第21話 辛いからこそ

 気まずい空気が場を満たしている。

 リビングのソファーではシャティアが背もたれに寄っかかり、出されたブラックコーヒーを嗜んでいる。

 ピュリティは彼女から遠ざかるように座り、君華は居た堪れない表情でお盆を胸に抱きしめて立ったままだ。

 鉄斗がどうしたものかと思案していると、服の裾を引っ張られた。

 アウローラが眉間にしわを寄せている。


「彼女は君が呼んだのか?」

「違うが……」

「ならさっさと追い払うといい」

「まだ彼女に事情を聞いてないし、それに……」


 狩人もまた、アサシンと同じく弱き者の味方だ。もっともその対象は限定されてしまう。アサシンは誰でも平等に救い、平等に殺めるが、狩人は違う。

 狩猟対象は魔術師。庇護対象は人間だ。

 なので、アウローラが彼女を嫌悪する理由は理解できる。


「あいつがいたらおちおちアウローラのこともバカにできないんだけど?」


 いつの間にかアウローラの脇にいたビシーも反発する。と、アウローラが物凄い形相でビシーを睨んだが、深くは追及しないことにした。

 何もなかった。アウローラが眠った後にビシーは何もしなかった……はずだ。


「そう言うなよ。別に何かされたわけじゃないし」

「あなたは狩人を庇うの? 魔術師のくせに?」


 異常なものを見る目つきでビシーは見上げてくる。


「俺に言わせれば狩人も魔術師も関係ないよ。どいつも俺より強い」

「すっごいイラッとするんだけどそれ。あなたはいいかもしれないけど、あなたに負けた私もクソ雑魚って言ってるようなものよ。アウローラはどうでもいいけど」

「私も不快感は拭えんな、鉄斗。君はもう少し自分を高く評価した方がいい」

「いや、そんなつもりじゃ」


 鉄斗は言い訳をしようとするが、


「事実じゃないかなぁ、それは」


 というシャティアの宣戦布告によって中断させられる。


「は?」


 威圧的な声がビシーから放たれた。彼女が声を荒げることは滅多にない。


「君たちさ、負けたでしょ。実力とかさ、勝敗の前では何の意味もないよ。中身がどれだけ強かろうが、負けは負け。弱いは弱い。そうでしょ?」

「それは聞き捨てならないな、狩人。この女が弱く見られても私は心底どうでもいいが、私はこの中で一番の強者だ」


 アウローラが反発すると、コトン、とコーヒーカップが受け皿の上に置かれた。


「一番の強者、ねぇ。アウローラ・スティレット……魔術騎士にして調停局所属のエージェント……肩書は立派だし、実力も確かに備わってるね。否定しないよそこは」

「なら、発言を撤回――」

「でも、今のところあなた、雑魚相手にしか勝ててないよね。知ってるよ? 全部知ってる。雑魚専にごちゃごちゃ言われたくないんだよね」

「お前――」


 アウローラの眉間に青筋が浮かぶ。鉄斗は頭を抱えたくなった。恐る恐るビシーの様子も確認するが、一転、彼女は含み笑いを浮かべている。

 どうやらアウローラの痴態を見れたので、自分への悪口は不問とするらしい。恐ろしく切り替えが早い。人を馬鹿にする以上、自分が馬鹿にされた時の対処法を心得ているのだろう。

