第20話 無情、もしくは有情

 ケーキは美味しい。紅茶も旨い。

 それだけでも素晴らしいが何より最高なのは、


「君、本当にかわいいね? いくつ? 趣味は?」

「うぅ……してやられた……弁解できない……」


 こじんまりとする目の前の可愛い女の子だ。これを最高と呼ばずして何が最高なのだろう。見た目は可愛いし仕草も話し方さえも可愛い。ああ、本当に尊い。尊過ぎて死んでしまいそう。いや実はもう死んでいて、天国にいると言われても信じられるぐらい。


「ふふふふ、甘美、甘美だ」


 シャティアは笑顔を絶やさない。可愛い女の子って言うのはそれだけでサイコーなのだ。

 対して少女は縮こまっている。人見知りなのだろう。


「まぁまぁケーキ食べて食べて」

「毒入りの可能性……」

「ないない。お店の人に失礼だよ? 疑心と信心はバランスよく摂取しないと」

「むう……いただきます」


 眉をハの字にしながらも、少女はクリームの塗りたくられたショートケーキにかじりつく。そうして幸福そうに頬を緩める。

 シャティアの顔にもその幸せは伝播した。少女は相手に自分の表情が移っていると気付き顔を引き締めるが、ケーキの甘さに敗北するのも時間の問題だ。


「さて、こうして友達になったところで」

「友達じゃない。初対面の他人」

「えー、つれないなぁ。いいじゃない友達で。人類皆友人でしょ? むしろ家族だったりするでしょ?」

「そうだったら犯罪なんて起きてない」


 フォークで切ったケーキをぱくついて、少女は訳知り顔を作る。残念ながら幸せそうな笑みを消せていないので、奇妙な面相になっている。

 その様子をシャティアは頬杖で一挙動漏らさず観察し、


「お見事な正論。本当に君賢いねーえらいえらい」

「おだてても無駄」

「おだててないよ。私はただ事実を口にしてるだけ。君は本当にすごい。頭はいいし、きちんと分別を弁えてる。でも、君の家族、かな? はあまり君のことを信じてくれてないのかな?」

「そんなことは……ある、かも……」


 コトン、とピュリティのフォークが皿の上に置かれる。どうやら警戒は解けてきたようだ。

 春の雪解けのように。いや、このチョロさは夏の暑さで干からびるミミズか。


「義姉さんもみんなも……私を過小評価してる。本当はもっといろいろできるのに」

「例えば?」

「例えば……アウチ……トップシークレット……日本語的に言うなら企業秘密」

「チョイス間違ってる気もしなくはないけど、なるほどね。言いたくない。もしくは言えないと。いいよ。君の言う通り私と君は初対面だ。根掘り葉掘り芋掘りめいていろいろひけらかすなんてのはちょっと急すぎるし」

「危うく丸裸にされるところだった……」

「合意の上なら喜んで裸にさせてもらうんだけどね。強姦ってのはレディに相応しくない。当然、紳士にも不適切。適切なのは旧時代的なクソ野郎だけだしねぇ」


 無論そのような輩は惨殺がお似合いだ。嫌ならば警察に逮捕されて法律できちんと裁かれ、関係組織の経験値になることをオススメする。

 などとくだらない考え事をしながらブラックコーヒーを啜ると、彼女は興味津々な様子でコーヒーカップを注視した。


「苦いの好きなの?」

「いんや。甘い物の方が好きかな」

「だったら」

「慣れてるからね。苦いのは」


 嫌というほどに慣れている。辛くも甘くもない、後味に残る苦さは。


「シャティア?」

「長居が過ぎたかな」


 カップを置いて立ち上がった。代金をテーブルの上に置く。


「お会計はできる?」

「う、うん。行くの?」

「そうだね。楽しいひと時をありがとう、名前の知らないお嬢さん」


 少女の方へと近づいて、そっと頬にキスをする。彼女は少し驚いたが、恥ずかしそうにはにかんで、


「私は、ピュリティ」

「いい名前だね、ピュリティ。あ、一つ忠告するけどさ」

「何?」

「君、ちょっとチョロすぎるよ。クソ野郎に引っかからないように気をつけてね」

「うう……否定できない……」


 悔やむピュリティを最後のお土産として、シャティアは店を後にする。

 ――これにて第一調査は終了。能力に関してはまだまだ不明点は多いものの、対象の人格については判定できた。十分すぎる成果だ。


(ぶっちゃけ能力よりも人格の方が大事だし)


