第18話 真実の果て

 騎士の動きは捉えられていたが、それは動作が単調だったからという理由に過ぎない。

 猛進は、吹き荒れる嵐のように苛烈で。

 対峙する鉄斗は嵐を気丈に耐える木々ですらない。

 落ちた枯れ葉。いや、それ以下だ。

 それを知りながら、M3を構えて鉄斗もまた走り出す。

 突撃する騎士への突貫。

 傍から見ればただの自殺だが、鉄斗には秘策があった。

 いや、策と言うほど優れた方論でもない。ただの事実だ。


「うおおおッ!」


 叫び声と共に引き金を引く。散弾が騎士に向かって放たれるが彼は防御しようともしない。図らずとも鉄斗と同じ無防備な特攻だが、スペックの差は歴然だ。

 車に立ち向かったアリがタイヤで潰されてしまうように。

 鉄斗もまたまともな遺体すら残らない肉塊へと変わり果てる。

 ……かと、思われた。


「む――ッ!」

「……このッ!」


 鉄斗は槍突きが命中する寸前で躱し、至近距離で散弾を当てる。聞こえるのは金属の反響音。優れた銃使いならいざ知らず、鉄斗の銃撃技能では常識的な範囲でしか騎士にダメージを与えられない。

 だが、そのような常識はゲッシュで保護された騎士には通用しない……が、僅かな変化があった。


「これは」


 騎士の関節に粘着物質が付着して、動作が緩慢になる。鉄斗の狙い通りだった。

 どうせ弾丸を当てたところで効果がないのだ。ならば、相手の行動を封じる手立てに全力を注げばいい。

 そしてそんな小細工が永遠に通用する相手でないことも、鉄斗の予想内だった。


「そのような奇策で私を止められると思ったか?」

「思うわけない。アウローラやビシー、紅葉でも勝てなかった相手にこの俺が一矢報いる? そんなのは絶対に無理だよ」

「なら、なぜ抗う」

「簡単だ。あんたの間違いを正すためだ」

「……私が間違っているとなぜ決めつけられる?」


 騎士は粘着弾を腕力で外し、再び突撃の構えをする。


「ここまで証拠が揃っているのに、羽音勇美の想いを水鏡亜美が代弁してくれたのに、あんたはまだ迷っている」

「驕るな、少年」


 そう告げる騎士の気迫に押されそうになる。

 しかしそれ以上に強い想いが鉄斗の胸の中に満ちていた。

 不屈の精神。……その想いは借り物だ。

 自分をずっと支えてくれた幼馴染の献身。自分みたいな出来損ないをずっと信じてくれた幼馴染の姿が、鉄斗に鋼の心を貸与してくれている。


「勇美を知らないお前が、彼女を語るな」


 騎士が刺突を繰り出しながら突き進む。


「そうだよ。何度も肯定してる」


 鉄斗は散弾銃の狙いを騎士につけた。

 何度でも言える。何回でも、何遍でも。


「俺は羽音勇美がどんな子だったか、断言できない。会ったことはない。誰かが語る彼女の鱗片で想像するしかできない」


 騎士が目の前に迫る。鉄斗はM3を穿ち先程と同じ要領で避けようとするが、やはり同じ手が通じる相手ではない。左腕を浅く槍が掠り血が噴き出す。

 だが、恐怖はなかった。不安も。


「なのになぜだ!」

「そうだッ、まさになぜだよ! 何で――!」


 騎士の脇腹に散弾を接射。今度の弾はショック弾だったが、騎士の装甲で跳弾し、むしろ鉄斗の方に被害が出た。呻くが止まらない。

 ここで何も成せなかったら、情けなさで死ぬ。だから止まらない。


「何で! 俺より彼女を知っているあなたが――!」


 閃光散弾が騎士の周りで輝く。視界が塞がれたはずの騎士は精確に鉄斗の位置を把握し、シールドで殴って来た。ビシーや紅葉を一撃でダウンさせたはずの攻撃を喰らいしかし鉄斗は地面に伏せることなく銃を撃つ。

 炎が騎士を包んだが、どうやら耐熱性にも優れているらしい。逆に鉄斗が火傷を負ったが、炎がその身を焦がす間も銃撃を止めることはない。


「彼女を誤解して、過ちを犯しているんですか!!」

「ッ!」


 最後の銃弾は炸裂弾だった。

 爆発に巻き込まれた鉄斗は吹き飛ばされ、背中を地面に強打する。燃える炎を払って立ち上がろうとするが、既に限界を迎えていた。代わりに苦悶の表情を浮かべて、起こそうとした身体が重力に従う。