 しかしアウローラは違う。笑い方をまともに思い出せない少女は、怒りの沈め方も完全に把握できていない。己の感情に振り回されやすいのだ。


「おいおい落ち着け、アウローラ」

「そこまで言うなら戦え。正々堂々の決闘を――」

「え? やだよ。なんでそんなことしなくちゃならないの?」

「こ、このッ!」

「義姉さん、ストップ!」

「ピュリティ?」


 怒りに身を任せたアウローラはピュリティの一喝によって止められる。


「こっち来て、義姉さん」

「し、しかし私はそこの狩人と大事な話が――」

「義妹との話よりも大切なの?」

「何を言う、ピュリー。義妹との話の方が大切に決まっているだろう」


 真顔でアウローラは返事をし、手招かれるままピュリティについていく。ほっと胸をなでおろした鉄斗は、ポッドを持ってシャティアのカップにコーヒーを淹れた。


「お前さんに言い分があるのはわかるけど、あまりアウローラを刺激しないでやってくれ。彼女もいろいろと苦労してるんだ」

「別に。私を追い出そうとしていたから、私が彼女を追い出しただけ。でも、意外。あなたは出て行かないんだ」


 感心するシャティアの対面にビシーは座った。


「少し興味が湧いたのよ。どうやら私たち、似た者同士みたいね?」

「似た者同士、ね。心理学的見識では、似た者同士は仲良くなるか、磁石のように反発しあうかのどっちかって言われてるけど」

「心理学は平均値でしょ。個人個人の相性は実際に対峙しないとわからない」

「なるほどね。確かに私とあなたは似てそう。ま、狩人と魔術師って立場は変わらないし、どうやらあなたは結構な数の無実の人間を殺してるようだけど」

「ふふ、その通り。事実よ。けれど、反省しているし、許されるなんて思ってないわ。ここにいるのは……美味しいごちそうがいるというのも理由の一つだけど、贖罪の意味も兼ねてるの」

「自己満足だけどね」

「ええ、自己満足よ」


 言い合ったビシーとシャティアはしばし見つめ合い――二人で固い握手を交わした。


「改めて、私はシャティア」

「私はビシー」


 挨拶を交わす二人を見て、君華がぼそりと呟いた。


「……今のって喧嘩する流れじゃなかったの? 鉄斗君」

「俺に訊くな。なんかそういう暗黙のルールでもあるんだろ」


 二人の絆はさっぱり理解できないが、無駄に争わないならそれでもいい。

 鉄斗はビシーの隣に座った。君華はテーブルの上にクッキーを並べる。シャティアは君華へとウインクして、


「気が利くね。君、いい奥さんになれそう。可愛くて世話好きとか最高」

「えっ、そ、それは気が早いって言うか」

「私は遅すぎる気がするわ。ねぇ、鉄斗」

「よくわからないが、結婚とかそういうのはまだ早いんじゃないか? 高校生だし、そういう相手もいなさそうだし」

「ああ……うん、そうだよね。いやわかってるよ。そういうのはさ、フィクションの中でのお話だって。少女漫画とかで楽しむエンターテインメントだって」


 鉄斗の淡白な反応に、君華がなぜか気を落とした。鉄斗はその反応を怪訝に思いながらも、シャティアへ質問を述べた。


「手間取ったが、単刀直入に訊く。どうしてここに?」

「一言で言えば護衛だね」

「つまり使えない核兵器ってことね」


 ビシーがクッキーを頬張りながら理解を示す。


「え? どういうこと?」

「抑止力ってことさ。まぁ、核兵器は欠点が多すぎて使い物にならないが」

「環境汚染が良くないよね。その点、私みたいな狩人はゴミをまき散らして汚すことはない」

「えっと……」

「前に教えた通り、狩人は魔術師を監視し、目に余ったら排除することを生業にしている。つまり彼女がいる限り、ピュリティを狙う連中が魔術的な攻撃を仕掛けることがなくなるのさ」

「で、でもピュリティちゃんは魔術師じゃ……」

「彼女は魔術師か、否か。なんて誰が決めたの?」


 シャティアはしたり顔でクッキーを食した。


「あ……!」

「少しずるい気もするけど、ピュリティのカテゴライズは曖昧だ。クルミ姉さんが発令した二人の情報でも、明確に魔術師だとピュリティは分類されていない。言うなればその他、の区分だな。だから例外的措置として狩人がピュリティを警護することも可能なんだ」

