ではあるが、肉体への再生機能は搭載されていない。或いは、再生が非常に遅い。

 なので、殺すことはできなくても無力化自体は可能だ。しかし、現実はそう容易くはない。

 彼女は紛れもない本命だった。囮である神々の裏で暗躍する真の敵。


(あいつがビシーを殺したのか? しかし……)


 現状把握できる能力を鑑みるに、ビシーとは相性が悪いような気もする。

 ……今はそれどころではない。鉄斗は考えを改めて、事態の打開策を模索する。


(ただの銃弾じゃダメだ。当たってもあいつは悦ぶだけだろう。だけど……)


 今、手元にはシャティアが託してくれた銃弾がある。

 最善手の選択に時間は掛からなかった。



 ※※※



 ミアは左手にリボルバーを構えて、シミターを持つ右手と交差させながら仕掛け時を見計らっていた。

 狩人としての信念。その最後の一滴を信じて、向こうはあの女に任せている。もし疑いが強まれば暗殺しようとしていた相手だが、現状を鑑みるにその選択は正しかったようだ。

 だが、向こうが問題なくとも、こちらで敗北してしまっては意味がない。この女を始末するために、目くらましの連中から目を逸らし続けたのだから。


「気を抜くと、ゾンビにしちゃうよ? でも、きっとアナタ、その方が幸福だと思うけど?」

「否定はしない……」


 少量の血を唾液と共に吐き捨てて、ミアは肯定する。

 たぶん、何も考えずに生きていた方が楽だろう。世界の在り方だとか、人の生き方だとか、そんな複雑なことを考えずに、自分のことだけを考えて行けば。

 だけど、それでもやはり認められなかった。

 産まれた場所は最悪だった。内戦に次ぐ内戦。政府は人ではなく金と土地にしか見えておらず、石油を得たい先進国はやりたい放題。女子どもは人ではなく物扱いで、男も利用価値がなければ情け容赦なく殺される。

 そんな環境の中でも家族は優しかった。なのに。


「だが、肯定もしない。小生は、わたしは、アサシンだ。暗殺者として、人々に尽くすと決めた」


 報酬もなければ名誉もない。しかしそれでもよかった。

 見て見ぬふりは、自分に背くことだけは、耐えられなかったのだ。


「素晴らしい考えね。だからこそ、だと思うんだけどなぁ。アナタは絶対にこっち側だと思うけど、そうやってクールに気取るなら、うんうん、仕方ない仕方ない」

「くッ……」


 しかしどんなに言葉で着飾っても、彼女相手には分が悪い。だとしても、いざとなれば相討ち覚悟でも――決意を強めたミアの瞳に、一人の少年の姿が映った。


「こっちだ、ゾンビ野郎!」

「うん?」


 ゾンビ少女は無防備な姿を晒したまま、声のする方へ振り向いた。赤上鉄斗が拳銃を構えて飛び出してくる。引き金が引かれ、フルオートの連続銃声が轟くが、相手はシャワーを浴びるように涼しい顔だ。


