第24話 反撃の狼煙

「ふう……ぐ、げほ……」


 ビシーは咳き込んで身体を背もたれに預けた。眩暈と吐き気に襲われて、座っているだけでも十分に辛い。


「あんなところで何してたんだ?」


 車を運転する矢村が興味本位の様子で訊ねてくる。まだ話している方がマシなので、ビシーは声帯から言葉を捻り出した。


「何って、死んでたのよ」

「お前はゾンビなのか?」

「違う……ぐ、ぅお、……ふう、その方が都合が良かったのよ……誰も死人は注目しないでしょ? だから、私と似た考えを持つ狩人に殺してもらったってわけ。まぁ……仮死毒呪で一時的に死んだふりをしていただけ、なんだけど」

「それでダウンしてれば世話ないな」

「うるさ……うっ、く……は、吐く……」


 矢村は紙袋をビシーに渡した。羞恥心などどこか遠くに行ってしまっているので、遠慮なく胃の内容物を吐き出す。


「最悪……」

「確かに最悪な状況だ。見知らぬガキは人の車の中でゲーゲー吐くし、街中ではテロ紛いの事件が発生している」

「レディに対する気遣いはないのかしら。可愛い女の子よ?」

「乳臭いガキはレディなどと呼ばない」

「嫌な大人」

「嫌われて結構。俺はどんな子どもも平等に扱う。……元魔女兵器も、そこらへんに住む子供も、同じだ。ガキはガキ。大人は大人。人間なんてそういうものだ」

「ふぅん……」


 ビシーはそれ以上口答えを止めた。代わりに矢村に質問を浴びせる。


「で、あなたはここら辺の警官? 刑事でいいのかしら」

「刑事は合ってる。確か今は……福島県警所属だったか」

「東北の警官がどうして関東の片田舎に?」

「俺が追跡していた組織との関連がある。そう俺は推理した」

「本当に?」


 矢村は不敵な笑みを浮かべた。


「まぁ外れているかもしれないが、可能性を潰すのも仕事の内だ」

「汚いわね」


 しかしその汚さは好みだ。清廉潔白に何もしない奴よりは、ダーティでもやれることをする方がいい。


「でも、お咎めなしとはいかないんじゃないの? きちんと責任を取れるのかしら」

「いつも上司の机に辞表は叩きつけてる。なぜか受理されたことはないが」


 つまり日本の警察は彼のような人材を必要だと認識しているようだ。それが善いことなのかはたまた悪いことなのかはビシーに判断できないが、少なくとも彼は責任を取るつもりだ。

 なら、問題はないだろう。然るべき処分が与えられているのだから。


「あなたが、なんだったっけ……古い映画になぞらえた症候群」

「ダーティーハリー症候群のことか?」

「ええ、それそれ。勘違いした正義の味方じゃないことを祈ってるわ」

「俺をそうだと言う奴はいるし、言わない奴もいる。……安心しろ、俺はこれをルール破り、悪だと思って実行してる。正義のためなら何をしてもいいなんて思っちゃいないし、もしやるとしても、罪は認めるさ」

「それはそれでどうかと思うけど、ま、ほんのちょっぴり安心したわ」


 ついで吐き気も少し引いてきた。これで、現場についてもゲロ塗れで何もできないということはなさそうだ。

 矢村の運転する覆面パトカーは、ビシーが指示した場所へと進んでいく。


(無駄、かもしれないわね)


 裏を掻こうとして、結局何の役に立たなかった、などということは起こり得る。

 ビシーの行動はあくまでも保険なのだから、当然だ。むしろ本来何もやれることがない状況が最上の状態である。

 しかし、心の中で渦巻く葛藤は否定できない。


「来てくれたところ申し訳ないんだけど、無意味で終わる可能性もあるわよ」

「おかしなこと言う奴だな。お前は意味があるから行動するのか?」

「どういうこと?」

「意味の有無なんざ二の次だ。ただ、それをやる必要があるからやる。動いた方が良さそうだから動く。犯人逮捕に、犯罪の阻止に繋がる可能性があるから、行動する。最初から意味や結果が保障されないと動けないのなら、止めておけ。きっとその方が幸福だ」

