ハンティング&アサシネーション

第19話 世界とはかくありき

 狩り、と聞いて連想する対象は何だろうか。

 獣狩り? さもありなん。遥か昔、文明なんてものが毛が生えた程度の頃から、人類が行う生存活動だ。

 生きるための糧として、また獣害を予防する自衛のための手段として。

 人類の発展は狩りと共に果たされた。

 狩りなくして、また狩人なくして人類の進化は有り得なかったのだ。

 だが、その進化の過程において狩りの対象の幅が広がった。

 人狩り。これもまた然り。

 昔の人々は現代に生きる人々と比べると、とても器が小さかった。

 互いの違いを受け入れられず、自分より弱き種族や異端思想を持つ存在を徹底的に狩った。

 今もまだ人々の心の器は少量だが、それでも古き者たちよりはマシだ。

 ……この二つで終わり。そうとも、普遍的な世界に住む、知識無き者たちにとってはそうだろう。

 彼らはそれでいい。知るべき事柄と知らないべき事柄が世界にはある。

 そして、三番目に上げられるのが、知るべきではない事柄だ。

 それを知っている者は、人狩りと明確に差別化したうえで、こう呼称する。

 魔術狩り、と――。




 鼻歌が響いている。

 響かせるのは道を進む黒髪の少女。古い黒ハットと近世的なデザインの男物コート。

 服装自体も奇異だが、それよりも目を引くのは肩に担ぐ武器だった。

 漆黒の巨大な鎌。農作業に使用される目的で製作された物だとは言い難い。

 無論、少女も畑仕事に行くわけではないし、その先にある林の中で林業に勤しむわけでもなかった。

 狩り。

 狩りに出向くのだ。


「ふんふんふーん」


 鼻歌を気分よく鳴らす少女は、突如として奇行に奔る。

 前触れもなく鎌を周辺に振るう。そして何食わぬ顔で数メートル進んだ後、また鎌を振るう。その動作を幾度か繰り返した後に、林の中へと入っていく。

 林に囲まれた広場に現れたのは、古びた洋館だ。

 少女の風貌と相まって、時代が巻き戻ったかのような印象を与える。

 懐かしきヴィクトリア朝時代へと。

 しかし今は二十一世紀。時代は変わった。ヴィクトリア朝が終わりを迎えたのは百年前。

 しかしやることは百年前から、いやその遥か昔から変わりない。

 これから対峙する存在もまた不動だった。


「さってと、ハロー?」


 戸口を叩く。備え付けの呼び鈴も鳴らしたが、反応はない。

 となれば、方法は一つ。

 鎌が一閃し、扉が切られ空いた隙間から少女は堂々と侵入する。

 洋館の中に入ると暗いエントランスが出迎えてくれた。

 そのありがたさに感謝をし、少女は舌打ちする。腰に掛けていたカンテラを取り出して火を点けると、右手は油断なく鎌の取っ手を掴みながら目当ての人物の捜索を開始した。


「ハロー? もしもし?」


 英語で訊ねるが返事はない。心の中では毒づくが、直接表に出すことは避ける。

 まぁ、こうなることは薄々予想できていた。

 こちらは招かれざる客。なのに、紅茶が出てくるなんて期待を膨らませるほど、少女は初心でなければ図々しくもない。

 いつも通り、普段通り。

 何百年にも渡る伝統。模式美という奴だ。


「上か、下か」


 少女は上階を探索するか、地下室へ潜り込むかを思案する。

 これが段取りが組まれた正規の来訪ならば、温かい笑顔と紅茶、運が良ければスコーンまで出て来て、イギリスがメシマズ国家なんて言われるのが嘘っぱちだと本気で思えるほどの優雅でほわほわな一時を過ごせただろう。