 狩猟対象の強さを事前に把握することは勝利への近道だ。しかし狩人は遠回りしてでも対象を討伐できる。前回狩った時間操作蛙も、例え事前情報がなくとも問題なく倒すことは可能だった。プロファイリングデータを利用しない理由はないので大いに活用させてもらったが。

 なので、シャティアはそういう強さの指標よりも相手の人格を重要視している。クソ野郎にはクソ野郎に相応しき対処法を。誠意ある者にはそれなりの誠意をみせる。だが残念なことに誠意ある人間なんて素晴らしい存在が狩りの対象になることなどまずないので、久しくお目にかかることができていない。

 いつも目にするのは死体だけ。

 クソ野郎と、罪のない人間の遺体だけだ。


「……疲れてるのかな」


 先程からつまらない思索に耽っている気がする。シャティアが自己状態を分析しようとした刹那、


「むッ――」


 突然ナイフが飛来して、それを躱す。


「外れたか」

「外れたんじゃなくて外したんじゃない? アサシンちゃん」


 シャティアは視線を上に向け、八百屋の天井で陣取っているパーカーのフードを被る少女に語り掛ける。琥珀色の髪の少女は透明度の高い眼差しでこちらを見下ろしたまま佇まいを直さない。


「お前の論調で小生の精神が乱されると思うか?」

「思ってたらこんなにマジで警戒なんてしないって。何、君もこの件に関わってるの?」

「日本政府の手に余る事案の恐れがあるのでな」

「政府って言うか、国家の枠組みに囚われている者では太刀打ちできないだろうね」


 堂々と話しかけている間も周辺の人々は行きかっているが、二人に気付く様子はない。そういう卓越した技術がアサシンにはある。なので、シャティアも一目を気にすることなく平然と会話に興じれた。


「で君はどうするの?」

「単純明快。暗殺だ。そういう貴様こそどうするのだ」

「……何もしないよ」


 シャティアはアサシン少女から視線を外す。その反応を待っていたかのように少女はシャティアを嘲笑った。


「やはりか。やはり貴様は何もしないのだな。そうだ。狩人はそういう存在。人類最後の防衛装置を謳いながら、実際に人が傷つくまで何もできない。そしてまた、魔術師同士の争いには介入できず、救えたかもしれない大勢の命が散るのをただ黙ってみているしかない」

「そう、それが狩人ってもの。よくご存じで」

「小生だったら耐えられんがな」

「ご察しの通り私は煽り耐性に定評があるので」


 シャティアはお辞儀をすると、その場から立ち去ろうとする。その背中に向けて、アサシンは言葉を吐き捨てた。


「それでも貴様は辞めないのか、狩人」

「担い手が少ないからね」


 振り返らずに手をひらひらと振って、シャティアは次の目的地に移動する。

 彼女がどんな表情をしているのかはわからない。

 そして自分がどんな顔をしているのかも、想像を拒んでいた。



 ※※※



 結論として、アウローラの反乱を鎮圧することには成功した。

 もちろん、鉄斗が力業でねじ伏せたわけではなく、ビシーによる麻酔毒呪の効力だ。アウローラは義妹想いの反面暴走しがちな部分もある。

 彼女の出自を考えれば致し方ないとは思うが、かと言ってこう何度も暴れ回れては困る。

 普段は二人の仲を危惧する鉄斗と君華も、今回ばかりはビシーと利権が合致した。アウローラは強制的に眠らされ、とても嬉しそうなビシーが彼女を監視している。


(君華がいるから大丈夫だと思うけど)


 しかしあのとびきりの笑顔には不安を感じずにはいられない。安心するためにも一刻も早くピュリティを見つけ出して帰らなければならない。

 買い物途中に出くわした体で。そうすればピュリティも納得してくれるはず。

 などと考えながら道を進んでいくといきなり、


「動くな」


 首元にナイフを突きつけられ鉄斗は戦慄する。恐るべきは今普通に目の前を人が歩いているのに、誰もこの異常事態を認識していないことだ。アウローラよりも高度な秘匿魔術が展開されている。