「鉄斗……!」


 ピュリティが傍に駆け寄ってくる。鉄斗は手で制し、騎士を包む煙が晴れるのを待った。

 風で煙が流されて騎士の姿が露わになる。

 容姿自体は先程と相違なかった。

 だが、決定的な何かが異なっている。


「どうして、君は私と対決した。死ぬ恐れがあったはずだ」

「恐れはなかった……ですよ。だって、あなたは一度も俺のことを殺そうとしてないでしょう」


 それが鉄斗の秘策……とは到底呼べない真実だ。

 鉄斗の殺害が騎士の目的ならば、とうの昔に殺されていた。

 前回の戦いの時、鉄斗は奇跡的に騎士の攻撃を避けられた。しかしそれが本当に偶然の産物だったのかずっと疑問を感じていた。


「俺は自分の弱さをよく理解してます。俺の周りの強者たちがあなたを圧倒してたから無傷で生き延びられた。それならわかります。でも、アウローラもビシーも紅葉も、やられてしまった。なのに、俺は生きている。不思議でした。さらに言えば、全員怪我を負っただけで済んだことも、また疑問でした」


 もし迂闊な相手だったらそれでも納得できたかもしれない。しかし騎士は違う。

 だが、騎士が誰一人殺す予定ではなかったと考えればつじつまが合う。騎士の狙いは自分たち全員の殺害ではない。

 そしてまたピュリティの誘拐でもない。いくら狩人の目を誤魔化すための陽動やクルミの妨害を避けるための措置とは言え、ピュリティが必要なら多少強引にでも攫うはずだ。

 それに君華という都合の良い人質がいるのだ。ピュリティを奪うのに、こんな回りくどい方法を選ぶ理由がわからない。


「あなたの目的は……っ」


 身体が悲鳴を上げて、立ち上がれない。そこへピュリティが駆け寄る。


「鉄斗」


 ピュリティに支えられて立ち上がる。彼女は以前の時と同じように、また騎士に敗北したアウローラたちに施したのと同じように鉄斗の身体を不可思議な能力で治癒しようとしたが、鉄斗が止めた。

 騎士が身じろぐ。

 ……これこそが騎士の、そして彼に依頼をした黒幕の目的だった。


「ピュリティの力を確かめること。彼女を狙う何者かは、性能が確かなものか確認したかったんでしょう。だから、前回の戦いであなたは俺に致命傷を与えようとした。アウローラでもビシーでも紅葉でもなく、俺を。なぜなら俺が弱かったから。脆弱な俺が瀕死の重体になり、それをピュリティが治すことによって、あなたの目的は達成されたはず。だからこそ、今回の戦いでも徹底的に手加減をした」


 攻撃を受けても鉄斗がこうして生きているのは彼が加減していたからだ。アウローラたちであればこうはいかない。生半可な攻撃で彼女たちは倒せないが、鉄斗になれば話は別だ。

 慎重に火力を調整して攻撃しなければ、鉄斗はあっさりと死ぬ。即死は騎士の本意ではない。死なない程度に、しかし放っておけば死ぬ程度に。

 理想的な重篤状態に持っていくためには、繊細な威力が求められた。


「貧弱な肉体には、貧弱な攻撃力を。弱められた攻撃が来るとわかっていれば、俺みたいな奴にもある程度の対処はできます。まぁ、思いっきり負けましたがね」


 苦痛に軋む全身が、睡眠を強く要求してくる。しかし気絶するわけにはいかない。

 ピュリティの力を借りるわけにもいかなかった。少なくとも今は。


「あなたは、知っているはずです。俺なんかよりもずっと。羽音勇美さんの優しさを。そして、強さを。俺は信用できないでしょう。でも、羽音さんを、そして彼女が守ろうとした水鏡さんを、信じてください」