「と言ってもこれは今回限りの特例だから、あまり期待しないでね」


 気楽にシャティアは言うが、鉄斗は重く受け止めている。

 はっきり言って異常事態だ。それだけピュリティの存在が世界にとって注目され始めていることになる。


「ミア――アサシンと役割分担してるってことか」

「あ、彼女に会ったの? だとしたら、その考えは誤りだよ」

「……やっぱりか?」

「そういう反応するってことは何か言われたでしょ。きっと、私とまともに会話するな、とか? はぁ、本当に彼女、しつこいなぁ」

「やっぱり知り合いなんだな」

「よく会うんだ。なぜか知らないけど私が出向いた先で出会うアサシンは彼女ばかり。ま、あの根暗が何を言おうと、私は私のやり方で行くけどね」


 ビシーは再びコーヒーを口に含み、


「そう、いつもの通り……死体ばかりを見て……」

「シャティア?」

「何でもない。じゃあ、そういうことだからしばらくはよろしく。君華ちゃん、空き部屋ってある?」

「家主は俺なんだけどな、一応」


 何食わぬ顔で君華に案内を頼んだシャティアにぼやいた鉄斗は、ビシーが自分のことを直視していることに気が付く。


「どうかしたのか? やっぱりシャティアが気に食わないとか――」

「さっき言ったでしょう。彼女は私と似ていると」

「ああ、それが?」

「鈍いわね、鉄斗。……まぁ、なんだかんだ言ってあなたのことは信頼してるわ。私は調べ物があるから」

「あ、ああ……」


 ビシーはクッキーをかき集めて席を立つ。

 残されたのは空っぽになったお皿と悩みが頭をもたげる鉄斗だけだ。


「これで一安心、とはいかないよな……」


 狩人とアサシンがいるから、ピュリティの安全は保障される。

 そんな単純な世界なら――悲劇なんて一掃されているはずなのだから。



 ※※※



 日建市の治安は悪くはない。しかし飛び抜けて良いというわけでもない。

 ミアは市街地へ何度も繰り出しながら所感を抱いていた。

 そもそも世界の治安など、恐怖の大王事件で多くの善なる人々が死んでしまってから、悪化の一途を辿っている。

 弱体化が顕著だったのは調停局だが、それ以外の組織も当然優秀な人材を失った。

 魔術同盟では、当時まで勢力が衰退しつつあった邪悪な魔術師が幅を利かせ、人間社会では数多のテロ組織が台頭している始末。

 世界規模で考えれば、日本の治安は良い方だ。しかしそれは情報規制の賜物でもあるし、無影流忍者が暗躍している証でもある。

 社会の混乱を避けるために未公表であるテロ未遂事件は数知れず。

 それらを考慮しても、日建市の治安は悪くはない。だが……。


「これからは悪化していく、か」


 恐らくはあの少女を狙うために。しかしだからと言ってここから別の場所に移送すれば本末転倒だ。

 それをこそ、敵は狙っている。一部の者しか察知できていないだろうが、例の組織のシンパはどこにでも紛れ込んでいるとアサシン教団は考えている。

 警察組織や自衛隊、守護者、軍、国連……。

 アサシンでさえも例外ではない。

 狩人でさえ。


「シャティア」


 ミアは狩人の名前を呟く。

 赤上鉄斗は言いつけを守っているだろうか。


「どうせ守れまい」


 念押ししておいてなんだが、ミアは結論付けている。

 あの女の強情さは天下一品だ。殺さなければ治らないだろう。


「む――」


 ミアは目ぼしいものを見つめて、立ち止まる。

 何の変哲もない飲食店。しかし引っかかるのは看板に記された煽り文句だ。


「日建最辛ラーメン――そして伝説へ――」


 生真面目な表情を、ほんの僅かに綻ばせた。


「いいだろう。辛さこそ人生だ」


 店内へ足を運び、食券を購入。カウンター席へ腰を落とす。店で一番辛いラーメンを注文し、出来上がりを待つ。出されたラーメンを前に一礼。いそいそとマグマ色のスープをレンゲで一口。