 だが、生憎現実は非情である。暗く冷たく無機質な、無人のエントランスがお出迎えして下さったとなれば、上階には誰もいない可能性が高い。


「地下、か。魔術工房」


 魔術師が必死になって守ろうとする研究施設。

 そう、魔術の本質は研究だ。しかしなぜだか、本当に不思議なことに魔術師という奴は、まるで己が世間を席巻できているような錯覚に陥りやすい。

 魔術という業を持つことが、偉大なことであるかのように。

 今回の標的もまた、そういう自意識過剰な奴だった。


「ナルシストがオッケーなのは、クリエイターだけ」


 後は可愛い女の子なら許そう。他は認めない。うざいから。

 少女が地下への階段を下りていくと、出くわしたのは何の変哲もない地下室だ。

 まぁ見方を変えれば怪しげな場所に見えなくもないが、今のところは古びた空き倉庫に過ぎない。

 カンテラを誇り塗れの床に置き、ポケットにしまっていたコンパスを取り出す。


「あの方なら不要だろうし、私だって本気出せばいけちゃうけどさ、これ便利じゃん? 手っ取り早いじゃん? だからノーカンノーカン」


 誰にでもなく言い訳を呟きながら、少女はコンパスが示す方向へと近づく。

 この職業柄、単独行動は多い。すると独り言が多くなってしまうが、誰かに見られない限りはセーフだろう。自分の乙女力はそれなりに維持されている、と自負する。世間から見れば男物にカウントされてしまう伝統衣装が魅力を押し隠している気もするが。


「ここかな」


 壁の前で停止して、コンパスを仕舞った後、銀の弾丸を取り出した。中折れ式ピストルを取り出して、薬室に弾を込める。自動拳銃や、せめてリボルバータイプの方が楽なのではと思うことは少なくないが、今から対峙する相手は弾数より一発の威力が重視される。

 自分たちにたっぷりの弾薬は必要ない。アサルトライフルが必要なのは軍人。

 対して、自分たち――狩人には、たった一発の弾丸で十分なのだ。


「バーン」


 間抜けな物真似と共に放たれた独自改造ワイルドキャットカートリッジは、魔術で構成された偽造壁をぶち破る。大型ピストルを仕舞い、ご満悦な表情で少女は魔術工房へ入ると、早速侵入者迎撃用のトラップが発動したが、


「便利だよねぇ、お守り」


 常時身に着けて手放さない強力な祝福が施されたお守りによって、全て弾かれる。たまに突破してくる凶悪な罠もあるにはあるが、それを対処する術を身に着けているので、特に問題なく工房内を進むことができた。

 時折目に入るのは魔術師らしい気取った古本と、前時代的な魔術道具たち。

 それに加えて……人の死体。

 フラスコに入っている赤い液体には思い当たりがあった。


「媚薬か。ほんと、クズ野郎ってなんでどいつも似た発想なの」


 少女はため息が止まらない。ついでに言えば悪口も。ここにある素敵なマジックアイテムの数々は魔術師が力量を高めるためというよりはただ己の欲望を満たすための品々だった。

 有り体に言えばクズ魔術師のお屋敷。魔術で耐性のない人々を騙して財を成し、そればかりか気に入った女子どもを誘拐して性欲に従って生きている。

 こういう古き人間はめっきり減少したが、絶滅はしていない。


「とっとと絶滅すればいいのに」


 少女は独り言ちながら進む。そうして、ようやくお目にかかれた。


「来たな、狩人」

「来ましたよ、魔術師さん」


 絶大な自信を隠す様子もなく、その魔術師はいた。

 歳は若い。二十歳かそこいらだ。勘違いするには最適なお年頃。


「のこのこと俺様に殺されに来たか」

「俺様系だったの。意外ね」


 つまらなそうに少女は言う。視線を外した先には、泡を吹いて倒れる全裸の少女がいた。薬物を盛られたのだろう。

 ああ、よくある光景だ。平和じゃないところで繰り広げられる日常だ。

 その光景を目の当たりにしても、少女は全く動じない。


「まぁサクッと終わらせましょう。いろいろやりたいこともあるし」


 怖じることなく饒舌に少女は語る。友達に話しかけるように。

 まともな会話はいつもこんな感じだ。年端もいかない少女をレイプしたクソ野郎とのお喋り。それぐらいしか会話する機会がない。


「大体さぁ、この鎌、持ってると肩凝っちゃうのよね。マッサージしてもらいたいわあ。あ、あなたは願い下げだけど。どうせなら可愛い女の子がいいなー」

「口数が多いガキだな」


 男は嘲笑的な笑みを浮かべる。しかし少女は煽り耐性を完備しているし、他人を煽るのも得意だ。


「ガキがイキる姿ってさぁ、どうしてこうも滑稽なのか不思議だよねぇ」

「あぁ?」


 簡単にお切れなさったので、自尊心は相当高めらしい。これがただの一般人なら単純に自分が意地悪かつ性悪女で終わるだけだが、お生憎、この男は無実の人間をレイプなさった絶滅危惧種のクソ野郎様なので引け目は感じないし、話し方を変える気も起きない。丁重に、ご丁寧に、罵倒して差し上げないと気付けないだろう。