「て、鉄斗……は、嘘吐いてない」


 ピュリティは騎士へ瞳で訴える。支えてくれる両腕から小刻みな震えが伝わって来た。鉄斗の身を案じているのだ。

 その気配りに力を得ながら、鉄斗も真っ直ぐ騎士のヘルムを見つめる。


「ゲッシュを立てます。あなたに嘘を吐いていた場合は――」

「必要ない」


 騎士は魔槍銃へ目を落とす。多くの人を守るために仲間たちと試行錯誤を凝らして造られたである得物へ。


「私は……間違いを犯したようだ。稚拙な過ちを」


 槍が虚空へと消える。そして、現代式の魔術防具であるフィアナ騎士団の鎧の隙間から血が流れ始めた。


「起源たる……我らの原点である誓いを疎かにし、間違った誓いを立てた。彼女の復讐を成し、悲劇の起こらぬ世界を作る、などと……」

「き、騎士……さん! 私が治療を――」


 決壊したダムのように血をまき散らす騎士にピュリティが叫んだが、騎士は取り合う様子もなく背を向ける。鉄斗も騎士へ叫んだ。


「待ってください、あなたは間違ったが――」

「ゲッシュがなんなのか知っているだろう。偶発的人為的問わず、誓約を違えたものには罰が与えられる。これは当然の結果だ。過ちの責任は自分で果たさなければならない。私は……盲目的な誓いを立て、原初に立てた誓いを破り無実の人間を殺した。であるのに……このような救済を得た。自分を恨んでもおかしくない少女が気遣い、その意志を継いだ少年が私を諭し……ああ……これこそが救いだとも」


 騎士は歩き出す。鉄斗は追いかけようとして転んでしまった。

 ピュリティが支えるが、ダメージが蓄積している。これ以上は動けそうにない。


「くそ……俺は間違ったのか……?」


 確かに騎士は許されない罪を犯してしまったかもしれない。

 だが、こんな風に死んでいいはずはない。結局自分は正論を振りかざし、苦しむ人を追い詰めて死なせてしまうだけなのか。


「勘違いするな、少年」


 騎士は立ち止まり、背を向けたまま語り掛けた。


「君は、君たちは私と勇美を救ってくれた。真実を明らかにし、連中に人生を狂わされた多くの人間たちを闇の淵から救ったのだ。罪悪感に苛まれる必要はない。誇るがいい。高潔な行いだ。フィアナ騎士団が掲げた誓約に相違ないほどに」

「でも……黒幕がいるのなら、裁かれるのは――」

「連中を放っておくことはしない」

「ぐ、う……なら、せめて連中について教えてくれ……!」

「それはできない。君は既に十分戦った。これ以上、戦いに巻き込まれる必要はない。後は大人に任せればいい。私が言えた義理ではないが」


 騎士が転移魔術を発動させる。光に包まれる最中、騎士は最後に伝言を残した。


「日建士北東、木島団地。そこの205号室に彼女はいる。……謝罪と感謝を伝えてくれ」

「待て!」


 最後まで名乗らなかった騎士は転移する。

 鉄斗はクルミに連絡して騎士を追跡してもらおうとした。だが、身体が言うことを聞かなくなる方が先だった。


「鉄斗……鉄斗!! 義姉さん、急いで! 助けに来て――!」


 ピュリティの叫び声を最後に、鉄斗の意識は断裂した。



 ※※※



 騎士は武装を現出させ、目的地へと進んでいた。

 一歩進むごとに血が全身から噴き出す。

 長くはもたないと理解している。だからこそ、急がなければならない。

 戦闘能力はゲッシュ厳守時に比べて大幅に落ちている。

 しかしそれは関係なかった。

 立ち向かわなければならないのだから、立ち向かう。

 フィアナ騎士団の同胞と同じように。

 己の間違いを正してくれた、あの少年と同じように。

 不自然な静けさに包まれる都会の路地を一心不乱に進む。


「勇美……」


 羽音勇美は、フィアナ騎士団が壊滅したアヴァロン島での事件に巻き込まれた一般人の少女だった。アヴァロン島には純粋な魔術関係者以外にも、魔術と関連を持つ一般人も滞在していた。