「ふむ」


 次はとうがらし入りの麺を啜り、期待通りの味でご満悦となる。


「君は昔から辛い物が好きだな。それではお腹を壊してしまうんじゃないか?」

「っ! 師匠」


 いつの間にか隣の席に師が座っていた。

 アサシンマスター。最強にして最高のアサシンにして、指導者だ。

 古いフード付きの装束の男は、ラーメンの器の中身を覗き込み、


「赤いな。血潮のように煮えたぎっている」

「……食欲が失せてしまいます」

「ははは、冗談だ。少女の身内と接触したようだな」

「はい。仰せの通りに」


 マスターは断定的に告げるが、ミアはさして驚きもしない。


「しかし標的は未だ発見できず。恐らく、まだ姿を見せることはないだろう。ここまでこちらを意識した相手との戦いは、久方ぶりだと言っていい」

「小生もそう思います」


 視線が器と師匠の間で彷徨う。


「――狩人とは会ったな」

「っ」


 迷っていた視線が師で固定された。


「どのような様子だ」

「……疑惑は、強まりました。いざとなれば……躊躇いません」

「覚悟を持つのはいい。……一つだけ、忠告しておこう。強固な信念は時に致命的な過ちをもたらす」

「過ち……過ちだけは、起こしません」


 愛嬌のある笑顔が可愛らしかった顔を、破裂させられた弟。

 大きなおなかを守るようにして乳房を撃ち抜かれた母親。

 産まれることが叶わなかった妹。

 自分を庇って大量の銃弾を浴びせられた父親。

 呆然とする自分を見下ろし、嗜虐的な笑みを浮かべて拳銃を突きつける軍人。


「そのための小生です」


 アサシン教団は独立的な諜報・暗殺組織だ。もし世間が自分たちの存在を知ったとしても、せいぜいカルトかテロ組織程度にしか思えないだろう。

 それでいい。本来、自分たちに役目など必要ないはずなのだ。政府と治安組織が正常に稼働していれば、アサシンなど風評の通り汚らしい殺し屋。アサシン教団は異端思想の究極、怪しげな信徒を要するカルト宗教だ。

 なのに、世界は未だ教団を必要としている。カルトでなければ救えない命がある。

 本当に辛い。辛い世の中だ。


「命を守るためなら、勇んで悪にもなりましょう。弱者を救うために、この身を捧げる所存です」

「勇敢さと向こう見ずはまた異なる。熱意を違えぬことだ」

「承知しています。……もし小生……私が、道を踏み外した時は」

「君たちは動けない私の手足だ。自傷行為は趣味ではない。さて、中間報告はこれくらいでいいだろう」

「師匠……あっ」


 ハッとして器へ目を落とす。時間経過が品質に悪影響を及ぼす食べ物の前で長話をしてしまった。ミアの年相応の反応を見てマスターは微笑む。


「案ずることはない。まだ、一秒も経っていないからな」

「い、いえ、小生は――あぁ」


 壁に飾られている年代物の時計が秒針をチクタクと刻み始める。

 師の姿は消えていた。

 ミアは苦笑すると、麺を勢いよく啜る。


「ああ、辛い。本当に、人生ってのは辛すぎる」



 ※※※



「ふむ……」


 アウローラは剣を研いでいる。物事に集中したい時によくあるメンテナンスだ。

 常に最高の状態を保つこと。それは魔術騎士としての初歩だ。

 幼い頃から身に着けていた慣習。グルヴェイグに道具として使役されていた頃も。

 調停局の一員として、またピュリティの義姉として胸を張れている今も変わらない。


「一体どういうことだ」


 父親の形見の手入れをしながら、アウローラは考える。

 義妹の発言の意味を。

 しかし結論は一向に出てくる気配がない。……知識不足、というよりは経験不足だと痛感していた。

 自身もピュリティより多少経験を積んでいる程度で、実際には彼女に毛が生えたぐらいにしか社会経験がないのだ。

 いわゆる一般的な生活を過ごしてきた君華は同情と配慮をしてくれる。それは素直にありがたい。

 だが、他人が優しくしてくれるからこそ、自分へは厳しくしなければならない。

 問題を投げ、先送りにしていいとは思えない。足りない部分は補えばいいのだ。

 その不足分を仕入れようとしていた矢先、ドアがノックされた。


「ちょっといいか?」

「鉄斗か。丁度いい、入れ」


 鉄斗はトレイにジュースを載せて入ってきた。

 不思議なのは、鉄斗も君華もいつも何か差し入れを持ってくることだ。

 それとも、日本ではこれが当たり前なのだろうか。

 いや、自分が知らなかっただけで――平和な世界では、これが当然なのではないか。


「感謝する」

「いいよ。いちいちお礼言ってたらきりないぜ?」


 鉄斗からジュースを受け取る。市販品のオレンジジュースだ。


「それで、君の用事は?」

「俺のはいいよ。後回しで。そっちは? 何かあるんだろ?」

「うむ……なら、一つ問う」


 アウローラはなるべく柔和な表情を作ろうと心掛けながら訊ねた。


「私に煽り耐性がないと思うか」

「どうしたんだ? 何かあったのか?」


 問いに問いが返されるのは至極不思議だ。アウローラは事情を説明する。


「ピュリティが言ってたんだ。義姉さんは煽り耐性がないから鍛えなくちゃダメだと。すぐに怒ってたらどうしようもないと。しかし私は寛大で、怒らないことに定評があるだろう?」