「要求は何だ」

「要求? ふん、貴様に要求したところで何を得られる? もう少し頭を賢く使え」

「じゃあ何で」

「ただの素行調査。どう考えたってそう結論付けられるはずだ」

「いや無理――ぐ」


 ナイフのひんやりとした感覚が喉の上から伝わる。強気で言い返せたのは、この少女から全く殺意を感じられないせいだ。世の中には殺意や殺気を対象に認識させることなく殺せる人種がいる。

 そしてその人種は恐れる必要がないのだ。人間として真っ当に生きている限りは。


「アサシンだろ?」

「認識が遅いな。それで守れるのか? 彼女を」

「守れるかどうか訊かれたら守れないと思う。でも、見捨てることはしない」

「幼稚な回答だ。……だが、好ましい。そういう考え方は好きだ。無謀であることには目を瞑ろう」


 アサシンと思われる相手はナイフを外し、鉄斗の前へと移動した。琥珀色の髪を持つ少女で、服装は白のパーカーに青いジーンズというどこにでもいそうな風貌だ。

 そう、どこにでもいる。悪しき存在がいるところに唐突に現れる。それがアサシンだ。


「ミアだ」

「俺は赤上」

「知ってる。来い」


 そう言って手招きすると、ミアは先に進んでいく。鉄斗は少し悩んだが、彼女に従うことにした。

 ミアはハンバーガーショップに立ち寄って買い物をし、鉄斗を公園のベンチへと誘う。二人並んで座ったかと思うと、紙袋から包みを二つ取り出してそのうちの一つを鉄斗に渡す。


「食べろ。先程の詫びだ」

「ありがとう……ごふっ」


 一口食べて咽る。よく見るとパンにサンドされている部分が全体的に赤く染まっている。


「辛いのは苦手か?」

「いや……まぁ食べられるよ。お前さんは好きなのか?」

「昔は嫌いだったが、慣れている。人生とはからいものだ」

つらい、じゃないのか?」

「ふふっ、そうそれだ。よく言い返した。最近はアサシン相手に尻込みしてツッコミでさえ返してくれない輩が多い。何もしない者に、我々が何かすることはないのにな」


 ナイフを突きつけるからじゃないか、とは指摘しなかった。


「貴様はアサシンを恐れないようだ。いいとも。我々は恐怖の対象じゃない……極悪人以外にとってはな」

「俺はそういう世界の嫌われ者とは割と仲が良くてね」


 調停局も世界的に見れば疎まれる組織だ。まぁ調停局に所属するような物好きはそれを知った上で働いているし、クルミに至っては悪く言われている状態が花だと言っていた。

 もし世界中で調停局が求められるような情勢になったら、それこそ世界崩壊の危機であると。


「我々のような存在は嫌われている状態が丁度よい。君はそれを理解しているようだ。たまに勘違いする者がいる……正義、秩序、平和のために戦うような人間がちやほやされる世界はクソだ。我々は嫌われ疎まれ見下される。それこそが最良。最高なのは役立たずと罵倒される状態なのだが、嫌われることはあっても役立たずと文句を言われたことはない。酷い世の中だ」

「でもそうやって誰かのために戦うことは立派だと思うけど」

「ふん。それを言うなら普通に働いている人間全てが立派だろう。戦うことはしょせん数ある仕事のうちの一つなのだ。人々は社会で働くという尊さをもう一度考え直した方がいい。どのような職業であれ、尊ばれるものだ。弱者から搾取するような悪行は除いて」


 ミアはハンバーガーを食べ終える。赤いチリソースが付着した口元を抜いて、鉄斗へと視線を注いだ。


「まぁ私は世間で言うところのニートに該当する存在だが」

「アサシンだから違うだろ。正規の仕事ではないけどさ」

「まぁ、そうだ。ニートは金食い虫。アサシンは意地汚い人殺し。おっと、アサシンを讃えるのはなしだぞ」


 アサシンは非常に弱く汚らしく、思慮浅い暴力的な集団。

 という噂を流布した張本人こそアサシン教団だとは鉄斗も知っている。


「アサシンは弱い。いいな」

「ああ」


 その戦略を妨害する意図は鉄斗にもない。今は少ないだろうがそれでも騙される悪人はいるようで、彼らが真実を知る時はその命が尽きる時だ。


「さて、くだらないおしゃべりはここまでにして、本題に入ろう。君が知っての通り、ピュリティは狙われている。それも我々ですら未だ存在をはっきりと断定できない正体不明の組織によって」