 何らかの原因で避難が遅れた彼女の家族は娘を守ろうと必死だったと推測できる。しかしアレは、一流の魔術師でも生き残れぬほどに苛烈な災厄だった。

 フィアナ騎士団と共に騎士は撤退していたが、途中で仲間たちとはぐれて孤立してしまう。

 そして全てが終わった後、同胞たちの亡骸の中で彼女を見つけた。

 彼女を見捨てていれば全員生き残っただろう。

 しかしそんな思想はひとかけらも持ち合わせていなかった。

 それが誇り高きフィアナ騎士団の在り方なのだ。

 震える彼女を抱きかかえ、命を懸けて守ろうと誓いを立てた。

 その誓いを破り、今度は復讐の誓約を立てた。

 なんと愚かなことか。

 彼女は復讐を望むような人間ではなかった。

 彼女が殺されたという事実に我を忘れ、魔力で操られた無実の人々を虐殺し、彼女が信頼していた友人のことすら顧みることをしなかった。

 さらにはその張本人たちに利用され、嫌悪していた誘拐にまで手を染めた。

 ……他者を愚かだと思う自分こそが最大の愚人だったのだ。


「罪は清算されるが……その前に」


 どうしても果たさなければならぬことがある。

 スケジュールは把握していた。その居場所も。

 だが、目的地まで後少しのところで、銃の撃鉄が起こされる音が背後から響いた。

 青い外套に身を包んだ、仮面の男が背中に銃を突き付けている。


「いずれ私は死ぬ。捨て置けという願いは聞いてくれぬか」

「誤解だな。俺にあんたを殺す気はない」


 機械的な声音で男は応じる。しかし銃は下ろされる様子がない。

 騎士が振り返ると、左手に持っていたボイスレコーダーを騎士に手渡してきた。


「これを持っていけ」

「お前の目的はなんだ?」


 騎士の問いに、男は無言だった。信用していないというよりは、情報流失を警戒しているように思えた。

 騎士を都合よく利用した奴らのように。


「俺はお前と同じ場所にいた。……行け」


 そう述べるなり、男は立ち去る。騎士はレコーダーを見下ろし、破棄するか悩んだが、そのまま所持することにした。

 ようやく目的の会合場所へと辿り着く。

 そこには、一人の少年がいた。


「どうしましたか? あなたへの依頼はまだ完遂されていないはずでは?」


 黒髪の少年は爽やかな笑顔で訊ねる。透き通るような黄味の肌と茶色の瞳が特徴的だ。

 騎士は返答の代わりに武装を表出させた。

 少年は全てを理解したかのように相槌を打つ。


「なるほど。そういうことでしたか。しかしよろしいのですか? あなたが望む世界は我々なしでは成し得ない」


 騎士の次の返事は、槍を構えることだった。鉄斗少年と戦った時のような生半可な構え方ではない。出力は低下しているが、それでもまだ技能は死んでいない。


「となれば、僕も真剣に対処しなければいけませんね」


 朗らかな笑顔を浮かべた少年に、騎士は魔銃槍の切っ先を向けた。

 正真正銘最後のゲッシュを結ぶ。この事件の黒幕を排除する。代償は己の肉体全て。もはや遺体すら残さず、この世から消え去る覚悟だった。

 そんな騎士の覚悟を知ってか知らずか、少年は飄々とした態度で両手を上げる。


「まさか。所詮僕はただの助手。彼に委ねますよ」

「何……?」


 騎士が訝しんだ瞬間、通路の先から人影が現れる。こつこつという硬質的な足音が近づく度に、その姿がはっきりと認識できた。

 その姿には見覚えがある。

 全身が怒りに呑み込まれそうになるぐらいには、見知った顔だった。


「お前――お前は! そうか、貴様ら、全てはこういう計略か! 私に告げた目的も偽りなのか!!」

「いえいえ、そんなことはないですよ。あなたを利用するために計略を回したのは事実ですが、僕たちの目的に嘘は含まれません。まぁ、あなたは結果を知ることができないので――証明はできませんが」


 少年は酷薄な笑みを表出させた。瞬間、魔力の波動によって槍を振り上げた騎士は跳ね飛ばされ、地面へと叩き伏せられる。そのまま彼は動かなくなった。

 ただの一撃で、勇猛なフィアナ騎士は絶命した。


「肉体が崩壊間際とはいえ、この程度の実力か?」

「いえ、彼はかなりの実力者ですよ。ですが、あなたには敵わないでしょう」


 助手は騎士を滅ぼした男へにこやかに話しかける。

 全身を焼け焦げた鎧で身を包んだ男。

 風貌はあの時から変わりない。世界に反旗を翻したあの時から。

 絶大な力を持ってして、アヴァロン島を消し飛ばしたその瞬間から。


「恐怖の大王――」

「弱き者共が身勝手に始めた呼び名だ」

「ああ、そうでしたね。僕にはどうでもいいことですが」


 助手は笑顔を絶やさない。騎士の死体を一瞥したが――正確には中身のない甲冑――特に何かをすることなく大王へと提案した。


「では早急に立ち去りましょう。信徒たちへの報告はまた後に。僕たちの存在を気取られるわけにはいきませんので」

「そのための用途だったはずだが。この男は」

「ええ、そうですね。本来ならもう少し利用する算段でしたが」


 助手の顔に名残惜しそうな気配が浮かぶ。


「やはりローコストで彼ほどの実力者を使役するのは難しかったようです。手間をかけていませんでしたからね。復讐者は利用しやすい。指摘されなければ盲目的に従ったはずですが――」