「いや、うーん……どうだろうな」

「ここに来てから一度も私は怒ってないしな」

「嘘だろ……?」

「ん? 何がだ?」

「……ビシーとのやり取りは、お前さんの中でどんな認識なのか教えてくれ」


 鉄斗はなぜか慎重な面持ちで問うてきた。アウローラは嫌々ながらも記憶を遡り、


「あの性悪女に説教をしていただけだが」

「説教? 喧嘩してたんじゃなくて?」

「喧嘩? どうして私があの下等女と喧嘩などという人と人とが行う争いごとをしなければならんのだ?」

「……怒らないで聞いてくれよ?」

「言っただろう。私は滅多に怒らない。聖母のように慈愛に満ちている」

「世間一般ではあれを喧嘩だと言うんだ。お前さんの認識はともかく、周りの認識では喧嘩……もっと正しく言えば、単にお前さんがビシーに手玉に取られていたようにしか」


 キィン、という金属音が鳴り響く。

 鉄斗は硬直しアウローラを直視している。アウローラはなるべく威圧的な態度にならないように努めた。そうとも、なるべく。


「私が毒女に言いようにされていた? そう君はおっしゃったな」

「もしかしたら語弊があったかもな?」

「手玉に。ころころと転がされている。そうのたまってくれた。いいとも。人は誤解する生き物だ。誤解と誤解を掛け算して、ようやく真実を得る愚鈍な生き物。ああ……私は、とても優しい。懐が深く、情に厚い。そうであるように努めているからな。しかし」


 今度は、ジャキン。剣研ぎはまさに感情を音で表す心象楽器だ。

 砥石が奏でる音は心音。気持ちを代弁してくれる。


「しかしだ、鉄斗。いくら優しさに満ち溢れる私でも、耐えられないこともある」

「はぁ……この際だ、言っておくがな。お前さん、ものの見事、感嘆するぐらいの短気のテンプレート――うわッ!」


 剣の切っ先を不届き者に突きつける。鉄斗は両手を上げて慄いているが、アウローラは彼の瞳から視線を外さない。

 鉄斗は冷や汗を掻きながらも、目を逸らすことだけはなかった。しばらく見つめ合い――根負けして、アウローラが剣を下ろす。


「君がそう言うなら、やはり私の認識はズレているんだろうな」

「アウローラ?」


 剣を台の上に戻して、もう一研ぎ。今度は悲しげな音色だった。


「認めたくはないが、認めなければ。私は、感情に対する対処法を忘れている。昔はこれでも……いろいろと律せたつもりだ。笑いたい時に笑い、怒ってはいけない時は耐え、泣いていい時は泣くこともできた。だが、今はどうだ。笑い方はわからず、簡単なことで憤ってしまい、泣くということがどういうことなのかも覚えていない。私はな、鉄斗。何でもできるように振る舞っている。だが、私ができることは戦えることだけ。もし本当に強い人間ならきっと……心を壊すこともなかったのかもしれないが」

「……強い人間ってのは失敗して成長する人間のことだ。壊れた心を治す……それは生半可なことじゃない。俺より強いはずのお前さんがそんな状態になるってことは、きっと言葉に言い換えられないほどの惨劇を目の当たりにしたんだろう。でも、お前さんは生きてるし、幸い、お前さんに力を貸してくれる人間も周りにいる。上手くいく、なんて保障台詞は俺みたいな雑魚は口が裂けても言えないけれど、やってみる価値はあると思うぜ」

「鉄斗……ふっ。君は強いな」

「もし本気でそうだと思っているなら、凄まじい勘違いだぞ」

「そういうことにしておこう」


 アウローラは研ぎ終わった剣の柄を握りしめ、刀身の研磨具合を確かめる。

 万全。これ以上にないぐらい完璧だ。義妹を狙う悪しき連中を両断するに相応しい。

 とは言え、武器が万全でも一人では何も成せないだろう。それは嫌というほど逃避行の時に味わった。自分が強者にカテゴライズされていると、胸を張って言うことができる。自信がない剣士の剣など、いとも簡単に折れてしまうからだ。