「どうかしらね。私はたぶん……行動しないことに不幸を感じる人間だから」

「なら黙って動くことだ」

「ええ、そうする……ありがと」


 小さな声で感謝を呟いたので、矢村には聞こえないだろう。

 しかし彼は気にする様子がなかった。きっとちやほやされたいとか、褒められたいとか、そういう報酬とは無縁の男なのだ。

 ただ誰かがやらなければいけないから、やる。勝てるかどうか、成功するかどうか、結果が伴うかどうかはやった後で考える。

 ……どこかの誰かのようだ。どうやらそういう大人もまだ存在するらしい。


(こっちは勝手にやるわ。あなたも頑張りなさいよ、鉄斗。私を救ったように、泥臭く惨めに……呆れるほどのバカさで、どうにかしなさい)



 ※※※



「お前は何をバカなことを言っている? 本当にまことに、正真正銘のバカじゃないか!」


 男は鉄斗をバカにする。一理あるとは鉄斗も考えている。

 だが、そのように粗末な武器を扱っている連中に言われたくはない。


「ドレスコードが間違っている無学野郎どもに笑われる筋合いはないな」

「あ?」

「何だよその銃は。不良品もいいところだ。そんな武器を持ってテロとか、本物のテロリストだってもっとマシな武器を使うだろうよ」

「何――? ふざけるな! これは高性能な武器だぞ!」


 鉄斗に煽られたリーダーは引き金を引く。鉄斗は避けもしなかった。

 銃弾は明後日の方向へと跳んでいく。


「へたくそだな。エアガン持った小学生の方が、まだ上手く狙えるぜ」


 鉄斗も銃の腕前は並みだが、彼の射撃を見ていると自信が満ち溢れてくる。

 そして彼は銃の腕前の無さと同様に、煽り耐性も皆無のようだった。

 笑えるくらいに憤っている。ゆでだこのようだ。


「神を愚弄するのか!」

「本物の神様だったら罰当たりだ。でも、あんたはバカにしないと罰が当たりそうだ」

「貴様ァ!」


 リーダーは拳銃を撃ちまくる。がそのほとんどは外れ、鉄斗はのんびりとメインアームであるマシンピストルを取り出し、リーダーへ向けて放った。

 彼の頬を銃弾が掠め、血が流れる。

 彼は自分の血を見て、ショックで凍り付いた。


「俺、俺様の血……高貴な神の血が……!」

「神様の血っていうのは随分安上がりなんだな?」

「こ、この――殺せ! あいつを殺せ!! 撃て、撃ちまくれ!」


 奇天烈な音楽の演奏が交差点の真ん中で始まる。銃声と未発砲のカチリという音の協奏曲。さらには味方の身体を撃ち抜く者までいる始末だった。


「訓練ってのは大切なんだよ、神様」


 鉄斗は助言を口走りながら、数台並んで停車しているパトカーの後ろへと隠れる。本来なら車体は遮蔽物としてあまり有用ではない。基本的に壊れやすくできている車のボディは、銃弾が貫通してしまうことがよくある。一番頑丈なのはエンジン部分なので、単純に遮蔽物として利用するならそこに隠れるのが通例だ。

 鉄斗は一度ボンネットを背にして、敵の音楽が終わるのを待つ。

 すぐに演奏は中断された。デタラメな射撃に、弾数を考慮しない乱射。知識のあるプロだけじゃなく、その手のゲームをやったことがあるだけの素人でさえ、失策であることは判断付くだろう。

 しかし彼らにはそれがない。そうでなければ神様なんて気取らない。

 鉄斗はボンネットの上に身を乗り出して、交差点の真ん中で混乱している集団に向けてフルオート射撃をお見舞いした。

 一応急所は避けて撃つ。足や腹、手を撃たれて何人かが地に伏せた。

 銃創を受けたメンバーの悲鳴を掻き消す勢いで、リーダーが憤怒の叫びを上げる。

 そこへ鉄斗はさらなる煽りを調合した。


「どうしたんだ? 神様。弱弱しくて涙が出るぞ」

「クソが! お前など本当は敵でも何でもないクソ雑魚だ!」

「誇張の混じった嘘は止めたらどうだ? そんな弱さでどうやって俺に勝つんだよ、神様」


 鉄斗は再び身を乗り出し、ロングマガジン内に残った弾を全て吐き出す勢いで三点射する。とりあえず周囲に被害を及ぼしそうな爆発物や散弾銃を持つ神様グループを無力化。残りの単発銃や小銃は良しとして、一度リロードのために隠れる。