「あはは、銃の雨って本当にキモチいい。残念だけど無駄なんだよ、鉄斗君――ぐッ!?」


 だが、突然顔が苦悶に満ちた。その理由は深く考える必要はない。

 なにせ、あの女と共に行動していたのだ。なら、不思議でも何でもなかった。

 ミアはリボルバーを投げ捨てて突撃する。シミターの柄を両手に握りしめ、右足を強く踏み込んだ。


「まさか――狩人の銀弾――!」

「終われッ!!」


 魔力を刀身に込めて、一斬。

 少女の肉体を真横に両断した直後、身体が光に包まれて爆散する。

 少女は赤い水たまりとなってアスファルトを濡らした。


「殺せないのなら、細かく切り刻んでしまえばいい……簡単なことだ」


 血だまりに告げる。もはや彼女に意識があるのかは定かではない。血は側溝へと流れていき、汚水と共に流されていった。


「大丈夫か?」

「貴様の方が……平気か?」


 満身創痍の鉄斗を見て、ミアは気遣った。その傷に、負い目を感じる。

 狩人は受け身の存在だ。そして、対象も限定される。彼は狩人が狩猟できるようにその身を犠牲にしたのだろう。

 アサシンである自分が最初から向こうに出向いていれば、彼がこんな風に傷つけられることはなかったのだ。


「すまない。これは小生の責任――」

「誰が悪いことでもない。いや、あえて悪者を決めるとすれば俺のせいだ。俺が自分の意志で突っ込んだんだからな。気にすることじゃない」

「……そうか。なら、そうしよう」


 これが一般人の発言なら、訂正した。しかし、ミアの目から見て、彼は一人前の戦士だった。

 能力に難があることは否定しない。しかし、彼は立派だ。


「やはり小生……私は、君が好みだ」

「それはどうも」

「何なら恋人にしてもいいぐらいだ。どうだ?」

「悪いが冗談は後だ。……ビシーが殺されたことは知ってるだろう?」

「冗談、か……。それにビシーは――ああ、君はそう思っているのだったな。うむ、知ってるぞ」

「妙な言い方だな……まぁいい。たぶん、この女が彼女を殺したわけじゃない。彼女の遺体には切れ味の鋭い……恐らく刀による切創があった。だから……」

「それについては心配はいらない」

「逃げられるかもしれないんだが」

「もう一度言うぞ。何一つ、心配はいらない」


 ミアは鉄斗に微笑んだ。



 ※※※



「振り切れたようだな」


 男は安堵したが、懸念すべき事項は散見された。

 一番の難点は、ツィクの回収が不能と言うことだ。合流予定地点に現れなかったことを見ると、敵に倒されてしまった可能性が非常に高い。もちろん、彼女には不死性があるので、殺されていても心配はない。

 要はデータを回収するための箱に過ぎない。壊れても、また組み直せばいいだけだ。

 だが、接触できなければその利便性も意味がない。

 男は助手に連絡を取ろうと通信端末を開いた。しかし、繋がらない。

 発信先がアンノウンとなっている。


「なぜ……」

「それは、君がもう無用だと判断されたからだろうな」

「――ッ!?」


 誰もいなかった前方に突如として現れた男へ、身構える。フードを被った長身の男。


「まさか……送り込んだアサシンは一体だけでは」

「私は世界のどこにでも存在できる。古狩人と同じように。今や、枷となってしまった力だが、このように、利用できる面も少なからずあるのだ」


 アサシンは平然とした様子で歩み寄る。男の手は刀の柄を握ったままだ。


「どうしてわかった」

「逃げたという言葉さえあれば。若き少年少女たちが君の存在を認識した時点で、君を捉えることは容易だった。本来なら、私が出るべき局面ではないと理解しているが、子どもたちの活躍に感銘を受けたのだ」

「私は何も語るつもりはない」

「そうだろうな。君に情報資源はない。生かしても殺しても、敵の計画に打撃を与えることは不可能だろう。だが、トカゲのしっぽを削ぎ落とすことは、我々にとって有益なことだ。幸い、私は古狩人と違い、世界に与える影響を抑えた手法を得意としている。彼が静観したままもどかしくするのであれば、私がその無念を代行しよう」

「愚者共が。お前たちがそのようだから、世界は一向に良くならない。国という集合体の限界は、お前も感じているだろう。もっと大きな力が、世界には必要なのだ」

「君たちは性急すぎる。何千年も続く問題を、たかだか数百年で解決できるはずもない。しかし、だからと言って何もしないのは愚かだ。君の意見を否定はしない。尊重するよ。……本当に興味深いな」


 アサシンは口元に手を当てて男を見る。男はにやりと笑い、


「ようやく理解できたか。この愚か――」

「いや、そちらではない。――随分、流暢に話す死体だな、と思ってね」

「何――あ?」


 喉元に手を当てて、男は気付く。

 自らが既に死んでいることに。

 自分の死を自覚した男は、呆けた表情で斃れた。

 直後、周囲のフィールドに亀裂が入る。循環する魔力は淀み、空間が破損した。


「やはり、世界の強度が不足している。後始末を頼めるか?」

「ああ」


 背後から現れた男、矢村にアサシンマスターは頼んだ。


「強くなりすぎるというのも考え物だ。若い頃は、不自由になるなど考えるべくもなかったが」

「俺には到底理解できない世界だな」


 矢村が応えると、忽然とアサシンマスターの姿は消えている。

 彼は肩を竦めて、神宮へ電話を掛けた。

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