 しかし予期せぬ邪魔が入った。

 単価の安い粗悪な呪いを込めたクリスタルの配布。

 国際テログループリベリオンの創作。

 フィアナ騎士の生き残り――ロイレスという名前だったが、恐らく今の彼はゲッシュによって名を捨てたと推測される――の養子である羽音勇美の誘拐及び殺害。

 たったこれだけの策謀によって、本来なら我々の側に付くことのない有能な騎士が手に入り、彼は従順に任務をこなしてくれていた。

 だが今や彼は死んだ。シミュレーションに介在する余地のないはずの……小粒のような人間によって。


「……行きましょう」

「先に行く」


 恐怖の大王の呼称を持つ男は先に転移した。

 その場に残った助手は後始末をするでもなくその場で感慨に耽る。

 情報流失については危惧していなかった。彼のゲッシュには我々の存在を公表しないというものも含まれていた。

 ゆえに、脳裏の議題に上げられているのは一人の少年だ。


「赤上鉄斗」


 全ての発端。騎士を失った原因であり、また予定を軌道修正させられた根幹だ。

 本来ならグルヴェイグを利用した作戦でプロトタイプを回収できているはずだった。

 回収できぬのならと代案した性能試験も、此度は失敗だろう。

 またもや予定変更を余儀なくされる。

 ……それ自体は良い。多少のアクシデントで潰れてしまうような脆弱な計画は立てていない。

 要注意人物としてピックアップされた者たちによる妨害は想定内だ。

 世界の裏側で暗躍する各国の古き守護者。

 魔術同盟に属する強大な力を持った魔術師。

 狩人協会から魔術師を監視する狩人。

 小規模の争いが大規模な戦争に発展しないよう努力を重ねる調停局。

 教団として現存する国境なき理想主義者のアサシン。

 あらゆる国家に存在する軍……一般に公開されているような二軍ではなく、対魔術に特化した精鋭の軍人や自衛隊、治安組織。

 世界を巻き込む非常事態においては強大な権威を発揮する国連。

 組織に帰属しない独自の流儀を持った流れ者。

 赤上鉄斗はそのどれでもない。


「覚えておこう」


 助手は歩いて現場から立ち去った。

 もちろん痕跡は、影も形もなく。

 騎士の死は、誓約を破った代償として闇に葬られる。



 ※※※



 その子はとても悲しんでいた。

 自分には才能がないと嘆いていた。

 詳細はわからない。生きる世界が違うから。

 表側と裏側。きっと小さい頃に出会わなければ、一生出会うこともなかったはず。

 でも、出会った。

 公園で仲良くなって、お互いの家で遊んで。

 生きていく世界は違うけど、近くに住む幼馴染にはなれた。

 だから笑顔が消えても、離れる気は全く起きなかった。

 むしろ力が湧いてきた。

 何が何でも笑顔にさせるという意地が。

 最初は邪険にされたけれど、それでも根気強く……いいや、普段通りに、いつもの通りに自然体で世話をすることができた。

 余計なお世話であったとは思う。でも、彼は。

 根負けしたように受け入れて。

 密かに立てていた誓いは、完璧とまではいかないけれど守られた。

 笑顔を取り戻すことができたんだ。

 でも……時折、疑念が湧くことがある。

 果たしてその行為は本当に――彼のためになったのだろうか?



「うっ……」

「鉄斗君?」


 呻き声が聞こえたので、ベッドに横たわる少年の名前を君華は呼んだ。

 鉄斗はずっと眠っていた。

 騎士との戦いの後、怪我自体はピュリティの不可思議な力によって回復したが、意識が回復するまである程度の時間を要した。

 アウローラは言い辛そうにしていたけれど、ビシーははっきりとした物言いで、


「この子才能ないから、すぐには目覚めないわよ」


 その一言はちょっぴり悲しい。でもそう言いながらもビシーは毎日、鉄斗を看病する君華に様々な理由をつけて差し入れを持ってきてくれたし、交代して鉄斗の様子を見守ってくれた。