 マガジンを装填。何度か車体に弾丸が命中する音が聞こえたが、鉄斗に届く様子は見られない。せいぜい、割れた窓ガラスがアスファルトに散乱するぐらいだった。

 タイミングを見計らって、鉄斗は再び引き金を引く。怒りに呑まれたリーダーの安物拳銃を撃ち抜いた。

 壊れた拳銃の破片が、リーダーの右腕に突き刺さる。


「おっとごめんな。あまりにもぼさっとしてるからカッコつけちまったぜ」


 鉄斗は相手を嘲笑し、どれくらいの効力を発揮したか様子を確認する。

 リーダーは壊れた拳銃を持ったまま、突然笑い始めた。周囲のテロリストたちですらぎょっとした表情を浮かべている。

 彼は拳銃を投げ捨てて、血の付いた手で頭を掻きむしった。


「ああ、何を勘違いしていたんだ俺は。そうだ、致命的な勘違いをしていたんだ」

「ようやく気付いたか? なら――」

「ああ、どうして素直に力を解放しなかった。だってお前は、魔術師なんだから」

「何――うわッ!?」


 鉄斗が遮蔽物にしていたパトカーが突然宙を舞う。まさに念動力の如く。

 ギリギリで回避したが、危うく潰されるところだった。


「魔術師同士の争いなら、狩人が介入することはない。だから――お前を捻り潰しても、別に問題ないじゃないか」


 鉄斗は冷や汗を掻く。リーダーは本気を出し、彼の意見に同調したテロリストたちが銃器を投げ捨ててそれぞれの力を出し始めた。

 一瞬で理解する。こいつらは間違いなく自分よりも強い。

 しかし躊躇する理由はなかった。鉄斗はOTs-33を唸らせるが、


「ハッ! 雑魚が!」

「なッ! くそ……!」


 放たれた弾丸が念動力によって歪められ戻ってくる。脇腹に衝撃を感じつつも一度後退しようとするが、


「よくも主神をバカにしてくれたわね!」

「ぐあッ!」


 少女がテレポートして目の前に現れて蹴り飛ばされる。そこへ高速移動してきた少年がナイフを振りかざして鉄斗の背中を裂いた。態勢を整える前もなく、足が凍って身動きが取れなくなり、今度は電撃を浴びせられて絶叫する。