「アサシンですら正体を掴めないのか」

「敵は最初から我々への対策に万全を期していた。グルヴェイグは暗殺対象としてリストに記載されていたが、優先度は低かった。なぜだかは言う必要はないな」

「ああ。悲劇は日常茶飯事。知ってるよ」

「言い訳にしかならないが、片づけるべき案件は毎日山のように増える。そうなると、どうしても優先順位をつけざるを得ない。敵は、我々が介入する前にピュリティを回収できると踏んでいたはずだ。しかし、邪魔が入った。本来なら脅威として認識されるはずのない貴様の存在が、連中の出鼻をくじいた」

「雑魚の特権って奴だな」


 思わず皮肉が口を衝いたが、


「ああ、そうだ。貴様はみんなが認める由緒正しき雑魚で無能だった」


 ミアは真摯に同意する。これならまだバカにされた方がマシだとは思ったが、事実は事実なので素っ気ない返答だけに留める。


「その通りだ……その通りだよ」

「数値化されない脅威がピュリティの奪取を阻止し、次にはフィアナ騎士を巻き込んだ陰謀を暴き、彼女の能力情報の流出を避けた。だが、すぐにでも次の刺客は現れるだろう。だからマスターは私をここに派遣した」


 ミアはコーラをストローで吸う。


「じゃあ俺たちを守ってくれる?」

「もちろんそれは任務内容に含まれる。が、なぜこうして接触したのかというと、貴様たちに過度な期待をさせないためだ」

「過度な期待?」


 ミアはデザートであるクリームパイを包みから飛び出して噛り付く。


「そうとも。小生の主要任務は……今回の刺客の背後関係を洗うこと。噛み砕いて言えば護衛任務ではなく暗殺任務だ。アサシンの名の通り、貴様たちに危害をもたらす存在を殺しに来た。ゆえに――」