 自分が井の中の蛙だということに。


「あらあら、もうキレちゃった? あなた徹底的に向いてないわね。悪いことしてるのにさぁ、それが悪いって言われたらキレちゃうんでしょ? 若者特有の逆ギレでしょこわぁ。私怖くて一日九時間しか眠れそうにないし、食事も朝昼晩とおやつと夜食ぐらいしか喉を通りそうにないわ。あ、きちんとダイエットしてるから太らないぞ?」

「殺してやる」


 と憤る男。きっと小学生の方がまだ我慢強いだろう。


「殺人犯じゃなければさぁ、優しく教えてあげたのにね」

「死ねクソ女!」


 そう叫ぶや否や男が消える。否、少女の背後に現れてナイフを背中に突きたてるところだった。

 速度の問題ではない。そして、転移魔術を発動した兆候もなかった。

 少女は成す術もなく背中に一撃をもらい、そのまま刺殺される――。


「ん、遅い」


 寸前に、ナイフが弾かれる音がした。

 右手を抑えつけて距離を取る男の悲鳴も。


「何、バカな!」

「バカって酷いなぁ。バカにバカって言われると、結構傷つくよ? ねぇねぇ、きみぃ、私が何の対策もしないでさぁ、のこのこと現れると思った? ああ、思ったのなら君が井戸蛙だって証明になったでしょ? 今から君のことゲコゲコって呼んでいい? 余命は僅かだけど、あだ名つけてあげる」


 満面の笑みで煽ってあげると、男は顔を真っ赤に染め上げる。

 そうして、また消えた。

 いや、これは消失ではない――。


「んー、跳んだか」


 逃げられた事実を知りながらも、少女は余裕を崩さない。

 しかしその表情は無へと変わる。


「遅れて、ごめんね」


 先程とは一変し、悲しみに満ちた表情で、傍に倒れる遺体に謝った。




 男は怒りで全身を燃やしていた。復讐以外のことは考えられない。

 あの女を凌辱し、心が折れるまで甚振ることしか。


「俺様は最強だぞ? 神に選ばし者……いいや、俺こそが神だ! なのに、何だ? 井の中の蛙? はぁ? あの女がそうだろ!」


 血が滴る右手を抑えながらも、嗜虐的な笑みを浮かべる。

 なるほどあの女は自分の能力について最低限の知識を持っていたかもしれない。

 だが、これは。

 これは絶対に予想できやしまい。

 男の能力は時間操作だった。時間を止めて敵の背後に回り込み対象を始末する。

 それが基本的な戦術だが、他にも過去や未来へ時間跳躍し、自分に都合の良い状態へ改変することも可能だ。

 生まれついて所持していたこの才能が、男を神にした。生意気なことを言った奴を殺し、好みの女を犯す。金を一生懸命惨めに働いた連中から奪い取り、贅沢三昧を過ごす。

 これが神の御業と言わずして何になる。

 そして今回、男は神の証明を行おうとしていた。

 魔術師が魔術同盟を作るきっかけとなった存在である狩人を、狩る。

 そうすれば、自分の才能に嫉妬して見下した魔術同盟の連中も頭を垂れてしもべとなるだろう。世界中の人間は全て、自分の奴隷となるのだ。

 男は邪な表情で過去へと跳び、のんきに屋敷へと向かって歩く狩人の少女を捕捉した。

 自分の存在に気付く様子はない。ここで時間を停止させ、この少女に重傷を与える。

 後は泣き叫ぶこの女を満足いくまで犯した後、世界に向けて宣言をする。

 自分こそが神だと。素晴らしい。天才的な計画だ。


「へへへ……死ねぇ!」


 男は笑いながら少女へナイフを突き刺そうとした。

 そして、時間が動き出した途端、脈略もなく振るわれた鎌で左手が宙を舞う。


「は――ぎゃああああ!!」

「お? 煽り作戦成功?」


 気楽な調子で少女は言う。ここまで計算通りだったかのように。

 しかし男は理解できない。今のは先程のような超反射ではなく、無警戒の状態で放たれた斬撃だった。殺意のない殺しの一撃だ。

 脳裏を満たすのは有り得ないという想い。しかし少女はにかりと笑う。


「ま、時間を操る魔術師を殺すのはこれで五度目だしね。殺し慣れてるから」

「は、あ?」

「随分取り乱しているようだけど君、別にレアでもなんでもないよ? まぁ、昔ながらのクソ野郎って部分にスポットを当てるとさ、博物館行きの骨董品だけど。うーん、あなたの剥製を寄贈されて喜ぶ博物館ってあるかなぁ。君、全人類の負の遺産だし」