 嘲笑が場を包んだが、痛みのせいで鉄斗は周囲の状況がよくわからない。


「先程までの威勢はどうしたんだ、無能魔術師君? 何もできないじゃないか、何も!」


 リーダー格の男は念動魔術で鉄斗の身体を宙に浮かせると、地面へ思いっきり叩きつけた。背中を強打し、息と共に血を吐き出す鉄斗を見て笑うと、同じ手順を何度も繰り返す。


「どうしたどうした! 勝ってみろよ、吠えろよ、さっきみたいにさぁ! どうしようもない雑魚じゃないか! 全くもって無能じゃないか! ふは、はははは嗤えるぜ!!」


 鉄斗は言い返すこともできず、バウンドするボールのように何度もアスファルトへ打ち付けられた。骨が折れたような音がしたが、もはやどこが痛いのかも定かではない。

 全身が痛かった。気を失ってしまいそうになるほどに。

 十回以上身体をバウンドさせられた後、永遠に続くかと思われた暴挙は終わりを告げた。

 ぐったりする鉄斗の頭へ別の男が手を翳す。記憶を読み取っているようだ。


「さて、こいつへの天罰はどうするべきかな。あそこでビビっているガキは殺すとしてだ」


 リーダーが指し示した先には顔を青くしているピュリティと、関心がなさそうなシャティアがいる。

 苦痛に支配されている身体でも、それが演技であることは見抜けた。


「まだ……終わって……ぐあ!」

「終わったんだよクソ雑魚が。これから罰ゲームの時間だ」


 男は鉄斗を踏みつけた。鉄斗に足を払いのける力は残っていない。

 いや、例え万全の状態でも払えたかどうかわからない。実力差は明瞭だった。


「どうだ?」

「最適の女がいましたよ。こいつの家で帰りを待っている幼馴染。見せしめにはちょうどいいんじゃないですか?」

「そいつはいい。傑作だ」

「待て……待ってくれ!」


 鉄斗はヒステリックに叫んだ。その様子がおかしかったのか笑いが漏れる。


「君華は……関係ない。無関係の人間なんだ! 手を出さないでくれ! 俺はいくらでも――ぐはッ!」


 リーダーは鉄斗の頭を蹴り飛ばした。


「言われなくてもお前はボコボコにする。地獄をみせてやるさ。ただ、それだけじゃ足りない。罰の量が足りないじゃないか。だから、その前にお前の大切な人間を壊す。お前の要望通り、お前の目の前で、その君華へ女をめちゃくちゃに犯してやる。その後で、お前の目の前で血祭りに上げてやる!」

「そんな……嘘だ、やめてくれぇ!!」

「はっはっは! みっともなく泣き叫べよ敗者! 悪いのは全部お前だ! 無能なのが悪いんだよ! 俺たちと違って、どうしようもない雑魚なのがなぁ!」


 勝ち誇るリーダーと、残虐な笑顔をみせるテロリストたち。

 彼らに、鉄斗は最後の質問をした。


「無関係な人間なのに……お前は、お前たちは手を出すのか?」

「ああ、当然だとも! 元々この国の人間全部――いや、世界中の人間は、俺様たちの奴隷だからな!」

「そうか……そうなのか。なるほど――そうらしいぞ? シャティア!」


 鉄斗は痛む身体を黙らせて、シャティアに叫んだ。そこでようやくリーダーが驚愕する。


「あ? お、お前!」

「煽り耐性……大事だな。ピュリティの言った通りだよ……」


 身体がボロボロでなければ鉄斗が笑う番だった。元々思慮浅い連中だと思っていたが、ここまでうまくいくとは。


「それは、聞き捨てならないねぇ……」


 シャティアが重い腰を上げて、再び戻ってくる。リーダーは慌てて言い訳を述べた。


「い、いや待て待て、今のは言葉の綾で」

「言葉の綾で人類を奴隷にするなんて宣言しちゃうかなぁ、普通」

「あくまで理想、妄想だ。本気なわけないだろう?」

「どうかなぁ。私には本気に見えちゃったけど」

「そんなことはないって。それにさ、煽ったこいつが悪いんだ。俺たちはただの人間――い、いや魔術師ではあるが、まだ魔術師相手にしか攻撃をしていない」

「でも、実際に魔術師はボコボコにしてるしさ、人間をボコボコにする可能性も無きにしも非ず、だよね。鉄斗も、そう思うよね」

「ああ、そう思う」

「貴様は黙ってろ」

「ピュリティちゃんはどーう?」


 シャティアが振り返って呼びかけると、ピュリティは両手をメガホンのようにして叫んだ。


「肯定!!」

「だってさ。これは言い逃れできないねぇ」

「く、くそ――ええい、構わん! 元より狩人なんて敵じゃねえ! あいつの顔を立ててやっただけだ! 神々の力を披露してやる――!」


 リーダー格はそう言い放ち、手をシャティアに翳した。パトカーや鉄斗を持ち上げたような念動魔術を発動させるつもりだろう。

 しかし男は唸るだけで、シャティアはとぼけ気味な顔を作るだけだ。


「あ、な、何――」

「おや? あなたの魔術さ、貧弱過ぎたみたいだね」


 シャティアは銀のお守りを懐から取り出して見せつけた。


「私のお守りの加護の方が、強力みたい」

「くそが――殺――う、ぐああああ!」


 リーダーが絶叫する。それと同時に、切断された右腕が地面を汚した。彼は飛び退き、他のメンバーたちも瞠目してシャティアを見つめる。彼女は余裕の表情で一閃させた鎌の柄を右肩の上へ乗せ、鉄斗へ手を差し伸べた。