「あくまで警護はついでだから、慢心しないでくれってことか」

「理解が早くて助かる。貴様たちは万全を尽くして彼女を守ってくれ」


 ミアはゴミを紙袋の中に入れ、丸める。そして、指を弾き、琥珀色の炎で焼却した。


「別に俺が捨てても良かったんだが」

「食事跡の一つも残すわけにはいかない。ここに私がいると認識するべきは、貴様だけだ。まぁ、それでも気付く奴は気付く。そういう相手を殺すのが仕事だ」

「寂しく思うことはないか? 悪い奴を殺しても誰にも気づかれなくて」

「誰かに認められたくて暗殺しているわけじゃない。功績とも無縁だ。ただ小生……私は――もう二度とあんなことはごめんだ」

「あんなこと?」


 ミアは質問には答えずに、鉄斗へ念を押した。


「いいか、小生のことは口外するな。それと……奴とは絶対に接触するな。口も聞くな。無視しろ」

「奴? 奴って誰だ?」

「察しが悪い男は嫌われるぞ」


 不機嫌な顔をしてミアは言うが、いくらなんでも情報が少なすぎる。そう鉄斗は指摘しようとしたが、その前に答えが思い当たった。


「ああ、狩人か。アサシンがいるなら……」


 そして魔術関連の事案であれば、必ず狩人は現れる。


「遅行な思考では、瞬く間に殺されるぞ。頭は常に回しておけ。これがただの一般人ならば欲張りな要求であるが、貴様は残念なことにただの一般人ではない」

「わかってる。助言感謝するよ。でも、狩人とアサシンは別に敵対しているわけじゃないだろ? どうして接触するななんて」

「いいから聞け。黙って聞け。絶対にあの女の手は借りるな」


 そうして、ミアは公園の外を指で示す。先にはピュリティが歩いていた。偶然だと判断するほど鉄斗は愚かではない。ここまでがミアのシナリオだろう。

 そして彼女のシナリオに鉄斗の反論は含まれていない。


「絶対に、絶対だ」

「ミア――ああ、消えた」


 ミアは忽然と姿を消している。アウローラ辺りなら彼女を追いかけて詳細を訊ねられるかもしれないが、鉄斗では不可能だ。

 鉄斗は頭の後ろを掻きながら、とぼとぼと帰路につくピュリティへ声を掛ける。


「ピュリティ、奇遇だな――おい?」


 せっかくピュリティに気遣って偶然を装ったのに、ピュリティは酷く落ち込んでいる。


「鉄斗、私、ダメダメ。きっと今頃乱暴されて死んでる」

「何言ってるんだ? 別に何ともないだろ」


 ピュリティの発言は不安を醸し出す内容だったが、ついさっきまでアサシンと共にいたので悪人に何かされたという可能性は除外できる。しかしピュリティには何か気がかりがあるようで、


「みんなに申し訳ない……鉄斗にも。私はダメな子。何もできない、役立たず……」

「そ、そんなことないって。ほらこうして一人で帰れたろ?」

「ラッキーだっただけ……これも全部、耐性がないのがいけない……」

「耐性? ……どこかで買い食いした、とか?」

「うぅ」


 ピュリティが嘆く。両手を顔で覆った。


「食べた。チャラい人にお店へ連れてかれた……」

「……念のために確認するが、手は出されてないんだよな?」


 チャラ男のナンパがアサシンの管轄外である可能性は否めない。ピュリティはこくこくと頷いて、


「金を出されて、キスされたけど、何もない……」

「え……?」

 

 心配になるようなことを口に出す。


「おい、本当に大丈夫――」

「情けない恥ずかしい……う、うう……うわああああ!」

「ピュリティ!?」


 まさに脱兎のごとく、ピュリティは駆け出した。鉄斗は慌てて追いかけるが、ピュリティは無意識に力を引き出しているようでどんどん引き剥がされてしまう。

 息を切らす勢いで走りようやっと追いついて、家の前のドアへ反省するサルよろしく項垂れているピュリティの姿を発見した。


「ピュリティ……?」

「義姉さんに合わせる顔がない……いかがする」

「いかがって……素直に、何があったか話せばいい」


 鉄斗としても子細を聞いておきたかった。少なくともさっきの調子ではただ事ではない。彼女の貞操観念の無さを鉄斗は重々承知している。もし何かあったのなら……と思うと胸が締め付けられる気分だ。


「う、うむ……鉄斗、先に」

「ああ……ただいま」


 ドアを開けて、帰宅の挨拶。だが、返事がない。

 少しだけ訝しむ。いつもなら幼馴染の挨拶が最初に返ってくるのだ。


「君華? 帰ったぞ?」

「義姉さん」


 ピュリティも同じように疑問を感じているらしい。義妹の帰宅を出迎えるのは義姉だと相場が決まっていた。

 二人揃って顔を見合わせて、リビングのドアを開ける。すると、


「あ、おかえりー」


 ボトン、とピュリティが持っていたバックが床に落ちる。ピュリティはすっかり青ざめて、震えた指で挨拶の主をさした。


「あ、あ……さっきのチャラい人……!」

「んー一時間ぶりってとこだね、ピュリティちゃん。お、彼が噂の無能魔術師君かな」

「今日はやけに無能呼ばわりされるな。慣れてるけど」


 いつもは自虐なのでなんとも言えない気持ちにさせられる。が、黒髪の古風な格好をした少女は全く気にする様子なく手を差し出して、


「私はシャティア。……狩人協会から君たちの護衛として派遣された狩人だよ」

「なっ……マジか」


 ミアに絶対に接触するなと釘を刺された存在。

 その彼女が、鉄斗の前でにこにこと満面の笑みを浮かべていた。



 ※※※



「作戦なんてもの、本来なら立てる必要なんてないんだけどねぇ。仕方がないのさ。支援者に、ちゃんと考えているってアピールしなくちゃいけないから。だから、みんな気を悪くしないでくれよ?」