 そのおかげで君華は体調を崩すこともなくこうして鉄斗の傍にいれる。

 感謝してもしたりない。ビシーは口は悪いけど、間違いなくいい子なのだ。


「君華……俺は……。いや、そうか。気絶してたんだな」


 鉄斗は自嘲気味に呟く。才能のある人間はきっとすぐにでも目覚められたから。

 エールを送るのは簡単だったが、今日の君華はいつもとは違う。

 なので、ただ肯定しただけだった。


「そうだね」

「ざまあないな、俺は」


 自虐的な発言に正座する君華は口を開きかけて……言葉を飲み込む。


「そう……かもね」

「君華?」


 怪訝そうな顔で鉄斗は身を起こした。

 肉体状態は万全。医者が唸ってしまうほどの健康体。

 けれど君華は見た。治療される前の鉄斗の身体はボロボロで、ピュリティという力を秘めた少女がいたから無事なだけ。

 もし正規の手順で治療すれば……きっとまだ目覚めてなかっただろう。

 どこかに障害が残ってしまったかもしれない。

 そんな死地に彼を自分は送ったのだ。

 自己満足の願いによって。

 その結果を、君華は知っている。


「どうかしたか? ……誘拐が堪えたか?」


 鉄斗は君華に同情的な質疑をする。

 しかし君華はその視線に耐えられず顔を逸らした。


「そんなことないよ。私は平気。騎士さんは優しかったし」

「ならどうしてそんな顔を……ああ、そうか」


 鉄斗は合点が言ったように呟き、


「俺が惨めにぶっ倒れたからだな」

「鉄斗君は……惨めなんかじゃないよ。できることをきちんとやって、私の約束も……守ってくれた。すごいと思う。けど……」

「私のせいで危ない目に遭っちゃってごめんね? か? おいおい、勘弁してくれ。お前さんのせいなんかじゃないよ」

「うん……うざいよね、私。ごめんね――あいたっ!?」


 謝罪を口にした途端、デコピンが放たれて君華は悲鳴を上げる。

 おでこを抑えて鉄斗を見るが、彼はおかしそうにくっくっと笑っていた。


「ちょっと、真面目に謝ってるのに!」

「だってあまりにも様子がおかしいからさ。まぁ、最近の俺の素行を見れば、そんな風にネガティブになる理由もわかるし、お前さんが責任を感じるのも無理はないと思う。昔からそういう奴だったしな。最近あまりこういうことなかったから、すっかり忘れてた」

「もう……鉄斗君っ!」


 と言い返しながらもほっとしている自分がいることを強く感じている。

 謝罪をしながら、心のどこかで嫌われてないか不安だった自分もいた。

 しかしこの様子を見る限り、どうやら嫌われてはいないらしい。

 一人、安心する。けれど、暗い事実は完全に拭えない。


「……」

「君華?」

「とりあえず、何か食べ物を」

「待て。何隠してる?」


 手を掴まれて君華はどきりとする。いずれ知ることだろうと考えていた。

 でも、まだ知らなくていいとも。

 しかし鉄斗には……幼馴染にはなんでもお見通しらしい。


「あ……う、その」

「あの騎士が亡くなったのか」

「そう、みたい。……私の、お節介のせいで……」

「お前さんはバカか」

「そうだよね、ごめん。私の浅はかな……いたっ!」


 セカンドデコピンに君華はまたもやおでこを押さえる。


「それを言うなら私たちの浅はかな行い、だ。お前さんが俺に頼んで、俺が実行したんだから。それにな、あの騎士はお前さんに謝罪と感謝を伝えてくれって伝言を残してるんだよ」

「騎士さんが?」


 意外だった。てっきり余計なことを喋ったと怒られると思ったのに。


「騎士は、結果的に亡くなってしまったのかもしれない。その死には、無念が刻まれていたのかもしれない。けれど、お前さんの行いには感謝してたんだ。なのにうじうじしてみろ。きっと化けて出てくるぞ。悲しくて涙を流すのもいい。もっとうまい方法がなかったのかと苦悩することも。でも、余計なお節介をしたことだけは、悔やんじゃいけないんだ。……自分で言っててなんだが、俺も吹っ切れたよ。俺も勘違いしてた」