 そうだなぁ、と少女は顎に手を当てて、


「私があなたのことなんて言って挑発したか、当ててあげよっか。たぶん、井の中の蛙。才能あるだけで何でもできるほど、世界ってのは甘くないんだよねぇ」

「嘘だ、嘘だぁ!!」

「そもそも君さ、時間を止めて相手を殺すなんて小学生みたいな方法をとっている時点で、自分が弱いって証明しているようなもんだよ? 本当に強い人ってのは、そんな子供じみた戦法をとらなくても、私を返り討ちにできてるはずなんだから」

「ち、違う! 俺は神だ! 神なんだぁ!」

「良かったね。死ぬ前に、真実を知れて」


 鎌が一閃する。

 男の首が宙を舞って転がった。

 男の絶命を確認した少女はふぅ、と一息を吐く。

 そして、当初の予定通り屋敷に向かって歩き出した。


「一人ぐらい、救えるといいな」


 希望を呟く少女は現実を知っている。

 きっと今日もまた、誰一人救えないだろう。

 無表情で進む少女の前で強い風が吹き、少女はハットが飛ばないよう片手で押さえる。

 そして、突如として現れた自分と似た格好の男に驚き……呆れた表情となった。

 顔見知り、いやそれ以上の存在だ。


「マスター」

「シャティア。日本の日建市に行け。例の少女と接触し、状況を確認しろ」


 そう告げたや否や、師の姿は忽然と消えている。狩猟対象の男が使ったような時間操作の類ではない。

 そもそも魔術自体を全く行使していないのだから、一体どういうロジックを使っているのかはわからない。まぁとうに物理法則や自然法則を、ましてや魔術を超越した神殺しなのだから、深く考えたところで理解しようがない。


「こんなとんでもがいるのに、どうしてちょっと魔術ができるくらいで世界征服できる気になるのか、さっぱりわからないなぁ」


 だから少女改めシャティアは討伐対象にいつも教えている。

 世間知らずだと。


「でも、携帯電話でいいと思うな、これは」


 少女は苦笑して、それでも屋敷への歩みを止めない。

 仕事はまだ終わっていなかった。

 せめて哀れな被害者たちを弔ってあげなければ。



 ※※※



 君華誘拐事件から二週間。すっかり状況も落ち着き、平和な日常が赤上家に訪れていた。鉄斗はソファーでテレビを眺めながら、静かな毎日を謳歌している。


「本当おかしい、滑稽、滑稽だわ! ここまで激マズな料理が作れるとか、もはや才能ね!」

「ええい殺してやる、どけ君華、離せ!」

「待ってアウローラちゃん! その剣しまって! 大丈夫だよ、まだ初心者なんだから!」


 平和な、日常を……。鉄斗は極力背後で繰り広げられる喧騒をシャットアウトするよう努めていたが、もはや限界を迎えていた。

 君華は約束通りアウローラに料理を教えた。が、未だ彼女が義妹に料理を振るう段階には至っていない。

 その原因はビシーがアウローラを嘲笑った通りのものだ。

 アウローラの料理の腕前は、魔術や剣術とは真逆の方向性に位置していた。

 端的に言ってへたくそだ。

 しかしなぜここまで劣悪な料理を拵えてしまうのか、誰にも原因はわかっていない。君華はちゃんとレシピを教え、アウローラはその手順をしっかりと守っている。

 一度目は苦笑、二度目は疑心、三度目は激情。アウローラはバリエーション豊かに料理の出来栄えを教えてくれる。


「何でダメなんだ? どこがいけない?」


 鉄斗はテレビを消して、キッチンへと振り向いた。


「それがわかれば苦労しない――って顔してるわよこの子」

「だから抜剣禁止? ならナイフなら構わんのか? みたいな顔もダメ! もちろん拳もアウトだからね!」

「おい、鉄斗――」

「銃はレンタルしないぞ? 戦闘行動は俺の家では禁止な?」


 注意勧告をすると、アウローラは外に出ようとするがビシーは手をひらひらと振って、


「あ、お外に行くならどうぞご勝手に。私、しばらくこの家出るつもりないから」

「この毒女が!」

「最高の褒め言葉どうも。で? ピュリティはいつ帰ってくるのかしら?」


 ビシーが何気なく訊ねたピュリティの所在は、アウローラを苛立たせる材料の一つだ。


「メディカルチェックが終わるのは三時……だからもうすぐだな」

「ってことは今日も、手料理はお蔵入りね?」

「くっ」

「ビシーちゃんもあまりアウローラちゃんを煽らないで」

「これでも控えめなんだけど、まぁ、あなたに免じて従ってあげるわ」


 ビシーは非常に生き生きとした澄まし顔をみせる。勝者の余裕という奴だろう。この二人が仲良くするのは水と油をスプーンで混ぜるぐらいの根気が必要なようだ。納豆だったらとっくに糸が液体状になっていてもおかしくない。