「大丈夫? 無能魔術師君」

「助かったよ、狩人」

「それはこっちのセリフだよ、鉄斗。……ありがと」


 シャティアは鎌の切っ先を神テロリストたちへ突きつける。


「さぁ、狩りを始めようか。行くよ、井の中の蛙たち。或いは、子牛を親牛だと勘違いしている世間知らずたち。頭の中お花畑な君たちに、ビターな現実を教えてあげよう」

「殺せ……殺せぇ! 奴らを、殺せ!!」


 リーダーの怒号で、神様たちが動き出した。

 同時に、シャティアも動き出す。かつてそうであったように。

 そしてこれからも、そうであるように。



 ※※※




「ここよ」


 ビシーが提示した建物の入り口へ矢村は怖じることなく入っていく。ビシーが不調の身体を酷使してついていくと、愉快な声が室内を反響した。


「こんにちはぁ雑魚の皆さん!」

「二人しかいないが」


 矢村のつまらなそうな返答に、男はにたにたとした笑みで応じた。


「いいじゃないですかぁ、別に。細かいこと突っ込んだってしょうがないでしょ? で、何しに来たんですか雑魚さん。え? 殺されに来たんですかぁマジかぁ!」

「私この人好きになれないわ」

「同感だ。手早く済ませよう」


 矢村は警察手帳を取り出した。


「警察だ。お前たちにはテロの容疑がかかっている。大人しく投降しろ」

「はぁ? バカじゃないですかぁ? 素直に逮捕されるわけないじゃないですかぁ!」

「ほう、だったらどうするんだ?」

「こうするんですよ、ほらぁ!」


 男は肉体を加速させ、矢村とビシーに突撃してくる。ビシーは咄嗟に杭を出そうとしたが、やはり体は万全ではなかった。迎撃が遅れて焦ったが、


「死ねやああごはぁ!!」


 矢村が男を殴り返して事なきを得る。


「なんだ、この程度か?」

「くそったれ、まぐれ当たりだ! この野郎!」


 男はいったん矢村から距離を取り、ナイフを投げてくる。矢村はそれを難なく躱すと懐から92Fを抜いて、高速移動する男の足を的確に撃ち抜いた。男がごちゃごちゃに積まれた荷物の山に突っ込んだ後、絶叫が建物内に轟く。ビシーは思わず耳を塞いだ。


「嘘だ、嘘だぁ!」

「速いだけじゃないか。どうしてそれで強くなったつもりでいられるんだ」

「そういう可哀想な人、魔術師には多いわよ。大体情弱なだけなんだけど」

「これだから魔術師の犯罪者って奴はどうしようもない――」

「動かないで!」


 今度は女が安物拳銃を矢村へ突きつけた。


「殺すわよ、調子に乗った刑事さん? そっちの娘もね」

「私は娘なんかじゃないわ」

「こんな生意気な娘はお断りだ」

「なにそれ」


 ムッとして言い返すが、それより輪をかけてイラついたのは女性の方だった。


「ふざけたやり取りしてないで――きゃあ!」


 矢村は脈略なく女性の足へ向けて拳銃を撃つ。が、悲鳴とは対照的に、女性は無傷だった。身体の表面をバリアーのような膜が覆っているようだ。


「わかったでしょ? 私に銃は効かないわ。だから――えっ?」


 矢村は脅しに屈することなく走り出した。女性は慄いて拳銃を撃つが基本的には当たらず、偶然命中コースに入った弾丸を矢村は最低限の動作で躱す。女性へと肉薄した矢村は拳銃のスライドを掴んで、強引に引き弾丸を排出させると、そのままスライドを外して発射不能にする。

 そして、無敵ゆえに無防備だった女性の腕を掴むと、あらぬ方向へと捻った。


「ぎゃああああああ!」

「レディらしからぬ悲鳴だ」

「どれだけ装甲が硬くても、関節技は効く。なるほどね」

「そういうことだ。警察を舐めない方がいい」


 矢村が女性を拘束していると、ビシーの背後からこつん、こつんと足音が聞こえて来た。ビシーが痛みに耐えながら振り返ると、誰もいない。ため息を吐いて、ゆっくりと息を足音のする方向へ吐く。