「勘違い……?」

「そうだ。後悔していい行為と、後悔しちゃいけない行為。今回のこれは、後悔しちゃいけない方だ。相手の意志を尊重するなら絶対に」


 騎士の意向を汲むなら後悔してはいけない――。

 鉄斗の言葉は耳心地が良いが、君華はまだ素直に受け入れられない。

 そんな君華を後押しするように、鉄斗は言葉を投げかける。


「相手が嫌がってるのなら、後悔していいかもしれない。でも、騎士は余計なお世話なんて言い残さなかった。嫌悪感を滲み出してもいなかった。心の底から感謝してたんだ。お前さんが自信を失っちゃいけない。騎士が亡くなったことと、お前さんの行為はイコールじゃない。ただ事実を知らせただけなんだから。だから、余計なことをしたなんて口が裂けても言うんじゃないぞ。それに……俺も、お前さんのお節介にはだいぶ感謝してるからな」


 鉄斗は恥ずかしそうに感謝を述べた。

 君華は呆然とその感謝を聞き受けたがしばらくして現実が追いついてきた。

 沸騰したやかんのように顔を赤くして、膝の上に乗せた両手をぎゅっと握りしめる。


「あ、ありがとう、鉄斗君……」


 俯いて返事を絞り出す。静な外側に比べ、君華の内側は動だった。

 激しい嵐、いや噴火だった。マグマが山の表面をなぞり、噴石は地面に穴を開け、大地を気の向くままに蹂躙している。モクモクと上がる噴煙は、天高くまで届きそうだ。放出された火山灰は、あらゆるものを自分色に染め上げるだろう。

 ヒートアップする君華の脳裏には、一つの可能性が芽生えていた。

 これは、絶好のチャンスなのでは?

 鉄斗がここまでストレートに気持ちを伝えることは滅多にない。

 ストレートにはストレートを。

 否、ダイレクトを。

 全身全霊、渾身を込めた一撃を。

 君華の心臓はバクバクと荒れ狂う。

 ――というかぶっちゃけここで言わないともう一生言えなさそうだしなぜかライバルらしき人物はぽんぽん増えるし傷心に付け入るみたいでちょっとずるい気がするけどそんな風に遠慮してたらどこかの泥棒猫にかっさらわれそうだしだからうんしょうがいないよねそれではいざ、


「ところで、いつになったら私に手解きをしてくれるんだ、君華」

「うひゃああ!」


 君華は奇声を上げて飛び上がる。すぐ傍から放たれた声のせいで。

 鉄斗も少なからず驚いて、声の主を見つめていた。

 そわそわとするアウローラを。きっちりとした正座をして、彼女は待っていた。まるで最初からずっとそこにいたように。いやいや流石にそれはないでしょ、と君華は若干焦りながら、


「び、びっくりしたーいつからいたのアウローラさん」

「ん? 今に限って言えば『鉄斗君?』と君が彼の名前を呼んだところからだが」


 思いっきり最初からだった模様。南無。

 君華の表情が赤から青へ。信号機なら発進可能だが、リトマス紙ならアルカリ性だ。――君華は酷く混乱している。


「最初からじゃない嘘だあ!」

「そうなるな。そもそも私はずっと君華の傍にいたからな」

「え? いやいやそれは流石に」

「疑うのなら証拠として君のセリフを諳んじよう。『鉄斗君……ごめんね……もしまたどこにも行けなくなったら私がずっと世話をするから』、だの、『もしあなたがこのまま一生独身だったらその時は――』」

「わぁストップもうわかったから! ……で? 何で? アウローラちゃんは私の傍に?」


 疲労感に包まれながら訊ねると、アウローラは気恥ずかしそうに両ひざをもじもじとさせた。そのしぐさはちょっとかわいいが、今はアウローラの可愛さを愛でている場合ではない。