「ピュリーちゃんは平気なのかな」

「平気なはずだ……と言いたいが、やはり問題はあるだろうな」


 気落ちしていたアウローラは義妹の議題である程度の調子を取り戻した。


「博士が存命なら何ら不安はなかったのだが。あの方は魔術被検体のスペシャリストだった」

「ああ、現代のフランケンシュタイン」

「その不名誉な称号を贈りたい人間はごまんといるがな」

「そこについては同意するわ」


 ビシーは相槌を打って、箱に仕舞われていたお菓子を漁り出す。鉄斗はもう諦めていた。例えプリンの蓋にマジックで名前を書いたとしても、誰かしらに食べられてしまうのが赤上家の現状だ。

 嘆きながらもスマートフォンを取り出して、クルミに電話を掛けてみる。


『ん? 何?』

「ピュリティ、どんな感じか気になってさ」

『心配するなら引率すればよかったのに』

「アウローラに殺されるから無理だって言っただろ」


 小声でからかい好きのおば――お姉さんに反論する。今回の検診には当然アウローラが付き添いを申し出たが、検査に支障をきたす恐れがあったので却下された。義姉が不許可されているのに、自分がのこのこと二人について行った場合、帰った後どんな目に遭わされるかは未知数だ。

 なので、今回は、というより今回もクルミの采配に任せている。しかし、ほとんど心配はしてなかった。


『ああ……そうだったそうだった。んーとね、ピュリティちゃんはね、もう帰ったよ』

「ああ、そうか…………何?」


 ――こういう予期せぬアクシデントを引き起こすことを除けば。

 至極当然のように言う自称姉に、鉄斗は真顔で訊き返す。


「帰ったってどういうことだ?」

『帰ったは帰ったでしょ? 何? 日本語の再教育が必要? それとも聴覚? 或いは――』

「一人で帰したのか!?」

『だからそう言ったでしょ。大丈夫だって。ピュリティちゃんだってひとりでお家に帰れるよ? それともなぁーに? あの子のことが信用できないの? それは私のことも信じてくれないってことにも繋がるけど』

「信じられねぇな! とてもじゃないが!」

『うっわーひっどーい。お姉さん泣きそう。……本当に大丈夫よ。当人の希望でもあったし。自分ひとりでお家に帰って、義姉さんに褒められたいんだって。可愛いじゃない』

「それはそうかもしれないけど……」


 ちらり、とアウローラへ視線を送る。大声で叫んでしまったため、アウローラもそれとなく内容を把握しているはずだった。

 案の定、顔面蒼白で頭を抱えている。そしてそれを見てゲラゲラと笑うビシー。

 ここは地獄かと突っ込みたい衝動に駆られる。君華は慌てて戸惑っている始末。


『それにさ、ピュリティちゃんは日に日に成長してるの。それも恐ろしい速さでね。それは言動にも現れてるでしょ?』

「確かに、ちゃんと日本語で話すことも多くなったし……だけど」

『だけど、何? 鉄斗はさ、自分がピュリーちゃんより事情通でお兄さんで、頼りがいのある人間だと思ってない? でもさ、それは油断し過ぎと釘を刺させてもらおうかな。あの子はさ、知識の使い方がわかっていないだけ。わかっているわよね? そんな悠長に事を構えていると、あっという間に抜かされるわよ』

「わかってるよ。俺は無能だし。……本当に安全なんだな?」

『安全も安全。まぁ、私の力じゃないって考えるとちょっと癪な部分もあるけど、結果よければそれでいいかなーと』

「どういう……」

『これからいろいろやらなくちゃいけないことあるから、もう切るね。あ、アウローラちゃん宥めるのよろしく』

「おい! くそっ」


 いつものように面倒なことだけを押し付けられて切られてしまった。再びアウローラへと視線を戻すと、リビングから出て行こうとする彼女を君華が頑張って引き止め、それをおつまみにビシーが幸福そうな表情で菓子を頬張っている。