 紫色のガスが足音の響く空間に拡散して、すぐに苦しそうな叫び声が響いた。


「透明になるなら足音も消さないと」


 本来は専門外であるはずのアウローラにすら劣る隠密性のなさだ。優れた能力を持っているのに、その能力の欠点が浮き彫りになってしまっている。

 生まれついた魔力量と、自身の性質にあった魔術。その二つを組み合わせれば、絶大な力を得ることができる。ある意味彼らはビシーと同類だったが、同時に正反対の魔術師でもあった。

 力に、魔術に。真摯に向き合っていない。

 その魔術で何ができて、何ができないのか。

 強みと弱みを全く理解できていないのだ。


「無能のバカを見て気付いたんだけど、才能があったらあったで努力しないとダメみたいよ。むしろ才能があるからこそ……人一倍の努力が必要。じゃないとしょうもない手品でやられちゃうわ」


 スリーブガン。袖に仕込んだ小さな銃で、自分は倒されてしまった。

 あの負け方を、ビシーは納得していない。

 そうとも、全然全く認めたくない。

 だから、次に戦う時は、同じ手は絶対に食わない。例え相手が自分より弱くたって、油断しないことに決めた。

 フィアナ騎士はノーカウントだとしても、まだ気に入らない相手は残っている。


「いないわね」

「本命がか?」


 その発言で手錠を繋がれた不快な男が声を荒げたが、二人は取り合わない。


「ええ、そう本命。私を斬った男。ここにいる連中のように慢心していない、刀の使い手」

「刀、か。守護者の一派か?」

「そんな事情は知らないわ。外国人だし」

「おまけにガキだしな」

「ガキは余計。……少し探ってみるわね」


 ビシーは目につく魔術の痕跡を探したが、それらしきものは見つからない。

 十中八九使い捨ての連中の、確実に露見するであろうアジトの中に手がかりを残すほど、敵は間抜けではないようだ。

 しかしそれでは困る。――死んだ意味がない。


「あの男の居場所なら知ってるわよ」

「本当?」


 無敵女のセリフにビシーが食いつく。しかし女は意地の悪い笑顔へと表情を切り替えた。


「もちろん、教えるわけないけどね。きゃはは」

「ふぅん」


 ビシーは相槌を打ち、床に伏せさせられている女の顔へ近づく。


「あなたの魔術はそうね、一部の物理法則を歪めているのかしら?」

「私の魔術はね、どこがすごいかと言うと――」

「ああ、詳しい説明はいらないから。だってあなたの術式の強度じゃ、狩人の銀弾はろか対魔弾も防げないし。でも、残念ながら矢村、あなたは持っていないわね」

「あくまで俺の担当は一般の殺人事件だからな」

「オーバーワークな気がしないでもないけどいいわ。さて、じゃあ始めましょうか」

「は? だから私の魔術に――」

「効かないわね。普通の攻撃は。たぶん、単純なポイズンクラフト――杭の投擲じゃ、通用しないでしょ。その点は褒めてあげる。でも、あなた、毒ってなんなのか、知っていて?」

「毒――は? 毒は……」

「毒は、まぁ一般的に想像するのはわかりやすい毒物よね。推理物でよくでる青酸カリとかトリカブトとか。それらも確かに毒よ。でも、そう――例えば」


 ビシーは毒を作成する。手の上に浮かんだ液体は黒い。しかし漂うのは香ばしい匂いだ。


「コーヒー……?」

「正解。正確にはその中身に含まれるカフェインね。何なら緑茶や麦茶、チョコレートとかでもいいわ。カフェインは神経に作用するの。ふふっ、こう説明するとちょっとぞくっと来るわね」


 ビシーは浮くコーヒーの球体に指を突っ込んで舐めた。苦い、と苦笑して、


「カフェイン中毒は知っているかしら。まぁ知らなくても、中毒って言えば依存している状態、っていうのはわかるわね。危険薬物認定こそされていないけど、カフェインっていうのは簡単に手に入る精神刺激薬。どう? なんかとても怖い飲み物に思えてこない? コーヒーが。でも安心して。中毒者はいるにはいるけど、治療は可能だし、死亡者も滅多にいない。コーヒーを飲んでダメージを受けた人よりも、コーヒーを飲んで元気をもらう人の方が多いでしょう。でも、ここで重要なのは、過剰摂取で死人が出るってところ」