「約束、しただろう。あんなことがあったから、忘れてしまったかもしれないが」

「約束……? あ、お料理教える約束!」


 メールで交わした何気ない約束。

 いろんなことがあったせいで失念していたけれど、もちろんその約束はまだ生きている。


「そうだ。学校に付き添えないならせめて、な」

「そうか、そうだね……うん」


 君華は静かに深呼吸。気持ちを落ち着けた後、両手で顔をぱんぱんと叩く。


「よーし、やろう! ピュリティちゃんのお祝いに!」

「うむ、頼む」


 気分を入れ替えた君華はキッチンへ移動しようとして、鉄斗へと振り返る。


「鉄斗君、何か食べたい物とかある?」


 それに対して、鉄斗はこう答えた。


「何でもいいよ。お前さんが作る物なら、なんでも」


 いつも通りに。優柔不断な返答を。



 ※※※



「力及ばず、申し訳ありません……」


 紅葉は遺留品である騎士の甲冑の前で、謝罪を述べた。

 自分を信頼して任せてくれた二人。

 クルミ・ヴァイオレットと神宮先輩。

 傍で倒れ伏した甲冑は中身がない。遺体は誓約の代償によって綺麗さっぱり消え去り、騎士の出自に関する物は何も残されていなかった。

 証拠がないため、事務処理としては事故死として扱われる。魔術の反動による自死は魔術師が関わる案件においてそう珍しいことではない。

 などと思いを馳せても、紅葉はそういう事情などほとんどわからない。半人前の忍びであり、唯一の取柄もこの身一つだけ。それで成せたことと言えば、無様な敗北だった。


「自分だけを責めないで。私たちも何もできなかった。責任があるのはここにいる全員よ」

「い、いえ、此度の件は私の……」

「お前が嘆く必要はないさ。俺らだって、直接どうこうできなかったんだから」


 二人は紅葉を励ましてくれたが、その表情には悔しさが滲んでいる。

 力があるからこそ物事に介入できないというのはままある。敵に警戒されたり、立場やしがらみに絡み取られたり。

 それを回避するための戦力として、先輩は自分を徴用してくれた、と紅葉は考えていた。

 有能な兄や妹の代わりに、自分を見出してくれたのに……結局は。


「騎士が誰かに操られていたことはわかったけど、結局その誰かはわからずじまい。……その誰かはかなり用意周到な人物だと私はみていますが、神宮さんの見解は?」

「俺も同意見だ。俺らみたいになまじ実力があり現場慣れしているような連中は、後一歩のところで届かないよう調整してやがるな。存在は認知できても、深く踏み込むことができない。社会のしがらみを上手く利用してやがる」


 二人は今回の事件とグルヴェイグの件の関連を推理しているが、証拠はおろか証言もない。いくら二人にそれなりの権限が与えられていると言っても、全く手がかりがない状況では動けないし、該当組織の目星を立てることも困難だ。

 このままでは、事件も、また騎士の死も闇に葬られて終わってしまう。

 ……あくまで、これ以上何も起こらなければの話だが。

 胸の中に芽生える予感を、紅葉は口に出す。


「これで終わりだと思いますか?」

「いいや」


 神宮は自信の漲る声で応じた。


「また来るさ。目的を完全に果たすまでな。根は深いようだしな」


 そう所見を述べた神宮は一番最初に騎士の遺留品を発見したスーツの男へ視線を送る。彼は紅葉が鉄斗の護衛任務に勤しむ間、神宮に接触してきた守護者の使いだ。


「これでも情報には目ざとくてね。まさか先を越されるとは思わなかったが」


 フィアナ騎士は神宮のようなやり手を欺く技術に長けていた。標的にだけうまく接触できるようにセッティングし、二人を出し抜きもした。

 なのに、遺留品の位置へ別の守護者の一派が一早く到着する。

 紅葉は正直、驚いていた。仮に出遅れたとしても、それはほんの僅かなタイムラグのはず。ここまで引き剥がされたことは一度もない。

 しかし、もし。

 もし、最初からそこに遺留品があると事前に知らされていたのなら、その素早さにも頷ける。


「まさか……」

「ああ、まさかだ。存外、世の中ってのはまさかが多い」



 

 紅葉と神宮、クルミが疑心に駆られている先で、守護者の男は密命をこなしていた。

 ポケットを弄り、その中身の感触を確かめる。

 長方形のデバイス。

 魔術的な改良が加えられたボイスレコーダー。

 それを陰陽術を用いて破壊する。

 これで、真実が誰の目にも露見することはない。

 ――全ては、幸福なる理想郷のために。



 ※※※



「――などと、思っているだろうな」


 ノートパソコンで受信した映像を閲覧していたフードの男は独りごちる。

 そこに映るのは助手を自称する少年。

 そして、恐怖の大王と他称された男が表示されていた。

 目当ての情報を確認した男は、次に仕掛けていた罠の成果をチェックする。

 表示されたのは病院の監視映像だ。

 こちらには晴れて調停局の一員となったアウローラ・スティレットと、技量の足りない魔術で病院内を移動する赤上鉄斗の姿が鮮明に映し出されている。

 注目するのは魔術騎士として優れた力量を持つアウローラではない。

 視線は、粗悪な魔術を行使する赤上鉄斗へ向けられている。

 鉄斗をしばらく注視していた男は、何も言わずに画面を閉じた。

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