「誰でもいいからこの惨状をどうにかしてくれ……」


 しかし救い手が現れる様子がない。

 長期戦が予想された。



 ※※※



 自分は過小評価されている。

 と、君華誘拐事件の時、結論付けた。

 ただ守ってもらう人。

 庇護すべき慈愛対象。

 そうみんなに思われている。

 もちろん、そうやって大事にされること自体は嫌いじゃない。

 世の中には全く大事にされない人もいる。

 愛されない人間もいる。

 ……自分も本来はそっち側だったのだろうな、と考えている。


「でも、もう私は日本語もばっちり」


 うっかり口を滑らせてしまうことはあるけれど、日本にいる限りは思考も日本語で。

 英語もセーフだとは考えているけれど、主要言語は日本語で設定してあるし、思考回路もスムーズに働いている。

 少し前に比べたら着実にパワーアップしている。

 つまり、自分は過小評価されている。本当はこんなにちゃんとできるのに。

 自信を胸に閉じ込めて、ピュリティは路上を歩いていた。地図は頭に叩き込んであるから道には迷わないし、危険性が高い道へ入り込むこともない。


(でも、みんな心配していそう。特に、義姉さん)


 親愛なる家族であるアウローラが一番、自分を未熟だと考えている。ピュリティは知っていた。

 そしてそれが愛情によるものだとも。けれど、ちょっとは信頼して欲しい。


「それに義姉さんだってできないこともある。料理、とか」


 義姉との逃亡生活を行っていた最中、アウローラは一度も料理を振る舞うことがなかった。理由は単純明快。彼女は料理ができないのだ。

 そしてその理由をピュリティは知っていた。だが、教えてあげる機会は今のところ巡って来ない。


「むう……実に惜しい」


 それはきっと素敵なことだと思うのに。しかも最近義姉は秘密主義めいていて、元々隠し事が多かったのがさらにエスカレートしている。おまけに君華やビシー、鉄斗までもが加担している節がある。とても残念だ。

 何を隠しているのかはわからないけれど、悪いことではないと思うけれど、胸の中で寂しさが波乗りを繰り広げ、心の海を荒らしている。


「何が惜しいの?」

「っ!? 曲者!」


 心の声を読まれて、ピュリティは飛び上がる。背後には時代錯誤な服装に身を包む黒髪の少女が立っていた。彼女はきょとんとして、


「曲者? どうして?」

「私の心の声を読んだ。驚くべき読心術。きっと悪い人に違いない」


 持論を述べると、ハットを被る少女は困ったような表情で、


「それは早計過ぎやしないかなー。だって君さ、思いっきり喋ってたよ? 心の声じゃなくてお口の声だったなー。ちゃんと脳内で言語中枢で気持ちを変換した後、声帯で空気を振動させてたって」

「よもや……理系……油断大敵。理系は危ない人が多い」

「それも偏見だとは思うけどさ、こうやって出会ったのも何かの縁だし、お茶でもしない?」

「ナンパはお断り」

「酷いなぁ。けど、君は賢いよ? 賢い君に敬意を払ってあそこにあるとびきり美味しいケーキをごちそうしようと思うんだけど、どうかな?」

「ケーキ……」


 ごくり、と喉が鳴る。メディカルチェックの都合上、朝から何も食べていない。

 しかし、しかしである。見知らぬ人に食べ物をそう簡単に貰ってはいけないと鉄斗から学んでいる。


「知らない人に食べ物をもらうのは……危険だから……」

「ふぅん。これまた聡明な判断だ。じゃ、こうしよう――」


 見知らぬ少女はハットを片手で上げて、


「私はシャティア、以後お見知りおきを。愛らしい子」

「あ、う……」

「これで人見知りからはレベルアップしたでしょ。さぁ、レッツゴー」

「で、でも」

「それとも君はさ、ここで逃げちゃうほど意気地がないの?」


 シャティアの挑発的な物言いはピュリティのプライドを刺激する。


「ち、違う! 私は何でもできる!」

「なら行きましょーさーさー」

「あ、で、でも、けれど、あの……」


 ピュリティはどうにか反論しようとするが、シャティアに見事乗せられて背中を押されてしまう。

 心の中でビシーに言い包められているアウローラの姿が思い浮かぶ。

 その姿が自分と重なった気がした。


「煽り耐性……皆無……うぅ……鍛えないと……」


 悲壮感に包まれるピュリティを余所に、シャティアは彼女を連行した。


「ちょっとちょろすぎだけど、可愛げのある女の子は大好物だよ。ふふふ」


 意味深げな笑みを残して。

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