 眼鏡をかけた青年は、周囲に集まる同胞たちに笑いかけた。皆は青年の説明に納得し、小馬鹿にするような笑い声を漏らしている。

 ここに集うメンバーは全員が同じ思想を持つ選ばれし者たちだった。

 全員が特別な力を持つ。一般人が彼らの力を目の当たりにした時、口を揃えてこう呟くだろう。

 神、だと。ここにいる者たちは皆、神に匹敵する能力を持っている。


「俺たちに支配される栄誉をこの国は得た。貧弱な日本の自衛隊や警察では、到底俺たちを止めるなんてことはできない。アリが海の荒波に勝てると思うかい? 思わないよな。だから、作戦なんて必要ない。力を出して、駆逐してしまえばいい。でも、それだとちょっと困ったことが起きる。これから使役される奴隷たちの数が減ってしまう。それはとても面倒だ。交配して数を増やすのには時間が掛かる。だから、ほんのちょっとだけ、俺たちは我慢しなくちゃならない。弱い彼らのせいで俺たちが不自由を強いられるのは少し気に食わないが、仕方ない」


 周囲の面々は青年のうんざりした口調に同意する。奴らが雑魚なのが悪いんだ、というヤジが飛んだ。


「というわけで、これからいくつかの段階を踏む。みんなにはちょっとだけ耐えてもらいたい。素晴らしき我らの世界のために。神々の楽園のために」


 青年は作業台へと近づいて、覆ってある布を取った。隠されていた品々が露わとなる。大量の銃火器。反政府組織から正規軍まで、世界中のあらゆる無能な人間が使用する武具の数々。


「これを使うことで、俺たちの作戦は完璧に履行される。支援者も喜ぶだろう。無論……終わった後は連中を始末するが、それはまだ先のことだ」


 青年は支援者を嘲笑するが、突然背後にスクリーンが浮かび上がり肩を震わせた。


『そちらの準備は終わりましたか?』

「く、こ、このっいきなり通信するな!」

『おや、驚かせてしまいましたか。これは申し訳ないことをした』


 黒髪の少年は朗らかに謝罪する。グループの支援者こと、助手だった。


「驚いてなどいない……! みんな、紹介するよ、彼が我々の支援者だ」

『僕のことは皆さまの計画を援助する助手、と認識してください。こちらの準備は滞りなく完了しており、すぐにでも実行に移すことができます。恐らくもう説明されていると思いますが、あなた方の持ちえる崇高な能力はまだ使用しないように。そちらに用意した人間のおもちゃを使ってください』

「言われなくてもわかっている。助手風情が口出しするな」

『これは失礼。気分を害されてしまいましたか。日本の守護者及び調停局についてはお任せください。あなたたちはただ時を待てばよいのです。……一つ、懸念するとすれば狩人とアサシンですが……』

「ハッ、狩人? アサシン? あんな連中、脅威にはなり得ない。奴らが強いと思い込んでいる奴らは情報弱者、世間知らずなだけだ。そもそも守護者とやらも大した実力を持っていないだろう。未だ核兵器が世界最強の兵器だと勘違いしているような奴らばかりだぞ」

『ああ、そうでしたね。あなた方は恐ろしく強い。まさに神の如き強さです。しかし神の御手を汚すのはよくないでしょう。対策はするに越したことないのです』

「ふん。わかった。もう下がれ」

『最後に一つだけよろしいでしょうか?』

「何だ?」


 忌々しそうに青年は訊くが、助手は笑みを絶やさない。


『我々が贈呈した品は、ご自由にお使いください。どこでも携帯しお好きなように』


 青年は初めて笑みを浮かべた。


「ああ、自由に使わせてもらう」


 その締めくくりを聞いて、助手が映し出される映像は切れた。グループの視線が端でロープを巻き付けられた褐色肌の少女へと集中する。

 彼女はカタカタと震えて、今にも泣き出しそうになっている。青年は身動きのとれない彼女へと近づき、


「好き勝手に、な」


 ナイフを取り出して少女の顔を切りつけた。悲鳴が轟き、一斉に笑いが起こる。


「さぁ、始めよう。神が君臨する庭の――剪定を」


 神に相応しき庭を造るために。

 起点となる場所は助手が最適だと示した土地、日建市だ。

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