 だが、世界は強いだけでどうにかなるほど甘くない。才能などせいぜいスタートが少しだけ有利な程度で、慢心した瞬間に後ろから抜かれてしまうだろう。

 それは嫌だ。

 なぜならとても悔しいから。

 不意に脳裏をよぎったのは、上手に剣を扱えず泣きじゃくっていた幼い時自分だった。


「そうだ……私は負けず嫌いだった」

「だと思った。お前さんは忘れちまったかもしれないが、やっぱりお前さんの行動や言動には性格が染み付いているよ。そんな深刻に考えなくても、そのうちひょっこり昔みたいに笑えるようになるさ」

「しかし君は昔の私を知らないだろう。……もしかしたら失望するかもしれない」

「もし本当に失望するのなら、きっと殺されかけた時にしてるよ。心配するな」


 鉄斗はお盆を持って立ち上がる。そこでうっかり失念していたことを思い出した。


「鉄斗、君の用事はなんだったんだ?」

「うーん、ま、一応釘を刺しておこうと思ってたんだが」

「言えばいい。今の私は機嫌がいい」


 そうか? と問い返してくるということは、きっと今の自分の顔に感情が表出されていないのだろう。

 しかし、今はそれでいい。アウローラはせめて心の中で笑いながら、鉄斗の言葉を待った。


「シャティアと仲良くしろ、とは言わない。狩人と魔術師は気まずいってのもわかる。ヘビとカエルを同じ部屋に閉じ込めるようなものだし」

「先に言うが私がヘビであの狩人がカエルだぞ」

「わかってるって。いや、本音を言うと全然わからん。俺とお前さん方じゃレベルが違い過ぎる。どっちも勝てそうだし負けそうだ。けれど、今は争う時じゃない。俺たちの目的は同じだ。それに……」

「何か気がかりなのか? 鉄斗」

「……ビシーとシャティアはどことなく似ているよな」

「ふむ、言われてみれば確かにな。どこか波長が合うのだろう。嫌われ者同士」


 鉄斗が苦笑する。が、頷きもしていた。


「嫌われてるかはこの際置いといて、だ。単にそういうスタンスだと思っていたし、噂では狩人は辞めたい時に自由に辞められる、とは聞いていた。でもビシーに言われてちょっと引っかかってるんだ」

「あの狩人が、どこか奇妙、だと?」

「奇妙というかなんというか……」


 言葉を濁す鉄斗を見て、アウローラは合点がいった。


「諦めている、だな。君が言いたいのは」

「早とちりな気がしなくもないけど。それに余計なお世話かもしれないし……」


 ふふふっ、と笑い声が聞こえた。自身の声。


「余計なお世話こそ、君たちの得意分野だろう」

「アウローラ……」

「わかった。私もそれとなく探ってみよう。もし何もなければ、ただあの女の性格が壊滅的だったというだけで済む話だ。何かあったのなら……ああ、君がまたいつもの通り、鬱陶しいセリフを吐きながら、どうにかしてみせろ」

「それはちょっと言い過ぎだな……でも、ありがとう」


 鉄斗は部屋のドアを開け、廊下に出る。ドアを閉める直前に、にやりと笑い、


「笑えたじゃないか、自然に」

「むっ――」


 ドアが閉じられる。アウローラは戸惑いながら光り輝く剣を見落とす。

 反射する自分の顔は、無表情のようでいて。

 しかし、少し赤くなっているようにも見える。


「これは、どういう感情だったか――」


 未知の感情に惑うアウローラは、しかし突然鳴り響いた携帯電話に意識を割いた。


「何事だ……?」


 画面を確認。送信先はクルミだ。

 内容には、緊急招集とだけ記載されていた。



 ※※※



「さて、後は彼ら次第だ」


 パソコンの前に座る助手は燃え盛る油田施設を映像で閲覧しながら呟く。

 きっと今頃は日本政府も混乱の真っ只中だろう。一般市民に公開される情報は当然操作されているが、それは別にどうでもいいことだ。

 見れる者だけ見て、来れる者だけ来ればいい。


「国家の情報機関というものは優秀だ。事情を知り尽くせば知り尽くすほど、がんじがらめとなり簡単に動けなくなる。ほんの少しでも隙を見せれば、いとも容易く喉元へ噛みつかれるだろう」


 敵に賞賛を送りながらも、助手は余裕を崩さない。


「でも、目を眩ませる方法は山ほどあるのさ。日本政府も、守護者も、警察も、自衛隊も。……アサシンや狩人、調停局の目すらもね」

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