「……生半可な量じゃ死なないでしょ。知ってるわ」

「そうね。矢村刑事にコンビニでコーヒーを買い込んできてもらったとしても、せいぜい情けなくおもらしするあなたが見れるぐらいで、死なすことは困難でしょう。でも、私の得意な魔術はポイズンクラフト。毒を呪いとして再現する魔術。だから――」


 ビシーは左手でもう一つコーヒーの球体を作り、二つの液球を一つにした。同じ要領で、また一つ、また一つと液体同士を圧縮させていく。


「できるのよ、私には。何の変哲もないコーヒーを圧縮して、大量のカフェインを含んだ液体に変えることが。さて、あなたの無敵に、改変される物理に、コーヒーは含まれているのかしら。ま、別に含まれていてもいいわよ。似たような要領で、あなたが毒なんて思ってもみない物を毒呪として生成し、毒殺するから」

「む、無理よ。できるわけがない」

「そう? じゃあ、早速実験してみましょうか」


 ビシーは女性の口元へ液球を近づける。――人間とはバランスが重要な生物だ。どれだけ身体に良いとされる物質でも、過剰に摂取すれば毒になる。言うなれば、この世全てが人間にとって毒なのだ。それを防ぐ手立てはない。

 もっとも、そんな理論を振りかざしたところで、本当の強者は軽々と一蹴してくる。

 さて、この子はそんな強者なのか。ただの警官である矢村に倒された自称神は。


「い、言うわ!」

「あら残念」


 ビシーはコーヒーを女性の顔にぶちまけた。彼女は口や鼻に液体が入らないよう必死に吐き出したり鼻を吹かしたりしているが、ただのはったりなので無駄な努力だ。

 ただし完全な嘘というわけでもない。同じ手順でカフェイン中毒を引き出すことはできるが、そんな手間をかけるぐらいならもっと適した毒を使う。


「では、聞かせてもらおうか」


 矢村がコーヒー塗れの女性を、尋問し始めた。



 ※※※



 ピュリティは鉄斗が無事なのを確認して、安堵の息を吐いた。鉄斗はよく諦めているから死んでも構わない、と口にする。

 だが、彼がそう言って戦う時の場合は大抵、何かしらの秘策があることを今までの経験から知っていた。


(でも、精神衛生上よくない……)


 例え必要なことであろうとも、あそこまで暴行を受けなければならないのは、理不尽に思う。しかし世界とは理不尽、だと学習している。

 理不尽の中で、最適な選択をして、人生をより良くしていくしかない。


(治療タイミング……見計らう)


 不用意な治療は能力の発覚に繋がる。敵が自身の力を試しているとは、みんなから散々言われていたし、ピュリティも心に留めている。


「……けて」


 だけど、いや、だからこそ、その声は脳を揺さぶった。


「んぅ?」


 ピュリティは声の方へ振り返る。顔につけられたナイフの切り傷が痛々しい少女だ。褐色肌が特徴的で、首輪が嵌められている。


「助けて……助けて、誰か……!」

「要救助対象……!」


 ピュリティは地面に倒れた少女へ近づいた。身体の至るところから血が川のように流れている。放っておけば遠からず死ぬだろう。


「死にたくない……死にたくないの……」


 その姿は今まで治療したみんなと重なった。

 似たように、みんなから求められた時、ピュリティは力を行使した。

 それが今までのピュリティの役割だった。回復薬、治療薬。

 ……それ以外は、お荷物。今も実際に戦えていない。戦うための力は備わっているはずなのに、その運用方法がまだわからないのだ。

 こればかりは、時間を掛けて習得するしかない。義姉さんもビシーも、鉄斗だって、長い年月をかけて訓練してきたのだから。

 力があるからこそ、しっかりと勉強と練習を積み重ねなければならない。そうでなければ、その力は自分を狂わす呪いとなってしまう。

 ただでさえ多くの人が呪われた。義姉さんも、博士も、鉄斗も。

 クルミや君華、ビシーにだって。シャティアも、自分のせいで酷い目に遭った。

 きっと呪いはまだまだ続く。ならせめて、自分にできることはきちんとやる。


「了承。――治療開始」


 ピュリティは、心の声に従い少女を治療した。

 他人に頼られるままではなく。教えられる通りでもない。

 自分の意志で、責任をもって、全力を賭して治療する。

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